評者:中島信吾(防衛省防衛研究所主任研究官)
今年2010年は日米安保条約の改定からちょうど半世紀という歴史上の節目に当たる年であるが、本書はさらにそこからさかのぼり、日本が戦争に敗れて占領を経験し、再び独立国として国際社会に復帰しようとしていた頃、安全保障に関する枠組みがいかに形成されたのかを総合的に描き出そうと試みた、本格的かつ重厚な歴史研究である。本書を手に取った読者は、その分量の多さもさることながら充実した内容に目を見張ることになるだろう。
構成と概要
序 章 吉田茂の選択と戦後日本の安全保障政策
第1章 戦後世界秩序の形成のなかの日本
第2章 東アジア冷戦戦略のなかの日本―マッカーサー、ケナン、ジェサップの非軍事的発展路線
第3章 講和と安全保障をめぐる政策決定:米国-国際安全保障の一環としての日本の安全保障
第4章 占領下における外務省の安全保障研究-非軍事化・冷戦・自律性の維持
第5章 講和と安全保障をめぐる政策決定:日本-米国による安全保障の選択・再軍備への消極的姿勢
第6章 日米間合意の形成-日米安保・漸進的再軍備・琉球諸島の戦略的支配
終 章 吉田茂の選択の国内政治的・国際政治的意味-安全保障構想の共鳴関係のなかで
本書のねらいは明確である。その第一は「米国が東アジア戦略に日本の安全保障問題をどのように位置づけたのか、そして日本は冷戦という国際環境の中でどのように生存を確保しようとしたのかを明らかにすること」であり、第二のねらいは「日本の安全保障政策を構成した三つの手段、日米安保条約、再軍備、米国による琉球諸島の戦略的支配を包括的に検討すること」である。本書が対象とするテーマについてはすでに多くの優れた研究が存在するが、筆者は、それらの多くは、「日米安保条約、再軍備、米国による琉球諸島の戦略的支配のいずれかに焦点が当てられる」。「個々の問題が安全保障政策の全体像を示すわけではない。…この三つの要素を包括的に扱う研究は通史的研究以外には存在しない」と指摘し、この点が本書の独自性であると主張する。
本書は6章から構成される。第1章は戦時期の日米の戦後構想が検討され、米国は戦後の東アジア構想の中で日本をいかに位置づけようとしたのか、また日本は太平洋戦争の敗色が濃くなる中で、勝者の戦後世界秩序にどのように対応しようとしたのかが描かれる。通常、戦後安全保障政策の形成に関する研究は、占領期から分析をはじめることが多いが、戦時期における日米の戦後構想から説き起こしている点も本書独自の視点といえよう。
第2章、第3章は1950年末までの米国政府の対日政策の形成過程を分析している。第2章では1949年までの米国の東アジア政策、対日政策を、マッカーサー及び国務省にあって対日政策の立案を担ったG・ケナン、P・ジェサップの構想の共通性に着目しながら検討している。そして、冷戦構造が東アジアにも波及していく中で、太平洋における米国のプレゼンスの下、非武装の日本に政治的、経済的、社会的自立と安定の道を与える政策が選択されたとする。第3章では、講和後の日本の安全を保障するための手段と考えられていた、琉球諸島を中心とする太平洋地域に展開した米国の軍事力、講和後の日本への米軍駐留、日本自身の限定的再軍備をいかに設定するのかという問題について、米国政府内で調整が行われていく過程を検討している。朝鮮戦争の勃発、中国の介入と日本の周辺情勢が緊迫する中で、国務省極東局、軍部、マッカーサー3者間の意見対立が、ダレスによって調整されたと指摘している。
第4章と第5章は占領期における、講和後をにらんだ日本政府の安全保障政策の形成過程を分析している。第4章は敗戦から1950年秋頃までの期間を対象とし、冷戦が東アジアにも波及する一方で、敗戦による占領と非軍事化政策の継続という自国の安全保障政策の資源と手段が制限される中、外務省がいかなる模索と検討を行い、そして最終的に米国による安全保障という方策を考案するにいたる過程を分析している。第5章は、この外務省の研究作業を土台として、吉田が自らの基本方針を示しつつ、外交・軍事問題ブレーンの検討を経て、日本政府の安全保障政策として形成されていく過程を明らかにしている。
そして第6章は本書のクライマックスであり、1951年初頭から1952年春にかけて実施された日米交渉に焦点を当て、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約、行政協定という形で講和後の日米安全保障関係の枠組みが定まる過程と、交渉の結果がもたらした日米合意の意味がいかなる意味を有していたのかを分析し、それを踏まえて終章では、「日本列島を勢力圏下に置くという太平洋戦争末期以来の米国の要請は、こうして1952年に制度化」した一方で、「日本自身が地域の平和と安定に能動的に貢献する体制を形成することには、米国は成功したとはいえなかった」(281頁)。「結局、再軍備については、米国は日本政府に譲歩した」(282頁)。そして「日本からみれば、講和条約・安保条約・行政協定の締結は、日本が米国を中心とする西側陣営との協調によって生存を確保するという路線を選択したことを意味」し、「米国から実質的な防衛保証を得ることに成功した」(281頁)。その中で、「吉田は、米国に日本の基地を提供し、米国の軍事力に安全をゆだねることをはっきり選択」し、また「再軍備に対する消極的な姿勢は、吉田に独自の方針」であったと指摘する(284頁)。
評価と論点
戦後外交史に関する史料公開が進むにしたがって、研究の関心も60年代から70年代に移ろうとしている中、本書が対象としている日本の占領期から講和独立期にかけての安全保障の問題は、すでに多くの研究によって論じられてきた主要なテーマだが、本書はそこに真正面から挑んでいる。
本書の最大の特徴は、分析の包括性にある。第1に時間的な包括性であり、第2に対象とする事象の包括性である。本書の分析対象期間は戦時中から始まり、敗戦、占領を経て講和独立期にいたる時間的包括性を有している。これは類書にはない特徴であろう。第2に事象の包括性である。日本と米国との間に二国間の安全保障取り決めが結ばれ、しかもそれは日本が独立を回復した後も米国が引き続き継続的に日本に基地を持ち、駐留するという形となった。そして日本は、自身の軍備については憲法を改正しないまま漸進的に整備するという方針を選択した。多くの先行研究では、日米安保条約の締結、あるいは再軍備問題のいずれかに焦点を当てて描いているが、それに対して本書は、こうした戦後日本の安全保障政策の原型ともいえる諸政策の起源を有機的に連関させながら、気が遠くなるほどの史資料を読み込み、日米両国における政策過程を双方向的に、あるいは東アジアおよび太平洋地域における冷戦の展開というグローバルな文脈に位置づけて分析しており、その包括性は特筆すべきものがある。
中でも、評者は吉田・ダレス会談の頃に米側が追求していた太平洋協定構想が挫折して日米2国間の取り決めになり、そして極東条項が挿入される一方で日本防衛義務が明記されないという旧安保条約の枠組みが形成されるプロセスを分析したくだりに非常に強い印象を受けた。そのプロセスが、日米の多様なアクターが抱える政策的背景や思惑、苦悩までにも目配りされながら、立体的かつ説得的に論じられていく様は圧倒的であり、ドラマチックであるとさえいえる。
史資料についても、日本側では外務省文書、個人の日記や書簡、オーラル・ヒストリーなど近年公開されたものも含めて収集し、米側については国務省やGHQ関係文書はもちろんだが、JCS、CIA関係文書、あるいは大学図書館等に所蔵されている個人文書に至るまで収集するという、飽くなき史料収集にかける姿勢には頭が下がる思いである。
一方、このような非常に濃い内容が詰まった本書であるが、いくつかの論点を提示することも可能だろう。すなわち、このように総合的、包括的な分析が試みられている本書だが、その結果導かれた結論については議論の余地があるように思われる。すなわち、もし研究を評価する基準として、これまで見過ごされてきた、あるいは埋もれていた新たな、かつ重要な歴史的知見をもたらすことや、従来の研究とは異なった説を構築することであるとするならば、本書にはそうした要素がそれほど多く盛り込まれているとは言い難い。本書が主要な分析対象とした問題に関する結論は、いずれも、ほぼ既存の研究で指摘されており(もちろん、個々の細部の問題については本書による発見も少なくない)、たとえば、吉田がいたからこそ日米安保・軽武装という日本の選択があり得たのだという指摘は非常に説得的だが、逆に耳慣れたものでもあるといえる。
また、沖縄問題の位置づけについても議論があろう。本書では、「米国による沖縄の戦略的支配、日米安保と漸進的再軍備という組み合わせは、吉田が当時の国内、国際情勢にもっとも適合的なものとして状況思考的に選び取った方策」(285頁)と指摘しているが、果たして最初の要素(米国による沖縄の戦略的支配)と後者二つは同列に論じることが適当なのかという点については意見が分かれるところだろう。沖縄が日本の安全保障問題の中で重要な位置を占めていたことはいうまでもないが、さりとて米国による沖縄の戦略的支配が日本(吉田)が選び取った方策と見なすことはやや無理があるのではなかろうか。
そして、吉田の構想と政策について与えられた意義についても評価が分かれるかもしれない。「吉田のユニークさは、彼が本来は芦田や馬場の立場に近かったにもかかわらず、国内の政治、経済、社会の安定を優先する観点からマッカーサー・ケナン・ジェサップの方向に振ったことであった。さらに日米交渉に際しては、国連の集団安全保障概念を取り入れた。そうした包摂性を有していたために、吉田の安全保障政策は日米間の合意形成を可能にしたと考えられる」(p.281)と終章で述べられているが、むしろ本論の分析を読む限り、日米間の合意は吉田の包摂性によるものというよりも、吉田を重要な当事者の一人とするアクターたちが、種々の国際的・国内的の制約の中で、対立と妥協、調整、協議を重ねて到達した結果だったと理解する方が適当ではないか。また、この点以外にも本論における分析と終章における議論が一部かみ合っていないような印象を受けたのは惜しまれるところだが、これは評者の理解が足りない故かもしれない。
いずれにせよ、本書は、これからこの問題を研究しようとする者が長く参照することになるであろう一冊となることは間違いない。占領期、講和独立期の日本の安全保障問題について、重要と思われる事象を網羅的に、なおかつ政策決定の細部の襞に至るまで、全て本書によって明らかにし尽くされたとの読後感すら読者は覚えるかもしれない。日本の分岐点を大きなスケールでとらえ、膨大な資料を読み込み、緻密に、重厚に、説得力を持って描いた本書からは、筆者の研究にかけた時間と労力、そして情熱と知的誠実さが読み手に伝わってくる、そのような一冊である。