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私のグローバル化論「21世紀の持続的経営モデルとは(3)」

May 28, 2008

舩橋晴雄
シリウス・インスティテュート代表取締役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授

コミュニティ資本主義--インド・タタ・グループは日本の何に共鳴したのか

このほど私は"Timeless Ventures-32 Japanese Companies that Imbibed 8 Principles of Longevity"(『永久のベンチャー―長寿の八原則を体現した三二の日本企業』)という本を、インド最古・最大の財閥タタ・グループの協力を得て出版した。

本書は5年前に上梓した『新日本永代蔵―企業永続の法則』(日経BP社)の英訳本である。『新日本永代蔵』で考えたことは、長寿企業の経営のあり方を探り、企業が永続する秘訣は何かということであった。

たまたま昨年、インドでそのテーマについて話をする機会があり、それが機縁となって、今回インドでの出版ということになったのである。

おりしも、リーマンブラザーズの破綻など、アメリカ発の金融危機の広がりの中で、これまでグローバル・スタンダードとされてきた市場原理主義的、あるいは株主主権的な経営のあり方に疑問符がつけられている。それらは本当に、持続的な経営モデルなのか、二十一世紀最大の課題であるサスティナビリティに適合的な経営のあり方なのか。

今回いわば日印合作のような形で、東洋から古くて新しい経営思想を発信することも、このような時代であるからこそ、意味のあることではないかと考えている。

タタ・バリュー

タタ・グループについては、わが国でもインド最大の財閥グループであるということや、近く20万円台の超小型車ナノを発売予定であるということがよく知られているが、その歴史や経営思想については必ずしも十分に知られていないのではないだろうか。

タタ・グループの創業者を、ジャムシェトジー・タタ(1839-1904)という。グジャラート州(インド西部)出身で、パルシーと呼ばれるゾロアスター教徒の僧侶の家に生まれた。日本ではちょうど明治維新の年に当たる1868年、29歳の時に貿易商社を設立し、これを手始めに、紡績業、製鉄業、電力業、ホテル業などに進出した。さきのムンバイ同時多発テロでテロリストが立て籠もったタージ・マハール・ホテルは、ジャムシェトジーによって建てられている。1903年のことである。

ジャムシェトジーの後、彼の作った企業集団は、その長男ドーラーブジー・タタ、ノウロジー・サクラトヴァラ(一族)、J・R・D・タタと引き継がれていくが、この間、その活動範囲は、化学、製油、電子製品、自動車、薬品、肥料、化粧品、印刷、既製服、紅茶、不動産、金融などのほとんど全産業を網羅する大企業集団に成長している。現在、その中核3社として、タタ製鉄、タタ自動車、ソフトウエアのタタ・コンサルタンシーサービシズ(TCS)が挙げられる。

タタ・グループはインド最大の財閥グループではあるが、大きな財閥グループであれば、他にも、リライアンス、ビルラなどがあるし、存在感でいえば、アルセロールを買収したミッタルなども著名である。

しかし、タタ・グループをタタ・グループたらしめているのは、その大きさや存在感といったものではなく、その企業集団の中に脈々と受け継がれているタタ・バリューであろう。

ジャムシェトジーが創業したころ、インドはイギリスによる植民地化が最終段階に達していた。初めての独立運動といってもよいセポイの乱(1857年)が鎮圧され、ムガール帝国が滅亡し、1877年には、ヴィクトリア女王がインド女帝を兼ね、ここに植民地化が完成するのである。

イギリスにとって植民地インドは、雌牛のような存在であった。その中で、事業を興し、発展させ、継続させていくことに、いかにジャムシェトジーが意を砕いたか、彼の伝記は、その苦闘の跡を余すところなく物語っている。イギリス植民地官憲の妨害、嫌がらせ、非協力に対してジャムシェトジーの取った方策は、抵抗運動でも、むろん、テロリズムでもなく、より大きな理想の力を信じるというものであった。

すなわち、その理想とは、ビジネスは人間のために、社会のために行うのだということである。裏返していえば、ビジネスは己れの利益を追求するために行うのではないということである。

彼はよく、「コミュニティというものは、われわれのビジネスにおいては、1つのステイクホルダーというものではない。われわれの会社の存在目的そのものである」といっていた。

株主主権論がよく議論されていた時に、それへの反論としてステイクホルダー論というものが主張された。企業は、株主に対してのみ責任を果たせばそれで済むわけではなく、顧客、取引先、従業員、株主、地域社会といった各ステイクホルダーそれぞれに適切な対応が求められるという考え方である。

しかし、ジャムシェトジーの眼は、各ステイクホルダーという木ではなく、コミュニティという森を見ている。森が生物多様性を確保するのに不可欠な存在であるように、人間にとってコミュニティというものも不可欠な存在なのである。森の中で多様な生物が存在することが、全体としての生態系を維持するように、コミュニティにおいても、多様性を持った人間集団の維持ということが人類全体の生存に必須なのである、

これに対して市場というものは、その性質上、本来的に多様性よりは均一性を、無駄よりは効率を指向するものである。むろん、それはそれとして、経済社会の発展のために欠くべからざる機能を果たしている。しかし、世の中の問題がすべて市場において解決可能であると考えるほど、人間は単純な存在ではない。さらに、市場機能が発揮されればされるほど、弱肉強食、格差の拡大、コミュニティの破壊という負の側面が露わになる。市場の機能は機能として、その限界を冷静に見極め、それに振り回されず、うまく使っていくことこそが求められている。

ジャムシェトジーのこの大きな理想は、その経営においても実践されてきた。

いくつか例を挙げれば、まず第一に、タタ・グループは、その働く従業員を単なる部品ではなく、人間として尊重してきたことである。図1は、タタ・グループが実践してきた各種の労働福祉制度である。これらすべてがすでに戦前に導入され、そのほとんどが1947年のインド独立後に法制度として確立したことに注目したい。いかにイギリス植民地帝国が、インドの労働者に対して苛酷であったかという証拠であろう。

ジャムシェトジーの第2の試みは、インド人による高等教育機関の設立である。彼は現在、インド最高の頭脳が結集しているとされるインド科学大学院大学(IISc)の原案を描き、そのための基金の拠出を惜しまなかった(その設立は、ジャムシェトジーの死後1911年のことである)。また彼の思想を継いだ後継者たちによって、さまざまな財団が設立され、これらがグループの実質的な持ち株会社機能を果たすとともに、広範な社会貢献活動を実践している。

タタ・バリューは、このようなジャムシェトジーの理想と、彼および彼の後継者をはじめとするタタ・グループの人々の実践によって鍛え上げられてきた企業価値の体系である。そこにはいろいろな警句や、エピソードやメタファー(暗喩)が鏤められているが、その代表例として、1938年から91年に至る実に53年間にわたってタタを率いてきたJ・R・D・タタによる「行動指針」(図2)を挙げておきたい。

この「行動指針」に滲み出ている思想は、インドの神々のような大らかな人間讃歌である。人間の可能性を信じ、徹底した思索と精励を実践してきたものだけが、そして、公の利益への貢献と、人とともに生きるという人間としての本来の姿を具現したものだけが、真に価値のあるものに到達できるのだとしている。これをひと言でいうならば「人間経営」であろう。

企業永続の法則

考えてみると、バブル崩壊後日本企業の多くが見失ってきたものが、このような大らかな「人間讃歌」であり、「人間経営」ではなかったか。

コーポレート・ガバナンス、コンプライアンス、四半期開示、日本版SOX法など、いずれも人間の相互不信を前提として組み立てられてきた仕組みである。そして、森を見ずして木ばかりを見、事に当たって理屈ばかりに頼って裁断すれば、およそ「残忍刻薄」の心が勝って、「寛裕仁厚」の心が薄くなるものなのである(伊藤仁斎)。

このことは、実は企業経営にとって致命的な結果を招く危険性を秘めていると、私は考えている。すなわち、「寛裕仁厚」の心が薄くなった人には、顧客も、取引先も、従業員も、地域社会も、ジャムシェトジーの言葉でいえば、その全体であるコミュニティも見えなくなってくるからである。そして、ただひたすら自己の利益と自己の保身を考えているような人々と、だれがともに商いをし、その企業からモノやサービスを買おうとするだろうか。

このような思想を持った人々の企業が永続性を持たないことは明らかだ。

私が『新日本永代蔵』で、数々の長寿企業の経営者の方々から教えていいただいたこともまさにこの「人間経営」にあった。今回の英訳本"Timeless Ventures"では、その長寿の法則を次の8つにまとめている。

  1. 明確な価値観やヴィジョン・使命感
    事業の目的、組織のあり方について、明快な指針があり、絶えずそれを反芻しながら経営を行っているということである。その多くはタタの例のように、創業者の言葉やエピソード、家憲や家訓のような形で残されている組織の記憶、あるいはその価値感を象徴する何らかの行為や儀式を含む全体的な体系である。その組織の構成員は、○○バリューを会得し○○マンとなっていく。
  2. 長期的視野
    長寿企業の多くは非公開企業であるから、毎日の株価や四半期ごとの利益に一喜一憂することはなく、手許資金を配当に回せと圧力をかけるアクティビスト(物言う株主)の要求に直面することもない。経営の基本は長期的な繁栄を目指すことから、持続的成長を可能にする思い切った投資もできるし、人材の育成も可能となり、競争力の強化につながっていく。また、そのようにして培われた企業の信用、すなわち「暖簾」を最優先する経営となる。
  3. 人間経営、人材重視
    People Put First.すなわち、ヒトを他の経営資源(カネやモノ)よりも優先する。従業員は単なる部品ではなく、成長する主体である。また人材の成長のために研修を充実させ、従業員の福利厚生にも意を用いている。一方、多くが同族企業であるが、後継者の選別、教育に時間をかけ、さらに場合によっては経営者として不適格な者を排除する仕組みをビルトインしているところもある。
  4. 顧客指向
    商いの基本はお客様である。顧客指向に徹すれば、自然とそのモノやサービスを求める人が増え、結果として売り上げが上がり、利益も生まれる。企業が価値を生むとは、そのことであって、それ以外にはない。暖簾に胡座をかいていたり、利益に眼が眩んでお客様が見えなくなった企業は、自滅していくしかない。このお客様の厳しさを絶えず自覚し、商いの初心を忘れないような風土を培い工夫をこらしている。
  5. 社会性の意識
    これは単にCSR(企業の社会的責任)を一所懸命実践するということではない。
  6. 企業は社会とともに生きている、社会の恩を受けている、社会へその恩返しをしていくのが務めであるという考え方である。そのような行為者は、利権を漁ったり、何かというと政府に依存したりする人々ではない。自ら独立しているからこそ、社会に対して貢献しようという気持ちになるのである。
  7. 継続的な革新、自己改革
    成功体験に安住し、居心地の良さに身を委ねることなく、変わらざるものなき世の中へ適応していく。自らの強みは生かしつつ、時代に合わなくなった事業は思い切って切り捨て、新しい自らを作り上げていく。
  8. 質素・節約
    将来に備えて貯えをし、時にこれを大きく使って新しい事業を創新する。このためには日ごろから節約すべきは節約するという生活態度が必要なことはいうまでもない。さらに、この質素・節約を自らに課すことは、真面目に仕事に勤しみ、いいモノやサービスを作り上げる気持ちを醸成することにもつながっている。
  9. 上記(1)~(7)の考え方、組織としての生き方を体得するための努力
    長寿企業の多くは、さまざまな工夫、仕掛け、手続き、儀式などを通じて、その組織の持つ価値観や仕事の仕方、あるいは組織の記憶などを再確認し、実践を通じて体得し、それを組織の財産とする努力を惜しまない。

以上の8つの原則である。

このような原則を体現した企業の姿は、メカニカルな機能体ではなく、さきほどの譬えでいえば一つの森、それぞれが有機的につながり合って生態系が維持されているコミュニティである。

共鳴の基盤

こうしてみると、日本の長寿企業の経営のあり方は、タタ・バリューと重なり合っていて、なぜタタ・グループの人々がそこに共鳴したのかがわかるような気がする。

しかし、項目だけ見れば、最近の欧米企業の経営も同じ方向性を持っているのではないかという反論もあるだろう。企業の持つ価値観やそれを育む組織風土を大切にする、いわゆるバリューシフト経営に欧米の企業は熱心に取り組んできたのではないか、顧客が最も重要であることは数多くのエクセレント・カンパニーの信条(credo)や行動指針に掲げられているではないか、あるいは、最近流行のCSRはここでいっている社会性を持つということではないか、このような問いが発せられても不思議でない。

それも一理あるかもしれない。しかし、そこにどうしても跳び越えられない溝があることも事実である。それは何かといえばジャムシェトジーの「コミュニティ」の考え方である。

彼にとって事業とは、世のため人のために行うものである。その考え方に近い言葉は、近江商人の経営訓にある「商事これ菩薩道」というものであろう。ビジネスは人を助け、世を救う道だということである。これをあえて名付ければ「コミュニティ資本主義」であろう。これは「資本の論理」からは生まれようのない経営思想である。しかし、人間はカネだけで生きているのでもなければ、論理だけで動いているのでもない。

いかにCSRに熱心な欧米の経営者でも、この考えには抵抗があるに違いない。ビジネスは慈善事業ではないんだ、慈善だったらビル・ゲイツのように別のやり方でやるべきなんだと考えるだろう。

もう1つ、例を挙げてみよう。
「此身を世界に抛て、一筋に国土のため万民のためとおもひ入て、自国の物を他国に移し、他国の物を我国に持来て、遠国遠里に入渡し、諸人の心に叶べしと誓願をなして、国々をめぐる事は、業障を尽すべき修行なり」

江戸初期の禅僧・鈴木正三の『万民徳用』にある言葉で、商人のあるべき姿を描いている。

思えば、近江商人の多くが帰依した浄土教も、正三が究めた禅も、その元を辿れば仏陀の教えに起源がある。そして、今日のわれわれ日本人も知らず識らずのうちに、仏教的な人間観や世界観に影響されているのである。

一方のジャムシェトジーはじめタタ一族はゾロアスター教徒ではある。しかし彼らはインドに定着し、タタ・グループという企業はインド人のコミュニティとともに生きてきた。どうしてヒンズーの考え方の影響を受けずにおれようか。私には、両者の共鳴の基盤に、インド的な共生の世界観があるように思えてならない。

時空を超え、このように日印の間で企業経営のあり方について共通の基盤を再発見し合うというのは、不思議な気がする。これもあえて仏教の言葉であるが、御縁の導くところということもできるだろう。

(「中央公論」2009年3月号より著者の許可を得て転載)

◆関連記事◆
[13] 21世紀の持続的経営モデルとは(1)
[14] 21世紀の持続的経営モデルとは(2)


【略歴】シリウス・インスティテュート代表取締役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授。 1969年 東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。2003年経済倫理・企業倫理などを分野にシンクタンク活動を行うシリウス・インスティテュート株式会社を設立。 『イカロスの墜落のある風景』『日本経済の故郷を歩く』『新日本永代蔵』『「企業倫理力」を鍛える』『古典に学ぶ経営術三十六計』Timeless Ventures [『新日本永代蔵』英語版](Tata McGraw Hill, 2009) などの著書がある。

    • シリウス・インスティテュート代表取締役 一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授
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