上席研究員、東京大学教授
久保文明
2016年半ば、共和党内の大統領候補指名争いでトランプ氏の指名がほぼ確実になりつつあった。そのころ多くの共和党議員は、トランプ氏の大統領としての能力や適格性に疑問を感じながらも、就任すれば「大統領らしくまともになる」と自らを言い聞かせて、同氏支持になびいた。トランプ氏に投票した多くの浮動層も同様だろう。
だが1年たった今、そうした期待はほぼ完全に裏切られた。トランプ大統領の発言は就任後も特に変化はなく、その多くは依然として前例がないほど品位に欠け、衝動的だ。
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トランプ大統領の1年目は何よりも低支持率で特徴づけられる。16年11月の選挙での得票率は46%だったが、大統領としての支持率は45%という低水準から始まり、現在39%まで低下している(ギャラップ世論調査)。初期に低支持率で悩まされたビル・クリントン大統領(1992年選挙での得票率は43%)のパターンに似ているかもしれないが、いずれも最近のどの大統領の支持率よりも低い。
成果がないわけでなない。内政と密接な関係を持つ政策に限っても、環太平洋経済連携協定(TPP)離脱、ニール・ゴーサッチ氏の連邦最高裁判事承認、地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」離脱表明、連邦法人税を中心とした減税などだ。
一方、挫折としては連邦裁判所によるイスラム圏からの入国禁止令の執行差し止め、医療保険制度改革法(オバマケア)代替法案の不成立などだろう。立法的な成果は少ないが、ゴーサッチ氏承認と減税は質的に極めて重要だ。
興味深い点は乏しい成果と多数の失言にもかかわらず、トランプ大統領の支持率が意外に落ちていないことだ。
一つの理由は大統領支持の党派性だ。支持率は民主党支持者ではわずか9%に対し、共和党支持者では82%に達する。共和党支持者保守派では85%、毎週教会に行く人々(信仰心の強い人々)では55%にのぼる(ギャラップ調査)。
二大政党支持者を含むインテリ層や主流メディアからみると、トランプ大統領の発言、特にツイートは下品なだけでなく多数の虚偽を含んでおり、非常に耐え難いものだ。
トランプ大統領に対して否定的態度をとる国民がいる一方、米国政治のエスタブリッシュメント(支配階級)に抵抗し、異なったスタイルと基準で統治するトランプ氏に拍手喝采を送る人々もいる。これは民主党対共和党、リベラル対保守といった最近の分極化の結果のみならず、エリート・エスタブリッシュメント対ポピュリストという異質な軸を中心とした対立でもある。
支持者からすればトランプ氏は、部下による振り付けに従って無味乾燥な政界用語を語る通常の政治家とは違い、自分の党を含めて主流の政治家、評論家、ジャーナリストを敵に回して、率直に自らの心情を語る政治家と位置付けられる。トランプ氏が大統領選に勝利したことで留飲を下げた人々の多くは、トランプ氏がホワイトハウスにいるだけで満足していると思われる。
調査会社モーニング・コンサルタントと政治情報サイト「ポリティコ」の世論調査によれば、トランプ氏に投票した人の82%、ヒラリー・クリントン氏に投票した人の78%が1年たった後でも同じ候補者に投票すると答えている。またロイター通信と調査会社イプソスの調査では、トランプ大統領の支持率は、16年に実際に投票した人の中では44%と、一般の回答者(棄権者も含む)の37%より相当高い。
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11月に実施される中間選挙は、トランプ政権の命運を左右する選挙となる。中間選挙では与党が議席を減らすことが普通だ。その例外は、下院では20世紀初頭以降、3回だけである。
トランプ大統領の低支持率を反映して、中間選挙投票に向けての政党支持率は民主党が56%、共和党が38%となっている(CNN世論調査)。共和党が上下両院で多数党の座を失う可能性は小さくない。
最近では10年の中間選挙では民主党が下院で、06年には共和党が上下両院で、与党として大敗を喫し、多数党の座を明け渡している。それらを含む中間選挙投票日の約1年前の世論調査と比較しても、今回民主党が得ている優位(18%の支持率差)は比較にならないほど大きい。
ただし以下の留保が必要である。上院は34の改選議席のうち民主党の議席が26で、しかもそのうち10議席は16年大統領選でトランプ氏がクリントン氏に勝利した州の現職議員だ。民主党は上院での逆転について必ずしも楽観できない。下院でも現職の再選率が90%を超えることがほとんどで、通常は議席数の変動は小幅にとどまることが多い。とはいえ今年は通常でない数字が出ており、相当大きな変動が起きる可能性がある。
昨年末に成立した税制改革法が一定の景気浮揚効果を持つことは明らかだろう。長期にわたる景気拡大も続き、失業率も4.1%まで下がっている。この状態が今年11月まで続く可能性は十分ある。経済はトランプ大統領にとって最良の友人かしれない。
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大統領としての適性の有無は、通常は現職大統領に対して頻繁に議論される問題ではない。だが異例なことに、トランプ大統領に関しては就任早々から弾劾の可能性が指摘されてきた。今後の展開は、何よりモラー特別検察官の下で進められている大統領周辺とロシアとの不透明な関係を巡る疑惑「ロシアゲート」捜査の結果によるだろう。
しかしそれだけではない。トランプ大統領の発言の異様さ、政策の理解と精神的安定の欠如、政敵を罵倒する際に示される異様な攻撃性、核兵器に言及する際の軽率さなども指摘されている。政治家の発言の真偽を評価するサイト「ポリティファクト」によると、トランプ大統領の発言は、21%がほぼ虚偽、34%が虚偽、そして15%が真っ赤なウソと分類されている。
トランプ氏は、大統領は司法省に対して自身に対する捜査を中止するように命令する絶対的権利を持つと断言した。また昨年には、米ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)に対して税制上の優遇措置を見直すと脅した。さらに米NBCテレビに対しては放送免許の撤回を示唆したり、ハリケーンで被災した自治領プエルトリコには政府の支援要員を引き揚げると脅したりした。こうした手法も前代未聞だ。
大統領として不適任との議論が就任わずか1年で広がったことは否定し難い。大統領職の道徳的権威と信頼性を崩壊させたとの意見は多い。クリントン、オバマ両政権のホワイトハウス経験者は「トランプ・ドクトリンなどない。トランプ・プランもない。トランプ主義もない。あるのはトランプのみだ」と語った。
ただし一般論としては、議院内閣制の不信任と異なり、大統領解任には下院での過半数での弾劾決議の可決に続いて、上院での3分の2の特別多数での有罪判決が必要だ。今年の中間選挙で民主党が躍進したとしても、依然として大統領解任は容易ではない。
ここまで至らなくとも、下院で弾劾決議が可決され、弾劾裁判が開かれる可能性は否定できない。そうなると少なくとも数カ月にわたり米国政治は機能不全に陥るだろう。これは世界の安全保障、秩序、そして経済と市場にとって大きなリスク要因となる。
2018年1月16日付『日経新聞』「経済教室」より転載