白鴎大学経営学部教授
高畑昭男
2020年大統領再選に向けた最大の外交的成果を狙って、トランプ大統領が仕掛けた2回目の米朝首脳会談(ハノイ)は、最終日の2月28日、予定した共同声明の署名はおろか、昼食会までキャンセルされ、「成果ゼロ」の物別れに終わった。
土壇場で劇的な結末となった理由についてトランプ氏は「焦点は制裁だった。北朝鮮は(国連安保理)制裁の全面解除を求めたが、彼らが提案した非核化措置は我々が呑める内容ではなかった」(会談後の記者会見)[1]と説明したが、そもそも事前の実務協議も消化不良のままにトップ同士のアドリブ外交に委ねてしまったことに問題があった。結果的に、小出しの譲歩に目を奪われて制裁を緩めてしまうという最悪の事態は避けられたものの、非核化をめぐる米朝の深い溝が昨年6月の初の首脳会談(シンガポール)以来少しも埋まっていない現実を改めて証明したともいえる。今後の不透明さに変わりはない。
もう一つ劇的だったのは、首脳会談のさなかに設定されたワシントンの議会公聴会でトランプ氏の元顧問弁護士が「トランプ氏はウソつきで、詐欺師」などと不利な証言を行い、首脳会談を上回る衝撃ニュースとして米国民を驚かせたことだ。ロシア疑惑捜査や国境の「壁」建設問題など、内政面でもトランプ氏に対する逆風が高まっており、一連の展開が再選にとって吉と出るか兇と出るかは予断を許さない情勢となりつつある。
幻の「ビッグ・ディール」
トランプ氏は、昨年末から2回目の首脳会談の設定を急がせていた。ニューヨーク・タイムズ紙などの報道によると、トランプ氏は金正恩朝鮮労働党委員長との間に親密な相互信頼ができたと過信し、トップ交渉に持ち込めば自慢の「ディールメーカー」の能力を発揮して「完全な非核化」の約束と「制裁解除」を引き換えにする「大型合意」(a big deal)を実現できると意気込んでいたようだ[2]。だが、対北強硬派で知られるボルトン国家安全保障担当大統領補佐官やポンペオ国務長官らは、過去の経過から金正恩政権がこうした一括合意に乗る可能性は事実上ゼロに近いと考え、トランプ氏が中途半端な妥協に陥るリスクを懸念していた。米国務省のビーガン北朝鮮担当特別代表と北朝鮮側との実務者協議は、首脳会談直前になっても十分な一致が得られずに、首脳会談を迎えてしまった。また、金正恩氏自身も会談冒頭から寧辺の核施設廃棄と制裁解除の引き換えにこだわったという。
会談が物別れに終わった後、北朝鮮の李容浩外相はトランプ大統領の発言を否定し、北朝鮮が求めたのは「制裁の全面解除ではなく一部の解除だ」と反論した[3]。だが、その内容は、寧辺の核施設1か所のみの廃棄に応じるかわりに「安保理制裁決議11件のうち2016~17年に採択された5件、そのうち民需経済と人民生活に支障をもたらす項目」に限って先行解除するという要求で、実質的に全面解除に近い効果を狙っている。最小限の譲歩で最大限の利得を引き出そうとする北朝鮮外交の常套手段に過ぎず、米国が求める「最終的かつ完全な非核化」とは程遠い提案だった。
金正恩氏も傷ついた
一方、物別れに終わったことで金正恩氏もメンツを失い、自らのイメージに深い傷を負ったことは否定できない。平壌から約65時間(約2日半)もかけて、後ろ盾と頼む中国にアピールしつつ専用列車でハノイ入りしたものの、何の成果も得られずに空しく帰国せざるを得なかった。首脳会談が合意なしに終わったことを北朝鮮の「労働新聞」が報じたのは、1週間以上過ぎた3月8日になってからだったことにも、北朝鮮側の落胆と失望がうかがえる。
とりわけ国連制裁が国民生活や経済全般に重くのしかかっている中では、金正恩氏が掲げる「先軍政治から経済発展へ」の切り替えは不可能に近い。制裁の解除に強く執着したのもそのためだろう。だが、寧辺廃棄だけで制裁解除を勝ち取るという最高権力者として自ら主導した「一点突破の賭け」があえなく失敗に終わったつじつまをどう合わせるのか。3回目の首脳会談が開かれるかどうかは全くの白紙の状態だ。また、南北首脳会談を通じてトランプ大統領と金正恩氏の関係を仲介し、制裁緩和に期待を募らせてきた韓国の文在寅大統領にとってもショックは大きいとみられる。今後、金正恩氏がどのような対米交渉戦略を練ってくるか、これにトランプ政権がどう対応するかが大きな焦点となる。
トランプ政権の対北朝鮮外交のかじ取りをめぐっては、強硬派のボルトン補佐官とトランプ氏の信任の厚いポンペオ国務長官の間で微妙な違いも指摘されてきた。今回の物別れをきっかけに、北朝鮮が主張する「行動対行動」(見返りを伴う段階的非核化)には応じず、「完全な非核化なしに制裁解除なし」という基本原則の再確認で一致したように見える。これを受けて、首脳会談前には一定の段階的措置を容認するかのような姿勢を示していたビーガン特別代表も「非核化を徐々に行っていくつもりはない」(11日、米政策研究機関での講演)と厳しい対応に切り替わった。今後、北朝鮮が新たな提案を投げてきた場合にも同じ基本原則を貫いていけるかが問われそうだ。
トランプ外交のリスク
日本政府はトランプ大統領が非核化で安直な妥協に陥らなかった点や日本人拉致問題に言及したとされることを評価しているものの、今回の結果に対する米国内の評価は厳しいものがある。例えば、ワシントン・ポスト紙は「ハノイ首脳会談の失敗はトランプ外交の基本的な弱点を露呈した」と社説で指摘し、「独裁者に対する根拠のない融和と自らの才に頼ったアドリブ的外交に走ったために、金正恩氏から受け入れ難い要求を突きつけられてしまった」と批判している[4]。北朝鮮の要求を拒否したのは良かったにしても、トランプ氏の誤算によって米朝関係は迷走し、核兵器や長距離弾道ミサイルの生産も止まったわけではない。また、北朝鮮に拘束されて帰国後に死亡した米国人学生の事件について、トランプ氏が記者会見の中で「彼が事件を知っていたとは思わない」と金正恩氏をかばうような発言をしたことに米国内で批判が高まっていることも見落とせない。
核とミサイルの増殖は止められるのか
トランプ氏によれば、金正恩氏は「核と長距離弾道ミサイルの実験停止は継続する」と改めて約束したという。昨年の第1回米朝首脳会談以来、実質的に守られているのはこの核・ミサイル実験の凍結だけだが、これは金正恩氏の判断でいつでも再開でき、口約束を超えた明確な取り決めとはいえない状況だ。
最大の問題は、核やミサイルの増殖に一切の歯止めがかかっていないことである。米スタンフォード大学国際安全保障協力センター(CISC)の報告によると、北朝鮮は2018年の1年間だけで核兵器5~7発分(約150キログラム)の濃縮ウランを生産したとみられる[5]。また、安保理制裁の履行状況を監視する北朝鮮制裁委員会の専門家パネルがまとめた年次報告書[6]によれば、寧辺の核施設やミサイル組み立て工場などを含む関連施設は現在も稼働中だという。
非核化プロセスが一向に進まない中で、着々と核・ミサイルの増産が続いている。こうした状況を反転させ、すみやかに非核化に向かわせるためにもトランプ政権は対北朝鮮戦略を立て直す必要があるだろう。
[1] 首脳会談終了後の記者会見。Remarks by President Trump in Press Conference, JW Marriott Hotel, Hanoi, Vietnam, Feb. 28, 2019 2:15 P.M. ICT
[2] David E. Sanger and Edward Wong, “How the Trump-Kim Summit Failed: Big Threats, Big Egos, Bad Bets,” The New York Times, March 2, 2019
https://www.nytimes.com/2019/03/02/world/asia/trump-kim-jong-un-summit.html
[3] 「北外相、未明の反論 求めたのは制裁一部解除」読売新聞朝刊2019年3月1日付<https://www.yomiuri.co.jp/world/20190301-OYT1T50128/>など。
[4] “The Hanoi summit failure exposes Trump’s weak diplomacy,” Editorial, The Washington Post, Feb.28, 2019.
[5] “North Korea may have made more nuclear bombs, but threat reduced: study,” Reuters, Feb. 12, 2019 2:14PM.
[6] 「北核計画そのまま存続 国連専門家パネル ミサイル施設分散確認」読売新聞朝刊3月13日付<https://www.yomiuri.co.jp/world/20190313-OYT1T50075/>など。