中山俊宏 慶應義塾大学総合政策学部教授
これまでのところ米大統領選挙はとにかく「トランプ一色」である。しばしば米メディアで「不動産王(real-estate mogul)」というなんともいかがわしい肩書きで呼ばれるドナルド・トランプが正式に出馬表明したのが6月16日だから、4ヶ月以上が経とうとしている。
「パンディット(pundit)」と呼ばれるアメリカの政治評論家たちの誰もがトランプの「自爆」を予想していた。そもそも誰も、トランプが本気でホワイトハウスを狙っているとは考えていなかった。この4ヶ月、2回のディベート、ますます加速していくトランプ報道、数限りないメディア出演、そして度重なる失言にもかかわらず、トランプは全国区、州毎の世論調査でほぼすべて一位を獲得している。4ヶ月前は思いもしなかったことだが、この調査結果を満面の笑みを浮かべながら「This is beautiful」と声を出すトランプの姿を、もう見る側の方も慣れっこになってしまった感がある。
この4ヶ月、通常ならば選挙キャンペーンそのものを脅かしてしまうような失言をトランプは繰り返してきた。しかし、その度にトランプは批判する側を誹謗中傷し、その誹謗中傷自体がニュース化し、そもそもの問題がどこか彼方に消え去ってしまうようなそんな曲芸を繰り返してきた。
フォックスニュースチャンネルで放送された第一回目のディベートは、トランプのおかげでケーブルテレビ史上に残る(若干不謹慎ではあるが)「エンターテイメント番組」となった。なんと2,400万人もの人がトランプを見ようとフォックスにチャンネルを合わせた。CNNが放送した第二回目のディベートでのトランプの切れ味はイマイチだったが、それでも2,300万人の視聴者を獲得した。これも歴史的な数字だ。
一体、このトランプ現象はなにを指し示しているのだろうか。典型的にアメリカ的な現象のようにも思えるし、さすがにアメリカでもここまで奇妙な現象が生じたことはないようにも思える。なんといっても、アメリカの最高司令官を決めようとするプロセスである。
しかし、ことは単にトランプにはとどまらない。8月下旬くらいから、元外科医のベン・カーソンが乱立する候補の中で頭一つ抜け出し、安定して2位につけている。カーソンもトランプ同様、政治経験は一切なし、その風貌と語り口が穏やかなので、トランプのようなどぎつさはないが、考えようによってはトランプよりも悪質な発言を繰り返している。最新の世論調査(RCP平均[2015/10/11])では、トランプが23.7%、カーソンが18.4%、両者で42%の支持を獲得していることになる。9月の半ばにはこの二人だけで50%を超えていた。
政治経験がまったくない二人だけでこれだけの支持をもっていってしまうというのは普通では考えられない。これまで大統領候補といえば、まずは知事経験者が一番有利だと考えられてきた(大学の講義でもそう教えている)。州政府の長としての行政経験が、大統領職に最も適した経験だと見なされてきたためだ。しかし、今年は、最有力候補として期待されていたスコット・ウォーカー・ウィスコンシン州知事が早々と撤退、2012年大統領選挙の失敗の経験から学び、より洗練された候補になったと評されたリック・ペリー・テキサス州知事もすでに姿を消している。共和党エスタブリッシュメントの期待の星、ジェブ・ブッシュは政治資金の面で圧倒し、他の候補を牽制する作戦に出たものの、トランプやカーソンは一切怯んでいる様子はない。そのブッシュは、かろうじて一桁後半の数字を維持しているに過ぎない。ここ一週間ほどはその数字も下降気味である。これまでだったら、大物候補の扱いを受けていたであろう他の知事候補たちも、5%以下で低迷している。
これまでも「奇妙な候補」たちが予備選挙の段階で、大物たちを揺さぶったことはあった。2012年の共和党予備選挙では、ハーマン・ケインやミシェル・バックマンなどがトップに躍り出て、パンディットたちを驚かせた。しかし、彼らの台頭は本当に一過性のものだった。なにか本質的なものの表象というよりかは、打ち上げ花火のように一時的にヘッドラインを飾ったに過ぎなかった。
しかし、トランプ現象は、もはや一過性の現象として退けることは難しくなっている。なかなか適切な言葉を見つけることは難しいが、おそらく「政治不信」そのものが肥大化したような怪物のような存在だ。いまこう発言することに数ヶ月前ほどには自信は持てないが、トランプ自体は早晩失速していくことだろう。ここ数週間の発言を見ていると、トランプ自身も退路を確保しようとしているようにも見受けられる。
しかし、トランプ自身が失速していっても、トランプ現象の温床であった巨大な政治不信そのものは消えてなくなりはしないだろう。その意味で、トランプ現象は本質的な現象である。トランプがメインステージから去った後、頭を失ったトランプ現象がどちらの方向に向かうか、これが今回の大統領選挙の現時点での見所のひとつだろう。
期せずして、ギャラップ社が今回の大統領選挙に際して、いわゆる「ホースレース(競馬)」としばしば呼ばれる、各候補の支持率調査を行わず、争点毎の有権者の意識調査にフォーカスすると発表した。これは直接的には同社が2012年大統領選挙の予測に失敗し(同社はロムニーの僅差での勝利を予測していた)、それに代わる新しい世論調査のモデルを2016年に向けて巧く構築できなかったことによる。しかし、それはアメリカ政治において予測可能性が限りなく低下していることを象徴的に示すかたちにもなった。1936年にルーズベルトの地滑り的な勝利を予測して以来、大統領選挙の日常風景となってきたギャラップ社のホースレース調査からの撤退は、アメリカ政治がますます混迷の度合いを増していることを示しているのではないか。
(了)