評者:小谷 賢(防衛省防衛研究所主任研究官)
太平洋戦争が勃発したのは単純に軍部が暴走したからではない。陸軍参謀本部の一部組織を除けば、天皇、政府、海軍、陸軍省ですら対米戦には及び腰であった。さらに言えば、「なぜ日本はあんな無謀な戦争を行ったのか」という問いかけ自体、戦争の悲惨な結末を知っているが故の後知恵であり、当時「対米戦」という選択は最も有望と考えられていたのである。
ではなぜ皆が戦争に消極的なのに対米戦が有望とされ、それが実行されたのか、この一見すると矛盾だらけの問いに対して、本書は日本の政治、官僚システムの「非(避)決定」という構図から明快に論じている。
当時の政策決定過程には国策を決定する政治主体というものが欠けており、国策というものは政府や陸海軍、外務省などの曖昧な合意の産物であった。ただしこの仕組みでは、それぞれが「組織の利益」を主張し出すと国策などまとまらない。そしてそのような状況が実際に生じていたのである。各組織はお互いが納得するまで膨大な「紙の上での戦い」を繰り広げ、落としどころを模索することになる。こうして具体的な国策は何も決定されず、組織間の合意を目指した両論併記の国策だけが文書として残されるのである。
太平洋戦争の開戦経緯においては、対米戦を回避したい政府、中国からの撤兵を受け入れない参謀本部強硬派とそれを統制しようとする陸軍省、対米戦は回避したいが対米戦用の予算や物資は欲しい海軍、枢軸派と米英派の入り乱れる外務省が、それぞれの省益を戦わせながら曖昧な合意を形成していくことになる。しかし対米戦という対外的な、しかも国家の命運のかかった問題を、省益を優先する非決定の構図から論じていればいずれ行き詰まることは想像に難くない。曖昧な合意と議論の先送りしかできなかった政府にとって唯一合意に達することができたのが、「対米戦」という悲劇的な結論であった。そこには国家としての長期的な展望や合理的な対外戦略といったものは見られない。
著者は前著『日米開戦の政治過程』でもこのような非決定の構図について論じているが、本書は一般読者向けに柔らかく書かれており、また東条内閣による国策再検討や東郷外相の外交について新たな知見を提示してくれている。ただし政治は人の営みである以上、システム上の瑕疵のみから論じることはやや一面的な見方であり、従来の派閥や人事について論じた書と併せて読むと、より開戦経緯への理解が深まるであろう。
太平洋戦争が勃発したのは単純に軍部が暴走したからではない。陸軍参謀本部の一部組織を除けば、天皇、政府、海軍、陸軍省ですら対米戦には及び腰であった。さらに言えば、「なぜ日本はあんな無謀な戦争を行ったのか」という問いかけ自体、戦争の悲惨な結末を知っているが故の後知恵であり、当時「対米戦」という選択は最も有望と考えられていたのである。
ではなぜ皆が戦争に消極的なのに対米戦が有望とされ、それが実行されたのか、この一見すると矛盾だらけの問いに対して、本書は日本の政治、官僚システムの「非(避)決定」という構図から明快に論じている。
当時の政策決定過程には国策を決定する政治主体というものが欠けており、国策というものは政府や陸海軍、外務省などの曖昧な合意の産物であった。ただしこの仕組みでは、それぞれが「組織の利益」を主張し出すと国策などまとまらない。そしてそのような状況が実際に生じていたのである。各組織はお互いが納得するまで膨大な「紙の上での戦い」を繰り広げ、落としどころを模索することになる。こうして具体的な国策は何も決定されず、組織間の合意を目指した両論併記の国策だけが文書として残されるのである。
太平洋戦争の開戦経緯においては、対米戦を回避したい政府、中国からの撤兵を受け入れない参謀本部強硬派とそれを統制しようとする陸軍省、対米戦は回避したいが対米戦用の予算や物資は欲しい海軍、枢軸派と米英派の入り乱れる外務省が、それぞれの省益を戦わせながら曖昧な合意を形成していくことになる。しかし対米戦という対外的な、しかも国家の命運のかかった問題を、省益を優先する非決定の構図から論じていればいずれ行き詰まることは想像に難くない。曖昧な合意と議論の先送りしかできなかった政府にとって唯一合意に達することができたのが、「対米戦」という悲劇的な結論であった。そこには国家としての長期的な展望や合理的な対外戦略といったものは見られない。
著者は前著『日米開戦の政治過程』でもこのような非決定の構図について論じているが、本書は一般読者向けに柔らかく書かれており、また東条内閣による国策再検討や東郷外相の外交について新たな知見を提示してくれている。ただし政治は人の営みである以上、システム上の瑕疵のみから論じることはやや一面的な見方であり、従来の派閥や人事について論じた書と併せて読むと、より開戦経緯への理解が深まるであろう。
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