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【Views on China】「公民社会」をめぐる攻防

August 6, 2013

法政大学客員学術研究員
及川淳子

1.「公民社会」――中国社会を理解するためのキーワード

急速に変貌している中国の社会を考察するには、中国共産党及び政府と社会の関係が変化しつつある点に着目する必要がある *1 。現在、中国社会では多様な利益が衝突し、利害の調整が極めて困難になっている。強制的な立ち退きや土地収用、環境問題、労働問題、食品の安全問題、少数民族地域の問題など、各種の問題は深刻化するばかりだ。集団抗議行動も増加し続けており、新指導部にとって社会の安定が最重要課題であることは言うまでもない。

中国では党と政府が一元的に社会を管理しているが、一方で、個人の権利や社会的な共通利益の擁護を目的として、自発的な活動に取り組む人々やNGOなども注目を集めている。本稿では、近年の社会変化を見る上で重要な「公民社会」をキーワードとして、それと当局との攻防について最新事情を紹介し、日本から中国社会を見つめる視点についても考えてみたい。

中国語の「公民社会」は「Civil Society」の訳語で、日本語の「市民社会」と同義である。党中央編訳局副局長の兪可平の論考では、「公民社会」は「公共的な問題に対する公民の参与」と「公民の国家権力に対する制約」を表す概念として解説されている *2 。換言すれば、法的な権利意識に目覚め、権利の擁護を主張し行動する人々によって形成される、国家権力から独立した「社会共同体」といえるだろう。つまり、「公」と「私」の中間的な領域において、公民が自発的に構成する「共生社会」である。

2008年の四川大地震や北京五輪を契機として、中国ではボランティアなどの社会参加に対する関心が高まった。党や政府から完全に独立した民間組織の設立や運営には困難を伴うが、NGOなど公益団体の活動は目覚ましい発展を遂げている。また、インターネットの影響力も多様化する言論空間において重要な役割を果たしている。2013年6月末時点で、中国のネットユーザーは約6億人、普及率は人口比44.1%に及んでいる *3 。人々の意識や行動が確実に変化している中で、問題解決に向けてネットを巧みに利用する事案も多い *4 。多様な社会的利益の調整が求められている中で、人々の当事者意識や納税者意識が向上し、様々な「維権運動(権利擁護の運動)」が展開されている。人々と社会との関わり方や、中国社会の展望について議論する際に注目されているのが「公民社会」なのだ。

だが、組織的な社会運動に対して警戒を強める当局は、2011年初めにメディアで「公民社会」を使用することを禁止した *5 。以来、「公民社会」は「公共社会」と置き換えられることが多い。また、今年5月には、大学の授業で教えてはならないという7項目の通達があり *6 、「公民社会」は「普遍的価値」や「報道の自由」と共に政治的に極めて敏感な用語となっている。

2.許志永と「新公民運動」

「公民社会」の使用は規制されているが、民間では様々な試みが行われている。その中で筆者が注目しているのが、法学者の許志永たちが提起する「新公民運動」である。許志永は1973年生まれ。彼がその名を知られるようになったのは、2003年の孫志剛事件に遡る。広州市で働く湖北省出身の孫志剛が身分証不携帯のために連行され、収容所で暴行を受けて死亡するという痛ましい事件があった。インターネットで抗議の声が高まり、メディアの報道も圧力となって強制収容に関する法律が廃止されるに至った。世論が当局を動かした画期的な事例である。悪法の廃止に重要な役割を担ったのが許志永たち3名の法学者で、彼らの公開意見書は「三博士上書」と呼ばれた。

その後、許志永らは民間組織「公盟」を設立し、社会的弱者の権利擁護を法律面から支援する活動を展開した。許志永は北京郵電大学の講師を務めていたが、2009年には「公盟」が当局から圧力を受けるようになり、大学での講義については資格停止処分を受け、さらには脱税容疑をかけられて連行される事件に発展した *7

保釈された許志永が中心になって取り組んだのが「新公民運動」である。「自由、公義、愛」を新たな公民の精神として掲げ、民主、法治、憲政を重視する「公民社会」の実現を目指す社会運動だ。例えば、教育を受ける権利の平等を訴え、戸籍制度による差別の撤廃に向けた取り組みや、政府高官の資産公開を要求する街頭での呼び掛けなどを行っている *8 。様々な活動の中で特にユニークなのは、毎月1回中国各地で公民が自発的に食事会を一斉開催するというものだ。デモや集会などではなく、食事会という形で身近な社会問題を議論しようという呼び掛けが支持され、新たな公民運動のスタイルとして注目を集めた *9

「中華人民共和国憲法」第35条には、「中華人民共和国の公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する」と明記されている *10 。しかし、憲法よりも党の指導が上位にある現状では、社会運動は常に当局からの監視対象となり得る。孫志剛事件10周年の記念シンポジウムに出席しようとしていた許志永が連行されたのは今年4月12日、法的措置もないまま自宅に軟禁され、7月16日には公共の秩序を攪乱した罪で逮捕された。許志永と前後して拘束、逮捕された「新公民運動」の関係者は15名に及ぶという *11

許志永たちの逮捕を受けて、支援者たちは抗議の署名活動を開始した。著名な経済学者で政治改革を主張し続けている茅于軾や、人権問題に取り組むジャーナリストの笑蜀などが発起人となって呼び掛けた署名には、7月末時点で中国内外から2000名を越える賛同者が応えている *12 。電子メールの署名と支援のウェブサイトを見ると、公民運動においてネットが重要な役割を担っていることは明らかだ *13 。だが、次々と掲載される関連資料からは、「新公民運動」が直面している現実の厳しさが伝わってくる。

「新公民運動」に対しては、中国でも様々な評価がある。非暴力を徹底した社会運動によって「公民社会」を実現しようという彼らの主張は、中国の現実から見ればあまりにお人好しな方法で、非現実的だという批判を実際に耳にすることもある。その評価についてはひとまず置くとして、今回の事件は「新公民運動」に対する弾圧のみならず、公民と当局の「公民社会」をめぐる攻防として、象徴的な意味を有しているといえるだろう。憲法で明記された公民の権利を行使しようとする人々に対し、法治や憲政を建前として唱える党や政府が実際には如何なる措置を取っているか、憲政の実態が問われているのだ。

3.中国社会を理解するための視点

許志永の支援に取り組む笑蜀は、以前、筆者の聞き取りに対して社会運動への希望を語ったことがある。かつての天安門事件やジャスミン革命などではなく、具体的な社会問題の解決を通して民主化を実現したいという考え方だ。笑蜀は、日本の社会運動の経験と教訓を中国の民間で共有することの重要性も強調した。例えば、公害や薬害の問題で日本の市民やメディアはどのような役割を担ったのか、その功罪について学びたいと熱意を語っていた。

もちろん、日本と中国では政治や社会の体制が異なるため、単純な比較をすることはできない。厳しい圧力の中にある中国の活動家から見れば、日本の市民社会は成熟しているように見えるかもしれないが、日本でも様々な問題があることは言うまでもない。だが、人々の思考や行動の変化が実際に法律や制度に影響を与え得るか、各種の権利擁護のために市民が政府に対し如何なる働きかけを行うか、民間の力を活用して官民が良好な相互補完の関係を構築し得るか否かという問題は、国の体制や時代を超えた普遍的な課題といえるだろう。中国の「公民社会」に対する考察は、日本の市民社会への再検討にも繋がると考える。

中国社会を理解するための視点として筆者が重視するのは、本稿で繰り返し述べてきたように「公民社会」の形成に向けた民間の役割である。党や政府だけでなく、民間における新たな動向に着目していくことで、中国社会の漸進的な変化を読み解くことが可能になるだろう。日本と中国の政府間関係は依然として混迷を極めているが、日中関係も「公民社会」の視点から再考してみれば、相互理解や新たな協力の可能性を探求できるのではないだろうか。


*1 社会政策の概説については、2012年度「現代中国プロジェクト」の拙稿を参照されたい。「胡錦濤政権の回顧と中国18全大会の注目点――社会政策の領域に関して」(2012年9月19日)等。
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=891
*2 兪可平「中国公民社会:概念、分類與制度環境」『中国社会科学』2006年第1期。
*3 CNNIC(中国互聯網絡信息中心)「第32回中国互聯網絡発展状况統計報告」。
http://www.cnnic.net.cn/gywm/xwzx/rdxw/rdxx/201307/W020130717431425500791.pdf
*4 拙稿「中国のインターネット空間に見る『公民社会』の可能性」歴史学会『史潮』「特集・メディアと社会」新72号、2012年11月。
*5 「中宣部禁媒体使用“公民社会”」(2011年1月5日)。
http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/gongmin-01052011164342.html
*6 「京滬大学遭令『七不講』」香港紙『明報』(2013年5月11日)。
なお、「七不講」の内容は以下のとおり。普世価値(普遍的価値)、新聞自由(報道の自由)、公民社会、公民権利、党的歴史錯誤(党の歴史的誤り)、権貴資産階級(権力と資本を持つ階級)、司法独立。
*7 許志永「這十年」(2013年5月16日)。http://xuzhiyong.org/2013/07/29/1311.htm
*8 具体例として、以下を参照されたい。「最新証実:西単四勇士均已被刑拘」(2013年4月2日)。
http://www.boxun.com/news/gb/china/2013/04/201304021613.shtml#.UfiwwJ2CjIU
*9 許志永「中国新公民运动」(2012年5月29日)。http://xuzhiyong.org/2013/07/29/1315.htm
*10 国務院法制弁公室編『新編中華人民共和国常用法律法規全書(2011年版)』中国法制出版社、1-5頁。
*11 「許志永事件之公民社会呼吁書」(2013年7月30日)。http://xuzhiyong.org/2013/07/30/934.htm
*12 同上。
*13 ウェブサイトは許志永が2009年に拘束された際に開設されていたが、今回の逮捕を受けて関係者が再開し、関連文書などを掲載している。http://xuzhiyong.org/


【筆者略歴】
日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)を経て、現在は、法政大学国際日本学研究所客員学術研究員、法政大学大学院中国基層政治研究所特任研究員、桜美林大学北東アジア総合研究所客員研究員、日本大学文理学部非常勤講師。専門は現代中国の知識人・言論空間に関する研究。著書『現代中国の言論空間と政治文化』(御茶の水書房、2012年)、共訳著書『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社、2011年)他。

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