評者:林 大輔(慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程)
はじめに
最近、アジア太平洋における地域主義の動きが、にわかに活気づいてきているように思われる。昨年(2009年)8月の総選挙による民主党・鳩山由紀夫政権の誕生は、一頃の熱気を失いつつあった東アジア共同体(EAC:East Asian Community)推進の議論を活発化させた。また、それまでどちらかといえば慎重な姿勢を崩さなかった自民党政権においても、2008年12月麻生太郎首相の時代からの日中韓サミットの定例化などは、東アジア地域の凝集性と重要性を一層高めるものであった。また今年(2010年)は日本がアジア太平洋経済協力(APEC:Asia-Pacific Economic Cooperation)の議長国となり、貿易やエネルギーや観光分野から財務に至るまで様々な官僚・閣僚レベル会談を重ね、最終的に11月の横浜での首脳会議での「横浜ビジョン」採択に至った。更には環太平洋戦略的経済連携協定(TPP:Trans Pacific Partnership)という新たな地域的経済枠組に対して日本が参加するか否かで、積極的な菅直人首相・財界・経済産業省と、反対派の農林水産省などの間で駆け引きが展開されている。以上のような流れを顧みるならば、今後もこの潮流は程度の差こそあれ続いてゆくものと思われる。
無論、このような地域主義の流れはスムーズに進むものではなく、前進と後退、興隆と沈滞といった起伏を伴うものであろう。今年に入っても、8月の尖閣諸島沖での中国船舶と日本海上保安庁巡視船の衝突問題は、それまで比較的良好に進展していった日中関係を緊張関係に引きずり込むと共に、両国に潜んでいるナショナリズムを目覚めさせる機会となった。また今年は日韓併合100周年にあたる年でもあり、韓国側では様々な学術シンポジウムや出版が盛んに行われているのに対し、日本側では8月の菅首相談話や文化財返還交渉などで消極的な動きに留まり、未来志向と地域統合を推進する前提となるべき歴史の清算に関して、未だに認識の乖離を抱えている。そのような動向は、地域主義の長い伝統を持つヨーロッパにおいても、欧州統合が決して単線的なものではなく、常に長い対立の歴史やナショナリズムや欧州懐疑主義(Euroscepticism)を内包しつつ、それらを克服してきた過程をみても分かるであろう。戦後においても、1954年のフランス国民議会の欧州防衛共同体の否決をはじめ、1960年代の統合の停滞、イギリスのユーロ導入見送り、また最近でもフランスとオランダの国民投票による2005年の欧州憲法条約の否決や、アイルランド国民投票による2001年のニース条約と2008年のリスボン条約の否決など、これまで幾多の後退を繰り返しつつも、仏独枢軸を中心にそれらを乗り越えることで現在の統合の形が形成されてきたのである。
そのようなダイナミズム溢れるアジア太平洋の地域主義についての最新の論文集が、今回渡邉昭夫を中心とする研究プロジェクトの成果として出版されたことは、大変意義深いものといえる。今年は、「環太平洋連帯構想」を提唱した大平正芳元首相の生誕100周年及び没後30周年という里程標の年であり、大平に関する新たな著作・研究の蓄積が著しい(例えば、福永文夫監修『大平正芳全著作集 全8巻』(講談社)や、森田一著、服部龍二、昇亜美子、中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳 その人と外交』(第一法規)など)。そのような中で、本書は大平正芳記念財団より、いわば大平の「環太平洋連帯構想」後の30年間のアジア太平洋における地域主義の歩みを分析するための記念事業として出版されたものである。
本書の構成と内容
本書の構成は下記のとおりである。
序論 「発展途上の地域としてのアジア太平洋」(渡邉昭夫)
第I部 地域のかたち
第1章 「アジア太平洋の重層的な地域制度とAPEC」(菊池努)
第2章 「グローバリゼーションとアジア太平洋」(山本吉宣)
第3章 「アジア太平洋地域主義の特質」(大庭三枝)
第4章 「アジア太平洋諸国経済の相互依存関係と電子機器産業」(熊倉正修)
第5章 「不可欠なパートナー、両義的なモデルとしての中国」(バリー・ノートン+中兼和津次(コメント))
第II部 個別の主体の態度と政策
第6章 「ASEANの変容と広域秩序形成」(山影進)
第7章 「オーストラリアの「アジア太平洋共同体」構想」(福嶋輝彦)
第8章 「太平洋島嶼諸国と環太平洋」(小柏葉子)
第9章 「韓国の地域外交とアジア太平洋」(李鍾元)
第10章 「アジア太平洋地域統合への展望」(呉栄義)
第11章 「中国のアジア地域外交 上海協力機構を中心に」(毛里和子)
第12章 「アジア太平洋とロシア」(河東哲夫)
第13章 「アジア太平洋地域と中南米 メキシコ、チリ、ペルーの視点を中心に」(細野昭雄)
第14章 「アメリカはアジアに回帰するか?」(T・J・ペンペル)
第15章 「日本外交におけるアジア太平洋」(田中明彦)
執筆者の陣容をみても分かるとおり、本書は当該分野における第一人者ともいえる研究者によって書かれた最新の論文が所収されている。のみならず、台湾の地域主義外交について論じている呉栄義などは、台湾の内閣副総理をはじめAPEC賢人会合やAPEC台湾代表団としての経験を兼ね備えた人物であり、そのような実務面からの分析も、本書の重要性を一層高めるものであろう。
本書は全部で15章にものぼり、地域的にも日本や韓国・中国のような東アジアのみならず、アメリカやロシア、メルコスールを形成するラテンアメリカ諸国や太平洋島嶼諸国などにも分析の射程を拡げている。さらに分析対象としても、外交政策のみならず理論的枠組から地域概念など、非常に幅広く多岐にわたる著作となっているため、個々の章の内容に関する紹介は極めて散漫なものとなり割愛すべきと考える。またこれについては、編者の渡邉昭夫が序論で簡にして要を得た各章の概要を紹介しているため、そちらを参照した方がはるかに参考となるであろう。ここでは、そのような多岐にわたる内容を、評者の目からみて本書に共通する争点や問題意識と思われる下記3点に沿って、大胆に再整理した上で紹介したい。
第一に、「アジア太平洋地域主義」と「東アジア地域主義」という、二つの地域主義概念に対する力点とその評価についてである。前者はアジア及び太平洋地域全体を包括しようとするより広域の概念であり、多くの論者がAPECをその代表的な地域枠組として位置付けている。そして1980年代から1990年代後半にかけて、特に1993年のAPEC首脳会談の定例化と1994年のボゴール宣言をひとつの到達点として、積極的に評価している。それに対して後者は、日・中・韓という東アジア三カ国中心の(場合によっては東南アジア諸国をも射程とした)、より限定的な地域概念である。そして1997年アジア通貨危機以降は、後者の「東アジア地域主義」を体現するASEAN+3やASEAN地域フォーラム(ARF)、チェンマイ・イニシアチブ、さらには東アジアサミット(EAS)などが、より重要な役割を果たすようになってきたとする論者が多い(山本論文・大庭論文・李論文・田中論文など)。
それでは、前者の「アジア太平洋地域主義」とは、1990年代後半以降はどのように評価すべきかという点に関しては、論者の間で見解が分かれている。例えば山本論文や大庭論文や田中論文は、早期自発的自由化交渉(EVSL:Early Voluntary Sectoral Liberalization)の挫折などAPECの役割は低下したものと評価し、またペンペル論文は、アメリカがG・W・ブッシュ政権の外交政策の軍事偏重・経済の失敗・単独行動主義により「アジア太平洋地域主義」に対する関心を低下させたとする見方を提示している。それに対して菊池論文は、1990年代後半以降もAPECの対象領域の拡大や組織改革や国際制度との相互調整などの点から、「東アジア地域主義」による枠組よりもはるかに比較優位を持つとして、APECの積極的評価を堅持している。また小柏論文や細野論文は、分析対象の持つ周辺としての地域性の観点から、一貫して「アジア太平洋地域主義」を基調としている。
ただしここで重要なことは、「アジア太平洋地域主義」と「東アジア地域主義」が、決して二項対立的なものとして描かれているわけではないことに留意すべきであろう。両者は決してクリアカットなものでもなければ相互排他的なものでもなく、むしろ前者は後者の大部を包摂するような領域概念と捉えられよう。そのような点からも、領域性の自己認識や関心のシフト、あるいは次々に新たに構築・進化を遂げる地域枠組の機能の変化を捉える上で、これら二つの地域主義概念をあくまで便宜的に対照させているのである。
第二に、中国の位置付けと関係性についてである。アジア太平洋における中国の影響力や役割が大いに変化してきたことは、ほとんど全ての論者に共通する問題意識として捉えられている。中国というアクターは、冷戦期までは米・ソ・中三極構造といった冷戦的国際秩序の中に位置付けられるか、あるいは西側中心の地域枠組(例えば、アジア太平洋協議会(ASPAC:Asia and Pacific Council)や太平洋貿易開発会議(PAFTAD:Pacific Trade and Development Conference)などという同質性の問題や中国自体の持つパワーの小ささから、アジア太平洋の地域主義の対象外とされることが多かった。ところが冷戦後は、著しい経済成長や安全保障上の役割の増大から、米中二国による二極構造の中での地域的・世界的な大国として位置付けられることが徐々に多くなってきている。
そのような中で、中国をどう捉え、アジア太平洋の地域主義にどのような影響をもたらすかについては、論者によって多様な見方が提示されている。例えば熊倉論文は、中国を精密機器製造業や電子産業の一大産業拠点としての役割を強調しており、ノートン論文に至っては「中国(北京)モデル」とも言うべき、アメリカの提示する「ワシントン・モデル」に対抗すべきカウンター・パラダイムとしての可能性と限界を提示している。また毛里論文は、中国の持つ独自の地域主義概念と地域秩序構築について描く上で、上海協力機構(SCO:Shanghai Cooperation Organization)の役割に着目している。それに対して呉論文は、台湾を排除し、純然たる地域統合に反対して地域全体の利益を損なう主体として極めて批判的な評価を提示しているのである。このような中国に対する多様な見方が提示されていることは、大変に興味深い点といえるだろう。今後中国が、不可欠なパートナーか、あるいは潜在的な脅威か(ノートン論文)、さらには「責任あるステークホルダー」(ロバート・ゼーリック米国務副長官)となってゆくかについては、これからも注目すべき動向であり続けるものと思われる。
第三に、アジア太平洋の地域枠組が抱合する争点領域の拡大と多様化についてである。これまでアジア太平洋の地域主義に基づいて様々な地域枠組が構想または構築されてきたが、それらの対象領域は主に経済の分野からスタートした。日本による東南アジア開発閣僚会議や、韓国によるASPAC、オーストラリアによる太平洋貿易開発機構(OPTAD:Organization for Pacific Trade and Development)構想、さらには東南アジア中心のASEANやアジア太平洋全域のAPECなど、これら経済的な側面に関しては、ほぼ全ての論者が分析の射程としている(中でも、菊池論文や熊倉論文、ノートン論文、小柏論文、細野論文など)。
そのような経済中心のアプローチから、地域主義の深化とともに、アジア太平洋の地域枠組の争点領域は徐々に政治や安全保障のような分野にも拡がりを見せつつある。ASEANをハブとするARFやASEANの共同体化、EAS、中国やロシアなど中央アジアにおける地域的安全保障枠組であるSCO、朝鮮半島問題に関する六者協議などは、そのような地域秩序の構築に不可欠な枠組として機能している。山本論文や福嶋論文、李論文、毛里論文、河東論文、ペンペル論文、田中論文などは、このような地域枠組における政治・安全保障面での機能に分析の主眼を置いている。
また地域主義とは特定の領域性アイデンティティを伴うため、求心力としての共通の価値や近接性・信頼性などの認識に関する考察が欠かせない。アジア太平洋における地域主義とは、「アジア太平洋(アジア・東アジア)とは何か」という問題が絶えず問われてきた過程でもあった。この問題については大庭論文が正面から取り上げており、大いなる示唆を与えている。
そのようなアジア太平洋の地域枠組の機能と性質の多様化の過程の中で、大平の「環太平洋連帯構想」の意味と評価を改めて問い直していることも、本書の特徴として指摘しておくべきであろう。例えば大庭論文は、大平構想が異なる文化や価値観・価値体系を持つ諸国民の相互理解の深化を重視し、異なる価値観の共有に立脚して共同体を形成することに力点を置いている、と主張している。その意味で、他のアジア太平洋の地域構想の多くが貿易や開発協力を強調しているのとは一線を画すものとして、より積極的な再評価を試みている。また山影論文も、大平構想は日米二国間同盟体制から一歩進み出て、中国を念頭に置きつつASEANを含む広域秩序を創設しようとしたという点で、本構想の持つべき例外的な先見性を評価しているのである。
本書の評価
以上のような内容を持つ本書に対して、評者は全般的には下記の点で好意的に評価するものである。第一に、本書がアジア太平洋における地域主義を考える上で、多様な視点や分析を提示することによって、より包括的にアジア太平洋の地域主義の全体像を捉えようとする試みがなされていることである。編者の渡邉昭夫も述べているとおり、アジア太平洋とは極めて多様性に溢れる地域であり、共通の問題意識や分析視角に基づいて論証することの難しさを強く認識している。その意味で、アジア太平洋という「多頭の怪物」を説明する上で、これほどまでに多様性に富む内容を凝集させた点は高く評価すべきであろう。第二に、それぞれの分野の最高水準の研究者や実務家による論考を揃えていることである。第三に、本書は学術的な研究成果ではあるものの、決して註釈で凝り固まるような専門書ではなく、大学学部3・4年生から社会人や一般の人々まで幅広く読めるような水準で平易に書かれていることである。その意味で、本書をより公平な立場で相対的に位置付けるならば、現時点でのアジア太平洋の地域主義に関する最新の標準的な入門書として参照すべき本といえるであろう。
そのような本書に対する好意的な評価の一方で、評者からは敢えて下記の点に関して若干のコメントを提示したい。第一に、アジア太平洋の地域主義とは、5年前と比べるとどのように発展してきたのか?という点である。本書内で必ずしも明示されていないことであるが、実は本書と同様の研究プロジェクトが5年前の2005年にも行われており、渡邉昭夫編著『アジア太平洋連帯構想』(NTT出版、2005年)として出版されている。同書も、環太平洋連帯構想と東アジア地域協力という二つの分析視角を基に、日本や中国やASEANやAPECなどの主体を、さらに争点としても経済や科学技術などの産業発展から安全保障共同体など、本書と大いに問題を共有するところが多い。さらには執筆者も、大平正芳記念財団の運営委員となっている渡邉昭夫、毛里和子、山影進、中兼和津次などは、同書においても論文を提出している。そうなれば必然的に、アジア太平洋における地域主義とは、研究の面でも実体の面でも、5年前と比べて何が変わり、何が発展したのであろうか、という疑問が浮かび上がる。おそらくは編者の意図として、本書は5年前の研究事業とは異なる流れの研究成果であり、敢えて意識せずに独立して成立したものと位置付けていると考えられる。上記4名以外は執筆者を変えたのも、その表れのように思われる。だが、アジア太平洋の地域主義が進化してゆく過程の中で、これら二つは独立したものというよりも継続性や相互に関連性を大いに伴うものとなるはずである。
そのような点を踏まえた上で、評者は5年前と比べると以下の点で発展したものと評価したい。まず研究上の発展としては、本書がアジア太平洋の地域主義の多様性と制度化を、より明確な形で描いていることにある。具体的には、前回が経済的な側面を中心とする地域主義研究であったのに比べて、今回は政治・安全保障の側面を強調し、更には環境などの新しい分野にも言及することによって、より総合的な地域主義研究として発展したことにあるだろう。また2005年の研究成果には反映できなかった韓国や太平洋島嶼諸国やロシアなど、より様々な国々から見たアジア太平洋の地域主義を描くことができたことも、研究面での大いなる発展といえる。さらに地域主義の実体面での発展としても、5年前と比べると実際に地域枠組がより多様化・制度化してきたことがうかがえる。例えば、前回も取り上げられている自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)や経済連携協定(EPA: Economic Partnership Agreement)のような枠組も、日本=シンガポールといった二者間中心の経済枠組から、本書では更に多角的FTA/EPAとしてアジア太平洋自由貿易協定(FTAAP:Free Trade Agreement of the Asia-Pacific)やTPPなどが分析射程に入れられている。特に2005年当時に創設されたばかりのTPPは、その後2008年にアメリカやオーストラリアなどが参加の意向を表明したことによって、更なる大きな意義を持つようになった。その他にも、APECの機能拡大、ASEANの共同体化、EASのような新たな枠組の構築など、アジア太平洋の地域主義は過去5年の間だけでもより多角的かつ重層的な形で制度化が進んでいる。本書が前回以降に出現・発展したこれらの新たな多様化・制度化の動きを取り込んでいることは、極めて重要な成果といえるだろう。
第二に、本書が複数の論考を並べただけの「論文集」としての意義以上に、どのような意味があるのか?という点である。というのも、各章で論述が重複していることと、相互に対立する議論が混在していることが、本書をひとつの全体像として評価することを困難なものにしている。このことは、アジア太平洋の地域主義が多様性を帯びていることと表裏一体であり、いわば負の側面といえるだろう。
さらに論文によって視点や分析視角が全く異なるのみならず、論文の質の面で極めて高低差がある。評者の目から見て、例えばアメリカのアジア太平洋の地域主義を分析したペンペル論文などは、地域主義というよりも単なる外交政策の歴史のフォローアップをしているに過ぎない。また毛里論文も、中国の地域主義に関する議論をほとんどSCOに特化する形で進めている。そのため、SCOに関する論述としては優れたものであっても、中国の地域主義の論文として読むならば分析が特定の争点に偏りがちとなっている。アジア太平洋の中でも二大大国であるアメリカと中国に関する分析であるだけに、読み手としては相応の期待を持っていたが、このような物足りなさを感じるものとなっているのは些か残念なものであった。
その反対に、評者の目から見て特に質の高い論考として感銘を受けたのは、李論文と呉論文である。李論文は、ナショナリズム(国家)とリージョナリズム(地域)の関係性、そしてアジア太平洋と東アジアの二つの地域主義の交錯、という二つの分析視角を設定した上で、李承晩以降の韓国の地域主義外交の意味付けを試みている。このような分析視角は、本書の中では最も明確な視角かつ他の論文と比べても更に踏み込んだものであり、本書の目的を一層高めることに貢献している。また呉論文は、台湾という特異な政治主体から見たアジア太平洋の地域主義を扱っていることと、著者自身が本書の中で唯一学術畑と実務畑の双方の経歴を持っていることにより、本書の中でも極めて特異ながら大変興味深い示唆に富んだ論文となっている。呉論文では、台湾の持つ政治的な制約と経済的なパワーが、皮肉なまでに対照的に描かれている。すなわち政治的には、台湾はアジア太平洋の地域枠組に公式には参入できず、中国の排除と圧力を前にAPEC以外に実現できていないという制約を抱えている。だが経済的には、世界第23位のGDPと東アジア内で中国・日本・韓国・香港・シンガポールに次ぐ第6位の輸出入額を誇る巨大な主体であることが強調されている。それだけに、そのような経済的パワーを持つ台湾が地域枠組から排除されることによる域内リスクを、1997年のアジア金融危機を事例として詳細に論証している。その記述は丁寧ながらも努めて抑制的な筆致であり、そのことが却って真に迫って言い得ぬほどの迫力を帯びるものとなっている。
以上のような若干の問題点を指摘しつつも、それらはある意味で評者によるないものねだりとも言うべきものであり、本書全体の持つ価値を決して下げるようなものではない。単一の書籍としておそらくここまでに幅広く多様な論考をまとめた類書は、他に例を見ることが出来ないであろう。
今後、アジア太平洋地域がさらに発展してゆく中で、どのような新たな地域枠組が出現または発展し、どのようにして「アジアはひとつ」に向かってゆくのか、多くの人々を惹きつける関心の対象となるであろう。本書はそのような流れを捉える上で、スタンダードな文献のひとつとして参照されてゆくのみならず、本書を新たな立脚点として更なる優れた地域主義研究が今後も出現してゆくことを祈念してやまない。