石破農水大臣は就任時の記者会見で農地制度の改正について次のように意欲を示した。
「実は日本農業の一番の問題点は、農地制度にあるのだという認識を私は持っております。端的に申しあげれば、やる気のある主体に、これは法人個人を問いません、やる気のある主体に農地が集まる仕組みにしていかなければいけないのだということが根幹にございます。そういうインセンティブがきちんと効いた農地制度にしていかなければいけない。そうすると、やれ投機目的の転売であるとか、やれ不法投棄の場所になっちゃうとか、いろいろな懸念があるわけですが、病理現象に目を当てて、あるべきものから目を逸らしてはいけない。もう一つは、農地というものが農業以外の目的で本来使ってはいけないということが、法的には担保してあるわけです。しかしながら、そこにある仕組みが本当に効いているかと言えば、効いていないところがたくさんあるのではないか。市町村長による勧告とか、そういうものが本当に実効性を持っているかと言えば、それは必ずしもそうではないというふうに思っております」
前段部分は、株式会社が農地を取得すると宅地等へ転売するとか産業廃棄物を不法投棄するとかの主張を農業団体が行っている企業の参入問題、後段部分は、耕作放棄解消のために市町村等が農地を強制的に他の農業者に移転するなどを行うという規定が空文となっており、十分に機能していないという問題である。
農地法の経緯
しかし、農地制度の問題はこれに尽きるものではない。農地制度の生い立ちから問題点を探ろう。
1952年に制定された農地法は、農地改革の成果を発展させようとするものではなく、固定しようとしたものだった。アメリカは共産主義に対抗するため農地改革を行い、日本の農村を保守勢力の金城湯池にするのだと考えていた。その狙いは見事なまでに実現した。小作人の立場にたつ農村の社会主義運動は、農地改革の推進に協力し、終戦直後かつてない昂揚を見せたが、皮肉にも農地改革が進展し地主勢力が解体する中で、急速に収束していった。
農地改革に続き零細農業構造改善という農業改革を考えていた農林省は、小作地の保有制限などの農地改革の枠組みを恒久的な制度として残すことに反対だった。しかし、アメリカと与党は農村の保守化を継続しようとした。
構造改革を阻害した農地制度
農地法は、小作地の保有制限等によって不耕作地主の発生を防止するとともに、賃借権の解約制限等によって小作権の保護を図ろうとした。しかし、賃借権が強化されたため貸し手は農地を返してもらえなくなることを恐れ、農地は貸し出されなくなった。他方、農地法の転用規制、農振法(農業振興地域の整備に関する法律)による農用地区域の指定(ゾーニング、線引きである)も厳格に運用されなかったため、農家に宅地等への転用期待が高まり、農地価格は宅地価格と連動して高騰した。農地価格が農業の収益還元価格をはるかに上回って上昇したので、売買による農業の規模拡大も困難となった。
農地法は、小作料(地代)は統制したが、農地価格(地価)は統制しなかった。農地を農地として利用するからこそ農地改革が実施されたのだが、農地法は農地を農地として利用する責務を確立しなかった。高米価政策とともに、農地制度も、農地の流動化による規模拡大、これによる零細農業構造の克服を困難にしてしまった。
日本農業の零細構造の改革を行おうとして1961年の農業基本法が作られたが、構造改革への政治的な熱意のなさから農地法を抜本的に改正しようとする動きはなかった。
ところが、1964年に赤城宗徳農林大臣が「経営規模の拡大のためには農地制度についても手をふれるべきときがきた。ある団体が農地の売買や賃借を行えるようにすべきである」旨の決意を表明したため、農林省はにわかに活気付き、自立経営農家育成に向けての構造政策の立案が農林省内で真剣に検討された。省内二つの局がそれぞれの案を競い合うという、今日の農水省では考えられないほど自由な議論が行われた。これは事業団が農地の売買や賃貸借を行い、自立経営農家育成のため農地を流動化するという農地管理事業団法案として国会に提出された。しかし、与党は消極的、野党の社会党は貧農切り捨てと猛烈に反対し、農協も非協力的な態度をとり続けたため、二度にわたり、国会で廃案となってしまった。これにより、農地制度の改革は大きく頓挫した。
以降農林省は農地の売買による規模拡大をあきらめ、賃貸借による道を選択する。小作地の所有制限、賃貸借規制等の緩和、小作料統制の廃止、農地保有合理化法人が賃貸借により農地を規模拡大農家に貸し付ける制度の創設等を内容とする農地法の改正が1970年に成立した。さらに、これによっても農地の流動化は進展するとは見込めなかったため、地主が農地を返してもらえないのではないかという懸念を持たないよう、農地法の法定更新の適用を受けず合意された期間の満了により自動的に終了する賃借権を多数の農業者間に集団的に設定する農用地利用増進事業が1975年の農振法の改正によって成立した。しかし、このような制度改正によっても農地の権利移動は2005年で16万haにとどまっており、農家の平均経営耕地面積は1990年の1.1haから2005年の1.3haへ増加しただけである。
食糧安保に不可欠な農地が喪失
この50年間で現在の全水田面積に相当する250万haの農地が消滅したが、その約半分は宅地や工業用地などへの転用である。農地の転用が認められない農振法の農用地区域の見直しは5年に一度が原則である。しかし、農家から転用計画が出されると毎年のように見直される結果、農用地区域の指定は容易に解除されてしまう。実際の見直し期間の平均は1.6年に一度である。これは農用地区域の指定を市町村長に任せているからである。地域振興が役目の市町村長としては、土地を生産性の低い農地にするより、宅地や工業用地にしたほうが地域振興に役立つ。また、選挙民が転用したいと言ってくると、市町村長がノーと言えるはずがない。
しかも虫食いのように農地が転用され、田んぼの真ん中に市役所やパチンコ店が立ってしまう。こうなると農地をまとめてコストを下げるどころか、周りの農地に日が差さなくなってしまう。
フランスではゾーニングにより都市的地域と農業地域を明確に区分し農地資源を確保するとともに、農政の対象を、所得の半分を農業から、かつ労働の半分を農業に投下する主業農家に限定し、農地をこれに積極的に集積した。食料自給率は99%から122%へ、農場規模は17ヘクタールから52ヘクタール(2005年)へ拡大した。
企業の参入問題
株式会社による農地取得に対して、農業界はこれが土地投機を助長しかねないとして強く反対している。しかし、現在の全水田面積に匹敵する250万haの農地の過半を転用して儲けたのは株式会社ではなく、他ならぬ農家自身だ。しかし、ゾーニング制度さえしっかりしていれば、転用そのものがありえないので反対する理由はなくなる。農家や農業団体が本当に転用すべきでないと信じているのであれば、ヨーロッパのように確固たるゾーニング制度を導入することに反対できないはずだ。これまで1億人の国民からではなく、300万戸の農家の跡取りからしか農業の後継者を選んでこなかったことが農業の衰退を招いた。株式会社だから農業経営に成功するとは思わないが、株式会社も農業の後継者のひとつと考えていいのではないか。転用したくてしょうがない市町村長に規制を委ねている農振法のゾーニング制度を抜本的に変更・強化して、そのかわりに農地法を廃止するという大胆な規制緩和を実現してはどうか。
耕作放棄
農地の減少の他方の半分は耕作放棄等による農業内的壊廃だ。減反規模が拡大しているにもかかわらず、米価は低下している。かつての高米価時代とことなり、1996年までは60kgあたり2万円以上していた米価が1万5千円程度に低下したため、零細農家は農地を手放している。しかし、受け手の主業農家も米価の先行き不安があるし、減反面積が拡大されると稲作の規模が拡大できないのでコストダウンが十分できなくなる。この2つの要因によって主業農家の地代負担能力が低下しているため、農地を引き取れなくなっているのだ。両者の間に落ちた農地は耕作放棄されてしまう。市町村の規制の運用が不十分なのではなく、農業収益の減少こそが耕作放棄の本当の原因なのだ。食管制度の高米価時代には耕作放棄は話題にも上らなかった。規制を強化しても、農家の負担が増え、補償問題が起こるだけである。
農地制度だけをいじれば農業の構造改革が実現できるというのは誤りである。転用機会が少なく、実質上ゾーニング規制が実現できているような中山間地域でも耕作放棄が増加している。ゾーニング規制をしっかりしたものにしても、農業の収益が向上しない限り、確保された農地のなかで耕作放棄が増加するだけだ。農業収益を向上させるため、また地代負担能力を向上させるためには、主業農家に対する直接支払いが必要である。
他方で、転用期待で農地を農地として利用せず、耕作放棄しているものに対する経済的ペナルティーの導入も必要である。農地保有のコストを高めるのだ。耕作しない者に対する固定資産税の宅地並み課税を行えばよい。
農地流動化への障害除去
経済政策による歪みも農地の流動化を阻害している。農地の分割による零細化を防止しようとした相続税の猶予制度は、20年経てば宅地等に転売しても収めなくてよい、農地を担い手に賃貸すると猶予は切れてしまうので貸さなくなるという欠陥がある。「20年」の特典を取り上げる一方、賃貸しても相続税の猶予は継続するような制度改正が必要である。
以上の対策を抜本的に講じることが必要だ。これまで、農地制度については、毎年のように小さな改正が行われてきたが、実効を挙げなかった。本格的な検討を期待する。