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【Views on China】中国の人気雑誌『知日』現象の示唆するもの

January 27, 2015

北京在住ライター/エディター
原口 純子

 

中国でちょっと驚くような雑誌が売れている。雑誌タイトル名は『知日』。創刊は2011年1月。「日本」を専門に紹介する月刊誌で、毎号、100頁近い特集を組む。これまでの特集テーマは、「猫」「漫画」「妖怪」「鉄道」「武士道」「断捨離」など。毎号5~6万部、人気の号は10万部以上も売れている。

毛丹青(マオ・タンチン)・主筆、蘇静(ス・ジン)編集長をはじめ、編集部は全員、中国人である。中国人のフレッシュな目線で見つける日本の魅力は、日本人にとっても面白く、今年1月には、日本語版が発売された。実は私は縁あってこの日本語版の編集に関わったのだが、改めて制作のプロセスのなかで感じたことをお伝えしてみたい。

知らない固有名詞が頻出

日本語版制作が本格的に始まったのは、昨秋の初め。準備は、3年分の既刊号を改めて読み込むことから始まった。北京在住の私は、これまでも『知日』の何号かは買って眺めてはいたのだが、この機に創刊号から読み直した。

「制服」特集に登場の制服メーカー尾崎商事、「鉄道」特集に登場の“駅の絵画家”、大須賀一雄、「妖怪」特集に紹介される妖怪専門マガジン『幽』、「暴走」特集に紹介される日本有数のバイクヘルメットメーカーARAI、「断捨離」特集に登場する、“キャラ弁アーティスト”宮澤真理……と恥ずかしながら私の知らない固有名詞が頻出する。

そのたびに調べ、概要を把握する。当初の想定より膨大になった作業量に音をあげながらも、このような取材先を探しだし、アクセスし、形にしていく編集部の能力とセンスに改めて舌を巻いた。

このようなマニアックな存在に目をつける一方で、大物と呼ぶのがふさわしい、写真家荒木経惟、建築家安藤忠雄、作家東野圭吾、漫画家井上雄彦などにもロングインタビューをとりつけ、誌面にしている。

同業者として、唸らされるものがあった。日本を徹底的に調べ、吸収し、また物凄い勢いで吐き出していくかのような誌面作りなのである。

「日本は売れ筋」と決断

蘇静(ス・ジン)編集長は、1981年生まれ、湖南省の田舎町育ち。大学入学と同時に北京に上京し、卒業後、自主映画制作を経て、大手民間出版社に入社、20代にしてミリオンセラー、袁騰飛(ユェン・トンフェイ)著『歴史是個什麼玩意児?』(歴史ってどんな代物?)を世に放った辣腕編集者である。

けれど、学生時代に日本語を専攻したというわけではなく、日本での生活経験があるわけではない。当然、日本語もほとんどできない。

創刊を思いついたのは、2010年前後、島田荘司などの推理小説や、『徳川家康』など、中国で日本に関係する翻訳書籍がよく売れていたからだという。「けれど、日本に関する書籍はある時、1冊出て、またある時、1冊出る。散発的で系統だっていなかった。だったら日本を紹介する定期刊行物を作ったら売れるのでは、と思いついた」というのが本人の弁である。

また、調べていくと、大陸、香港、台湾などに、日本に関するエッセイや旅行記を書く中国語の書き手も少なくなく、執筆陣も揃いそうである。日本在住の毛丹青氏(神戸国際大学教授・作家)も創刊から主筆として強力に支えてくれることになった。

「行ける、やってみよう!」と決断し、実行に移した、という。

2011年1月発売の創刊号は「1万部は固いかな」という程度のマーケット予想だったが、現在までの販売成績は「少なくても予想の倍以上」と好調だ。知名度も上昇、現在、中国版ツイッター「微博」(ウェイボー)公式アカウントのフォロワーは36万人を超える。

この好調の原因はさまざまに分析できることだろう。

作り手側に着目すれば、テーマ選びのうまさ。選んだテーマを、写真やイラスト、図表といったビジュアル要素を多用し、分かりやすく解説していく誌面作りの工夫。

また『知日』の創刊期はちょうど、中国版ツィッター「微博」(ウェイボー)の発展期とも重なる。創刊期から「微博」を駆使して展開している情報拡散プロモーションも成功要因の一つだろう。今も『知日』編集部では「1日最低4回」は日本に関する情報をピックアップして「微博」上に流している。

好調の原因を蘇静編集長に聞けば、「ヒットの要因は、とくにこれ1つ、ということでなく、様々な要因がうまく重なったこと」という。

また何よりも、「2010年前後、日本に関する書籍は、そのほとんどが売れていた」と蘇静編集長がいうように、この時期、出版界では日本が売れ筋であり、好機と判断した辣腕編集者ならではの嗅覚があげられるだろう。

日中間の関係悪化のなか、悪いニュースばかりに注意が傾きがちな近年ではあるが、その一方、日本は売れ筋であり得ている。『知日』現象は、中国社会の複層性を示唆するものではないだろうか。

ネット時代の誌面作り

『知日』編集部の力のベースはインターネットだ。蘇静編集長は日本語はできないが、編集部には日本語が堪能なスタッフがいて、日本のサイトを日々、徹底的にリサーチしている。

“駅の絵画家”も、キャラ弁アーティストも、バイクヘルメットメーカーも、その多くはまずはネットから探し出してくる。玉石混交のネットのなかから、これはと思うものをピックアップ。日本在住の中国語圏ライターなどとも連携しつつ、コンタクトしていく流れである。

蘇静編集長と日本語版書籍の打ち合わせをしていて、印象的だった出来事がある。

第1回目の打ち合わせ時に、私は「仮台割」を作成して持参した。表紙から始まり、序文、目次、創刊号の紹介、間に中国人作家の日本旅行記のエッセイが入り……と最初から最後までの1冊の本の流れをこうしたらどうだろう、という提案の素材である。

資料を広げ説明を始めた私に対し、蘇静編集長は「いや、それはいいから」と一言、「えーと、エッセイが全部で×ページ、既刊号の紹介が×ページ、インタビューが×ページ、全部で×ページ」と足し算を始めた。つまり、書籍というものを表紙から始まってA→B→Cと流れを重視する水平イメージでとらえている私に対し、蘇静編集長はA+B+Cと足し算イメージで考えている。

一瞬、愕然としたが、考えてみれば、書籍も雑誌も、読者は最初からA→B→Cと流れどおりに読んでいくとは限らない。やたら流れ方にこだわり、A→B→Cの展開図を広げている私がまどろっこしく思えたのだろう。

最初から終わりまで一人の作家という書籍ならば流れ方は重要だろうが、さまざまな要素が入る予定の『知日』の日本語版であれば、A→D→Bになろうと、B→D→Eになろうと、大勢に影響はないではないか。

私は、自分の頭の固さを突かれた気がするのと同時に、蘇静編集長はまさにインターネット世代の人だな、と感じた。それはまさに、興味の赴くまま、あちこちのコンテンツに飛んでいくネットサーフィンの在り方にそっくりではないか。

そして中国で販売されている『知日』も、まさにそうなっている。A企画の次にあるB企画は、A→Bという流れの関係はほとんどない。流れの関係というより、 既存の秩序と関係ないといったほうがより的確かもしれない。

グーグルでサーチしてヒット数1000程度、マイナーともいってよいアーティストがA企画に紹介されている。その次のB企画が日本人の多くがよく知るような大物であることもある。

けれど、日本の雑誌編集者であれば、何かそこに、「××先生が最初で次が××さん」というような既存秩序へのしばりが生まれ、その結果、A→B→Cの流れ重視の展開になりがちである。けれど、外国人である彼らはしがらみにとらわれることはなく、ランダムに足し算していく。その結果としての誌面が面白い。

雑誌についてはよく、「素人にしか面白いものは作れない」といわれる。その世界に通じ、人間関係ができると、どうしても既存の秩序を尊重せざるを得ない場面が増える。『知日』の編集部は日本の素人ゆえ、ありがちな秩序と無関係に、様々なコンテンツを集め、自由に吐き出すことができている。

フラットな視線で見た日本

そして、既存の秩序にとらわれない、フラットな視線で日本を眺めてみれば、そこにはなんと豊富なコンテンツがあることだろう。

『知日』の既刊号を読み直し、固有名詞をチェックする過程で、私は改めて多くの日本人のホームページやブログをチェックした。日本での知名度はそんなに高くなくても、商業ベースにはのっていなくても、なんと質のいい写真やイラスト、文章がそこにあることだろう。またそこには、多くの場合、懇切丁寧な解説、具体的情報が掲載されており、自分の次のアクションをいかに助けてくれることだろう。

日本のコンテンツといえば、アニメや漫画がまず頭に思い浮かぶが、個人のコンテンツのクオリティ、その平均値もきわめて高いのではないか。というのは、私は『知日』編集部とは逆で、中国をテーマにする記事作りのためによく中国人のホームページやブログをチェックしているのだが、日本のように、どのようなテーマをサーチしようと、そこにプロなみの写真やイラストや情報をアップしているサイトが豊富に見つかる、というわけではまったくない。

それに比べると、日本の各個人がテーマを追求して作る個人のコンテンツはまさに百花繚乱。圧倒的な豊かさである。蘇静編集長は『知日』を創刊するにあたり、「日本のほかに、他の国をテーマにした雑誌も同時に考えてみた。だけど他の国だったら、1、2号作って終わってしまうかもしれない。日本だけが定期刊行物にしてもずっとずっとテーマが尽きることがない」と話してくれた。

この日本国民のコンテンツ力の高さが、インターネット時代の『知日』作りに多いに役立っていることは間違いない。『知日』はそのような中から、ユニークな人材を探しだし、アクセスする。結果として、その人物が『知日』のなかで大きなスペースを割かれ紹介されているケースも多い。

インターネットの時代は、プロとアマの境界を限りなく低いものにしたといわれる。その時代の日本の圧倒的強みを、『知日』編集部は実にうまく活用しているのである。

さらにもう一つ、彼らならではの強みがある。

登場する側にしてみても、日本語で編集され日本で発売される雑誌であれば、「他に誰が出るのか」「自分は何番目か」「どのくらいの大きさで登場するのか」という既存軸のなかでの自分の位置づけが気になるケースがないとはいえない。

知人の日本人ライターが印象的なエピソードを話してくれたことがある。彼は日本の雑誌の旅などの記事を主に手掛けるが、中国留学経験を生かし、最近では、中国の旅行雑誌の記事も執筆する。

その際、日本の老舗の料亭、旅館などは、日本の雑誌となると、他にどこが掲載されるか、自分のスペースがどのくらいか、何番目にくるか、など細かいやりとりが必須とされる。その結果、掲載を断られることも多々ある。

だが、同じところに、「中国の雑誌で」と話をもっていくと、あっけないくらい、あっさりと、細かいことは聞かずに取材に応じてくれる、という。

登場する方にとっても、中国の雑誌であれば、A→B→Cの既存秩序とは関係ない、という心理が働くのだろう。そこで案外、『知日』のほうが、ダイナミックな取材活動が展開できたりもするのである。

インターネット時代、あらゆる既存軸を取り払って日本を眺めたら、こんなふうに見える――――日本人にはなかなかできないそれを、あっけなくやってのけ、私たちに見せてくれるのが『知日』日本語版の意味ではないだろうか。

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