オバマ政権の戦略転換―アフガン撤退の日米同盟への影響―
拓殖大学教授 川上高司
概要
来年11月に選挙が控えている中で、人気が低下しているオバマ米大統領は、財政赤字を削減する必要がある。コスト、国民の厭戦ムードが、アフガニスタンからの早期撤退をオバマに要求している。そうした中で、オマサ・ビン・ラディン殺害、アフガニスタン撤退演説、グローバルな軍事戦略転換など、オバマの戦略が転換の芽を見てとることができる。本報告は、オバマ政権の戦略転換としてのアフガニスタン撤退が日米同盟へ与える影響について深い考察をもたらすものである。
2011年6月のオバマ大統領のアフガニスタン撤退演説と対テロ国家戦略は、国防戦略の転換であった。前者は、大規模軍隊展開を行う反政府武力勢力鎮圧戦略(COIN)から、プレデター(無人機)や特殊部隊でのテロリスト標的を行うカウンター・テロリズム(CT)への転換を表明したものである。後者は、戦略の一つに組み込んでいた複数地域での前方抑止を、同時に多数の戦域で行われる広範な軍事行動へと転換したものである。
特にCTとCOINとの間の戦略の選択の駆け引きについては、ビン・ラディン殺害作戦成功が重要な意味をもっていた。CTを支持していたバイデン副大統領グループとCOIN支持のアフガニンスタン現地司令官であるペトレイアスとの対立を、前者の勝利という形で終わらせたからである。それまではイラクでCOINが成功していたこともあり、ペトレイアスはアフガニスタンでのそれの成功を期待していた。しかしアフガニスタンの情勢は好転せず、パネッタCIA長官を中心に、ビン・ラディン殺害作戦が練られ、実行された。7月18日オバマ大統領はペトレイアスの代わりにジョン・アレンを現地司令官にし、安上がりのCTへと戦略を移行した。更には、これにより聖域であった軍事費削減が可能になったのである。
今後の日米同盟を論じる上では、まず、東日本大震災で日米関係はどのように変化したのかについて触れる必要がある。震災前には、日米の中核的な交渉プレイヤーであった前原外務大臣、メア国務省日本部長が相次いで辞任し空白が生じていた。そうした中で生じた震災であり、自衛隊と米軍は共同して迅速に対処したので自衛隊と米軍との関係は強化されたが、官邸とホワイトハウスとの間の関係は弱体化してしまった。
こうした日米関係の下、また日本の政治基盤が揺らぐ中、日米同盟の展望はどのようなものか。オバマ大統領は次期大統領選挙で勝利するために財政赤字削減を必要としている一方で、アジア戦略においてはいかに軍事的に台頭する中国を軍事的にリスク回避するかが至上命題である。中国の問題を米国が他の同盟国と協力する必要がないと判断した時、チャールズ・グレーザー教授がフォーリン・アフェアーズで「米中は自制と協調を選択して共存の道を取った時、米国は同盟国が不可欠かどうか再考する」と述べたように、日本は見捨てられる危機に直面するだろう。そのとき、日本の駐留米軍の規模縮小へと進むかもしれない。
オバマ政権の東アジア政策:「航行の自由」をめぐる動きとその背景
元外務省課長補佐 新田紀子
概要
オバマ政権の東アジア政策において重要な課題の一つとして、中国の南シナ海等海洋における積極的な活動への対応が挙げられる。アメリカは「航行の自由」という大義を用いて対抗している。本報告は、「航行の自由」をめぐる最近の展開を明らかにし、オバマ政権の東アジア政策を理解する手がかりを示そうとするものである。
オバマ政権発足当初の米中関係は、「積極的、協力的で包括的な関係」を築くことを目指すという、関与重視の姿勢であった。しかし、2009年11月のオバマ大統領の訪中や気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)、さらには中国の南シナ海・黄海における「航行の自由」を脅かす行動など、アメリカが当初期待したような展開には至らなかった。
中国は海洋進出を積極的に進めているが、2007年頃から再び南シナ海に強い関心を示すようになり、軍事的に存在感を発揮するようになった。2010年春、中国が米国政府関係者に対し、南シナ海は「核心的利益」であると述べたことは、米政権関係者の懸念を惹起したと思われる。クリントン国務長官は、同年7月のハノイにおけるASEAN地域フォーラム(ARF)の際、プレスに対し、アメリカは南シナ海の領土紛争に対する立場はとらないが、南シナ海での航行の自由、アジアの海洋コモンズへの開かれたアクセス、海洋に関する国際法の尊重がアメリカの国益だと述べ、それはまた、ASEAN、ARF参加国、他の海洋国家、国際社会と共有している利益だと発言した。その前後から翌年1月にかけて、ゲーツ国防長官、さらにはオバマ大統領など政権首脳から、「航行の自由」が米国やASEAN諸国などの利益であり、米国にとり譲れないものであるといった発言がなされた。
そもそも「航行の自由」はアメリカにとってどのようなものなのだろうか。公海自由の原則は、アメリカ建国以前に伝統的に確立されており、1962年に発効した公海に関する条約、1994年に発効した国連海洋法条約(海洋法条約)に明示されている。「航行の自由」は公海自由の原則の柱の一つであり、両条約でも公海自由の原則を定めた条文の最初に記されている。そして、公海自由の原則に関するアメリカの立場は、早くも1776年に最初の公式表明がなされている。
また、「航行の自由」は、第一次世界大戦の戦後構想として公表されたウィルソン大統領の14カ条にも表れる等、しばしばアメリカの対外政策の原則として主張されてきた。それはこの概念が、通商の自由・市場へのアクセスとともに、米国の国益を形成するからである。さらに、アメリカが領土的野心を持っていないこと、アメリカのみならず多くの国にとっても重要な利益であること、伝統的にも国際法上も確立した説得力ある概念であることが、アメリカが主張しやすい理由として挙げられる。
今後とも、南シナ海及びそれ以外の海域について、この大義が聞かれるであろう。しかし、課題も大きい。例えば、アメリカは、海洋法条約の内容を実質的に遵守しつつも、歴代大統領の要請にもかかわらず、これを批准していないことであり、さらに、海洋進出や海軍力の増強を積極的に進める国が増え、国防費の財政的制約が強まる中で、「航海の自由」を実際にどのように確保していくかである。
質疑応答
Q:ビン・ラディン殺害作戦におけるホワイトハウス・インサイダーの話は面白いが、真偽のほどは如何ほどだろうか。
A:オバマ大統領は当初作戦を却下したが、パネッタが作戦を密かに進め、海軍特殊部隊突入の直前になってはじめて通知された、という話だが、その可能性は高い。そしてもし本当だとすると、オバマは操り人形に過ぎないということで興味深い。
A:ただ、主要メディアはあまり話題にしていないので、真実かどうかの評価は難しいのでは。
A:その通り。
Q:ネオコンは別として、最近、共和党の保守でさえもアフガニスタンから引くべきだと考えていたことは興味深い。必要な時にでていくという戦略へと考えが変わりつつあるのでは。
Q:米中関係について。アメリカがG2へ移行というのはいうのは本当か。対立の要素が強いのではないだろうか。また、日本は見捨てられるというが、アメリカは予算制約等から厳しいリソースでアジアに対応しなければならず、ベトナム、フィリピンを含めたアジア諸国との協調が対中の米国政策に必要なのではないだろうか。
A:その通り。ただ、緊張関係をはらみながらも協調し、安全保障のジレンマを解消していくという意見もある。
Q:協調というより対立の先送りに近いのでは。
A:アメリカは経済的に疲弊してくるので、「核心的利益を守れるのならばそれでよい、問題は同盟国をどう説得するかだ」という立ち場に変わる可能性も否定できないと思う。
Q:経済と違ったところ、例えばモラルなどでアメリカの外交が動くことが多いと思うが、どう考えるか。
A:日本がしっかりしてもらわねば困るというのがアメリカやロシアの考えだろう。極東がどうなるかにとって日本は重要だ。日本について書かれた複数の本において、ポリティカル・コストが多ければアメリカは太平洋において豪州などまで引いてしまえばよいという主張がある。
Q:日本側に、現状はともかく今後はしっかりやっていく、という姿勢が見られないのが問題ではないだろうか。
A:軍事的に見ればアメリカにとり日本の基地は本当に使いやすい。ただグローバルに日本は展開できないという欠点を抱えている。
Q:グローバルというよりも、そもそも国外に日本が展開することは難しいだろう。日本の世論がついていくようには思えない。
Q:尖閣の時にもクリントン国務長官が「航行の自由」を主張したように思える。国務長官、国防長官、大統領までが声を揃えて頻繁に航行の自由を言うようになったことは新しい。ベトナムやフィリピンなど、最近の事例でも、「航行の自由」、フリーダム・オブ・シーという言葉を使っているのだろうか。
A:まだ調べていない。ところで、日本は海賊についてこの航行の自由の問題に協力しコミットしている。しかし東南アジアにおける、中国を念頭に置いた日本のプレゼンスも重要であり、海賊対策だけでは済まないのではないか。2プラス2の共同声明やその先において、この問題に日本がどのように関わっていくかが非常に重要だろう。ただし、何ができるのか、政治的にどこまでやれるかなどはまだまだ不透明である。
■報告:石川葉菜(東京大学大学院法学政治学研究科博士課程)