佐々木 良昭 上席研究員
アラブの春革命は、既に革命が完了した国には、混乱を生み出し、いまだ途上にある国には、殺戮をもたらし、まだその萌芽も定かではない国々には、不安をもたらしているようだ。 アラブの春革命が起こった国の一つであるエジプトには、鬼っ子を生み出してしまったようだ。なんと世俗派が始めた革命の、果実を独占したのは、世俗派とは程遠い、ムスリム同胞団だったのだ。以来、ムスリム同胞団はエジプト国内で、どのような評価を得、どのような行動をしているのだろうか。
ムスリム同胞団は最初、ハイラト・シャーテルという名の、ナンバー2を大統領候補に立てたが、出獄から然るべき期間が過ぎていないことが理由で、出馬を断念させられた。
次いで、ムスリム同胞団が大統領候補に擁立したムハンマド・モルシー氏は、見事に当選した。しかし、その裏にはムスリム同胞団なりの、ズルがあったと言われている。選挙管理委員会が当選者を発表する前に、ムハンマド・モルシー氏は選挙の勝利宣言をしたのだ。
当時の雰囲気からすれば、このさきがけ勝利宣言を覆すことは、選挙委員会には出来なかった。なぜならば、対抗馬であったアハマド・シャフィーク氏は、ムバーラク体制最後の、首相を務めた人物であったからだ。もし、選挙委員会がムハンマド・モルシー氏の勝利を否定すれば、社会は大混乱になったと思われるからだ。
ムハンマド・モルシー氏と、アハマド・シャフィーク氏の得票数の差は、2~3パーセント程度だった、という発表がなされている事からも、両者のどちらが勝利したのかは、微妙なものであったということだ。
ムハンマド・モルシー大統領の最初の100日間は、アメリカに倣ってか、相対的に支持が高かった。70パーセントの国民が、彼の政策を支持した、という世論調査の結果が出ている。それが現時点では、40パーセントを少し上回る程度だ。
しかし、その後の状況は、ムスリム同胞団にとっても、ムハンマド・モルシ-大統領にとっても、芳しいものではない。それは外貨収入が激減し、食糧輸入にすら不安を感じる状態が、露呈したからだ。
物価は上がり、ガソリンやデーゼル・オイルが不足かつ高騰し、輸送業者も農民も、工場経営者も苦しんでいる。加えて、パンの価格が上がり、その他の基礎物資の価格も上がっている。
反政府派によるデモは継続し、国内治安に問題があるため、外国からの投資も、観光客も激減した結果、失業率が高まってもいる。エジプト国民は四面楚歌の状態に、陥っているということだ。
加えて、これまではエジプトが経済困難に直面した場合、湾岸諸国が緊急援助をしてくれていたが、今回はそうは行かない。それは、ムスリム同胞団に対し、湾岸諸国が押しなべて、高度の警戒感を抱いているためだ。
湾岸諸国の中で、最初にムスリム同胞団に敵意を示したのは、アラブ首長国連邦だった。次いでサウジアラビア、クウエイト、オマーンなども警戒心を緩めず、これらの国々からの資金援助は、実質上停止した状態にある。
ムハンマド・モルシ-大統領を始め、カンデール首相も湾岸諸国その他を訪問し、資金援助を申し込んでいるが、成功していない。湾岸の中で唯一の例外はカタールだが、エジプト国民の間では『カタールはスエズ運河の権利を担保に金を出す。』という噂が広がり、この国からの援助についても、エジプト国内で、問題化しつつある。
つまり、幸先よくスタートしたムスリム同胞団政権は、3~4ヶ月過ぎた時点から、国民の間で総スカンを、食らっているということだ。もちろん、ムスリム同胞団政権への反発は、国民のなかの政治に強い関心を、持っている人たちからのものであり、大半は国内の安定が最優先であり、どの政党が政権を握ろうが、関係ないのだが。
ムスリム同胞団にとって、いま一番の問題は、官僚との関係であろう。ムバーラク政権時代まで、賄賂を取り私服を肥やしてきた官僚たちは、押しなべてムスリム同胞団政権に反対しており、見えない抵抗を続けているのだ。
外交官がその際たるものであり、ムスリム同胞団政権が外国との交渉に挑む場合に、非協力的な対応をしているのだ。加えて、警察内務官僚も国内治安問題で、犯罪が増加する状態を、放置しているのだ。
軍もそうであり、外国との対応以外は動かない、という立場を明確にムハンマド・モルシー大統領に伝えている。その結果、エジプト国内では革命時に、刑務所が破壊されて、脱獄した凶悪犯や、原理主義者、反政府主義者らによる犯罪暴力が、激増している。
そして、こうした官僚の抵抗を下支えしているのが、エジプトのマスコミだということだ。それがムスリム同胞団政権にとっては、最も頭の痛い問題であろう。
現在エジプトの保有する外貨は激減し、ムバーラク政権時代に160億ドル程度あったものが、36億ドル程度まで減少している。今後3~4ヶ月もすれば、輸入代金の支払いが、危機的状態に陥る。そうなると、エジプト国民の主食である、パンの材料の小麦の輸入に、支障が出てこよう。
『大衆はイデオロギーのために革命を起こすのではなく、パンのために革命を起こす。』いまムスリム同胞団は、その危機に直面しているということだ。アメリカはどう対応するのか。この危機を乗り切れた場合、ムスリム同胞団はその本領を、発揮し始めるだろう。
ムスリム同胞団という組織は、80年以上も弾圧の下で、耐え忍んできており、そしていま、権力を掌中に収めたのだ。その組織の実力を、侮ってはなるまい。日本はどれだけムスリム同胞団について、知っているのか、ムスリム同胞団に繋がる人脈は、日本にはあるのか。
ムスリム同胞団は多くの、アラブ諸国に存在している。アラブの春革命が最初に起こった、チュニジアで現在政権にあるのは、ムスリム同胞団と姉妹関係にあるナハダ党だ。パレスチナのガザのハマース組織は、ムスリム同胞団が結成した別働隊であり、現在ガザの権力を握っている。 いま激戦が続くシリアの、反体制派の主軸をなしているのは、ムスリム同胞団であり、ヨルダンで王制に挑戦状を突きつけているのも、ムスリム同胞団なのだ。
私が一番いま気にしているのは、サウジアラビアにおけるムスリム同胞団の存在だ。サウジアラビアは表面的には、スンニー派のワハビー主義だが、同国が設立したイスラム大学は、全てがエジプトから逃亡した、ムスリム同胞団員によって設立され、カリキュラムも彼らの手によって、組まれたものだ。
そのことは、サウジアラビアの聖職者、イスラム学者、イスラム大学卒業生のなかには、多数のムスリム同胞団員がいる、ということではないのか。ムスリム同胞団員とは言わないまでも、ムスリム同胞団の支持者、シンパが存在することは否定できまい。
その彼らが、やがて表面に顔を出し、行動を起こす時が、来るのではないか。その不安を一番強く感じているのは、湾岸諸国の権力者たちであろう。それが湾岸諸国をして、エジプトのムスリム同胞団政権に対し、冷たい対応を取らせているのではないのか。