高村学人
立命館大学政策科学部教授
1. はじめに
2018年5月28日掲載の前回論考では、所有者不明土地問題の背後にある「アンチ・コモンズの悲劇」に目を向けることの重要性を論じ、一つの土地に多数の共有者が生じてしまった状態を多数共有者型アンチ・コモンズと命名し、この悲劇解決のための方策を提示した。
今回は、これと対をなす零細分散錯圃(さくほ)型アンチ・コモンズについて論じる。これは、一つの土地の所有者は一人であるけれども、一人の所有者が所有する土地が細かく分散して多数存在し、他の所有者の土地と錯綜している状態を指す。この状態は日本の農山村の土地の所有構造の特徴であり、効率的な土地利用を難しくする要因となってきた。今日も境界確定の難しさや利用の困難さをもたらし、所有者不明土地問題の遠因ともなっている。本論考では、これがどのような構造を持っており、どうして生じたのかを考察することを通じ、今後の解決策を導くこととしたい。
2. 日本の農地・森林の所有構造の特徴
アメリカの法学者マイケル・ヘラーは、一つのまとまりのある資源に対して多数の権利者が生じてしまうと、その資源の利用を望ましい方向に変えようとする際に多数の者から全員一致の合意を得る必要が生じ、その困難さから資源の利用や管理が放置され、荒廃を生んでしまう社会的ジレンマをアンチ・コモンズの悲劇と呼んだ[1]。
ヘラーはこのアンチ・コモンズを、法的アンチ・コモンズと空間的アンチ・コモンズとに分類した。法的アンチ・コモンズは、一つの物・土地に沢山の所有権者が生じてしまった状態を、空間的アンチ・コモンズは、一つのまとまりとして機能すべき空間において土地が細かく分割されてしまったため、望ましい機能が発揮できない状態を指す。
ヘラーが念頭においたのはアメリカの都市部で、アクセスが良いエリアであるものの、極度に細分化した宅地割を行ってしまったため、密集地域となっている場所である。この地域の住環境を向上させるためには、土地を再統合して中層の集合住宅と緑豊かなコモンを供給することが望ましいが、この計画に一所有者でも反対すれば、それを実現することは難しい。このような地域は、インナーシティと呼ばれ、アメリカの大都市の多くに存在する。
ヘラーの空間的アンチ・コモンズでは、図1のように一所有者が小さい一区画を持っていることが想定されている。これに対して日本の農山村では、図2のように一軒の農家が零細な耕地や林地をあちこちに散在させながら多数持っている。この状態でも、鍬や鋤を用いて自ら耕作し、木を牛や馬に載せて運び出していた時代においてはさほど問題とならなかった。しかし、機械を用いて農作業を行う場合、農地がまとまっていないと効率性が向上しない。また森林で定期的に間伐を行い、間伐材を機械で運び出すには、林道や作業道の整備が不可欠となる。道を通すには、それが通る土地所有者全ての合意が必要となるが、それが難しいため望ましい道をつけることができず、管理が困難となっている森林が多い(図3)。このように分散・錯綜した零細な土地は、土地ではなく、地片とも呼ばれてきた。
図1 ヘラーの空間的アンチ・コモンズの概念図 図2 零細分散錯圃型アンチ・コモンズの概念図
図3 実際の山林所有の例
出典 A森林組合にて筆者撮影
*マーカーの色毎に所有者が異なる。作業道設置にも沢山の所有者の合意が必要
3. 零細分散錯圃の現状
この零細分散錯圃の状況が実際にどのようであるか、その現状はあまりわかっていない。全ての農家・林家に対して行われる全数調査「農林業センサス」が5年毎に行われているものの、農地と山林のいずれについても所有している総面積を尋ねる形となっているため、各農家・林家が何筆の土地を持っているかを伝えるものとはならない。土地の筆数に注目した研究は、都市部についても見つけることは難しい。
管見の限りでは、本ウェブサイトにも論考を執筆した飯國芳明らの『土地所有権の空洞化』(2018年)の研究[2]が唯一の手懸かりとなる。そこでは、地籍情報に基づき、現在、63世帯、人口122名となっている高知県大豊町のA集落の地目毎の筆数と平均面積が分析され、表1の数字となることが示されている。
表1 高知県大豊町A集落(63戸)の地目安の筆数と平均面積(2013年)
出典 飯国・程・金・松本(2018:34)
単純に現世帯数で割算すれば、一世帯あたり90筆以上の土地を持つことになるが、現実はもっと複雑である。A集落に土地を持つ個人の総計は459人であり、その多くは村外にいる。こういった所有者と連絡がつきにくくなっている所有者の不明化も問題であるが、そもそも一世帯あたりで持っている地片の数が多く、零細分散錯圃していることも問題であろう。日本では、所有面積規模の大きい林家でも、その多くは一山をまとまって持っているのではなく、無数の地片を分散して所有する構造を持つため、林業経営を積極的に行うことが難しいとされてきた。
筆者が調査を行っている京都府南丹市の美山町では、標準的な農家でも山林を20カ所以上に分かれてもっているため、どこに山林を持っているかを相続人となる子達に伝えるために一緒に山を歩いても、数の多さに驚かれ、記憶してもらうことが難しかったという話を聞いた。
4. どうして生じたのか――近世の割地・割山慣行
どうして零細分散錯圃型の所有構造が生じてしまったのだろうか。これに定説はないが、筆者は江戸時代の割地・割山慣行にその歴史的起源を求めることができると考えている。
太閤検地により検地帳に記載された耕作地は、耕作条件が良い土地であり、高い年貢と引き換えに年貢を支払う高持百姓に所持が認められた。他方で、洪水等の災害リスクが高く、条件の悪い土地は、検地帳に記載されず、引地ないし割地と呼ばれ、村落に帰属した。しかし、この割地の利用は個別に行われ、村人毎に割り当てた。このような土地は、場所により災害リスクや耕作条件が大きく異なるため、村は条件の良さを基準に耕地をグループ化し(最も良い条件の耕地はグループA、その次に良い条件の耕地はグループB……というように)、グループ化された土地を世帯数で分け、世帯ごとに籤を引かせて割り当てた。10年に1回など定期的に籤を引き直す割替を行うことで、耕作条件の平等化もはかられた。これが割地慣行であり、各世帯には小規模な土地が分散的に割り当てられた。山林についても割山という形で同様の仕組みが取られた。
近世から明治に入り、近代的な土地所有権制度が導入されると、割地・割山慣行は認められず、登記制度にあわせるために、最後に割替られた状態を各自の私有地として分筆登記する形が一つの手段として取られた。そうなると、以後、割替を行うことは難しくなり、その状態が固定化する。これが各世帯があちこちに山林や農地を沢山所有することになる零細分散錯圃型アンチ・コモンズの歴史的起源である。ただし、既に近世の段階で割替が行われなかった所も多いため、形成の要因や時期は、近代的土地所有権制度導入に限られない。
また、明治期以降に行われた共有林野の分割事例を探っていくと、図4、5のような機械的均等割型アンチ・コモンズと命名できるものもある。これは、江戸時代の慣行に由来する共有林野「入会(いりあい)」が集落の世帯数で機械的に均等分割されたために生じた。分割の理由は、良い形での共同利用が望めなくなったという理由もあれば、この入会の権利を集落名で登記することが困難だったため、権利保全のために便宜的に分割し、各世帯の私有地として登記せざるをえなかったという理由もあった。
近世の割地・割山には活発な利用が伴ったのに対して、近代以降の機械的分割は、上記の消極的な理由で図面にのみ基づいて分割されたため、現実の地形に対応していないという特徴もある。林業現場では、このように機械的に分割された細長い土地は短冊型と呼ばれ、境界確定が困難なことともあわさり、施業困難地と位置づけられている。
図4 入会共有林野の機械的分割の例
出典 藤岡編(1966)[3]
図5 機械的分割による短冊状林地の例
出典 静岡県森林GIS A市地図
5. どうすべきか――農地法からの示唆
それでは、どうすべきか。ここでは、農地法の仕組や経験から示唆を求めることにしたい。
一軒の農家が零細に分散した耕地を耕しているため生産性が低い状態にある、という問題意識は明治初期から存在し、民法施行の翌年に耕地整理法が制定されている。この法律が目指したのは、水利施設の整備とあわせて零細分散した土地を所有者間で交換させることで各所有者が耕す区画の規模を拡大させることであった。この目的を実施するために耕地整理組合が地域毎に結成されていくが、組合結成は土地所有者の3分の2以上の賛成があれば可とされ、整理事業に反対の者も参加せねばならない強制組合という性質を持った。また土地の交換は、換地処分という行政処分で実施されたため、所有者の全員一致が得られない場合でも所有権の交換を実施することができた。戦後も土地改良区という形でこのスキームが継承され、農業の機械化の進展に対応した一区画あたりの面積規模の拡大が目指されてきた。
土地改良区では、補助金による施設整備が中心となり、理想的な土地交換は期待されたほど行われていないという評価もあるが、本ウェブサイトの安藤光義の論考にもあるように、所有者不明や共有者多数となっている土地にも対処しながら事業実施を行ってきた経験の蓄積がある。
また、興味深いのは、この制度が機能する歴史的経路である。耕地整理法がモデルとしたのは、石川式とも呼ばれる、石川県安原村での田区改正である。加賀藩では、先に述べた割地が盛んに行われており、土地交換を行った安原村の人々も、土地交換は割地慣行の延長として理解していたとされる[4]。新潟県西蒲原郡で戦後に行われた土地改良事業を分析する研究も割地慣行との連続性を見出している[5]。割地慣行は、零細分散錯圃を生み出した歴史的要因でもあったが、かつて地域単位で柔軟に割替を行ってきたという共通意識が、その後に作られた制度の実効性を隠れて支える基盤ともなっていた点が興味深い。
6. 経験的研究にとっての課題
村の共同所有に属していた土地を分割し、個人に私的所有権を与えるのは、所有権者にその土地を効率的に利用しようとするインセンティブを与え、利用向上をもたらすものと考えられてきた。しかし、土地があまりにも細かく分割され、それが錯綜してしまうと利用が困難となる。ヘラーの貢献は、所有権が細かくなりすぎた状態は、通常の私有と区別される異常、アンチ・コモンズとして独自に分類すべきことを提唱した点にある。
われわれは、この分類を日本の問題状況に即して発展させ、どうしてそのような状況が生まれ、どのような問題を生じさせているかを分析していく必要がある。本稿では、零細分散錯圃型アンチ・コモンズという分類を提示したが、仮説の域を出るものではない。具体的なフィールドで地理空間情報システム(Geographical Information System)を用いてアンチ・コモンズの所有状態が土地利用にどのような影響を与えているかを分析する実証研究の進展が望まれる。農林業センサスや住宅・土地統計の調査の方法も総面積だけでなく、何カ所に持っているかを尋ねる形としていくことが望まれる。
7. 法学にとっての課題
近世でも、入会共有林の利用増進を目論んでの個別分割はよく行われた。しかし、その後、細かく分割しすぎたために利用しにくい結果が生じた場合、共有地に再統合することもよく行われたとされる[6]。近世では、口頭で皆が合意すれば、再統合が簡単に可能となったかもしれない。現代で再統合を行うには、合意形成以外の手続コストも大きい。
民法上の共有の場合、分割は一共有者の意思で分割請求権を行使してできるため容易であるが、再統合は二当事者以上の意思の合致が必要であり簡単にはいかない。かつての森林法は、林業経営の安定化をはかるため、共有林につき合意に基づかない分割請求権の行使を禁じていた。しかし、この禁止は、1984年の森林法判決により財産権の自由を制約するものとして違憲とされ、その後、分割を制約する立法を困難なものとした。土地が今後さらに分割されていくと利用はますます困難になる。この違憲判決を再読し、どのような目的や方法であれば分割禁止が正当化されうるかを法学でも考えていく必要がある。
[1] マイケル・ヘラー著、山形浩生・森本正史訳『グリッドロック経済――多すぎる所有権が市場をつぶす』 亜紀書房、2018年。
[2] 飯國芳明・程明修・金泰坤・松本充郎編『土地所有権の空洞化――東アジアからの人口論的展望』ナカニシヤ出版、2018年。
[3] 藤岡謙二郎編『岬半島の人文地理 : 愛媛県佐田岬半島学術調査報告』大明堂、1966年、202頁。
[4] 簗瀬範彦「土地区画整理の制度形成に関する史的考察」『土木学会論文集D2(土木史) 』70巻1号、2014年、53-65頁。
[5] 山田祐紀「圃場整備にみる村落社会の論理――新潟県西蒲原郡の割地慣行実施村落を対象として」『村落社会研究ジャーナル』24巻1号、2017年、13-24頁。
[6] 山口隆治『加賀藩の入会林野』桂新書、2008年。
高村学人(たかむら がくと)
1973年石川県生まれ。1995年早稲田大学法学部卒業、1997年早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、博士(法学)。東京大学社会科学研究所助手、東京都立大学助教授、立命館大学准教授を経て2013年から現職。専門は法社会学。本論考に関連する論文として、高村学人「所有者不明土地問題を問い直す――アンチ・コモンズ論からの問題再定義」『土地総合研究』26巻4号、2018年、72-90頁。
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