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シンポジウムレポート「市場原理と中国経済~改革開放の歩みと展望」

April 16, 2008

創立10周年記念シンポジウム「グローバル化時代の価値再構築」

<テーマ> 第5回「市場原理と中国経済~改革開放の歩みと展望」
<開催日時> 2008年4月3日
<パネリスト> 呉敬璉(中国国務院発展研究センター研究員)
行天豊雄(国際通貨研究所理事長、三菱東京UFJ銀行特別顧問)
<モデレーター> 青木昌彦(東京財団特別上席研究員/スタンフォード大学名誉教授))

継続的な改革による市場化と自由化の進展

呉:中国経済は、おおむね三つの段階を経て、かつての計画経済から現在の市場を基調とする経済に変化してきました。第一の段階は1978年から83年の時期です。中国経済はこれ以前、ソ連型の計画経済を基本としていました。しかし、計画経済は数々の問題を抱え、しかも1976年まで10年にわたった文化大革命により中国全体が大きな混乱に陥りました。そして、この混乱が終息した1978年ごろから、中国では新たな経済体制を模索する動きが高まり、これを受けて、中央政府の権限が地方政府へ部分的に移譲され、農村での請負耕作が認められるなど、いくつかの改革が実行されました。この結果、非国有企業が多数設立され、経済全体も安定を取り戻しました。しかし、政府の権限は依然として強く、さらなる改革が求められるようになりました。

この改革を進めるにあたって中国は海外のさまざまな経済体制を研究しました。そして、日本において典型的な政府主導で市場経済を運営する「東アジアモデル」ないしは自由な市場経済を基調とする「欧米モデル」を目指す方向性が定着してきます。これが1984年から93年の第二段階です。この時期の変化を中国共産党の決定で振り返りますと、共産党は1984年の第12期三中全会で「計画された社会主義商品経済」を目標としていました。つまり、「市場経済」という言葉を避け、「商品経済」という言葉を用いていました。しかし、1992年に開かれた第14期全国代表大会では「社会主義市場経済」が目標に据えられ、翌1993年の第14期三中全会では市場経済を大幅に取り入れた経済体制の構築が明確に打ち出されました。

この流れを受け、中国経済は1994年から本格的な改革開放の時代に入ります。1994年以降、四大国有銀行を商業銀行に転換し、二重為替制度を廃止して人民元の交換レートを一本化するなど、抜本的な制度改革が行われ、国有企業の民営化も進みました。こうした改革の結果、中国経済は急速な発展を遂げ、今や経済全体の5分の3を民間部門が支えています。しかし、その一方でいくつかの問題点も明らかになっています。まず、国有企業の民営化は進みましたが、依然として政府が大きな力をもっています。たとえば、石油産業の主要3社は現在も国有企業で、電気通信産業の主要6社もそれぞれ国が大半の株式を所有しています。金利、電気料金、主な生産財の価格なども依然、政府が決めています。また、法律が十分に整備されていません。中国政府の首脳はこれまで何度も法律の整備を唱えてきましたが、法整備は官僚の権限の縮小につながるため、官僚の反対に遭って進んでいません。このほかにも、所得格差の拡大、公務員の腐敗などが社会問題となっています。

このような問題に直面して、2004年から改革のあり方をめぐる議論が活発になっています。論調は大きく二つに分かれ、一つは諸問題の原因を改革の不徹底に求め、さらなる改革を望むもので、私もこの立場をとっています。もう一つは、市場化という改革自体が誤りであり、改革以前の体制に復帰するべきだという意見です。これまでのところ、後者の意見もある程度の支持を集めています。しかし、多くの国民は改革を支持し、中国政府も改革開放の推進を明確に打ち出しています。このため、改革の気運が後退する可能性は低く、改革を具体的にどのように推進するかが今後の焦点になると思います。

呉敬璉氏スピーチ原稿はこちら

経済の自由化が価値観の見直しや政治の自由化に波及

青木:呉先生、ありがとうございました。呉先生は中国有数の経済学者として、改革開放の推進に主導的役割を果たされてきました。また、先生の著書は『現代中国の経済改革』というタイトルで邦訳され、昨年、日本で最も優れた経済書の一つに選ばれました。もう一人お招きしました行天さんはこの本に書評を寄せられましたが、今度はその行天さんからコメントをいただきたいと思います。

行天:中国の最近の経済発展は近代世界経済史の中でも特筆に値する出来事だと思います。そこで、なぜこの急速な経済発展が可能となったか考えてみますと、私は三つの要因をあげることができると思います。第一に、これはどの国の経済発展にも当てはまりますが、国民全体が発展を熱望してきました。次に、この国民の熱望を指導層が受けとめ、適切な政策を打ち出しました。三番目に、拙速な改革は行われず、首尾一貫した漸進的な改革が行われました。そして、中国の経済発展の軌跡を見ていて、私は以下の三つの点に気付きました。一つは倫理の問題です。中国では今、公務員の汚職や腐敗が深刻な問題となっていますが、この背景には共産主義の後退があるように思います。つまり、鄧小平が「白猫であれ、黒猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫である」と言ったように改革の過程で共産主義のもつ倫理性も否定してしまい、これがモラルの低下につながっているように思います。二つ目は構造改革の必要性です。中国はこれまで製造業と輸出を中心に経済発展を遂げてきましたが、今後はサービス産業と内需に主導された経済に転換していく必要があります。また、農村の振興、天然資源の維持管理、自然環境の保全なども課題となります。第三に政治改革です。経済の自由化に伴って、中国では政治の自由化も進むと思います。法制度が整備され、やがては共産党の一党独裁から複数政党制への移行も課題となるでしょう。そうなったとき、中国は欧米型の民主主義を選ぶのか、それとも中国独自の民主主義を作り出すのか。私は興味深く見守っています。

呉:行天さんが指摘されたように倫理の問題は確かに現代中国の弱点だと思います。鄧小平の提唱したいわゆる「ネコ論」、これは国民に新しい経済体制の基礎を提供するための内政的な戦略だったのだと思いますが、非常にいい説明の仕方でした。というのは、黒いネコでも白いネコでもというのはつまり、この議論の前提にはまず「ネコがいなくてはならない」「最初にネコなのだ」という話なのですね。

数十年来のイデオロギーでがんじがらめになった体制を改革していくのに、最初にイデオロギーの問題をすべて解決してそれから改革をやるというのは現実には不可能です。改革解放路線の初期、目標やモデルを持たずに試行錯誤していた80年代には、いきなり遠い目標へと向かうことはできなかったわけです。一つの明確な目標(ネコ)を立てなくてはならない。そしてそれには一定のルールを伴うことを示さなくてはならなかったわけです。

市場経済を導入するというのは簡単なことではありません。しかしそれは、共産主義のイデオロギーの倫理を否定するということではないのです。中国の場合、マルクス主義は、ソ連からある種の曲解を伴って入ってきました。つまりすでに変形していたといえます。中国の初期の共産党には、自分たちの意志、信念によって参加した人たちが大勢いました。 しかしその後に続く人たちの中には必ずしも信念ではなく、むしろ深刻な貧困や圧迫などからこのままでは生きていけないと感じて、自らの境遇を変えるために共産主義運動に加わったということがあります。特に農民層はその傾向が強く、また行政とか権威とかいったものを先天的に崇拝している面があります。スターリン主義が、マルクス主義という名のもとにソ連から伝わってきた。マルクス主義=スターリン主義だったわけです。そして文革を経てそれが破綻しました。だから、鄧小平は、実際的に役割を果たせる具象、つまりネコという形で国民にわかりやすく説明したわけです。

最近になって中国価値観の再構築という言い方での論争が盛んになっています。中国の古代思想(国学)を見直す動きと、自由、平等、民主などを普遍的価値として尊重する動きです。国学については専門の学位コースなども開設されています。一方、ある国有企業のCEOが先般、「近代的な国を構築するには、まず近代性を研究しなくてはならない。中国の特徴を大切にしつつ、自由や平等などの普遍的価値観も尊重していくべきだ」という趣旨の論文を発表しましたが、私もその意見に賛成です。いずれにしても、どのような価値観を構築していくか、大変激しい論争が展開されています。

二つ目の構造改革についてですが、さきほど申しましたように、2004年から06年にかけて改革を継続するか、昔のやり方に戻るかという論争がありました。それと並行してもう一つ大きな議論となったのが、成長のモデルについてです。

中国では体制的にソ連の制度を取り入れたことから、その制度に対する改革を行ってきたが、成長モデルについては何も変えてきませんでした。ソ連は建国当初から西側諸国が19世紀に使った成長モデル、つまり大量投資で重化学工業を促進し成長を牽引するというものです。中国では、第1次5ヵ年計画の時代からこのモデルを踏襲し、改革解放を経てもそれは変わっていないのです。1995年も環境問題が深刻化したころから、成長モデルも見直さなくてはということが提起されるようになりました。では、どのようなモデルにするのかということになると、まだ研究がなされていないのです。成長の中で効率向上と資源消費の削減いうことだけを提唱していました。第10次5ヵ年計画(2000~05年)でも改革の必要性を盛り込みながら、実現しませんでした。このようなモデルの制度上の基礎において政府が積極的に関与するというのも変わりませんでした。

西側先進諸国では1950年代末期から投資による成長モデルを、技術革新と生産性の向上によって実現させた。第11次5ヵ年計画(2006-10年)でも、やはりこのような方向に向かって転換することが策定されていますが、最初2年間の実践状況をみる限り効果はそれほどはかばかしくないようです。

それはなぜでしょうか。これには、制度的な障害が4つ見受けられます。第一に、中央と地方の政府がいまだに大きな資源配分の権力を握っていること。土地取引や融資枠などにおける裁量が大きすぎるのです。二番目に、これらの政府の業績はGDPの伸び率によって測られ、財政収入も物質的な生産と連動し、しかもその政府が資源配分について強い権限を持っていることから、どうしても重化学工業への投資に集中してしまうのです。あるいはまた多国籍企業を誘致するなどしています。三番目に財政と税制体制の問題があります。税収の半分程度を占めているのが土地使用税で、これは物質的な生産と直結しています。だから製造業の発展に力を入れる。また支出の面では、あまりにも支出の責任を下のレベルの政府、地方の政府や小さい行政単位にどんどん押し付けています。今や教育や衛生といったことの責任も県レベルに負わせています。第四に、要素価格の問題。これが全般的に低すぎます。金利、土地、為替などが大変低く評価されているため、企業は初歩的な生産を行うだけで、効率向上ということを考えなくなってしまっているのです。こうしたことを変えていかないと次の経済計画で成長モデルを変革することは実現できないと思います。

もっとも運がよくない面もあると思います。要素価格を自由化すると、値段が高くなるのでこれをあまり急激にやるわけにはいかない。かといって、ノロノロやっているといい経済環境を逃してしまう。ガソリンも軽油も価格が低すぎますし、税金も世界で一番低い16%となっている。これは、米国よりも日本よりも欧州よりも低いのです。

要素価格をもっと自由化して、燃料で税金をとるべきだという研究者もいます。原油価格がもう少し1バレル30ドルくらいに下がればできるのですね。しかし原油価格が高い。今、自由化をすると庶民は不満を感じるでしょう。2年くらい待っていればいいのかもしれないが、そうすると石油価格がもっと高くなるかもしれない。激増する石油消費がとりわけ深刻です。

また為替レートも自由化すべきです。為替レート形成メカニズムの自由化は03年からやろうとしてきましたが、実際には05年からから少しずつ切り上げ調整を始めた。06年にスピードアップしたのですが今また鈍化しています。ここへ来てドルが下がっています。これまたむずかしく運の悪いことだが、それでも方針を定めれば進歩する可能性はある。中央銀行や財政省のオペレーションの問題です。

最後の政治改革の問題ですが、中国にとって21世紀を迎えるあたりの時期が最も切実でした。政治制度が構築されなければ経済がうまくいってもだめだろうということで、腐敗の問題が指摘されています。どうするかについてはもちろんさまざまな意見がでております。

法律の整備、民主化、選挙制度、権勢の問題などさまざまな問題があります。国民の基本的権利は必要だし、一方、行政としての権限も必要なのです。線をきちんと引いて、行政の権限が国民の権利を侵さないようにしなくてはならないわけです。ただ、その線引きをするという伝統がないので、一挙にやるのは非現実的でしょう。私の考えではまずは法制度の整備と構築をしながら解決するのがいいと思います。

また、政治制度も価値観というものを基盤に構築されるべきだと考えます。自由や民主や平等、といった普遍的な価値の標準的なものをみんなが享受できるかどうかが重要な問題です。私たちの世代は何十年も、あれは資産階級的な考え方だという教育を受けてきましたが、いい傾向としては、そうした呪縛から離れて思想の解放をしようという機運が高まっていることです。過去のイデオロギーからの束縛を解き放とうということが言われている。さきほど紹介したある国有企業のCEOが書いた論文でも、中国の特性を大切にしながら普遍的な価値である自由ということも重んじるのだ、ということを言っていますし、また温家宝首相も記者会見で「民主や自由などには普遍的な価値がある」と認めています。ですから中国もそういうことを思想的な基盤づくりを取り入れようという風になってきています。

難航する利益集団の排除と国有企業の民営化

青木:私たちは中国は一枚岩のように思いがちですが、呉先生のお話をうかがっていると、国内で活発な議論が行われているようです。今度は会場の皆さんからの質問を受け付けたいと思います。

会場からの質問:呉先生はかねてより共産党内の利益集団が経済改革を阻んでいると指摘されています。現政権は党内の利益集団の解体に成功しつつあるのでしょうか。

呉:残念ながら成功していません。利益集団を解体するには、政治勢力の権限を縮小する抜本的な制度改革が必要ですが、まだそこまで改革が進んでいません。

会場からの質問:国有企業の民営化はどの程度進んでいるでしょうか。また、中国の経済政策に強い影響力を及ぼしてきた国家発展改革委員会がこのたびの行政改革で改革の対象となりました。これにより国家発展改革委員会の影響力に何か変化が生じたでしょうか。

呉:国有企業の民営化は1999年から2001年にかけて大きく進みました。この時期に、政府と企業の分離、新たな企業の設立による各産業における独占状態の打破、株式上場による株主の多元化などの改革が行われました。しかし、その後は民営化が停滞してしまい、先ほど話しましたように政府が電気通信6社の株式の大半を所有するなど、改革を必要とする部分が数多く残されています。

国家発展改革委員会については、この委員会は日本でかつて強い影響力をもった通産省のような機能を果たしていました。その広範な権限が批判の的となり、このたびの行政改革で個別企業に対する管理機能が国家発展改革委員会から切り離されました。しかし、マクロ経済の面では依然として強い影響力を保っています。中国では十数年にわたりマクロ管理機能についての議論が続いており、私は財政部門と中央銀行の二つの組織のみがマクロ管理を行うべきだと考えています。しかし、これらに国家発展改革委員会を加えた三つの組織、あるいはこれら三つに国際貿易をリードする国際貿易促進委員会を加えた四つの組織がマクロ管理を行うべきだとする意見もあり、国家発展改革委員会はこのような意見に支えられています。

中国と日本の対話が持続可能な経済をつくる

会場からの質問:地球温暖化に対する中国の対応についてお尋ねします。日本は産業部門ごとに温室効果ガスの排出削減目標を割り当てるセクターアプローチを採用していますが、中国ではどのような手法が用いられているでしょうか。また、温室効果ガスの排出権取引についてはどのようにお考えでしょうか。

呉:中国でも日本と同じように、各産業や地域ごとに二酸化炭素の排出やエネルギー消費についての達成目標を設定しています。しかし、先ほど話しましたようにGDPの伸び率が地方政府の業績となりますので、排出削減はなかなか進みません。排出権取引については、私は効果的だと思いますし、中国の企業も魅力を感じているようです。ただ、その前に、温室効果ガスの正確な測定方法など、基本的な部分の整備も必要だと思います。

青木:最後にもう一つだけ質問を受け付けます。

会場からの質問:「東アジアモデル」と「欧米モデル」のお話がありましたが、中国では1990年代の半ばから「欧米モデル」が重視されているように思います。

呉:中国では1980年代、官僚が「東アジアモデル」、学者が「欧米モデル」を支持していました。そして、1994年から改革開放の時代に入るとともに、政府の計画する部分が少なくなり、マクロ経済管理もより間接的になるなど、「欧米モデル」に近い政策が打ち出されてきました。しかし、先ほど話しましたようにマクロ管理の担当部門をめぐる議論が続いていますし、権限縮小に対する官僚の抵抗も根強いものがあります。このため、「欧米モデル」にどこまで近付けるかは、まだこれからの問題だと思います。

青木:私は最近、「グローバル・コモンズ」という言葉を強調しています。これは空気や天然資源を世界の共有財産とみなす考え方で、これらを有効に使う持続可能な経済の構築が世界的な課題となっています。そして、このような経済を実現するには、アジアの経済大国である中国と日本が対話を繰り返していく必要があります。このシンポジウムが両国の対話促進に一役買えればと思います。

    • 中国国務院発展研究センター研究員
    • 呉 敬璉
    • 呉 敬璉
    • 国際通貨研究所理事長、三菱東京UFJ銀行特別顧問
    • 行天 豊雄
    • 行天 豊雄
    • 経済学者 スタンフォード大学名誉教授
    • 青木 昌彦
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