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【書評】Richard J. Samuels『3.11: Disaster and Change in Japan 』(Ithaca and London: Cornell University Press, 2013)
February 6, 2014
評者:昇亜美子(政策研究大学院大学 安全保障・国際問題プログラム 研究助手 博士(法学))
大規模の津波と原発事故をともなう東日本大震災(以下3.11)は、海外でも大きく報じられた。その論調においては、被災者の冷静さや忍耐強さへの称賛とともに、日本政府の情報開示不足とリーダーシップの欠如、官僚支配や天下りの弊害といった批判も目立った。3.11という衝撃的な事象は、海外での日本政治への関心を少なからず呼び起こしたのである。マサチューセッツ工科大学教授で日本研究者のリチャード・サミュエルズ氏による本書は、3.11が日本政治に与えた影響について、ジャーナリズムにみられるような震災直後の対応に関する短期的な観察だけではなく、2012年半ばまでの時期に、国家安全保障、エネルギー、地方自治の三分野においてみられた変化、改革について本格的な分析を行ったきわめて意欲的な学術書である。
以下ではまず、本書の内容を簡単に紹介していく。
第一章「3.11以前と以後」では、東日本大震災による被害の全容、菅政権の危機管理体制と国内政治の動き、国際的支援といった事実関係が的確な評価と共に整理されている。
第二章「危機を無駄にするな」では、本書の分析視角である、東日本大震災についてのナラティブ(語り)について考察がなされている。一般的に危機時には以下の三つのナラティブが形成される。第一に、「変化を加速させる」というナラティブであり、新たな方向に導き質的な変化をもたらそうという語りである。危機を、これまでの政策の失敗の帰結ととらえ、改革を正当化しようとする。第二に、「現状維持」のナラティブであり、危機によって多少の量的な調整や改善は必要になったにしろ、質的な変化は必要ないという語りである。第三に、「逆コース」のナラティブであり、誤った方向に行き過ぎてしまった反省に基づき回帰を求める語りである(p.26)。
第三章の「歴史的・比較的観点からのガイダンス」においては、歴史的・国際的な比較を通じて、3.11が日本の政治と公共政策にどのようなインパクトを与えたのかを理解するうえでの鋭い視角を提供している。そして、災害時の国際的な人道支援は、政治的道具として利用されることがあるが、根本的に相互不信が強い場合には、関係改善実現につながることは困難であると結論付けている。「災害外交」が、通常の国際関係や、外交・安全保障政策を決定する国内のダイナミクスに勝るということは期待できないのである(p.79)。
第四章「安全保障をめぐる対立するナラティブ」では、3.11が安全保障問題の制度的変化をもたらすのかについての3つの異なるナラティブを分析している。第一の変化を加速させようとするグループ(右派)は、3.11を日本への警鐘ととらえ、防衛力の増強や米国からの自立を主張する。彼らは、3.11への対策不足を教訓とし、中国・ロシア・北朝鮮といった真の敵に対するより一層の備えをすべきだと訴える。第二の現状維持派(中道、同盟支持者)は、3.11の際の自衛隊と米軍の活躍は、これまでとってきた方向性が正しいということを証明した、と議論する。第三の逆コース派(左派)は、トモダチ作戦は、違憲である自衛隊と米軍の一体化を促進する危険性を高めたとして警戒感を強める。そして、日本にとっては外敵からの攻撃よりも大災害や原発事故の脅威のほうが大きいのだから、自衛隊は国家防衛よりも災害救援活動に重点を置くべきであると主張する。
上記三つのナラティブのうち、世論や政策コミュニティにおいて最も影響力を持ったのは、第二の現状維持派である。政策レベルでは、3.11に関連して自衛隊の強化や防衛予算の増大は実現しておらず、現状維持への志向性が根強いことが分かる。自衛隊の指揮や新たな装備獲得における部分的な改革はなされるかもしれないが、全般的な計画や政策にはほとんど変化が見られない。また、トモダチ作戦の成功は、普天間基地移転を含む米軍再編問題を進展させることもなかったのである(p.108)。
第五章「エネルギー政策に関する議論」においては、3.11後のエネルギー政策変革に関する三つのナラティブが分析されている。第一に、変化を加速させようとするグループは、「原子力ムラ」の言説を強調し、脱原発と再生エネルギーへの転換を唱える。第二に、現状維持派は、3.11が「想定外」の事象であったという点を強調し、脱原発や原発削減という改革は電力供給の低下、経済成長の鈍化、雇用の悪化、環境破壊をもたらすと議論する。第三に、「逆コース」派は、「シンプル・ライフ」のレトリックを強調し、持続可能で平和な社会と地球上のすべての生物との共生を求めるべきであると主張する。
エネルギー政策においては当初、変化を加速させようとするナラティブが影響力を持っているかにみえたが、菅政権の後に登場した野田政権が脱原発政策を曖昧にしたことにより、結局現状維持派にとって代わられた。東京電力の事実上の解体を除くと、エネルギー政策における変化は遅く不確実である。電力業界全体の構造変革は起こっておらず、原発輸出計画は進んでいる(p.150)。
第六章「地方自治体の再利用」では、地方自治の分野に3.11がもたらした変化についてのナラティブが分析されている。第一に変化を加速させようとするグループである。このグループは地域圏の見直しを求めるが、経済特区や広域連合、道州制など、大きな単位での再編成を求める者たちと、逆により小さな単位を好むグループに分かれる。第二は、自治体間の連携や地方分権を強化しようとする現状維持派である。3.11後には、中央政府からの指示を待たずに地方自治体による被災自治体への支援が広く行われるなど、すでに進展していた地方自治の拡大と水平的な連携がさらに強化された。第三は逆コースで、3.11が破壊しようとしている東北の土地固有のものの保持を訴え、「シンプル・ライフ」、「スロー・ライフ」の重要性を提唱する。これまでのところ、もっとも成功を収めたのは現状維持派であり、3.11後に地方自治体は中央政府に対抗して自治体間の連携をさらに深めている。
結論では、これまでの考察で明らかな通り、国家安全保障、エネルギー、地方自治のいずれの分野においても現状維持への志向性が強いという本書の主張が簡潔且つ的確にまとめられている(pp.189-190)。
さて、以下では本書についての若干の評価を試みたい。2013年末までに国会図書館のデータベースで確認できる日本語の東日本大震災関連の書籍(政府刊行物や報告書なども含む)は3,800冊以上に及ぶが、特定の専門分野や震災の一側面に焦点を絞ったもの、あるいはジャーナリスティックな著作が多くを占める。原発事故対応をめぐっては、国会、政府、民間、東京電力がそれぞれ報告書をまとめており、震災直後の政府などの危機管理体制の実態について詳細に明らかにされているものの、その分析対象と時期は限られている。これに対して本書は、中長期的な視野をもって、国家安全保障、エネルギー、地方自治をめぐるナラティブと政策を包括的に分析しており、3.11の日本政治へのインパクトの全容把握のために不可欠な貴重な研究書であると高く評価できる。
メディアを含む文献調査に加え、政治家、官僚、自衛隊、米軍、米国大使館関係者、自治体職員、原発関係者などへの数多くのインタビューに基づいて導かれた、全ての政策分野において、3.11は根本的な改革をもたらさなかったという指摘も正鵠を得ている。現状維持という結論は「読み物」としては刺激的なものではないが、福島原発事故をめぐる海外メディアの報道に、事実誤認や過剰にセンセーショナルな表現も見受けられたことを考えれば、海外の観察者を安心させるメッセージにもなるであろう。
著者自身も、研究開始当初は3.11が日本政治に及ぼす中長期的影響が相当程度大きなものであるとの見通しを持っており、本書の仮題を『国家の再生?』としていたという(p. xiii)。それでは、何故、3.11は日本政治に大きな変化、改革をもたらさなかったのか。それは、日本政治の特殊な性格によるものなのか、それとも、外生的衝撃の政治・社会への影響に関する既存の政治学や社会学の理論自体が修正されるべきなのか。この点について著者がどちらに力点を置いて議論しようとしているのかはやや明確さに欠ける。結論部分からは、政治学者である著者が、3.11による経験をひとつの歴史的事例としてのみならず、より一般化して政治理論への貢献をしたいという意欲も伺えるが(p.183)、さらに掘り下げた議論が欲しいと感じた。
さて、本書は今後の研究への大変重要な課題も提示している。その一つは、大災害の政治への影響、あるいは災害外交に関する国際比較研究である。第三章では、ハリケーン・カトリーナと3.11を比較し、重大な被害をもたらすが起こる可能性が極めて低い事象であったこと、発生後の対応においては、軍への評価が高まる一方で、中央政府と政治家の能力を疑問視するナラティブが形成されたことなどに共通点を見出している。また、災害外交についても、日本による中国四川地震救援をはじめいくつかの事例を詳細に分析しており、3.11における広範な国際的支援が日本外交に与える影響について重要な示唆を与えている。日本でもこれまでトモダチ作戦や国際支援活動については、既に防衛省や内閣府などが教訓事項をとりまとめたほか、優れた研究論文や報告書などが出されている(たとえば『国際問題』No.608(2012年1・2月)の特集「焦点:震災後の日米同盟と国際協力」)が、今後、本章の卓越した視角を参照しつつ、本格的な国際比較研究が行なわれることが期待される。
また、本書は自民党への政権交代以降の展開は分析対象に含んでいないが、今日までの展開を本書の分析視角に照らすとどのようなことが見えてくるだろうか。エネルギー政策については、安倍政権下で「現状維持」的政策がさらに促進されたという意味で、著者の議論の正しさを証明しているといえよう。他方、小泉純一郎元首相や細川護熙元首相による脱原発を前面に打ち出した東京都知事選挙など、「変革」を志向する新しい動きも見える。脱原発と政治家の立場に関しては、大変興味深いことに、著者は本書で、原発推進から脱原発の立場に転換した菅直人元首相を、3.11を踏まえて自身の政策的選好を変えた唯一の政治家として高く評価をしている(p.191)。日本国内では、菅元首相の原発事故対応における過剰介入やマイクロマネジメントがクローズアップされ、民間事故調報告書や一部のジャーナリズムによる一定の評価を凌いで、批判的な世論が多数派を形成している。そして、事故対応への否定的評価が、菅元首相の脱原発政策への支持にも影を落としたと考えられる。その意味で、脱原発が再び政治的論点として関心を集めている今日、本書の冷静な評価に改めて注目すべきであろう。
安全保障政策に関しては、安倍政権下で進んでいる、国家安全保障会議(NSC)の設置、「国家安全保障戦略」の決定、自衛隊の無人偵察機の導入、日米ガイドラインの再改定にむけた作業などを本書の分析枠組みに当てはめた場合、「変革」とみるか「現状維持」とみるかは論者によって分かれるところであろう。だが、日本の安全保障政策へのインパクトは3.11という大規模自然災害よりも、尖閣諸島をめぐる中国との対立や、北朝鮮による核危機といった伝統的な安全保障上の脅威ほうが大きかったということはいえそうである。この点に関連して著者は結論において、3.11によって日中関係や日韓関係が改善されたという事実はなく、災害外交よりも、勢力均衡や既存の敵対関係、イデオロギー競争、国内政治闘争のインパクトのほうが優越するというリアリストらしい分析を行っており(p.193)、本書の対象時期以降に関しても適用しうる的確な視点を提供している。もっとも、日米ガイドライン再改定に際して、大規模災害の際にも調整メカニズムを自動的に立ち上げるとする方向で日米両政府が調整をしていると報道されるなど(『朝日新聞』2013年11月28日)、著者が本書で考察した範囲を超えて(pp.104-105)、日米同盟のダイナミクスに3.11が一定の影響を及ぼしたと議論することも可能であろう。
今日の日本政治をめぐる動きは、本書の分析対象となった3.11後の展開と連続しているのか、それとも新たな流れなのか。さらには、本書では回避されている印象のある、55年体制の崩壊、政権交代、二大政党制、普通の国家化といった「大きな物語」において、どのように位置づけられるのか。本書での議論を発展させた著者の洞察を是非聞いてみたいところであるが、それは次の著作に期待すべき大きなテーマかもしれない。
なお、本書の日本語版の出版の予定は現在のところないようであるが、危機管理への教訓や今日の政治をめぐる重要な論点を多く提示する本書は、日本でも専門家のみならず多くの一般読者の手に取られるべきであり、一日も早い翻訳が待たれる。
大規模の津波と原発事故をともなう東日本大震災(以下3.11)は、海外でも大きく報じられた。その論調においては、被災者の冷静さや忍耐強さへの称賛とともに、日本政府の情報開示不足とリーダーシップの欠如、官僚支配や天下りの弊害といった批判も目立った。3.11という衝撃的な事象は、海外での日本政治への関心を少なからず呼び起こしたのである。マサチューセッツ工科大学教授で日本研究者のリチャード・サミュエルズ氏による本書は、3.11が日本政治に与えた影響について、ジャーナリズムにみられるような震災直後の対応に関する短期的な観察だけではなく、2012年半ばまでの時期に、国家安全保障、エネルギー、地方自治の三分野においてみられた変化、改革について本格的な分析を行ったきわめて意欲的な学術書である。
以下ではまず、本書の内容を簡単に紹介していく。
第一章「3.11以前と以後」では、東日本大震災による被害の全容、菅政権の危機管理体制と国内政治の動き、国際的支援といった事実関係が的確な評価と共に整理されている。
第二章「危機を無駄にするな」では、本書の分析視角である、東日本大震災についてのナラティブ(語り)について考察がなされている。一般的に危機時には以下の三つのナラティブが形成される。第一に、「変化を加速させる」というナラティブであり、新たな方向に導き質的な変化をもたらそうという語りである。危機を、これまでの政策の失敗の帰結ととらえ、改革を正当化しようとする。第二に、「現状維持」のナラティブであり、危機によって多少の量的な調整や改善は必要になったにしろ、質的な変化は必要ないという語りである。第三に、「逆コース」のナラティブであり、誤った方向に行き過ぎてしまった反省に基づき回帰を求める語りである(p.26)。
第三章の「歴史的・比較的観点からのガイダンス」においては、歴史的・国際的な比較を通じて、3.11が日本の政治と公共政策にどのようなインパクトを与えたのかを理解するうえでの鋭い視角を提供している。そして、災害時の国際的な人道支援は、政治的道具として利用されることがあるが、根本的に相互不信が強い場合には、関係改善実現につながることは困難であると結論付けている。「災害外交」が、通常の国際関係や、外交・安全保障政策を決定する国内のダイナミクスに勝るということは期待できないのである(p.79)。
第四章「安全保障をめぐる対立するナラティブ」では、3.11が安全保障問題の制度的変化をもたらすのかについての3つの異なるナラティブを分析している。第一の変化を加速させようとするグループ(右派)は、3.11を日本への警鐘ととらえ、防衛力の増強や米国からの自立を主張する。彼らは、3.11への対策不足を教訓とし、中国・ロシア・北朝鮮といった真の敵に対するより一層の備えをすべきだと訴える。第二の現状維持派(中道、同盟支持者)は、3.11の際の自衛隊と米軍の活躍は、これまでとってきた方向性が正しいということを証明した、と議論する。第三の逆コース派(左派)は、トモダチ作戦は、違憲である自衛隊と米軍の一体化を促進する危険性を高めたとして警戒感を強める。そして、日本にとっては外敵からの攻撃よりも大災害や原発事故の脅威のほうが大きいのだから、自衛隊は国家防衛よりも災害救援活動に重点を置くべきであると主張する。
上記三つのナラティブのうち、世論や政策コミュニティにおいて最も影響力を持ったのは、第二の現状維持派である。政策レベルでは、3.11に関連して自衛隊の強化や防衛予算の増大は実現しておらず、現状維持への志向性が根強いことが分かる。自衛隊の指揮や新たな装備獲得における部分的な改革はなされるかもしれないが、全般的な計画や政策にはほとんど変化が見られない。また、トモダチ作戦の成功は、普天間基地移転を含む米軍再編問題を進展させることもなかったのである(p.108)。
第五章「エネルギー政策に関する議論」においては、3.11後のエネルギー政策変革に関する三つのナラティブが分析されている。第一に、変化を加速させようとするグループは、「原子力ムラ」の言説を強調し、脱原発と再生エネルギーへの転換を唱える。第二に、現状維持派は、3.11が「想定外」の事象であったという点を強調し、脱原発や原発削減という改革は電力供給の低下、経済成長の鈍化、雇用の悪化、環境破壊をもたらすと議論する。第三に、「逆コース」派は、「シンプル・ライフ」のレトリックを強調し、持続可能で平和な社会と地球上のすべての生物との共生を求めるべきであると主張する。
エネルギー政策においては当初、変化を加速させようとするナラティブが影響力を持っているかにみえたが、菅政権の後に登場した野田政権が脱原発政策を曖昧にしたことにより、結局現状維持派にとって代わられた。東京電力の事実上の解体を除くと、エネルギー政策における変化は遅く不確実である。電力業界全体の構造変革は起こっておらず、原発輸出計画は進んでいる(p.150)。
第六章「地方自治体の再利用」では、地方自治の分野に3.11がもたらした変化についてのナラティブが分析されている。第一に変化を加速させようとするグループである。このグループは地域圏の見直しを求めるが、経済特区や広域連合、道州制など、大きな単位での再編成を求める者たちと、逆により小さな単位を好むグループに分かれる。第二は、自治体間の連携や地方分権を強化しようとする現状維持派である。3.11後には、中央政府からの指示を待たずに地方自治体による被災自治体への支援が広く行われるなど、すでに進展していた地方自治の拡大と水平的な連携がさらに強化された。第三は逆コースで、3.11が破壊しようとしている東北の土地固有のものの保持を訴え、「シンプル・ライフ」、「スロー・ライフ」の重要性を提唱する。これまでのところ、もっとも成功を収めたのは現状維持派であり、3.11後に地方自治体は中央政府に対抗して自治体間の連携をさらに深めている。
結論では、これまでの考察で明らかな通り、国家安全保障、エネルギー、地方自治のいずれの分野においても現状維持への志向性が強いという本書の主張が簡潔且つ的確にまとめられている(pp.189-190)。
さて、以下では本書についての若干の評価を試みたい。2013年末までに国会図書館のデータベースで確認できる日本語の東日本大震災関連の書籍(政府刊行物や報告書なども含む)は3,800冊以上に及ぶが、特定の専門分野や震災の一側面に焦点を絞ったもの、あるいはジャーナリスティックな著作が多くを占める。原発事故対応をめぐっては、国会、政府、民間、東京電力がそれぞれ報告書をまとめており、震災直後の政府などの危機管理体制の実態について詳細に明らかにされているものの、その分析対象と時期は限られている。これに対して本書は、中長期的な視野をもって、国家安全保障、エネルギー、地方自治をめぐるナラティブと政策を包括的に分析しており、3.11の日本政治へのインパクトの全容把握のために不可欠な貴重な研究書であると高く評価できる。
メディアを含む文献調査に加え、政治家、官僚、自衛隊、米軍、米国大使館関係者、自治体職員、原発関係者などへの数多くのインタビューに基づいて導かれた、全ての政策分野において、3.11は根本的な改革をもたらさなかったという指摘も正鵠を得ている。現状維持という結論は「読み物」としては刺激的なものではないが、福島原発事故をめぐる海外メディアの報道に、事実誤認や過剰にセンセーショナルな表現も見受けられたことを考えれば、海外の観察者を安心させるメッセージにもなるであろう。
著者自身も、研究開始当初は3.11が日本政治に及ぼす中長期的影響が相当程度大きなものであるとの見通しを持っており、本書の仮題を『国家の再生?』としていたという(p. xiii)。それでは、何故、3.11は日本政治に大きな変化、改革をもたらさなかったのか。それは、日本政治の特殊な性格によるものなのか、それとも、外生的衝撃の政治・社会への影響に関する既存の政治学や社会学の理論自体が修正されるべきなのか。この点について著者がどちらに力点を置いて議論しようとしているのかはやや明確さに欠ける。結論部分からは、政治学者である著者が、3.11による経験をひとつの歴史的事例としてのみならず、より一般化して政治理論への貢献をしたいという意欲も伺えるが(p.183)、さらに掘り下げた議論が欲しいと感じた。
さて、本書は今後の研究への大変重要な課題も提示している。その一つは、大災害の政治への影響、あるいは災害外交に関する国際比較研究である。第三章では、ハリケーン・カトリーナと3.11を比較し、重大な被害をもたらすが起こる可能性が極めて低い事象であったこと、発生後の対応においては、軍への評価が高まる一方で、中央政府と政治家の能力を疑問視するナラティブが形成されたことなどに共通点を見出している。また、災害外交についても、日本による中国四川地震救援をはじめいくつかの事例を詳細に分析しており、3.11における広範な国際的支援が日本外交に与える影響について重要な示唆を与えている。日本でもこれまでトモダチ作戦や国際支援活動については、既に防衛省や内閣府などが教訓事項をとりまとめたほか、優れた研究論文や報告書などが出されている(たとえば『国際問題』No.608(2012年1・2月)の特集「焦点:震災後の日米同盟と国際協力」)が、今後、本章の卓越した視角を参照しつつ、本格的な国際比較研究が行なわれることが期待される。
また、本書は自民党への政権交代以降の展開は分析対象に含んでいないが、今日までの展開を本書の分析視角に照らすとどのようなことが見えてくるだろうか。エネルギー政策については、安倍政権下で「現状維持」的政策がさらに促進されたという意味で、著者の議論の正しさを証明しているといえよう。他方、小泉純一郎元首相や細川護熙元首相による脱原発を前面に打ち出した東京都知事選挙など、「変革」を志向する新しい動きも見える。脱原発と政治家の立場に関しては、大変興味深いことに、著者は本書で、原発推進から脱原発の立場に転換した菅直人元首相を、3.11を踏まえて自身の政策的選好を変えた唯一の政治家として高く評価をしている(p.191)。日本国内では、菅元首相の原発事故対応における過剰介入やマイクロマネジメントがクローズアップされ、民間事故調報告書や一部のジャーナリズムによる一定の評価を凌いで、批判的な世論が多数派を形成している。そして、事故対応への否定的評価が、菅元首相の脱原発政策への支持にも影を落としたと考えられる。その意味で、脱原発が再び政治的論点として関心を集めている今日、本書の冷静な評価に改めて注目すべきであろう。
安全保障政策に関しては、安倍政権下で進んでいる、国家安全保障会議(NSC)の設置、「国家安全保障戦略」の決定、自衛隊の無人偵察機の導入、日米ガイドラインの再改定にむけた作業などを本書の分析枠組みに当てはめた場合、「変革」とみるか「現状維持」とみるかは論者によって分かれるところであろう。だが、日本の安全保障政策へのインパクトは3.11という大規模自然災害よりも、尖閣諸島をめぐる中国との対立や、北朝鮮による核危機といった伝統的な安全保障上の脅威ほうが大きかったということはいえそうである。この点に関連して著者は結論において、3.11によって日中関係や日韓関係が改善されたという事実はなく、災害外交よりも、勢力均衡や既存の敵対関係、イデオロギー競争、国内政治闘争のインパクトのほうが優越するというリアリストらしい分析を行っており(p.193)、本書の対象時期以降に関しても適用しうる的確な視点を提供している。もっとも、日米ガイドライン再改定に際して、大規模災害の際にも調整メカニズムを自動的に立ち上げるとする方向で日米両政府が調整をしていると報道されるなど(『朝日新聞』2013年11月28日)、著者が本書で考察した範囲を超えて(pp.104-105)、日米同盟のダイナミクスに3.11が一定の影響を及ぼしたと議論することも可能であろう。
今日の日本政治をめぐる動きは、本書の分析対象となった3.11後の展開と連続しているのか、それとも新たな流れなのか。さらには、本書では回避されている印象のある、55年体制の崩壊、政権交代、二大政党制、普通の国家化といった「大きな物語」において、どのように位置づけられるのか。本書での議論を発展させた著者の洞察を是非聞いてみたいところであるが、それは次の著作に期待すべき大きなテーマかもしれない。
なお、本書の日本語版の出版の予定は現在のところないようであるが、危機管理への教訓や今日の政治をめぐる重要な論点を多く提示する本書は、日本でも専門家のみならず多くの一般読者の手に取られるべきであり、一日も早い翻訳が待たれる。
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