朝日新聞編集委員
山脇岳志
前回の論考でみたように、大統領選中、トランプ氏の極端な発言が度重なるにつれ、気質や精神状態は、専門家のみならず、多くの人々の関心事項となっていた。
そんな中、米アトランティック誌が2016年6月号に掲載した「The Mind of Donald Trump(ドナルド・トランプの精神)」は、興味深い長文の記事だった。心理学者で、ノースウェスタン大学教授のダン・マクアダムス氏が、著書などからトランプ氏のこれまでの人生を検証し、考察した論考だ[1]。
人間の性格は、大きく5つの因子によって特徴づけられる。①Extroversion(外向性)、②Neuroticism(神経症傾向)、③Conscientiousness(誠実性)、④Agreeableness(協調性)、⑤Openness(開放性)だが、トランプ氏の気質の特徴は、並外れて高い外向性(sky-high extroversion)と、ぶっちぎりに低い協調性(off-the-chart low agreeableness)のコンビネーションだという。
トランプ氏は演説などで、世界の危険性を繰り返し語り、容赦のない適者生存(Darwinian world)の原理を信じていることがうかがえる。「人生の物語」の出発点は幼少期の記憶だが、この点については、トランプ氏は不動産業を営む父から影響を受けたとマクアダムス氏はみる。
マクアダムス氏は、トランプ氏の高い外向性と低い協調性の背後には「怒り(anger)」の感情があるのではないかと推測する。「怒り」は敵意を煽り、他者から賞賛されたいという欲求をかき立て、社会的優位性への意欲を刺激し得る。トランプ氏の政治的レトリックは「怒り」に満ちており、ユーモアの才能と組み合わさった「怒り」が、トランプ氏のカリスマ性の核心にあるとみる。
マクアダムス氏のみるところ、トランプ氏の特徴は、最近の大統領であるオバマやブッシュ(子)に比べて、大統領としての「人生の物語」がないことだ。オバマ氏は、奴隷解放と人権擁護の道を開いた先人たちの継承者として、米国民が自由と平等、正義に向かって進歩していく長い歴史の壮大な物語の主人公として自らを位置づけていた。ブッシュ氏は、乱れきった生活から宗教によって立ち直るといった個人的な経験をもとに、「思いやりのある保守主義」によって米国社会に健全な価値観を取り戻せるという信念を持っていた。それぞれの「人生の物語」は、大統領になる動機や、大統領として成し遂げたいことと結びついていた。しかし、トランプ氏からは、ナルシシスト的な動機と「どんなことをしても勝つ」という個人的な物語以上のものは感じられず、大統領になって何をしたいかではなく、大統領選の勝利そのものが目的化していると分析した。[2]
行き過ぎたナルシシズム?憲法修正25条で「解任」運動
マクアダムス氏の記事は2016年の大統領選挙の前に出たものだが、2017年1月の大統領就任後は、トランプ氏の衝動性は、さらに強まったとの見方も出てきた。トランプ氏は、大統領就任式の観客数がオバマ前大統領の就任時より明らかに少なかったにもかかわらず、報道官に過去最大の人数と言わせ、大統領選でヒラリー・クリントン氏に総得票数で負けたのは、不法移民が数百万人もヒラリー氏に投票したためだと根拠のない主張を続けた。
臨床も行う精神分析医で、『The Dangerous Case of Donald Trump: 27 Psychiatrists and Mental Health Experts Assess a President』の筆者の一人でもあるジョン・ガートナー氏は、トランプ氏の行動を分析し、「加虐性、妄想性なども含まれる『悪性ナルシシズム』を持つ初の米国大統領で、極めて危険だ」と警鐘を鳴らした。
同氏が専門家を対象に、大統領の交代を求める署名活動を始めたところ、2週間で2万人以上、最終的には約7万人が署名した。ガートナー氏が使っている「悪性ナルシシズム」は、ナチスドイツから逃れて米国に移住した社会心理学者、エーリッヒ・フロムがヒトラーを説明するために導入し、精神科医・精神分析学者のオットー・カーンバーグが発展させた概念であり、自己愛性パーソナリティ障害、反社会的行動、妄想性、サディズムの混合からなる心理学的症候群を指す。
日本でもそのころ、トランプ氏が、パーソナリティ障害の一種である「サイコパス」であるとの脳科学者の見方が月刊誌に掲載されるなどしていた[3]。サイコパスというと、冷酷無慈悲な殺人者というようなイメージが浮かぶが、決して珍しい存在ではなく、ビジネスリーダーの25人に1人がサイコパスだという米国の研究もある。しばしば魅力的でカリスマ性があるが、平気で噓をつき、他人との共感性が乏しい。普通の人物だと心の痛みを感じる人員整理などのリストラも躊躇なくできるがゆえに、名経営者と持ち上げられるケースもあると言われている。また、「サイコパス」の類型にあたる人は、「自己愛性パーソナリティ障害」の類型の人と違い、ナルシシズムによっても苦痛を味わうことはないという。
ちなみに、類似の概念として「ソシオパス」という精神障害もあり、前回の論考で取り上げたドーズ氏はトランプ氏を「ソシオパシー(社会病質)」の特徴を強く持つ人物だと指摘している[4]。
ドーズ氏によれば、ソシオパシーの核心は共感性の欠如だという。罪悪感に欠け、他人を意図的に操り、個人的な権力や満足を得るために、他人をコントロールしたり、サディスティックに傷づけたりするといった特徴がある。また、ソシオパシーとサイコパシー(精神病質)は同義語として使われている場合もあるが、少し違う定義をする研究者もいる。ソシオパシーは、「悪性ナルシシズム」の重要な側面であり、「反社会性パーソナリティ障害」とほぼ同義語である。
トランプ氏の精神状況や、憲法修正第25条4項の発動をめぐっては、その後も議論が続いている。
ニューヨークタイムズは、2018年9月5日、匿名の政権幹部の論考を掲載した[5]。
その中で、幹部は「トランプ氏に任命された者の多くは、トランプ氏が政権から出ていくまで、彼の見当違いの衝動を防ぎながら、民主的な制度を維持するためにできることをやると心に誓った」「トランプ氏は会議で、話題が大きく変わり、脱線する。繰り返しわめくし、衝動的に物事を決めるため、生煮えで情報不足、時折無謀な決断をしてしまう」などと書いている。
憲法修正第25条の発動も政権内でささやかれたが、大統領の罷免へのプロセスは複雑で、憲政上の危機を引き起こすおそれがあるため、トランプ政権が終わるまで、政権内で正常化のために努力することにした、という趣旨のことも書かれている。
また、ニューヨークタイムズは2018年9月21日の記事で、ローゼンスタイン司法副長官が、トランプ大統領の発言を隠れて録音することを司法省の同僚に提案、大統領の職務が果たせないことを示して憲法修正第25条を適用できるとの考えを示唆していたとも伝えた。ローゼンスタイン氏は同紙に対して、そうした事実はないと否定したが、ロシア疑惑の捜査ともからみ、この騒動は大きなニュースとなった[6]。
ゴールドウォーター・ルールのジャーナリズムへの影響
前回の論考で紹介したゴールドウォーター・ルールの存在は、メディアにどのような影響を与えているのだろうか。ジャーナリストも、このルールの影響でトランプ大統領は精神的に問題があるという内容の記事を書きにくくなっているのだろうか?
ワシントンポストでメディアを担当するコラムニスト、マーガレット・サリバン氏は、2018年1月、興味深い記事を書いている[7]。ゴールドウォーター・ルールは米国精神医学会に所属する精神科医に適用されるものであり、ジャーナリストを拘束するものではない。それでもなお、ジャーナリスト達は、トランプ大統領について「精神障害だ」と推測・断定するような書き方には注意を払う必要があると考えていることを指摘している。
例えば、MSNBCのホストであるジョー・スカボロー氏がワシントンポストのコラムに「トランプ大統領は認知症の可能性がある」と書こうと2回試みたが、同紙の論説主幹であるフレッド・ハイアット氏は2回とも許可しなかった。
彼のレポートが具体的な医学的診断を示唆していること、特にその診断が非専門家かつ匿名の情報源によるものであることから、好ましくないと感じたという。トランプ氏が大統領職にふさわしいかどうかという大きな懸念にとって、そのような情報は不要だという判断だった。
ワシントンポスト編集主幹のマーティン・バロン氏は、大統領を実際に診察したこともなく、個人的に会ったことすらないのに、診断を提供する人々に信用を与えるような報道について、「非常に警戒している」と話す。また、前回取り上げた精神科医フランシスの論考(トランプ氏の精神の異常性を否定)についても認識していた。
ただ、バロン氏は、2018年1月に出版されたマイケル・ウォルフ氏の著書『Fire and Fury』(邦訳『炎と怒り トランプ政権の内幕』)により、状況は幾分変わったと考えている。トランプ大統領が自らこの件を俎上に載せたからである。『Fire and Fury』では、多くの人が大統領は精神的に不安定だと考えており、ホワイトハウスでは合衆国憲法修正第25条4項が話題になっていることが記されているが、同書の発売の翌日、トランプ大統領はツイッターで自らについて「非常に精神が安定している天才」だとコメント、大きな話題になった。
サリバン氏の記事は、ニューヨークタイムズ編集主幹のディーン・バケー氏も引用している。バケー氏は、自分が従うのはあくまでも「推測ではなく報道」の原則だと話す。大統領自身の衝動的な反応により問題は完全にオープンになったとはいえ、報道機関は、トランプ氏の言動や行動の直接観察と、定期的にトランプ氏とやりとりをする人々との会話に焦点を当て、描写することによって伝える形式の報道にこだわる必要があると考えているという。
トランプ氏はナルシシストであるとはいえ正常の範囲なのか、何らかの精神・パーソナリティ障害とみなすべきなのか、その結論は出ていない。トランプ氏は専門家に対して、直接の診断を依頼しないであろうから、その結論は永遠に出ないだろう。
その状況下での全体の傾向としては、オンラインメディアや雑誌、新聞でも、筆者の主観を出すコラムでは、トランプ氏に精神障害があるという論考が載ることもあったが、伝統的な新聞のニュース記事の中では、概して慎重に対応しているといえる。
実際に診断しない限り、専門的な判断はできない、という米国精神医学会の精神は、健全なジャーナリズムの精神とも一致する。特異な言動はファクトとして書きつつも、それが精神障害によるものかどうかまでは踏み込まないという態度は理解できる。
事実と意見が混在しているような現在のメディア環境では、メディア自身が事実と意見を厳密に分離して報道することの重要性は増しているともいえるだろう。
[1] Dan P. McAdams, “The Mind of Donald Trump,” The Atlantic (June 2016), https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2016/06/the-mind-of-donald-trump/480771/
[2] マクアダムス氏のインタビュー含め、より詳しくは前嶋和弘・山脇岳志・津山恵子編著『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社、2019年)p174-185参照。
[3] 中野信子「トランプはサイコパスである」月刊文芸春秋2017年3月号
[4] Lance Dodes, “Sociopathy” in ”The Dangerous Case of Donald Trump,” pp.83-92
[5] “I am part of the resistance inside the Trump Administration,” an anonymous Op-Ed essay, The New York Times, September 5, 2018, https://www.nytimes.com/2018/09/05/opinion/trump-white-house-anonymous-resistance.html
[6] Adam Goldman and Michael S. Schmidt, “Rod Rosenstein suggested secretly recording Trump and discussed 25th Amendment,” The New York Times, September 21, 2018, https://www.nytimes.com/2018/09/21/us/politics/rod-rosenstein-wear-wire-25th-amendment.html
[7] Margaret Sullivan, “‘We’re not doctors’: The perils for journalists in assessing Trump’s mental health,” The Washington Post, January 9, 2018, https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/were-not-doctors-the-perils-for-journalists-in-assessing-trumps-mental-health/2018/01/09/6e5d9fc0-f540-11e7-beb6-c8d48830c54d_story.html?utm_term=.55fc2992b7cb
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