第9回研究会の概要
2008年11月28日、第9回研究会を公開で行った。「生殖補助医療はどこまで許されるのか?」をテーマに、洪メンバーによる韓国の状況の報告を聞き、島田顧問、ゲストの橋爪大三郎氏とのやり取りを中心に討議を行った。
報告に先立ち、ぬで島から、プロジェクトの紹介と日本の生殖補助医療の現状と課題について概観する発表が行われた。
報告では韓国の生殖補助医療について、代理懐胎には法規制がないこと、しかし社会の見方は否定的で水面下でしか行われていないこと、契約内容や問題事例の紹介、背景としての伝統的家族制度などについて説明があった。
討議では、代理懐胎をめぐる経済格差、日韓における家族制度とその変化の比較、ルールを決めるための法的問題の整理のしかた、生まれてくる子への責任、保護すべきなのは遺伝的つながりか親になる意思か、などについて議論が交わされた。
公開研究会は初めての試みだったが、生殖補助医療の当事者、産科医、マスコミ、法律・社会問題などの専門家、一般、学生など幅広い層から50名余の方々にご参加いただき、最後まで熱心に討議に加わっていただけた。
発表と議論の内容
[発表]
日本の生殖補助医療の状況と課題(ぬで島)
まず議論の前提として、生殖補助医療の種類、日本での実施数、国レベルでの政策審議、国内外で問題になった代理懐胎のケースについて概要を紹介した。
そのうえで、人の命の元をどこまでやり取りしてよいのかという大きな視野を持ちつつ、生殖補助医療のルールを決める根拠として、親子のあり方の理念を見直す必要があることが指摘された。問題の焦点は、血のつながりと親になる意思のずれをどう捉えるか、どちらにどのような意味付けと重みを与えるかであるとの提起がなされた。
韓国の代理懐胎の状況と問題点(洪)
続けて洪メンバーから、韓国の状況について以下のような報告が行われた。
*韓国の生殖補助医療は、長年の人口抑制政策で培われた避妊技術(腹腔鏡手術)が、少子化に転じた1980年代以降に、不妊治療のための技術として方向転換されて普及した経緯がある。男児選好のための利用が多いのが特徴で、1990年代後半には、人口の男女比の均衡が目に見えて崩れるまでになった。
*2005年から施行された生命倫理安全法では、体外受精により胚を作成する医療機関を国の認可制とすることと、精子・卵子の売買と斡旋を禁止することが規定されただけで、代理懐胎の是非や第三者からの提供を伴う生殖補助医療の許容条件などは規定されないまま、現在に至っている。
*代理懐胎は法規制がなく水面下で行われている。国民感情としては否定的イメージが強く、表に出ないため、実態の把握は困難である。
その背景には、伝統的な父系家族制度を維持するために貧しい女性を使役してきた慣習(シバジ=自然生殖により嫡子を設ける婚外出産契約)の記憶や、不妊は健常でない、性の取引だ、母性の冒涜だなどの捉え方があるようである。
2004年に保健福祉部(日本の厚労省に相当)が行った世論調査でも、代理懐胎を許容しない人が7割以上を占めた。一方、法規制を支持する声は少なく、問題を表沙汰にすることを忌避する様子が伺える。
*法的には、代理懐胎で生まれた子は代理出産した女性(とその夫)の子となる。依頼者の子とするには、代理出産者側が親子関係不存在の訴訟を起こし、依頼男性が婚外子として認知、依頼女性が養子とするしかない。代理出産契約を公序良俗に反し無効とする判決例がある。代理懐胎の契約内容のひどさが報道され、問題視されている。
*韓国では立法の動きはあったが合意点が見いだせず、問題点が絞り込めない状況にある。親子関係を規制するか、技術自体を規制するかという二つの方向が考えられる。
[ディスカッション]
代理懐胎をする女性:経済格差の問題
討議では、まずどういう女性が代理懐胎者になるのかについて質疑が行われた。韓国で「伝統的」家族制度の維持のために行われていた慣習(シバジ)では、貴族階級が経済的・社会的に弱い立場にある女性に出産を依頼していたが、現在でも、国内だけでなくベトナムや中国の朝鮮族などの経済的・社会的に弱い立場にある女性が代理懐胎を請け負っている。費用の相場でも、韓国女性が一番高く、次いで朝鮮族女性、ベトナム女性の順に差がつけられており、経済格差が背景にあることが明らかである。
「家」制度との関係:韓国と日本の違い
次いで、生殖補助医療の需要の背景となる家制度について、韓国と日本の比較が論じられた。
歴史的に儒教社会の背景を持ち、家は父系で継がれていく原理が明確な韓国と異なり、日本では家制度は職業と結びついていて、その継承の原理は血のつながりよりもむしろ能力だったとの指摘が島田顧問からなされた。娘を有能な男子に嫁がせ家業を継がせるのがその端的な例である。しかし現在日本社会では継ぐべき家業はほとんどなくなり、人間関係の基盤として家族を重視する観念が希薄になった。家業の代わりに墓が継ぐべきものとして残り続けていたが、最近はそれも大きく変化している。宗教団体も家族を核にした共同体ではなくなり、個人の癒しで成り立つようになってきている(「おひとりさま宗教」)。そのなかで、自分の子を持とうとする需要ないし動機は、家の存続ではなく個人の満足になってきて、自分の遺伝子へのこだわりにもなっているように思われる、という議論がなされた。
韓国でも、近年伝統的な家族構造は急激に変化しており、とくにいまの40代と30代の世代を境にした隔たりが顕著であるとの指摘が洪メンバーからなされた。離婚や国際結婚の増加、戸主制や養子の同族制限を廃止する民法改正などがその現れである。かつて海外に送るしか引き取り手がなかった子を、国内で養子にする方向に政策も変わってきた。先の世論調査でも、不妊のカップルに生殖補助医療を薦めると答えた人より、養子を薦めると答えた人のほうがやや多かった(約41% vs. 45%)。
ルールをどのように決めるか:法的問題の絞り込み
実際に代理懐胎の是非をどう捉え、どのようなルールを決めていくべきかについて、ゲストの橋爪氏から課題の枠組みが提起された。
本プロジェクトの目標である生命倫理の土台づくりからみると、生殖補助医療の問題は非常に特殊なものである印象が強い。そのルールを決めるには、法的な問題がどこにあるかを整理していくのがよい。
まず生殖補助医療において、刑法上犯罪とすべき行為があるかどうか検討し、それをリストアップする作業が必要である。刑法上の規制はすべての人を対象に国が行う。
次に民法上、対等の私人同士の間で不法行為とすべきことがあるかを検討する必要がある。たとえば代理懐胎において、当事者間でどのような利害・権利の対立がありうるかを分析し、家族(夫婦、親子)や契約の関係において、誰のどのような権利を認め保護すべきかを決めていく。
第三者が関係する場合、当事者間に合意があれば、刑法上の犯罪にはなりにくい。99%の人が反対する行為でも、残り1%の人のあいだで合意ができれば、契約は成立する。ただし公序良俗に反する契約は民法上保護されない。問題は何が公序良俗に反することかであるが、それは個々の訴訟のケースで司法が下す判断によって決められる。立法でそれを明確にする政策はありうる。
以上の問題整理に対し、会場参加者から、日本では代理懐胎は適法であり、民法上の問題は誰が親になるかだけであるとの意見が出された。分娩者が母になるとの原則は高田夫妻の訴えに対する最高裁の決定で追認された。ところが日本では実子として届け出ようとする人が多く、その行為が刑法上私文書偽造・不実記載などの犯罪になってしまう。そこが問題であるとの指摘がなされた。
生まれてくる子への責任と保護
そうした法的課題以前に、子をもうける際には、そのときの心情だけでなく、長く次世代を育てていく責任を自覚してほしいとの提起が会場参加者からなされた。生殖補助医療で生まれた子に対する虐待例もあると聞いた。思ったような子でない、男(女)が欲しかったのに女(男)だった、などの思いで子に否定的に接する人が出るのは問題だとの指摘がなされた。
それに対し島田顧問から、技術で子どもをつくることには生まれる子に対する過剰な期待が伴い、それが裏切られたときに子への否定的な態度が生じるのではないか、考えなくてはならない問題だとの指摘があった。
それに関連して洪メンバーからは、韓国で朝鮮戦争による孤児の多くが海外に養子に出されていたことは長年タブーだったが、最近それらの海外養子が帰国し、表に出て社会に問題を訴える動きが出ているとの指摘がなされた。彼らは、養子縁組はするな、産んだ人が責任をもって育てろとの主張をしている。またいまだに障害児は国内で忌避され、海外に養子に出されているようである。産む人の責任と生まれた子の保護について考えさせられる例だといえる。
保護されるのは遺伝的つながりか親になる意思か
最後に会場参加者から、親子を決めるのは血のつながりか親になろうとする意思かという問題提起に対し意見が出された。遺伝的つながりを懐胎・分娩より重視し、代理懐胎においても出産した女性ではなく卵子を提供した依頼女性を母とするというなら、これまで日本で第三者の精子提供により生まれた多くの子の父は、その子を長年育ててきた人ではなく、昔精子を提供した見知らぬ人にしなければならなくなる。DNA鑑定が普及した現在、婚姻制度によって決められてきた父以外の者を父と認定するような例が増えるようになるのだろうか、との問いかけがなされた。
それに対しゲストの橋爪氏が応じ、意見を述べた。卵を提供し子をもうける依頼をする代理懐胎のケースでは、依頼女性を母とする立法を行うべきだと個人的には考えるが、その場合、遺伝的つながりを保護するためとすると、ご指摘のような矛盾が起こる。家族は遺伝的事実とは異なるレベルの問題であって、DNAの共有ではなく子を育てようという意思によって決められる、この意思を保護するという趣旨にすれば、そうした矛盾なく立法が可能だとの主張がなされた。
[とりまとめ補足]
これに対しては、ぬで島から冒頭に提起したように、懐胎・出産も生物学的事実としてだけではなく、文字通り命をかけて子を生み育てようとする意思の現れとして重視すべきだとの意見もあると考えられる。政策提言の策定作業において、さらに議論を続けていきたい。
とりまとめ:プロジェクトリーダー ぬで島次郎
[アンケート調査結果]
●50名余りの参加者のうち、17名の方々がアンケートに答えて下さった。以下、一部を抜粋した。
*代理出産の現状を把握できる良い機会となった。不妊症の女性が多い中、代理出産も一つの選択肢として考えるべきなのかと思っていたが、かなりデリケートな問題が多いと感じたので、日本の中で受け入れられるにはまだまだ考えなければいけないことが多いと思った。
*この問題で、一番保護をしてあげるべきは、生まれてくる子供であると思った。
*(韓国の)生命倫理法制定の経緯、ポリシー、あるいはもっと基本に立ち戻り、法律にしようと考えた理由は解析する価値が大いにあると思う。
*クローン規制の際、国際協調が国連の場でも問題になったが、マルチレイヤーで生命倫理問題は考える必要がある。
*生や死をコントロールすると、人智を超えたものに対する畏怖の念が薄れ、倫理感も変質し、ネグレクトなども起きやすくなるのではないか。
*生殖を望む夫婦の要望に沿った行動がもっと思慮深くなることを望む。生まれてくる子供に対する人間社会の責任を明確にする必要がある。
●代理出産に対する意見では、
12名が条件付き賛成、3名が全面反対、全面賛成は0名、2名が無記入であった。
「条件」については、以下のようなご意見が寄せられた。
*卵子提供者、精子提供者の位置づけが法的に整備されれば。
*契約や監視などの制度を整える。
*女性の置かれた状況が良くなった社会でならば。
*条件を詰めることの不可能性も視野に入れて考えるべき。
[公開研究会を実施した意義]
生命倫理とは、人間の根幹を支える価値に関わる問題である。だからこそ、それは広く様々な人々の英知を集約することが必要である。そうした思いから、このたび、研究会を公開で行った。その収穫は、期待以上のものであった。生殖補助医療の当事者、産科医、医療機器関連企業、マスコミ、法律・社会問題などの専門家、一般、学生など幅広い層から参加があったことはこの問題に関わる層の厚さを示していた。参加者から普段の研究会では提起されない視点や意見を率直に提示していただけたことは、非常に有意義であった。
多種多様な意見との相互作用の中で新たな英知は生まれるものである。今回、会場から頂いた意見や問題の切り口を参考に、今後の研究会での議論に役立てていきたいと考えている。さらに、今後も、多くの方々からの意見を謙虚に受け止め、生命倫理の土台となる理論の構築とそれにかかる法的枠組みへの提言へとつなげていきたい。
とりまとめ:プログラム・オフィサー 大沼瑞穂
※この動画は2008年11月28日に実施された公開研究会より一部抜粋してお届けしています。
01 プロジェクトの説明
02 日本の生殖補助医療の現状
03 日本での規制と管理
04 日本の代理出産の現状
05 韓国の代理出産の現状(1)
06 韓国の代理出産の現状(2)
07 韓国の代理出産関連の判例
08 韓国の代理出産の実態<アンケート調査>
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10 代理出産に係る法的問題