第3章 付加価値の高い地域経済をつくるために
適切な資源管理とインセンティブ設計による一次産業高付加価値化への道筋
東京圏以外の地域の優位性としてまず考えられるのが第一次産業である。言うまでもなく農地や森林、水産資源が豊富なのは日本全国の地域であり、まずはこうした資源のもつ潜在能力を最大限に発揮しなければならない。
近年、日本においては農業、林業、水産業は構造不況業種のように言われ、担い手も減り高齢化が進んでいる。しかし、海外に目を転じてみると大きく事情は異なる。多くの先進国が一次産業を高度で付加価値の高い産業へと転換させ、それらの業種で働く人々は他の業種に引けを取らない賃金水準となっている。しかも国の制度改正によってそのような転換を成し遂げているのである。
一次産業の高付加価値化とは、日本の農林水産業を先進国産業として甦らせることにほかならない。諸外国の事例からみられる教訓は、1. 資源管理の徹底、すなわち、農地、漁業資源、森林などの限られた資源を高度な技術やノウハウを用いて管理し生産性を向上すること、2. 一次産業の担い手に適切なインセンティブを与えること、という2点である。
個人がバラバラに取り組んでは資源管理は絶対にうまくいかず、その失敗は全ての参加者にとってマイナスな結果をもたらす。貴重な資源を毀損しないよう関係者が行動するような、適切なインセンティブ設計を制度に組み込むことが必要である。
日本の一次産業共通の課題として担い手(後継者)不足があげられるが、最大の原因は所得水準が低いことによる。その意味でも、一次産業の付加価値を高めて所得の向上を実現しなければならない。以下、諸外国の事例をみながら具体的にみていきたい。
水産業の高付加価値化
まずは漁業の例をみてみよう。次のグラフが示しているように、世界の水産物の生産量は漁獲、養殖共に一貫して増加している。マーケットは拡大しており、有望な成長産業と言える。だが、そのなかで日本の漁業生産量が占める割合はどんどん低下傾向を辿っている。
世界の漁業・養殖業生産量の推移
(出所) 水産庁「水産白書」平成21年度から作成
次図は、日本の漁業生産量のみをグラフにしたもので、日本の漁業生産量の絶対額自体も、1984年をピークに減少を続けていることが分かる。
漁業・養殖業の生産量・生産額の推移
(出典)水産庁「水産白書」平成23年度より
さらに、生産性で見ると、日本の場合、沿岸漁業の生産性が幾つかのヨーロッパ諸国に比べて、相対的に低いこともわかる。その結果、漁業者の平均年収は低く、成長産業ではないことによって、担い手の平均年齢も高い。
主要国の漁業生産性
(出所) 水産庁「水産白書」平成21年度から作成
比較のために、ノルウェーの漁業をみてみよう。その様相は日本と全く異なっている。漁業者の平均年収は900万円程度であり、平均250万前後(沿岸漁業)の日本と大きく違う。国から支出されていた漁業者への補助金も不要となった。適切な資源管理を行い、快適な最新の漁船で効率よく漁獲、水揚げを行う。労働者は休暇も取ることができ、担い手の平均年齢も若く、不況業種のイメージはない。
この違いをもたらしたのは何か?
それは、基本的には、漁業にまつわる制度の違いである。ノルウェーでは総漁獲可能量(TAC)を設定した上で漁船毎の個別割当て(ITQの一種のIVQ= Individual Vessel Quota)が導入されている。
そもそも漁業においては、十分に生育した魚を獲ることで付加価値も高まり販売価格も高くなる。反対に、乱獲が行われると価値が低い未成魚を販売することとなり、資源も減っていくこととなる。個別割り当て制度のもとでは、漁業者は、漁獲できる量が決まっているので、大きくて価値が高い魚を選んで獲るようになり、乱獲されることがない。また、他の漁業者が漁獲していても焦る必要がない。
雇用との関係で言えば、個別割り当て制度は上限を設けて割当数を制限するため、雇用の数自体は増えることはない。しかし、それによって付加価値の高い漁業がなされ、平均年収はアップする。まさに地域の雇用が高付加価値化されているのである。
ノルウェーの漁業者数の推移
(出典)片野歩氏による東京財団研究会発表資料より
一方、日本では、もともと漁獲枠が資源に対して多すぎ、魚が獲れると期中増枠されることがしばしばある。また、個別割り当て制度ではなく「オリンピック方式」(決められた総漁獲量に達するまで誰もが早い者勝ちで漁獲を行う方式)である。これでは水産資源を適切に管理することはできない。こうして貴重な水産資源を減らし続けているのが日本の状況である。
個別割り当て制度はノルウェーだけでなく、アイスランド、デンマーク、カナダ、ニュージーランド等で既に導入され、成果を上げている。日本では新潟県でホッコクアカエビに関する個別割り当て制度がようやく実験的に始まったところである。こうしている間にも日本の水産資源は減っている。地域雇用の付加価値化との観点からも、同制度の導入を進め、日本の漁業を高付加価値化すべきである。
林業の高付加価値
次は林業である。日本は国土の約67%が森林でありその総面積は2500万ヘクタールにも及ぶ森林大国であるが、かつてはそうではなかった。
江戸時代から第二次大戦後にかけて、木材の過剰利用が続き、日本の森林はやせ細っていた。とりわけ、戦後空襲等で焼け野原になった日本が復興するにあたり、木材の需要が一挙に高まり、多くの木が伐採されることとなった。戦後しばらくの間日本では慢性的な木材不足だったのである。
これを受け、皆伐された森林の跡地に住宅建材として扱いやすいスギやヒノキなどが次々と植林された(拡大造林政策とよばれる)。結果として現在の日本の森林面積のうち人工林が1000万ヘクタール、天然林が1500万ヘクタールとなっている。
一方、1964年の外国産材の輸入自由化以降、国産材の自給率は急速に下がっていった。1980年代末には20%代にまで低下してしまう。木材価格も外国産材にあわせて低下していく。こうして採算がとれなくなってくると、せっかく植えた森林が手間をかけて管理されなくなっていった。かつては25万人を超えていた林業の従業者数も現在では5万人程度にまで減っている。
国産材・外材の木材供給量の推移
(出典)富士通総研上席主任研究員、梶山恵司氏による東京財団研究会発表資料より
先進国の丸太生産量
(出所)FAOSTATから作成
一方、他の林業国では事情は異なっていることは、1960年代からの先進国の丸太生産量の推移を示した上の図を見れば、明らかである。実際、世界の木材生産量の3分の2は先進国からのものであり、そうした国々では林業は高度なノウハウが集約された知識産業である。森林管理は現場ごとに状況が違うため、地形に合わせた路網の整備や林業機械の選択など、高度な判断が求められる。厳密な工程管理やコスト計算も必要だ。こうした高度な業務には高い報酬が必要となる。
ヨーロッパでは、日本が山への関心を失い始めた1980年代以降、こうしたノウハウを積み重ねて生産性の改善を図ってきた。国際的に木材価格が下落し、一方で国内の賃金は上昇し続ける。それを吸収するために必死の生産性上昇努力がなされてきたのである。
例えばドイツ林業では、皆伐をせず、択伐をしながら同時に天然更新させる方法をとっている。路網密度100m/ha 程度の路網が敷かれ、高性能林業機械によって効率よく行われる。州によって若干仕組みは異なるが、フォレスターと呼ばれる専門資格を持った公務員が、州有林、私有林にかかわりなく統一的に森林所有者への助言指導を行う。フォレスター養成のための大学・専門学校などの教育機関も整備され、常に最新のノウハウが共有される仕組みとなっている。また、その前提として森林資源のモニタリング調査が定期的に行われ、フォレスターが助言指導するうえでの重要な資料を提供している。
こうした生産性向上努力の中、路網を整備し、用途にあわせて専門化した林業機械で間伐をし、伐り出した木材を運び出して利用するという一連のプロセスの各ポイントで生産性の向上を果たした結果が現在なのである。
日本では、1990年代に国産材の価格が低下し、輸入材の価格を下回るようになったが、それでも輸入材が大量に使われている。産業としての林業の生産性向上努力怠ってきた(山への関心を失ってきた)ことにより、輸入材に比べて年間を通して質・量とも安定的で均一な木材の供給をできなくなってしまったのである。
日本でも生産性の向上を図り、林業を産業として成り立たせる努力が必要だ。特に人工林は適度に間伐しなければ、次第に劣化してゆく。今、日本の森林は瀬戸際にあるといってよい。そもそも木材は重量が重く、物流経費の比率が高いため、利用する地域の近くで生産すること自体が競争優位となる。また、林業だけの雇用者数が多くなくても、木材を加工する製材・合板・製紙などの一次加工、住宅・家具などの二次加工まで含めるとすそ野が広い。また、バイオマスエネルギーとしての利用も新たな雇用を生む可能性を秘めている。
政府は、平成21年12月、森林・林業再生プランを策定した。これは、欧州の林業経営モデルを参考に、施業の集約化、路網整備、林業機械の近代化などを一体として支援する制度である。経営としての林業を明確に志向したものであり、方向性としては間違っていない。重要なことは、いったん決めた方針(経営としての林業を再生する)をぶれることなく進めることである。政府が大方針を二転三転することで現場が混乱するのは農政をめぐるここ10年の混乱をみれば明らかである。とりわけ林業は世代を超えた長期の目線が必要な産業であり、政策的な安定性の必要性は大きい。
加えて、やらなければならないことは山積している。そもそも集約化にあたっては、売買や貸借の前提となる地籍調査や境界画定がまだまだ進んでいないという大問題がある。多くの山林において、どこまでが誰の土地かという基本的な部分がそもそも確定していないのである。(この点、 東京財団政策提言 「空洞化・不明化が進む国土にふさわしい強靭化対策を~失われる国土?~(2013年2月) 」を参照 )
一方、林業の施業の集約・効率化だけでは不十分である。木を伐りだした後の出口の部分である製材加工業の適正配置が欠かせない。また、日本の住宅メーカーやその先にいる建築主のニーズを適切に把握し、答えていかなければならない。官公需等においても国産材を利用できるものは積極的に用いていくことが必要だろう。また、伐採した後の再造林も必要である。
2005年頃を境に、これまで下がる一方であった木材自給率がやや回復傾向にある。世界経済の低迷の影響で木材の総需要量が減少する一方国産材の自給率が上がった、という理由もあるが、合板業界や集成材業界が国産材を用いるようになったことがあげられる。最近の円安傾向も追い風だろう。いずれにせよ、山林所有者や林業者をはじめ、「林業は先進国産業である」と認識し長期の目線で取り組み、地域の雇用を増やしていくことが必要である。
農業の高付加価値化
農業についても林業・漁業と同様の議論があてはまる。主要国の農産品輸出入額をみると、オランダ、米国、フランス、ドイツ、イタリアなどの国が輸出額・輸入額ともに大きく、先進国産業としての農業の特徴となっている(ただし、これらの国でも農家への多額の補助金が前提であり、林業・漁業よりさらに事情は複雑である)。とりわけ、国土面積の少ないオランダが純輸出額で世界の農業(野菜)などは日本にとっても大いに参考になる。それに対し、日本は輸入額に対し輸出額が圧倒的に少なく、産業としての農業としての発展の余地があることが伺える。
我が国と主要国の農産物輸出入額及び純輸出入額(平成21(2009)年)
農業と一口に言っても、そのあり方は極めて多様である。専業か兼業か、土地利用型農業か集約型農業かによって状況は全く異なる。気候条件や地形的条件によってもそのあり方は大きく変わる。
そうした中、全国各地で既に高付加価値化の試みははじまっている。大規模化でスケールメリットを追求するもの、職人的技能を投入し比較的小規模な土地で高品質の農産品を生産するもの、農産品の加工や外食産業、観光と結びつき高い収益をあげるもの、ブランド化して富裕層向けの販売を目指すものなど、極めて多様である。一般的には、日本の強みは施設園芸や加工型畜産や高級果樹生産などの集約型農業にあるとされるが、土地利用型農業でも高い収益をあげている農家は存在する。こうした試みをより伸ばしていく制度が必要である。
ここでも高付加価値化のキーワードは資源管理である。農地は、その総量が限られ、しかも用水の管理はじめ様々な共同作業の存在を前提とする資源である。また、優良農地は宅地や産業用地としても同じく優良であり、常に転用の危機にさらされている。こうした中で優良農地が能力ある農業経営者に売却・貸し出しされるような仕組みの整備が必要である。
基本的な考え方としては、農地を荒らさないよう実効性のある利用規制を確実なものとしつつ担い手を多様化していくことが必要である。特に農地の売買、貸借など、権利移動に関わるルールの整備が重要である。その前提として、現在正確性が失われているといわれる農地基本台帳の最整備や農地の権利移動に関する情報の共有化が必要である(これらの点について、東京財団政策提言「農業構造改革の隠れた課題~変わる農村・取り残される農政~」を参照)。
終わりに
「一次産業の高付加価値化」をキーワードにいくつかの海外事例を出してきたが、ここで言いたいことは海外の制度をそっくりそのまま真似をすればうまくいくということではない。重要なのは、国の粋を集めた最新の技術や知見を活かし、資源管理と効率化をすすめるとともに、主体に適切なインセンティブを与えることで産業全体の高付加価値化を図るというマインドを日本も持ち、努力と工夫を続けることなのである。「日本は事情が違う」という反論はいくらでも成り立ちうる。しかし、他の先進国が、努力と工夫によってさまざまな課題を克服し、生産性向上と高付加価値化をなしとげたのも事実なのである。
現在の日本の第一次産業の就業者数は315万人(15歳以上就業者数の5.1%)である。思考実験として、従業者数が315万人から100万人に減る一方で高付加価値化に成功し平均年収が500万円となった場合を考えよう。100万人の就業者の家庭が平均2.5人だとすれば、一次産業で250万人の人口を養うことが可能となる。単純計算では一次産業だけで人口5万人の中心市を50個支えることが可能ということを意味し、これは決して少ない数字ではない。また、第二章で述べたとおり、一定以上の人口がいればそれに付随する各種の一般的なサービス業が生まれ、さらなる雇用の支えとすることができる。それを考えても地域の基盤としての一次産業が極めて重要である。
また、産業の高付加価値化のためには高度な知的生産を担う人材が必要になり、この点は一次産業も同様である。さらには一次産業をもとに外食産業やサービス業、観光業などとの組み合わせによる付加価値の向上を図ればより多くの雇用が生まれる。そしてこれらの職業は女性が活躍しやすい分野でもある。既に述べた通り、地域における女性の職場が不足する中、これらの就業機会は貴重なものとなるであろう。
現在の状況を放置していても、一次産業の担い手は現れず資源は枯渇・荒廃し、いずれは何らかの形で国民がコストを追うこととなる。先進諸外国との比較が示しているのは、このような衰退は必ずしも必然ではないことである。適切な「資源管理」と「インセンティブ設計」――すなわち「制度改革」――によって、一次産業を高付加価値化することは可能なのである。
座して衰退を待つより、もう一度新たな坂を上るつもりで、「一次産業の高付加価値化」に向けて、国を挙げて取り組むべきである。それは、たんに地域経済を活性化するだけでなく、東京への一極集中のリスクも分散する。そして、さらに、一次産業の高付加価値化による地産地消の高度化は、第二次・第三次産業のグルーバル化の支えにもなり、日本経済全体の活性化につながることになるはずである。
■←前へ 第2章 持続可能な地域の必要条件