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日米同盟の管理をめぐるワシントンの「諦観」が持つ危険

February 15, 2010

「安全保障研究」プロジェクトリーダー
山口 昇(防衛大学校教授)

日米安保セミナー

安保条約の改定・調印50周年の年頭にあたる1月15日(金)~16日(土)、ワシントンで開催された日米同盟シンポジウムでは、日米同盟に対する関心がこれまでになく高まっているのと同時に、米側関係者の中に深い困惑がみられたことが印象的であった。

1990年代半ば、日米同盟の再確認を巡ってトラック2の会合が最盛期を迎えていたことを記憶しているが、アメリカで日米関係に関心を持つ人たちがこれほど集まるのは、それ以来のことであろう。

東京財団が主催した15日午前中のパネルディスカッションには、二百人弱の聴衆がいたが、加藤会長をはじめとするパネリストが解説する日本の内政に対する関心の高さを伺い知ることができた。

リチャード・アーミティジ元国務副長官、北岡伸一東大教授、岡本行夫元首相補佐官をパネリストに迎えた午後の公開セッションには、金曜であるにもかかわらず270人が参加し、夕方5時すぎの終了まで中座する参加者はほとんどなかった。

もちろん、同盟の管理にあたってきた米側関係者の多くが普天間移設問題を巡って混迷を続ける東京に困惑していることは明らかである。とはいえ、東京から日米同盟に対する熱意が感じられない焦燥を、アメリカ人らしくストレートにぶつけるのではなく、むしろ、極めて抑制された姿勢で同盟の将来に懸念を示していたことは意外であった。

アーミティジ氏は、この公開セッションで「プランBを考え始めるべき時ではないか」と発言した。普天間移設問題の解決につまずいた場合のダメージコントロールとしての代替案である。

いつものエネルギッシュな様子であれば、「雨降って地固まる」といった前向きの結果を望む応援歌に聞こえたはずである。つまり、普天間移設問題で混迷する現状を打開する過程を通じて同盟を強化していこうという議論である。

しかしながら、アーミティジ氏の発言からは「諦観」に近いものを感じざるを得なかった。「日本がその程度しかできないのであれば、期待値を下げざるを得ないかもしれない」と聞こえたのである。東京での閉塞感からの深読み、勘違いであることを祈りたい気持ちである。

知日派米国人の三つのタイプ

ところで、今回のイベントで会った日本通のアメリカ人は、3つのグループに大別されよう。第一のグループは、日米同盟に対する鳩山政権のアプローチに戸惑い、訝っている人たちである。彼らの中には、悲観論も楽観論もない。

第二のグループは、戸惑いの段階を超えて、日本国内での議論が落ち着くまで静観すべきであるという、当面の結論に達した人たちである。彼らは、混迷する東京が覚醒する時がくるかもしれないというかすかな期待を捨てていないが、最大限ポジティブに表現しても「cautiously optimistic」といったところであろう。慎重な楽観論ではあるが、悲観の一歩手前である。

第三のグループは、戸惑いの後に、自ら日米同盟の将来に関する結論を出そうとしている人たちである。

マジョリティは第二のグループに属しているように見受けられた。あるいは、アメリカ側参加者の間で、少なくともそのように振る舞った方がよいとのコンセンサスがあったのかもしれない。

例えば普天間移設問題に関して、公開セッションでは東京で何が起きているのかを単純に訝る向きが多かったが、専門家に限定された2日目の議論では、総じて米側の発言は強く抑制されたものであり、日本に対してプレッシャーを与えるような発言はほぼ皆無であった。

イベントの数日前に米側参加者の一人とEメールのやりとりをした。その中から感じられたことは、少なくとも米側の参加者が、今の日本にどのように向き合うべきかという点で、議論を重ねていたということである。その上で、当面静観すべきであるとの結論に達したのであろう。

問題は第三のグループである。彼らは、日本を知り尽くした人たちでもあるが、この混迷を悲観的に受け止め、日本の反応を待つことなく、アメリカとしてこれから日本とどう付き合っていくかを決めようとしているように見受けられる。冒頭に述べたアーミティジ氏の発言から感じ取ることのできる「諦観」を共有しているのである。

彼らが、仮に、日本に対する期待値を下げているとすれば、重大である。そもそも同盟は、ギブ・アンド・テイクの関係であり、日本に多くを期待すべきでないというのがアメリカ国内のコンセンサスになれば、当然のことながらアメリカが日本に提供する部分も小さくなる。いわば「縮小均衡」を目指すことになるからである。

日米同盟の非対称性

ここで忘れてならないことは、日米同盟の非対称性である。もとより日米同盟は、日本が軽武装にとどまり国外での軍事的なコミットメントを最低限に抑える一方で、米軍基地を提供することによって、アメリカに対して安全保障面での協力を求めるという関係である。それゆえ、日米双方において、相手に対する不満を助長しやすい。

日本に万一のことがあった場合、米軍はアメリカ青年の血を流す覚悟がある。日本に同じことが求められることはなく、有事の負担という意味においてアメリカには常に不均衡感が存在する。

一方、米軍による抑止力を維持するために日本は基地を提供する。日本国民にとって、いつ起きるかしれない有事におけるアメリカの協力から得られる本来死活的な利益よりも、基地の存在から生じる騒音や事故の危険、米軍兵士の不祥事といった平時の負担が目につきやすい。

普天間移設を巡る問題は、このような日米同盟の本質に関連している。沖縄にかかる過重な負担を軽減することによって、より安定的な駐留を可能にし、ひいては、米軍の存在による抑止力を維持しようとする努力の典型が普天間基地の移設だからである。

この問題が円滑に解決しなければ、この正反対の悪循環が生じ、基地周辺住民に対する負担が軽減されないだけでなくアメリカが日本に提供している抑止力が損なわれる危険があるのである。

もうひとつ、大きな問題がある。非対称性を少しでも是正しようとしてきた日米両国の努力の成果を損ないかねないということである。過去20年にわたり、日米両国は、日本が地域や世界の安全保障問題に対してより積極的に責任を負うことによって、同盟を単に「基地の提供」と「日本の防衛」との交換という関係から脱却させようとする努力を続けてきた。

1991年、湾岸戦争直後ペルシャ湾に掃海艇を派遣したことに発し、近年では、インド洋、イラクへの自衛隊部隊派遣、ソマリア沖での海賊対処への参加などを通じて、日本は、国際的な安全保障協力への関与を拡大してきた。

1990年代半ばにジョセフ・ナイ国防次官補のリーダーシップによって行われた「日米同盟の再確認」は、そのような努力の一環である。

2004年から2006年にかけて行われた「日米同盟の変革」を目指す作業では、普天間移転計画をはじめとする在日米軍再編が注目をひいたが、PKO、人道復興支援活動、大量破壊兵器拡散を防止するための活動など、国際的な安全保障協力活動における日米協力の深化が重要な課題とされた。

いわば、日米同盟に固有の非対称性をできるだけ是正して、同盟の「拡大均衡」を図ろうとしたのである。この意味において、日米両国は、アメリカにおけるオバマ政権の誕生と日本における鳩山政権の誕生という新しい局面を迎え、しかも安保条約50周年という節目にあたって、同盟をさらに深化させ発展させる好機を目の前にしている。

縮小均衡ではなく拡大均衡を

1月下旬来日したジャック・クラウチ元大統領次席補佐官は、日米両国が普天間移設問題に忙殺されて時間を浪費していることを「Opportunity Cost(機会費用)」と表現した。普天間移設問題を軟着陸させて、日米同盟の将来像を描くための議論をできるだけ早く開始すべきであると論じたのである。

先に指摘した米側関係者の諦観は、アメリカから、日米同盟を「縮小均衡」させる、つまり、お互いに期待値を下げ、お互いが負うべき責任・義務を小さくするという選択肢を提起させる危険を内包している。

その背景には、アメリカで、長年、日米同盟の「拡大均衡」を目指して尽力してきた人たちに与えた失望感がある。だとすれば、彼らの信頼を回復して、もう一度「拡大均衡」を目指す活力をとりもどさなければならない。

同時に、在日米軍の安定的な駐留を通じて抑止力を確保するという、地味ではあるが日米同盟にとっての本質的な側面に揺るぎがないことを再確認しなければならない。でなければ、日本としての国家の成り立ち自体を根本的に変えてしまうことになりかねない。

    • 元東京財団研究員
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