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私のグローバル化論「21世紀の持続的経営モデルとは(2)」

May 27, 2008

舩橋晴雄
シリウス・インスティテュート代表取締役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授

「中間集団」による自律

アメリカ発のファイナンシャル・ツナミがいよいよ実体経済に甚大な影響を及ぼしつつある。先進国、新興国を問わず、今年の経済成長率は軒並みマイナスもしくは前年割れとなることが予想されている。これからしばらくの間、各国政府は雇用の確保、財政の悪化、保護主義的な産業政策などへの対応に忙殺されることになるだろう。一方で、このような金融危機を引き起こした、様々な仕組みや制度についても見直しを余儀なくされるだろう。サブプライム問題でその無能かつ無定見ぶりをさらけ出した格付会社に対する規制の強化、投資銀行等の簿外資産にまで監視の眼が行き届かなかった規制当局の対応のあり方、あるいは監査法人や会計制度のあり方など、震源地のアメリカだけでなくグローバルに議論が進められていくに違いない。

前回、市場経済や自由主義を暴走させたものが何であったかについて記したが、本稿では、これらを本来果たすべき役割に止めるには何が考えられなければならないかについて私見を述べてみたい。

まず現象面で既にいくつかの措置がとられているが、これから見ていくことにしよう。

G7やG20といった国際的な枠組みの場では、例えばヘッジ・ファンドなどに対する監視の強化や、その業務内容についての情報の公開などが議論されている。また、アメリカの金融安定化法では、公的資金の注入を受けた金融機関トップの年収上限を50万ドルとするという措置も講じられた。

いずれもこれまで自由奔放に振舞ってきた金融関係者にとっては不愉快な規制であろうが、自業自得であるといってよいだろう。

このような一般受けし、かつ華々しく成果を主張しやすい論点については、いわば絆創膏を貼るような応急手当てが施される訳だが、生活習慣病のようなものについてはどうだろうか。

例えば、格付機関に対する盲信や時価会計、四半期開示などによる経営視野の短期化といったものである。二束三文でしか転売できない商品に、もっともらしく格付けをして高収益を享受していた格付会社に対する批判は、十分に行われたのであろうか。あるいは、アメリカの投資銀行モデルを絶賛しこそすれ、そのリスクについて何ら警告を発することもなかった監査法人や公認会計士達は、何か反省の弁を述べたのであろうか。これらの金融市場におけるバイプレーヤー達も、一緒になって宴に興じていたという事実も、これからよく剔抉されなければなるまい。

所詮、人間の皮を被った欲の塊だといってしまっては、身も蓋もないが、彼らを根底で動かしてきたものが貪欲(Greed)であることは間違いない。

いくつか指摘しておきたいことがある。

第一は、ビジネスは何のために行うのかということである。

投資銀行、ヘッジ・ファンド、金融機関、格付会社、モーゲージ・ブローカー、監査法人等々、彼らのビジネスは何のために行われるのか。単に金儲けのためということならば、敢えて贄言するまでもない。それなりに社会のニーズを創造し、顧客の負託に応える役割を自らに課しているのであれば、その責任ということも同時に考えなければならないであろう。

俗に「欲に眼が眩む」という表現があるが、当事者の多くが、自らのビジネスの目的について深く考えていたふうには見えない。

どうしてそうなるのかについては、一部の考え方を前稿で触れたので、ここではこれからどうしたらよいのかについて考えてみたい。

ここでひとつ大切なことは「中間集団」の機能とでもいうべきことである。たとえば、同業者団体とか職能組合とかがこれに当たる。

要するに村八分の牽制機能を期待しているのである。例えば、これらの「欲に眼が眩んだ」連中が暴走した時に、周囲の同業者達が、「業界の名折れだ」とか「業界の名誉を汚した」とか認定して、その業界から追放するなどの処分を行うことを期待したいのである。このような措置は既にヨーロッパの各国で、いくつかの業界団体の倫理コードなどで定められていることで、そう眼新しいものではない。ただ、アメリカや、何でもその真似をしないと気の済まない日本などでは、あまり積極的ではないだけの話である。

このような中間集団による自律が何故良いのかといえば、それが機能していることによって自ずと自制が働くことにあるが、逆にこのような自律機能がないと、人間の剥き出しの行為を法律で規定することにならざるをえず、この行き方は、すべての行為を法律で取締るのは限界があるばかりでなく、法にさえ触れなければ何をしてもいいんだとばかり、法の欠陥(ループホール)を探す者とそれを塞ぐ者との際限のないイタチゴッコを招くだけだからである。

これも前回記した、社会的ダーウィニズムやアングロサクソンの「個人主義」などの帰結かもしれないが、ここに特記した「中間集団」による「自律」は、これらの弊害を緩和するものとして大いに考えられて良いのではないか。

そのような芽は既に至る所に表われており、例えば、環境NGOの活動とか、グラミン銀行が実践しているマイクロファイナンスとかは、地域の小さなコミュニティの存在を前提としているが、これらも大きな視点から見ると、コミュニティによる牽制機能の活用なのである。

21世紀を主導するビジネスモデルは、いかにこれらの中間集団やコミュニティを、その中に取り込んでいけるかどうかが、その鍵となろう。少なくとも自らの利益を言い募り、全体の繁栄を願わない者は、前世紀の遺物として淘汰されていくに違いない。

◆関連記事◆
[13] 21世紀の持続的経営モデルとは(1)
[15] 21世紀の持続的経営モデルとは(3)


【略歴】シリウス・インスティテュート代表取締役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授。 1969年 東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。2003年経済倫理・企業倫理などを分野にシンクタンク活動を行うシリウス・インスティテュート株式会社を設立。 『イカロスの墜落のある風景』『日本経済の故郷を歩く』『新日本永代蔵』『「企業倫理力」を鍛える』『古典に学ぶ経営術三十六計』Timeless Ventures [『新日本永代蔵』英語版](Tata McGraw Hill, 2009) などの著書がある。

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