浅野 貴昭
1.はじめに
安倍政権が打ち出す一連の経済政策が国内外で注目されている。デフレ、低経済成長率、財政赤字への構造的依存という、日本経済が抱える3つの絡み合った課題に対処するため、「3つの矢」を繰り出すとしており、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間の投資を引き出す成長戦略からなるのが、いわゆる「アベノミクス」である。
昨年11月、当時の野田首相が解散を明言した段階では8,600円台だった日経平均株価は、現在(2013年4月25日)、14,000円台の手前まで上がり、外国為替は1ドルが100円に届こうかというレベルである(2012年11月段階では1ドル=80円台)。こうした状況を受けて、フィナンシャル・タイムズ紙は、アベノミクスは世界で最も難しい経済課題を解決しようとしており、安倍首相の取り組みは「エキサイティング(exciting)」だと評した(4月8日)。日本の首相が、あるいは日本政府が繰り出す政策が「エキサイティング」だ、などと内外で注目されるのは一体いつ以来のことか。そのアベノミクスを繰り出す母体となっているのが、安倍内閣の下で設立された複数の政策会議である。2012年12月の内閣誕生から3カ月のうちに発足、あるいは再開された政策会議は15以上にのぼるとみられ、スピード感ある政策展開を広く印象付けようと意識していることがうかがわれる。
本稿では、アベノミクスに関わる政策論議が進められている場として、経済財政諮問会議、日本経済再生本部、産業競争力会議、そして規制改革会議に焦点を当て、その役割を整理するとともに、成長戦略の一環としての役割が期待されているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)をめぐる最近の動きについても触れたい。
2.経済財政諮問会議
経済財政諮問会議は、橋本行政改革による2001年の中央省庁再編によって設置された。官邸主導型の経済政策の司令塔として小泉内閣時代に大いに活用され、注目されたことは広く知られている。2009年に発足した民主党政権の下では、国家戦略室が置かれ、経済財政諮問会議は廃止の方向であったものの、政治主導確立法案の廃案により、会議自体の廃止は免れた。
安倍内閣はこの経済財政諮問会議を復活させ、マクロ政策の司令塔と位置付けた。安倍首相が議長を務め、5名の関係閣僚、日本銀行総裁、さらに4名の民間議員が名簿に名を連ね、適宜、他の閣僚も臨時議員として加わる形で、経済財政の中長期的な方針や予算編成の基本方針などの策定に取り組むこととなった。すでに9回の会合が開催されており(4月25日現在)、中長期的な財政展望やその改善、経済財政政策から見た目指すべき国家像といった大きなテーマや、地域活性化、雇用・所得の増大、TPP、緊急経済対策といったより具体的な経済課題などが議論されている。
後述する日本経済再生本部、産業競争力会議がいわば経済政策のミクロの部分に関わる議論を担う中で、経済財政諮問会議では、財政健全化という視点から成長戦略をチェックする役割を期待されている。これは、金融緩和や財政拡大だけがアベノミクスを構成するのではなく、財政の立て直しにも配慮した経済運営を進めていくという姿勢をマーケットに信用してもらうための装置であるとも理解できるだろう。つまり、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間主導の成長戦略が景気の好循環を招くためのアクセルであるとするならば、同時に、経済財政諮問会議は財政再建への日本政府のコミットメントについてシグナルを送り、市場の信認を確保するためのブレーキ役でもあるということになる。市場との対話という意味で、経済財政諮問会議には政治家のほかに、経済学者、企業経営者のそれぞれ2名ずつが民間議員として参加している点に留意したい。
3.日本経済再生本部
日本経済再生本部は、経済財政諮問会議と連携して、日本経済を円高・デフレから脱却させ、成長戦略の実現を図ることを目的としている。アベノミクスの第3の矢に関わる政策を中心に、その企画、立案、ならびに総合調整を担う司令塔として設置された。
経済財政諮問会議や後述する産業競争力会議、規制改革会議とまず異なるのは、すべてのメンバーが政治家、という点である。本部長を安倍首相が務め、副総理、官房長官、そして甘利経済再生担当大臣以下、全閣僚が名を連ねることで、デフレ脱却の目標達成に向けた政権の意思を明確にしているといえよう。2013年1月8日に第1回会議が開催され、以後、6回の会合が開催されている(4月25日現在)。
成長戦略の具体案は分野ごとに、日本経済再生本部の下に設けられた産業競争力会議にて検討されている。この産業競争力会議にて明らかになった政策課題への対応を、首相が日本経済再生本部において、関係閣僚に指示をする、という形をとっており、政治の意思に裏付けられた、政策実現のスピード感と実行力を担保する場となっている。
例えば、第6回会合では、雇用に関し、安倍政権の方針は、成熟産業から成長産業へ「失業なき円滑な労働移動」を促進することである点を明確にし、「行き過ぎた雇用維持型」から「労働移動支援型」への雇用支援施策へとシフトしていくための具体策検討が指示されている。また、産業競争力会議の議論を受け、今後5年間を緊急構造改革期間と位置付けて、産業再編、事業再構築、新規創業を促すべく、あらゆる政策資源を投入するとした。その上で、雇用支援、女性の活躍推進、医療・エネルギー産業におけるイノベーション促進、電力システム改革といった分野での施策具現化と迅速な実行を首相が関係閣僚に指示している。
4.産業競争力会議
アベノミクスをめぐっては賛否両論が飛び交っており、むしろ「安倍マジック」だとの指摘まである。株高と円安が次なる政策を発動するための余地を作り出しているとすれば、膨れ上がっている期待を埋める役割を果たすべきなのが、第3の矢となる成長戦略である。
産業競争力会議は、デフレ脱却に向けた具体策を検討するべく日本再生本部の下に置かれ、政治家のみならず、企業経営者などが多数参加し、民間からのアイデアを募る場となっている。同会議の議長を務めるのは安倍首相で、さらに麻生副総理以下、関係閣僚が6人、加えて竹中平蔵慶應義塾大学教授、長谷川閑史経済同友会代表幹事(武田薬品工業社長)など民間人10名という布陣である。
安倍首相は、成長戦略の5つの視点として、(1)規制改革、技術開発などによる社会全体のイノベーション、(2)人材や産業をはじめとする徹底したグローバル化、(3)女性や若者、高齢者など全員参加型社会の構築、(4)農業等の分野で日本の強みを富の拡大につなげる仕組みの構築、(5)エネルギーやITも含めた世界最先端の産業インフラ構築、を挙げている。
17名の議員が参加する産業競争力会議だけでは十分な政策議論を展開することは時間的にも難しいとして、3月からは民間議員を中心にテーマ別会合が設置されている。ここでは、7つの議題が設定されており、産業の新陳代謝の促進、人材力強化・雇用制度改革、立地競争力の強化、クリーン・経済的なエネルギー需給実現、健康長寿社会の実現、農業輸出拡大・競争力強化、科学技術イノベーション・ITの強化、といったトピックが検討されていく予定だ。
産業の新陳代謝促進という視点からは、日本国内の過当競争を問題視し、M&A促進に向けた税制見直し、独禁法やコーポレート・ガバナンスの問題、会社法、倒産法制のあり方という諸点が指摘されている。あわせて、雇用制度改革では、解雇規制が厳しい現状を踏まえて解雇ルールを法律によって明文化することの必要性や、雇用調整助成金を転職支援用途へと転換すること、ハローワークが扱う求人情報の民間開放といった課題が議論されたが、解雇規制緩和は6月の成長戦略には盛り込まれない見通しである。
産業競争力会議の原型は1999年3月、小渕内閣の下で設置された「産業競争力会議」であり、さらにいえば、米国のレーガン政権が1983年に設立した「産業競争力委員会」がモデルである。米ヒューレット・パッカード社のJ.A.ヤング社長を委員長に据えた同委員会は、1985年に産業競争力強化についての報告書、いわゆる「ヤング・レポート」を取りまとめたことで日本でも広く知られている。しかし、あまり知られていないのは、当時、レーガン大統領はこの「ヤング・レポート」をまったく重視しなかった、という事実である。その提言内容が仮に意義のあるものであったとしても、時の政策の方向性を変える役割は残念ながらほとんど果たしていない。情報をいかに政策に落とし込み、遂行にまで持ち込むか、というのは政策コミュニティが抱える万国共通の課題であり、早くも日本経団連は、経済財政諮問会議や規制改革会議のように法令に基づく会議体へと産業競争力会議を改組し、その機能強化を図るべきだと提言している。
5.規制改革会議
規制改革会議の源流は、行政改革の文脈での第1次臨時行政調査会にまで遡ることができるが、村山内閣の下で設置された規制緩和小委員会から、規制改革委員会、総合規制改革会議、規制改革・民間開放推進会議等と名称を変え、存続していたものが、2010年3月末で廃止された。2013年1月、安倍内閣は規制改革会議の復活を閣議決定し、企業経営者や学識者、総計15名が委員として名を連ねた。
安倍首相は、第1回会議にて、規制改革は成長戦略の一丁目一番地と明言し、産業競争力会議で設定する戦略目標を達成するための規制改革実現こそが会議に課された任務であるとした。つまり、復活した規制改革会議は、行政肥大化を阻止するためというよりも、経済活性化のための規制改革であるという点を明確にしている。同会議の岡素之議長(住友商事株式会社相談役)は産業競争力会議の議員も務めており、情報のスムーズな共有を進め、両会議の有機的連携を図ることが期待されている。
規制改革会議では、まず経済成長に不可欠な最優先案件4項目として、一般用医薬品のインターネット等販売、保育サービスの規制緩和、石炭火力発電に対する環境アセスメント緩和、電力システム改革を挙げた。これらに集中的に取り組み、早期結論を目指していくこととなったが、さらに4つのワーキング・グループ(WG)を設置し、6月に取りまとめる成長戦略に規制改革案を盛り込んでいくとした。(1)健康・医療WGでは再生医療の推進、医療機器に係る規制改革の推進等、(2)エネルギー環境WGでは、再生可能エネルギー発電設備や次世代自動車に係る規制緩和、(3)雇用WGでは、労働者の雇用に係るルール整備や職業紹介事業の見直し、(4)創業等WGでは、ベンチャ―企業育成・支援に係る資金供給の促進や、マンション容積率の緩和・区分所有法における決議要件の緩和といった項目がそれぞれ検討される予定である。過去の規制改革の試みを振り返れば、これから期待される規制改革とは、相応の政治資本を注ぎ込むことなくしては実現できない、厚い岩盤を穿つような取り組みが必要なはずである。
そうした規制改革を着実に進めておくことは、今後、日本が自由貿易協定の締結交渉に臨むに際しても、重要になってくる。特に、EUの場合、日本国内の諸規制を非関税障壁と見なし、その削減・撤廃を求めてくるであろうことが確実であり、みずからの手で国内規制改革に取り組むことは、日本の対外的な交渉力を強めることにもつながるだろう。
かつて中曽根内閣は、審議会や私的諮問会議を多用する形で政策を進めたことをもって、国会軽視のブレーン政治と批判されたが、その後も、日本政治はより有効な政策デザイン、より機動的な政策展開を目指して道具立てを充実させてきた。以上で触れた一連の政策会議がその期待に応える存在たりえるかどうかの真のテストはまだこれからである。
6.TPP
日本経済再生のきっかけとして期待されているのがTPPだ。これまで触れてきたアベノミクスにおける成長戦略、規制改革といった政策課題は、実はTPPや日EU・FTAにも重なるテーマだ。それゆえ、TPPは、アベノミクス第3の矢の重要な一要素とも見られている。
TPPは、元々はP4協定と呼ばれるブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール4カ国間の自由貿易協定であったが、2010年3月より米国を含む8カ国で拡大交渉が始まり、その後、交渉参加国の数はマレーシア、メキシコ、カナダが加わって11カ国となっている。日本では、菅首相が2010年10月の所信表明にてTPP参加を検討すると発言、翌2011年11月には野田首相が交渉参加入りに向けた関係国との協議入りを表明するも、正式に交渉参加を宣言するにはいたらなかった。
この間、日本は交渉参加国との事前協議を重ねてきた。交渉プロセスへの新規参加には、既存の11参加国のすべてから承認される必要があるためである。特に、TPP交渉を主導する米国との事前交渉が鍵になると見られていたが、2013年2月の安倍・オバマ首脳会談にて、市場自由化に際して日米両国には一定の配慮すべき産業分野が存在することを確認したことを契機に、両国間の事前交渉は加速した模様である。3月には安倍首相が正式にTPP交渉参加を表明、翌4月には日米事前協議が妥結した。懸案であった自動車市場の自由化や非関税措置については、TPP交渉と並行する形で日米協議が進められることになった。
4月20日、TPP交渉参加11カ国は日本の交渉参加を承認、そしてオバマ政権は、日本と新たに通商交渉に入る旨、米連邦議会に通告を行った(4月24日)。今後90日間は、日本はTPP交渉に加わることは許されない。昨年TPP交渉に後発国として加わったカナダ、メキシコも、3カ月間、協定テキストにアクセスすることはできなかった。しかし、この度の正式承認によって、対外公表の可否はともかく、日本政府の情報収集活動ははるかに容易になったはずだ。
日本政府は、TPPに関する主要閣僚会議と政府対策本部を内閣官房に設置することを4月5日に閣議決定した。対外交渉の責任者には鶴岡公二外務審議官、国内調整の総括に佐々木豊成前官房副長官補を充て、100人体制の事務局を構えると報じられている。今後、TPP交渉会合は5月と9月に開催される予定で、10月のAPEC首脳会合のタイミングで、交渉の大筋合意に持ち込みたいというのが交渉国の意向だ。7月には追加的に交渉会合を開催するとの報道もあり、早ければ日本もこの7月会合から参加できる可能性がある。
世界の通商交渉を見渡すと、WTO交渉は頓挫したままだが、二国間、多国間のFTA交渉は様々な組み合わせで進行中である。オバマ大統領は一般教書演説において、TPPと並んで米EU・FTAにも言及し、経済活性化に積極的に役立てるとの姿勢を明らかにした。残念ながら、日本では国内市場開放の是非や、外交上の枠組み論がTPP議論をハイジャックしてしまった。日本のTPP交渉参加が現実的なスケジュールとして見えてきた今からでも、日本を取り巻く経済秩序のあるべき姿から議論を積み上げていってもまだ遅くはないはずである。
※『ビジネス法務』2013年7月号より転載