久保文明 上席研究員
2016年大統領選挙選分析プロジェクトリーダー
東京大学法学部教授
「トランプ革命」の震源地
ドナルド・トランプが2016年大統領選挙でペンシルベニア、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシンなどの州で勝利して、当選したことは大きな驚きであった。オハイオ州は接戦と予想されていたが、実際には得票率で、トランプの51.7%対クリントンの43.3%と8.4%もの差がついた。
出口調査によると、大学を卒業していない白人でのトランプの得票率は67%であり、全投票者の34%を占めるこの層でクリントンを圧倒した。
サイオートー・カウンティは、オハイオ州南部、ケンタッキー州に接した地域にある人口約8万人の行政区であるが、2010年の国勢調査によると、住民の約94%は白人である。ここではとくに白人高卒者が多い。
2016年3月15日のオハイオ州共和党予備選挙において、トランプは地元知事ジョン・ケーシックに敗れたが(ケーシックの得票率は47.0%、トランプは35.9%)、本カウンティでは、5人の候補がいる中でトランプは50.1%の得票率を記録して圧勝した。
11月8日の本選挙において、サイオートー・カウンティの人々はどのように投票したであろうか。トランプは66.8%という驚異的な得票率を記録し、29.7%のクリントンを圧倒した。それまで4回の大統領選挙で、同カウンティにおいてジョージ・W・ブッシュが2000年と2004年にそれぞれ50.2%、51.9%を獲得、2008年にはジョン・マケインが52.2%、そして2012年にはミット・ロムニーが49.7%を得た。要するに、共和党大統領候補はこのカウンティにおいて、最善の数字を出した時ですら、せいぜい52%余りを獲得できたに過ぎなかった。日本などよりも政党支持のパターンが固定的であり、いわゆる「風」などの影響を受けにくいアメリカの大統領選挙において、この変化はまさに驚異としかいいようがない。
オハイオ州トランブル・カウンティでは同様に、共和党候補が突破できなかった「38%の壁」をトランプは52%を超える得票率を記録して、乗り越えたことが報告されている(金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』岩波新書、2017年、29頁)。
まさに、このような場所、このような地域こそが、「トランプ革命」の震源地なのである。
アメリカ経済の現状は良好であると報告されることが多いが、この地域は取り残されている。かつて鉄鋼あるいは鉄道関係の時給35ドルの職が多数存在していたが、現在は時給11ドルの仕事にありつければ幸運な方である。16歳から64歳までの男性の53.8%は仕事がない状態である(求職活動をしていない人も含めた数字)。( http://money.cnn.com/2016/05/04/news/economy/america-left-behind-white-men/ )
これらの人びとは、以前から一貫して貧しかったわけでは必ずしもない。かつては高卒者でも子供を大学にまで送ることができたが、現在、それはますます困難になっている。サイオートー・カウンティは孤立した事例ではなく、ペンシルべニア州南西部からオハイオ州南部、そしてミシガン州やウィスコンシン州にまで点在する多くの地域の一例に過ぎない。
トランプの公約-三点セット
それでは、トランプの政策は、これまでの共和党大統領候補のそれとどこが異なっていたのであろうか。一つは、強烈な反不法移民の態度であろう。政策としてはメキシコ政府の負担によりメキシコ国境上に壁を作ることを公約とし、同時に不法移民には麻薬中毒者、犯罪者、強姦魔が多数含まれていると語った。共和党保守派は不法移民に対しては近年、概して厳しい立場を示してきたとはいえ、ポリティカル・コレクトネスを無視してここまで露骨に反不法移民感情を煽った候補はこれまで存在しなかった。
第二には保護貿易主義、反自由貿易のレトリックを指摘できよう。1945年以後、共和党の大統領候補は基本的には自由貿易主義者であった。
そして第三に孤立主義的傾向をあげることができる。トランプは選挙戦中に日本・韓国・NATO諸国に対する防衛義務について懐疑的姿勢を示し、「アメリカ・ファースト」をアピールした。ちなみにアメリカ・ファーストは、アメリカ外交史の専門家にはよく知られた言葉であり、1941年にヨーロッパとアジアの戦争にアメリカを参加させないように活動した孤立主義者の立場を意味していた。
これらの政策を、トランプ主義の三点セットと呼ぶことができよう。むろん、減税や規制緩和など、トランプはこれまでの共和党大統領候補と共通の政策も公約としていた。しかし、とくに異なる部分、そして上記のカウンティなどで共和党が勝利する点で重要であったと思われる政策に注目すると、ここで触れた三点セットが際立ってくる。
労働者政党としての共和党?
今回のトランプの勝利を単に偶然の産物として一蹴することも不可能でない。ただし、ペギー・ヌーナンのように、トランプを過小評価してはならないと警告するコラムニストも存在する。ヌーナンは、トランプ大統領が就任早々、経営者だけでなく、労働組合指導者と会談したこと、それは1時間半にも及び、ホワイトハウスを自ら案内するツアーまでつけたものであったことを紹介しながら、トランプは共和党を「勤労者の政党、包囲されていると感じている人々の政党」に作り替えようとしていると警告する。むろん、それは簡単なことであるはずがない。しかし、彼女が見るところでは、民主党はそれに対抗する手段を持っていない。そして彼女はジョシュア・グリーンによる「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」によるコラムを絶賛しつつ、「トランプは労働者政党を構築しようとしているのだ」「ここ18年間実質賃金が上がっていない人々の政党である」「5年後、10年後、共和党は違う政党になっているだろう」との見方を紹介している。(Peggy Noonan, " Trump Tries to Build a 'Different Party'-Democrats Have No Playbook for Dealing with a Republican Who's a Populist " Wall Street Journal, January 26, 2017; ).(Joshua Green, " How to Get Trump Elected When He's Wrecking Everything You Built ," Bloomberg Businessweek, May 26, 2016; )
「北部戦略」の将来
むろん、トランプが共和党を労働者の政党に変容させることは、ヌーナン自ら認めるように容易でない。トランプの経済政策の根幹は減税や規制緩和であり、また労働組合の権利を抑制しようとする経営者の立場を支持している。再分配的政策への関心も弱い。最低賃金の引き上げも支持できないであろう。しかも、今回、共和党は反NAFTAの立場が災いしたか、テキサス州で4年前より得票を減らしている。
ただし、先にみたような三点セットに加え、キーストンXLやダコタ・アクセスなどのパイプラインの建設を承認することで、そしてさらに大規模なインフラ投資を打ち上げることで、白人労働者に強烈なアピールができることは部分的に証明された。トランプはさらに、有給の産児休暇制度は支持する姿勢を示している。
今日、支持者が高学歴化し、LGBT、ジェンダー、人種的・民族的少数派の権利擁護を重視し、なおかつ地球温暖化対策をますます優先政策とする民主党は、どのように対抗していくのであろうか。
ケヴィン・フィリップスが洞察に満ちた著書『共和党多数派の出現』(The Emerging Republican Majority)を刊行したのは1969年のことであり、実は前年からニクソンはそこで提唱された南部戦略をかなり忠実に実行していた。当時、共和党は少数党であった。
現在、共和党は控えめに見ても民主党と五分五分に渡り合っており、僅かな差しかないとはいえ、どちらかというと多数党であるとすらいえる。上で指摘したように、他の州で票を減らした面があるとはいえ、共和党は依然南部の多くの州で優勢である。この状態で、北部白人労働者階級を標的にするトランプの「北部戦略」が部分的にでも効果を現したらどうなるであろうか。
ヒスパニックなど少数民族票を取り込まない限り、共和党に将来はないと言われてきた。トランプの北部戦略はまさにその逆を行くものであった。20年後はともかく、少なくとも2016年にはまだそれは機能した。
今回、トランプは上記の三点セットの実践で、共和党の大統領候補指名を獲得することが可能であることを実証した。トランプ政権は壮大な規模で失敗し、北部戦略も同時に消え失せる可能性もある。それでも、今回トランプが提起した路線問題は、今後ともトランプ主義が生き残る可能性があることを示唆している。トランプ政権はこのような文脈で、歴史の岐路に立つ政権なのかもしれない。