1996年のアメリカの福祉国家再編
今日のアメリカの社会福祉政策(公的扶助政策)は、1996年にビル・クリントン政権の下で再編された福祉国家の在り方を基礎としている。
1970年代以降の経済成長の終焉に伴い、ニューディール以降の公的扶助の中核的プログラムだった要扶養児童家庭援助AFDCプログラムは、労働することが身体的にも精神的にも可能であるにもかかわらず、勤労倫理に欠けた人が生活の手段として活用していると批判されるようになった。そのような批判を受けて実現した1996年の改革により、AFDCを含む社会保障法が廃止され、一時的貧困家庭扶助TANFプログラムを含む個人責任・就労機会調停法PRWORAが制定された。
現在のアメリカの公的扶助政策には、大きな特徴が3つある。
一つ目は受給期間制限である。合衆国憲法には日本の生存権にあたる規定が存在しないので、公的扶助は国民の当然の権利としては認められず、政府は立法措置によりプログラムを廃止することができる。96年改革では、連邦政府からの福祉給付は、生涯で最大5年まで、継続して2年までに限定されたのだった。
二つ目は、ワークフェア政策である。今日のアメリカの公的扶助プログラムは、貧困者が労働する、あるいは労働に必要な訓練を受けたり就職活動をすることを条件として、労働収入を補完するために政府が援助を与える形で給付される。実際、近年では、TANFの現金給付部分は大幅に縮小されている。また、補足的栄養支援プログラムSNAP(かつてのフード・スタンプ)、貧困者向けの公的医療保険であるメディケイド、育児補助金等についても、就労、ないしは就労に向けての活動が受給条件として求められている。
三つ目は、州政府の政策的裁量の権限が増大する一方で、一括補助金化に伴い財政的制約が増大したことである。この点については、州以下の政府が独自に再分配政策を拡充してしまうと、貧困者を寄せ付ける一方で、増大する負担を避けるべく高額納税者が他地域に逃げる可能性があるので、州以下の政府は社会福祉政策の規模を縮小しようとする、いわゆる底辺への競争が発生するのではないかと心配されている。
本稿では、今日のアメリカの福祉国家が貧困者にどの程度の給付を行うように設計されているかを紹介した上で、アメリカの福祉国家が、昨今の経済状況の悪化に適切に対応できているかについて検討したい。
社会福祉政策の制度設計とNPO
アメリカでは社会福祉政策の具体的な内容が州以下の政府によって決定されているため、給付額や給付対象が州や地域ごとに大きく異なっている。州政府は、一部のプログラムを除いて経費を一定割合で負担する必要があるため、認められた裁量の枠内で、資格要件を厳格化する傾向がある。
貧困者が制度的に受給可能な福祉の水準を地域ごとに計測した研究によれば * 、最低賃金で雇用された単身女性と二人の子供から成る家族が得られる勤労収入、連邦と州のEITC、TANF、フード・スタンプの給付額を合計すると、全米50州と首都ワシントンDCの全ての地域で、連邦政府が定めた貧困線の基準となる収入を上回る。その意味で、今日のプログラムは寛大に制度設計されているといえる。
ただし、貧困線は現在のライフ・スタイルに合っていないし、地域ごとの生活費の違いを考慮していないという限界を抱えている。そこで、主要な福祉プログラム(連邦のEITC、メディケイド、学校給食費補助、フード・スタンプ、住宅費補助、TANF、育児支援)の給付額を住居費に基づいて調整し、米国経済政策研究所が地域ごとに算出した基礎生活費と対比すると、仮に全てのプログラムを受給した場合でも、基礎生活費を満たすことができるのは住居費の低い一部の地域に限られる。これは、貧困者が基礎生活費を充足できるか否かは、コストの低い地域に住んでいるか否かに依存しており、生活水準向上に関して州政府の行いうることは限定的だということを示している。
なお、上述の全てのプログラムを受給できている貧困者は0.2%、5つ以上受給しているのも5%未満に過ぎない。これは、制度上はプログラムが充実しているものの、実際には福祉プログラムが人々を支援する上で期待された役割を果たせていないことを意味しているといえよう。
今日では、NPOが、身体的、精神的に労働可能であるにもかかわらず労働していない人にセイフティ・ネットを提供する役割、また、福祉受給を希望する人に職業訓練、教育支援、カウンセリング等の社会サーヴィスを提供する役割を果たしている。しかし、NPOによるサーヴィス提供は貧困の集中度の高い都市部に偏っており、今世紀に入って以降貧困者が増大しつつある郊外では十分な社会サーヴィスが提供されていない。
新しい金ぴか時代?
なお、近年のアメリカを「新しい金ぴか時代」(new gilded age)と表現する論者が増えている。これは、貧富の差が拡大するとともに、その格差が世代を経て継承され、固定化している現状を指す表現である。
世論調査によれば、アメリカが「持てる者」と「持たざる者」に分断されつつあるという見解を支持する人の割合は、1988年の26%から2007年には48%に増大している。自らを「持たざる者」だと考える人の割合も同時期に17%から34%に増大している。実際、1926年から2006年の80年間で、収入が上位5%に入る人の平均収入額は279%増大しており、上位0.01%に入る人の増大幅は360%に及ぶ。
2009年の貧困線は、単身の成人は税引き前の現金収入が10830ドル、四人家族の場合は22050ドルに設定されている。2009年の貧困率は、1994年に統計を取り始めて以来最悪の14.3%に達している。近年のアメリカでは現実に、貧富の差は拡大している。ヒスパニック以外の白人の貧困率も9.4%に上昇しているが、マイノリティの貧困率はより悪化しており、黒人は25.8%、ヒスパニックは25.3%となっている(アジア系の貧困率は12.5%で、近年大きな変化を見せていない)。
なお、民間医療保険を基本とするアメリカでは経済状況が悪くなると無保険者が増大する傾向があり、2008年には4600万人だったのが、2009年には5100万人に増大している。
経済金融危機以降の各種プログラムの利用状況
経済状況の悪化に伴い、社会福祉関連プログラムの利用者数は急増している。
メディケイドは、2009年には約5000万人が利用しており、2007年12月以降17%以上増大している。利用者の53%は子供だが、費用の3分の2が高齢者と障害者に対して支払われている。メディケイドは、本来とは異なる用途で、メディケアを補完するべく用いられているのが現状である。連邦政府の財政負担はこの2年で36%増大しているが、州の財政も圧迫されており、メディケイドの提供を止めるというオプションを検討する州が登場しつつあることも注目に値する。
SNAPについては、2010年8月の利用者はほぼ4239万人で、この1年で17%、2年で58.5%増加している。利用者の半数は、給付を8年半以上継続して受けていることも特筆に値する。連邦政府の財政負担は、この2年で80%増加して700億ドルに達している。オバマ政権は2009年の米国復興・再投資法で、SNAPの給付額の最大枠を13%増大させるとともに、子供のいない健常者にハーフ・タイムで労働するよう要求する規定を差し止めた。なお、学校給食プログラムの利用者も増加しており、8月に提供された1億9500万食の昼食のうち、58.9%が無償で、8.4%が割引価格で提供されている。
失業保険についても、受給者は1000万人近くと、2007年の約4倍に及んでいる。連邦政府の財政負担はこの2年で430億ドルから1600億ドルに増大している。
以上のプログラムの利用者が急増しているのに対し、TANFの利用者は440万人で、この2年の増加率は18%にとどまっている。連邦政府の財政負担はこの2年で24%増加して220億ドルになっているものの、1996年8月から2009年9月の間に福祉給付件数は57.5%減少していることを併せて考えると、TANFの利用者数は比較的少ないともいえる。実際、共和党寄りの立場から96年の福祉国家再編に携わった、現ブルッキングズ研究所のロン・ハスキンズは、TANFが景気後退期に効果的な役割を果たせていないとの疑念を示している。
なお、TANFには、オバマ政権下で2つの変更が加えられている。TANFは、ブッシュ政権期の2006年に延長された際、労働参加基準が強化されると共に、未婚での出産を防止するためのプログラムや、安定的な家族の(再)構築に向けての取り組みに力点が置かれるようになった。オバマ政権は2011年度予算で、婚姻の推進や実父確定に関する補助金プログラムを廃止し、その予算を雇用に振り向けるよう提唱したのが一つ目の変更点である。もう一つの変更は、2009年2月に景気刺激策の一環として、州政府が2007年ないし2008年の給付件数を超えて新規の給付を行う場合、新規件数分については1ドルあたり80セントを支払う、総額50億ドルのプログラム(TANF Emergency Fund)を創出したことである。これらの点については、2006年の政策変更を主導したヘリテッジ財団などからは厳しい批判がなされている。
なお、TANFなどの就労義務を果たすための前提条件ともいうべき保育支援が十分に提供されていないことが問題を複雑にしているとの批判がある。2000年の段階で保育支援を受ける資格のある家族のうち実際に支援を受けたのは7分の1に過ぎず、2003年にブッシュ政権が行った小規模調査でも、補助金付きの保育を受けているのは30%だけだった。2001年から2008年にかけて補助金は46億ドルから50億ドルに増大したが、プログラムを受給できた子供の数は180万人から160万人に減少した。オバマ政権は2009年と2010年には20億ドルの補助金を追加し、2011年には16億ドルを投じる予定だが、依然として不十分だとリベラル派から批判されている。
最後に、障害者給付の申請者数が2008年から2009年までで21%増大し280万人に達したことも注目に値する(給付が認められた割合はほぼ半分と変化がないため、受給者数も同様に増大している)。この伸びはプログラムが制定されてからの54年間で最大である。不景気時には、障害者か否かのボーダーライン上にある人々がまず解雇の対象となり、再就職も困難になる。彼らが失業保険の切れた後、申請するようになったのである。近年では鬱などの精神疾患や筋骨格障害に対しても給付を認めるようになったこともあり、今後のプログラムの持続可能性が問題となっている。
むすびにかえて
このような現状を踏まえて、様々な対策が提唱されている。一般的には、貧困者支援策をいかにして拡充するべきかが論じられることが多い。
その一方、長期的な観点から、年金などのエンタイトルメントを含む政府支出の削減を実現するための改革が提唱されることもある。保守派シンクタンクであるヘリテッジ財団のロバート・レクターらは、個人の責任と労働義務化をさらに推進するとともに、公的扶助をローンとして提供して将来の返却を義務付けるよう提唱している。また、福祉政策の廃止を提唱したこともあるチャールズ・マレイが、ベーシック・インカムとして少額の給付を全国民に行う代わりに、福祉プログラムとエンタイトルメントを廃止するよう提唱しているのも興味深い。
筆者は、今後ワークフェア政策の見直しが不可欠になるのではないかと予想している。かつての社会福祉政策は、貧困者に対するセイフティ・ネットとしての役割が期待されていた。しかし、落ちてきた人を受け止めるだけでなく、彼らを再び跳ね上げる、いわばトランポリンの役割を果たすべきとの考えが強まった結果、欧米諸国でアクティベーションやワークフェアが導入された経緯がある。今日のアメリカのワークフェアが、セイフティ・ネットの役割もトランポリンの役割も果たせていないのは問題だと言わざるを得ないだろう。
また、今後は郊外における貧困の増大にどう対応するかという問題が重要になってくると思われる。1999年から2009年にかけて大都市圏の貧困者は550万人増大しているが、その3分の2は郊外に居住している。その結果、1999年には大都市と郊外にほぼ同数の貧困者が居住していたが、2008年までに郊外の貧困者数は都市の貧困者を150万人上回っている。2008年の貧困率は都市が18.2%、郊外が9.5%で依然として都市の方が高いが、今後郊外の貧困者対策が重要性を増すことは間違いないだろう。
オバマ政権の初期は、内政面では医療保険制度改革に膨大な資源が費やされたこともあり、社会福祉については積極的な取り組みがされていない。近い将来、この問題が大きな政治的争点となる可能性も高くないだろう。とはいえ、中長期的スパンで考えれば、アメリカの対貧困者政策が改革を必要としていることは間違いないといえよう。
* :以下の推計については、Stoker, Robert P., & Laura A. Wilson [2007] When Work Is Not Enough: State and Federal Policies to Support Needy Workers, Brookings Institution. また、西山隆行「アメリカの対貧困者政策」『甲南法学』50巻1号(2009年)、西山隆行「貧困・福祉・犯罪―コミュニティ・オーガナイザーを経験した大統領が直面する課題」久保文明/東京財団現代アメリカ・プロジェクト編 『オバマ政治を採点する』 (日本評論社、2010年)も参照のこと。
■西山隆行:東京財団「現代アメリカ」プロジェクトメンバー、甲南大学法学部准教授