評者:村井 哲也(明治大学法学部非常勤講師)
検証ブームにとどまらぬ普遍命題
戦後日本の研究や論壇は、「敗戦の検証」を1つの原動力に発展してきた。その代表作は、旧日本軍の過ちを検証することで数々の教訓を引き出した名著『失敗の本質』(ダイヤモンド社、1984年)であろう。それが近年の日本では、政治・外交・経済の各分野で「第2の敗戦」を遂げたとされ、失敗の検証は再ブームの渦中にある。
しかし、失敗の検証は歴史の後付けやご都合主義の教訓と隣り合わせにある。とりわけ、ブーム本にはまがい物も多い。バブル崩壊後に「失敗と実験の連続」(297頁)を遂げたという平成30年の金融史を検証する本書『平成金融史』は、なぜこの陥穽から免れ得たのか。
それは、ジャーナリストとして長く金融政策の現場を取材してきた著者が、未公開資料を含む徹底した情報収集とキーパーソンの証言を丹念に積み重ねてきたからである。その積み重ねがあればこそ、いつの世でもどの国でもみられる普遍命題が凝縮され滴り落ちてくる。これが、後付けやご都合主義との決定的な違いに他ならない。
本書評は、政治史の専門の立場から、本書の主役となる金融当局が、激しく変化する平成の30年間に、政治権力とその背後に控える世論とどのように対峙してきたかに焦点を当てていく。したがって、金融政策の詳細やその当否などは他の書評に任せ、ここから滴り落ちてくる普遍命題を探ることとする。
本書の構成と目次
本書は、バブル崩壊後の迷走を暗示させるプロローグに始まり、平成の30年を第1章から第4章まで時系列で辿る構成となっている。エピローグでは、現在進行形のアベノミクスによる異次元緩和への警鐘を交えて今後の展望を描いている。目次は以下の通り。
プロローグ(3-11頁)
第1章 危機のとばくち(13-81頁)
第2章 金融危機、襲来(83-156頁)
第3章 二波、そして三波(157-233頁)
第4章 脱デフレの果てなき道(235-289頁)
エピローグ(291-296頁)
第1章 危機のとばくち―バブル崩壊と大いなる先送り
第1章は、バブル崩壊から問題の先送りを重ねた1990年からの7年を描く。
1992年8月、金融機関の不良債権は40数兆円に上るという日本銀行(日銀)の極秘調査が大蔵省銀行局(現財務省銀行局)に伝えられた。だが、金融当局はバブル崩壊に楽観的な認識を持ち続けた。それを物語るのは、銀行局が行った1927年の昭和金融恐慌に関するリサーチである。歴史の教訓は、金融連鎖破綻への深刻な危機意識を伴わなかったからだ(26-28頁)。
教訓は、公的資金注入を銀行救済と反発しかねない議会や世論への小手先の処方箋へと変貌した。これが、宮澤喜一首相の公的資金注入論へのブレーキとなり、最初の関門であった住宅金融専門会社(住専)と兵庫銀行の不良債権処理の先送りに繋がっていく。
結局、1995年12月の住専7社の損失処理は、政治力をバックにした農林系金融機関の救済を目的として僅か6850億円の公的資金注入で決着した。その結果、大蔵省の護送船団行政は綻びはじめ、金融不祥事も重なり世論の厳しい批判を浴びてしまう。
この過程では、重要な予兆もみられる。後に副総裁としてアベノミクスを支える岩田規久男による日銀批判と量的緩和論(57-59頁)、細川護熙非自民連立政権への「加担」への怨恨も相まって自民党から出された財政と金融の分離(「財金分離」)による大蔵省解体論(80-81頁)である。ここから金融当局は、これらの予兆が現実のものとなっていく事態に晒されていく。
第2章 金融危機、襲来―拓銀・山一、連鎖破綻の衝撃
第2章では、金融危機から公的資金注入がようやく決断された1996年からの3年を扱う。
1996年11月、橋本龍太郎政権は「フリー、フェア、グローバル」を標榜した金融ビッグバンに乗り出した。財金分離の解体論から目を逸らせるべく大蔵省はその推進に身を投じるが、そのぶん性急な改革の副作用を十分に検討する気運はかき消されてしまう。だが、獰猛なグローバル市場は護送船団行政への決別を迫りはじめた。
日本の金融行政に疑念を抱く欧米市場は邦銀に上乗せ金利のジャパン・プレミアムを課し、1997年7月のアジア通貨危機の勃発で連鎖破綻は本格化する。北海道拓殖銀行に続いて山一証券が破綻し、全国での取り付け騒ぎが連鎖する「11.26事件」まで発生した。
象徴的なのは、大蔵省証券局による経済合理性を欠く三洋証券の合併救済構想を野村証券が冷淡に突き放す場面である。業界の盟主として重んじてきた「義理人情」は、グローバル時代には足枷でしかない(111-112頁)。護送船団行政の限界が露わになると、1997年12月、宮澤の主導で30兆円の公的資金注入が決定した。最初の構想から5年後のことである。
不良債権総額は76.7兆円に膨張した。接待汚職まで発覚した大蔵省は信用が失墜し、橋本行革のあおりで1998年6月に金融監督庁の発足を皮切りに財金分離に直面する。その直前には、独立性を高める改正日銀法が施行されていた。大蔵省に代わり主役となった日銀は、ここからグローバル市場の「正論」を掲げはじめていく(116-117頁)。
第3章 二波、そして三波―迷走する長銀処理、竹中プランの出現
第3章では、不良債権処理から量的緩和と竹中プランが登場した1998年からの8年を扱う。
1998年10月、日本長期信用銀行の経営破綻(長銀破綻)の衝撃が走った。「軟着陸」を目指す小渕恵三政権と大蔵省の反対を押し切り採用されたのは、金融監督庁による「硬着陸」の破綻処理であった。名実ともに金融行政は大蔵省から独立したのである(172-178頁)。この「硬着陸」路線は、より厳格な基準による第二次公的資金注入の決定へと繋がり、その総額は7.5兆円に及んだ。
それでもグローバル市場は容赦ない。国債下落・円高ドル安・株価下落の三重苦が訪れて、デフレ不況の気配は濃厚となる。その批判の矛先は、独立性を高めた金融監督庁と日銀へと向かった。特に1999年3月に苦肉の策で「ゼロ金利」を導入した日銀は、さらなる金融緩和に抵抗する「伝統」路線ゆえに政治圧力との攻防に巻き込まれていく。
日銀は、頑なに「ゼロ金利」の解除を目指しており、2000年8月に解除を決定した。だが、その結果として、景気後退がもたらされ、日銀は政治圧力の突破口をつくってしまう。僅か半年での「ゼロ金利」への復帰と量的緩和が余儀なくされ、リフレ派と竹中平蔵の台頭がもたらされた。それを決定づけたのが、小泉純一郎政権の改革路線の下で抜本的な不良債権処理を打ち出した竹中プランである。
厳格な資産査定の導入やりそな銀行への2兆円の公的資金注入を契機に、2004年までの処理総額が112兆円に上るほど長きにわたった不良債権問題はついに峠を越した。だが、竹中プランの核心は政策の当否だけではない。呼称が変わった財務省も金融庁も、そして日銀も「政治のリーダーシップ」を否応なく見せつけられたのであった(232-233頁)。
第4章 脱デフレの果てなき道―リーマン危機から「異次元緩和」へ
第4章は、リーマン危機と円高デフレで異次元緩和に突入した2005年からの14年を描く。
郵政総選挙後の日銀は、再び金融緩和とゼロ金利を解除する「王道」を模索した。この頑なさに反発して「アベノミクス」を構想しはじめたのが、当時は官房長官であった安倍晋三である。そこに2008年9月、世界経済をリーマン危機が覆う。
民主党政権の登場と東日本大震災の発生を経て、日本経済には深刻な円高デフレが進行した。日銀は頻繁に金融緩和を打ち出すものの、「小さすぎて遅すぎる」と批判する「時代の空気」が生まれ、2012年12月には安倍復権によるアベノミクスに直面する。時に日銀法改正をチラつかせながらの、「無制限な金融緩和によるデフレ脱却」である。
政府・日銀による2013年1月の共同声明への攻防は生々しい。日銀は2%の物価目標を呑む一方で「政府の役割」も明記させ痛み分けに持ち込んだが、金融政策における安倍首相の主導権は明らかとなった(266-271頁)。3月には、総裁人事によって日銀は「伝統」を覆す異次元緩和の「黒田バズーカ」に見舞われる。
円安・株高の演出に市場も政治も色めき立つが、それは財政健全や構造改革を置き去りにしてしまう。次第にアベノミクスの限界が訪れ、2016年1月にはマイナス金利まで導入された。2018年9月には異次元緩和で保有国債が469兆円に達するなか、財務省に代わり政治圧力の標的となって弥縫策に奔走する日銀の自問自答は続く(287-288頁)。
エピローグ 安倍から黒田へ、新たな「指示」
最後に、アベノミクスへの懸念と今後の展望が語られる。
2018年4の黒田東彦総裁の再任は、既に6回も先送りされた2%の物価目標に「出口」不要という安倍官邸からの暗黙のメッセージであった。その達成時期も、公式文書から削除される。金融緩和を続ける現状は、「政権にとって居心地がいい」からである(294頁)。
日銀の異次元緩和に下支えされた「官製相場」は、危険を孕みつつ現在も進行している。
本書の評価:平成史の全体理解への貢献
これほどの濃密な内容がスリリングな筆致で進められる本書は、言うまでもなく必読の書である。金融史という専門的なテーマながら、盛り込まれる生々しいエピソードと人間臭いドラマで一般読者を惹きつける魅力がある。
なにより平成史全体への貢献は見逃せない。平成時代が幕を閉じ、その歴史的な総括は政治・外交・経済の各分野で進みつつある。特に経済の分野では、財政史の知見としては既に清水真人の『財務省と政治』(中公新書、2015年)という名著がある。こちらの書評も併せて参照されたい。
その専門性の高さから、金融史は平成史で埋められていなかった最後の重要なピースであった。現在進行形でもあるその30年間を、本書は見事に描き切った。これにより、政治権力と金融当局との関係、グローバル市場に晒される金融政策、これらの背後にある世論の行方など、各分野との立体的な視点が可能となり平成史の全体理解は格段に深まった。
惜しむらくは、本書の骨格が分かりにくいことである。案内板なきままプロローグから道のりがはじまり、最後になって平成金融は4つのフェーズに分類できると示しているが(297頁)、4つの章立てはこれと年数が微妙にズレている。一般読者を想定する新書なら、情報の洪水から読者の迷子を救うべく、もう少し親切さがあってもよかったのではないか。
本書の論点:民主主義の宿命という普遍命題
日銀の独立性が政治権力から脅かされていく生々しい場面は、本書の最大の見どころかもしれない。しかし、著者は世間でも注目を集める日銀の独立性をめぐる議論への見解をほとんど示さない。著者には、この議論よりも描くべきことがあるとの自負があるのだろう。ここでは最後に、本書から滴り落ちる普遍命題を論じることで著者の意図を探ってみたい。
著者は「あとがき」で、さりげなく示唆に富む指摘をしている。金融当局は、バブル発生でもバブル崩壊でも認識が遅れて事態を悪化させてきた。だが、早めに認識したとして、果たして公的資金注入は断行できていたかは疑問である。最も重要な局面で、金融当局は国民世論の信用を失ってきたからである。
ここで著者は問う。説明責任や情報公開を果たして、国民世論の理解と統治機構への信頼を得ることこそが今後の金融行政の鍵なのではないか、と。これまで金融当局は、政治圧力や世論の反発を過剰に恐れ、無理筋な弥縫策を繰り返して失敗してきた(299-300頁)。
もっとも、説明責任や情報公開を果たすことは、口で言うほど簡単ではない。そもそも金融政策は、外交政策にも似て高度な専門性と慎重な機密保持が求められる領域である。素人の意見に振り回されてはならないし、全てを説明して全てを公開できるわけでもない。
その難しさは、かつての護送船団行政には戻れない財務省にしても、よりダイレクトにグローバル市場と接しなければならない日銀と金融庁にしても同じであろう。
それでも、金融当局は政治圧力と国民世論と対峙していく宿命にある。元日銀総裁の白川方明が回顧するように、金融政策は「民主主義社会がもたらす宿命的な傾向」を避けられないからである(301-302頁)。専門領域と民主主義をめぐる矛盾。いつの世でもどの国でもみられるこの普遍課題を、著者は読者に問題提起しているのである。
問題提起は、現在進行形の政治権力にも向けられる。本書が大蔵官僚の言葉を引用しながら示唆するように、「ぬるま湯」のときこそ次の危機の芽は育つ。その意味で、現在のアベノミクスはバブル経済と同じく「ぬるま湯」の危うさを抱えている。
盤石にみえる安倍一強であるが、その唯一のアキレス腱は、行政文書や統計データに対する説明責任や情報開示を蔑ろにしていることにある。「居心地のいい」「ぬるま湯」が長く続くことの副作用に他ならない。そのまま迎えた令和の時代に、政治権力が最も陥りやすいこの普遍課題を問題提起しているのもまた、著者の明確な意図なのかもしれない。