東京財団「現代アメリカ研究プロジェクト」メンバー
細野豊樹(共立女子大学准教授)
歴史的な選挙
2008年大統領選挙は、アフリカ系アメリカ人の大統領の誕生、史上空前の選挙資金、選挙戦術の革新、民主党および共和党の基本政策理念に対する有権者の審判(レー ガノミクスおよびネオコン外交との決別)などの意味で、歴史的な選挙であった。今回の選挙を規定したのは経済であり、オバマ政権の当面の課題も経済である。以下では、オバマの勝因、多数派連合の特徴および今後の展望を、2008年と同様に経済が争点となった1992年と比較しながら論じたい。そして主に経済関係について日本への影響に関連付けてみたい( 米大統領選挙の結果と今後のオバマ政権の政策の行方 を併せて参照)。
1992年と類似する選挙結果
2008年大統領選挙は、民主党大統領候補が獲得した選挙人数や連邦議会の議席数について1992年と極めてよく似ている。11月10日現在でオバマが獲得した選挙人は364である(ミズーリの11およびネブラスカの1が未定)。これは1992年の370に近い。得票数は6000万を超え1992年を大きく上回るのは確実である。1984年のレーガンのような地滑り的勝利ではないが、有権者の信託を得たと言える大勝である。
連邦議会上院の民主党の議席数は57(未定3)、下院は253(未定6)である。1992年の民主党議席数は上院が57、下院が258であった。上院の議席数が議事妨害を止めるために必要な60に満たない。また米国連邦議会では党議拘束が弱いため、大統領は同じ政党の議員の造反に悩む。さらに共和党との議席数の差がこの程度では、1994年のように中間選挙で多数党が逆転する可能性がある。
オバマは大統領選挙で大勝したものの、連邦議会上院の議席数が民主党寄り無所属の2議席を加えても57という状況では、クリントン政権のような綱渡り的議会運営を強いられよう。
経済への不安を背景に変革を求めた有権者
2008年選挙の出口調査では、最も重要な問題として経済を挙げた回答者が63%であり、2位以下(イラク10%など)を圧倒した。9月半ば以降リーマン・ブラザーズの破産、巨額のAIG救済、7000億ドルの不良債権買取法案などがニュース・サイクルを支配するなか、オバマとマケインの対応は対照的であった。場当たり的スタンドプレーに走ったマケインは自滅し、慎重に対応したオバマは大統領らしく見えることとなった。
また、年間所得20万ドル以下の世帯への減税( 米新政権下の税制をどう見るか~税負担上昇の可能性 参照)という分かりやすい経済対策をオバマが繰り返し強調したことも重要であった。それは民主党が勝てば増税になると宣伝する共和党の常套手段を封じる効果もあった。
1992年大統領選挙も財政赤字という経済争点により規定された。”It’s the economy. Stupid.”をスローガンとしたクリントンが、不況ではないという認識のブッシュ大統領に勝利した。オバマもクリントンも変革の候補と自らを規定することで、共和党の経済政策に不満を持つ有権者から得票した。経済が中心争点であった1992年選挙後のクリントン政権初期の展開は、オバマ政権の行方を占う参考となるはずである。
オバマの多数派連合
2002年以降の選挙は、主役がメディアでのイメージ戦略による「空中戦」から、有権者に個別に接触して支持基盤を動員する「地上戦」に移ってきている。2004年の大統領選挙では、Voter Vaultという有権者データベースおよび地元保守層のボランティア網を組織しての支持基盤動員により、共和党が民主党を圧倒した。
2008年大統領選挙において民主党は、Vote Builderというデータベースを整備して巻き返しを図った。また、オバマ陣営はネットで集めた空前の政治献金により、激戦州だけでなく全米50州で選挙活動を展開した。その結果従来は投票率が低かったアフリカ系アメリカ人や若者の大量動員に成功した。アフリカ系アメリカ人および若者からのオバマの得票率が、2004年と比べて大幅に上昇したことを出口調査は示す。(アフリカ系アメリカ人:88%→95%、若者:54%→66%)。こうした「地上戦」による支持基盤動員が、1992年との大きな違いである。
アフリカ系アメリカ人および若者以外に、ヒスパニック、女性、労働組合、大学院卒のプロフェッショナルなどが、近年における民主党の中核支持基盤である。オバマもクリントンもこれら有権者集団からの得票率で共和党に大きく差を付けている。
2008年 選挙の特色は、これまで共和党寄りであった多数の選挙区において、多くの有権者がブッシュと共和党を見限ったことである。接戦となったヴァージニア、ペン シルヴェニア、オハイオ、コロラドなどにおいて、大都市を取り巻く高所得の郊外選挙区において民主党は得票を伸ばした。こうした傾向について、The Club for Growthという保守系団体が、最近の Wall Street Journal
において興味深い世論調査を発表している(11-06-08)。これまで共和党議員を選出してきた全米の12の接戦選挙区(このうち11の選挙区で民主党が2008年に勝利)が調査対象である。調査結果は、これら選挙区の有権者は小さな政府と減税を志向し、ブッシュ政権の放漫財政に批判的であることを示している。利益団体からの情報であることを割り引く必要はあるが、共和党候補大量落選の説明にはなっている。
1992年の選挙でクリントンは高学歴層や大都市郊外での得票を増やした。そして財政再建や福祉見直しを重視し、文化的にリベラルで財政保守的なネオリベラル路線を採用した。次節においてオバマもネオリベラル的な経済政策を採用する可能性を次に論じる。
オバマ政権の経済政策と支持基盤
オバマ政権の最優先課題は金融危機である。投票前日のCNN放送のインタビューにおいて、金融危機対策として景気を刺激すべく減税を真っ先に実施すること、次に優先されるのはグリーン産業への投資によるエネルギー自給率向上だと述べている。
肝心な財務長官などの経済閣僚人 事はこれからである。オバマ陣営の経済政策アドバイザーには、ヴォルカー、サマーズ、ルービン、スティグリッツ、タイソンなどの大物、超大物が揃っている。また、グールズビーなど実証研究を重視するシカゴ大学の若手経済学者にも注目すべきであろう( 2008年米国大統領選挙 オバマ、マケイン両候補の選対本部・政策顧問・有力支持者分析(第3版) を参照)。
ホワイトハウスの首席補佐官に任命されたのは、オバマと同じイリノイ州選出の下院議員ラーム・イマニュエルである。イマニュエルはクリントン政権のホワイトハウスに在籍したネオリベラル系の若手である。
共和党政権から引き継いだ巨額の財政赤字が、クリントン政権とオバマ政権に共通している。1992年の連邦政府公的債務残高のGDP比は48%、2007年のGDP比は37%であった(連邦議会予算局)。2008年の不良債権買取法などにより債務残高が急増するのは間違いない。オバマは選挙の遊説において、アメリカは中国から借金しアメリカを嫌う国から石油を輸入していると繰り返し述べている。外国のアメリカ国債保有額は2008年8月において約2.7兆ドルであり、1位が日本、2位が中国、3位が英国である(財務省)。
クリントンは財政再建を何よりも優先し、選挙公約のミドルクラス減税を見送った。これに対してオバマの場合は減税が選挙公約の要になっているため、いくら財政赤字が深刻でも、これを撤回するという選択はない。
ポール・クルーグマンは不景気の場合一時的な財政出動は経済学的に肯定されるとニューヨークタイムズ(11-7-2008)で論じている。また、医療保険や失業給付は道徳的に正しいだけでなく、景気刺激策としてはキャピタル・ゲイン減税よりもはるかに効果的だとしている。
グリーン・エネルギー、医療保険、教育改革、老朽化した交通インフラの維持・更新などは膨大な投資を要する。こうした投資は、中長期的な経済成長の基盤になると考えられる。しかしグリーンスパン前FRB議長が予測するように深刻な不況とGDP低下が到来すれば、税収が減少する。短期的な景気刺激はともかく、大型の行政投資を継続するのは困難と考えられるため、優先順位の設定をオバマは余儀なくされよう。
党内の結束を固めるためには、社会民主主義的政策を目指す左派の期待に応える必要がある。しかしそれは選挙での中道路線・財政保守主義と相反することにクリントンは悩んだ。ウォールストリート・ジャーナルの社説(11-08-08)は、オバマ政権の真の脅威は民主党左派だと論じている。
こうした民主党左派の要求および選挙に勝つための中道路線の矛盾が、2008年に繰り返されるとは限らない。ナンシー・ペロシ下院議長は、オバマ新大統領は中道路線で統治すべきと述べている(11月5日)。8年間ブッシュの対決型の右派政治が続いただけに、政権を手放さないため、支持基盤への露骨な利益誘導を自重する可能性もある。党内左派へのバラマキが目立つと、支持政党無し層などの反発を買い、2010年の中間選挙に響くからである。
オバマ政権と日米経済関係
本年4月に国務省日本部長が述べているように、政権交代があっても日米関係を重視する米政府の基本姿勢は変わらないと考えられる( ジェームズ・ズムワルト国務省日本部長の語る「日米関係」 )。
金融メルトダウンの余波をこれ以 上拡大させないことが、アメリカにとっても日本にとっても最優先課題である。経済がグローバル化して全ての国が一蓮托生状態にある。こうしたなかで国際協 調の要となるのはアメリカである。オバマ政権の方向が明らかになるのはこれからであるが、選挙戦で証明されたオバマの政治力と組織力およびその著書などに みられる見識と知性に、世界の人々の期待が集まっている。
クリントン政権初期における日米の懸案は日米自動車摩擦であった。近年において貿易摩擦の主役は中国に移ったと面がある。しかし、米自動車メーカーの救済問題が浮上しているため無視はできない。過去20年間の大統領選挙において、製造業への依存度が高い中西部が接戦となってきた。このため民主党も共和党もミシガン、オハイオなど中西部の大票田における産業労働者の自由貿易への不満を無視できない。特に民主党においては、近年フェア・トレードを訴える候補が予備選挙で一定の支持を集めてきている。2008年大統領選挙においても、オバマは二国間貿易協定での労働や環境基準の扱いに言及している。
しかしオバマを含め予備選挙を勝ち抜く候補は、自由貿易論者である。フェア・トレード派のゲプハートもエドワーズも予備選挙で負けている。民主党の基盤は「ブルー・ステーツ」と呼ばれる北東部および西海岸を中心とする州である。いずれもアメリカが国際競争力を有する金融、ハイテク産業が盛んな地域なので自由貿易志向である。このため保護 貿易は民主党の支持基盤に地域間対立をもたらす。しかもアメリカの労働運動は多様であり、2008年選挙においては「サービス労働者国際連合」(SEIU)の政治献金額が「全米自動車連盟」(UAW)の約4倍であった( Congressional Quarterly 9-29-08, p.2557)。 オバマ政権は、中西部の産業労働者の要求に耳を傾けるであろうが、自由貿易論者や財政保守主義者とのバランスを重視するはずである。ネオリベラル型政治家の経済のグローバル化への回答は、保護貿易でなく教育への投資や失業対策である。ニューヨーク・タイムズは、オバマ支持の労働組合が求めるのは北米自由貿 易協定の見直しでなく、中国元の切り上げだと報じている(11-09-08)。
対日政策を含め、オバマ政権の人事および諸施策が具体化するのはこれからである。このため可能な範囲で、クリントン政権との対比や支持基盤の分析による予測にとどめた。
外交の面で最も注目すべきは国務長官人事である。ニューヨーク・タイムズは、ダッシェル元上院院内総務を国務長官候補として2人のオバマのアドバイザーが挙げたと報じている(11-08-08)。ダッシェルは外交の専門家ではない。しかしバイデンが副大統領に指名された時は、事前にオバマ陣営からバイデンの名前が出ていたことに留意すべきであろう。