インターネット時代の公民調査
2月28日、ジャーナリストの柴静が大気汚染の調査報告に関する動画「穹頂之下」(ドームの下で)を公開すると、わずか1日で視聴回数が1億回近くに達し、大きな話題になった。元中央テレビ局の人気キャスターの柴静(さい・せい)が、自著の印税100万元(約1900万円)を投じ、友人ら10人ほどのスタッフで1年かけてつくったという、異例の製作方法にも注目が集まった。
1976年生まれで現在39歳の柴静は、石炭鉱業が盛んで、中国の中でも特に大気汚染が深刻だといわれる山西省臨份市の出身だ。湖南省の長沙鉄道大学(現在の中南大学)を卒業し、同省のラジオ局などで勤めた後、北京の中国メディア大学でテレビの編集を学び、1999年に中央テレビ局に入社した。地方大学出身で、学部の専攻は会計学だったが、北京に移動してから雑誌記者の経験を積むなど、一歩一歩、着実に歩んできた女性だ。
柴静は中央テレビ局で、「新聞調査」や「東方時空」などの調査報道番組、「面対面」(向き合う)や「看見」(見る)といったインタビュー番組の取材やキャスターを担当した。SARSや四川大地震では現場に密着した取材を展開し、大気汚染や塵肺患者に関する調査報道も積極的に行った。2013年に取材記録などをまとめて出版した『看見』は、大ベストセラーとなった。中央テレビは2014年に離職している。
中央テレビの人気ドキュメンタリー番組「焦点訪談」の主任ディレクターを長年務め、現在は南京大学で教鞭を取る荘永志は、柴静の動画を「インターネット時代の公民調査」と名付け、次のように述べている。「組織に雇われた人間としてではなく、一個人、一市民として、大気汚染の危害と汚染対策の立法、戦略や計画、エネルギー政策の制定と実施状況を理解しようとした。情報公開と民主的な政策決定の視点から得失を考察し、海外の似たような政策から示唆を得ることを検討した」 [i] 。
巧みな演出で大気汚染を語る
2013年、取材に明け暮れている最中に妊娠がわかった柴静は、喜びもつかの間、おなかの中の子どもが腫瘍を患っていることを知る。腫瘍は幸い良性で、アメリカで手術した後、中国に戻ったが、1年のうち175日も大気汚染の空に覆われる北京で病後の娘を育てなければならないことに苦悩する。
彼女は大気汚染の調査を行おうとした動機を、(1)スモッグとは何か、(2)スモッグはどこからくるのか、(3)我々はどうすべきなのかという3つの問題に、母親として、記者として答えなければならないと考えたからだと話す。
柴静はTEDトーク [ii] のようなスタイルで、スクリーンをバックに舞台の中央に立ち、舞台を取り囲む若い人たちに語りかけた。BGMは人気のロック歌手、左小祖咒(さしょうそじゅ)を採用した。私は100分に及ぶ長い動画を前に、「途中で飽きるのではないか」と思いながら見始めたが、図表や映像、アニメーションをふんだんに使いながら、「なぜ」と問い続け、問題をひとつひとつ解明しようとする柴静の巧みな進行についつい引き込まれ、集中力を全く途切れさせることなく、最後まで見ることができた。
柴静は進んで石炭工場の中に入り、ディーゼルトラックの取り締まりの現場を直撃し、手術室でタバコを吸わない人の胸から真っ黒なリンパ球を取り出す場面に立ち会った。学者や環境保護当局だけでなく、鉄鋼業界や石油企業の幹部に対しても、問題の核心に迫るインタビューを行った。
柴静は衝撃的なデータを次々に明らかにする。直接的な因果関係は立証されていないとしながらも、1976年から1981年に全国26都市で行われた調査において、大気汚染度と肺がん死亡率の分布が一致していたことを指摘した。当時、このデータは内部資料として扱われたという。
近年話題になっているPM2.5(微小粒子状物質)について言えば、その6割が化石燃料の燃焼を原因としている。中国の石炭消費量は世界の他の国の総和より多いが、北京市、天津市、河北省だけで3億8000万トンの石炭を消費し、そのうち3億トンは鉄鋼産業が盛んな河北省で消費している。多くの製鉄工場は国が定める排気対策をしていないが、違反しても取り締まりをすり抜け、処罰を逃れる企業が大半だという。大規模な製鉄工場を閉鎖すれば地元の経済に悪影響を及ぼすため、検査当局は見て見ぬ振りをする。
また、石炭の需要が伸び続け、供給が追いつかない中、質の低い石炭である「褐炭」の使用が増加している。その多くを洗浄しないまま使うため、燃焼すると発がん性の高い煤塵が空気中に大量に放出される。
排気ガスによる汚染も深刻だ。中国政府は2013年7月より、自動車などの排ガスに含まれる一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物、粒子状物質を規定の数値以下に押さえるよう定めた国家第4段階機動車汚染物排出基準(国4基準、欧州のユーロ4に相当)を施行し、国4基準を満たさない自動車は、販売や登記ができないようにした。しかし実際には、国4基準を満たさず、排ガス処理装置も備えていない自動車に、基準を満たす証の「国Ⅳ」のシールを貼り、広く市場で販売しているのだという。
国4 基準の車向けの高品質のガソリンも供給不足だ。その背景には、歪んだ中国石油業界と市場の問題がある。ガソリンの品質基準を決める際、業界から参与する当事者は石油メジャー(中国石化など)に限られており、環境部門など業界外から専門家を受け入れていない。石油に関する専門性が必要だという理由からだが、海外では業界外の人たちが多数、委員を務めている。
さらに、「大気汚染予防法」(1987年発効、2000年改正)は、法執行の主体が不明確で、国4基準に違反する業者などに対しても、これまで処罰が執行されたことはないという。
環境は重要だが、経済発展を軽視するわけにはいかない。中国を含む多くの途上国がそう主張する。しかし、中国の経済発展は、「虚胖」(無駄に太っている)の状態だと柴静は述べる。2014年、中国は1トンの鉄鋼を生産するのに600キロの石炭、3-6トンの水を使ったが、利潤はたった2元だと言う。これでは、中国の大衆料理で屋台などでも売られている茶葉ゆで卵1つさえ買えない。多くの鉄鋼企業は、政府から多額の補助金を受け取って生き延びているのだ。
国務院発展研究センターによると、今後15年の都市化や経済活動で、全国の石炭消費量は60億トン、自動車保有は4億台に達する見込みだという。経済発展のあり方そのものを変えなければ、環境問題を解決することはできないと、柴静は暗に語っていた。
「砍柴派」(柴静反対派)の主張
柴静の動画は、「一夜の衝撃」と言われるほどの反響を呼び、ごく短期間のうちに多くの人が視聴し、大量のコメントや分析記事を発信した。国民全体が関心をもつテーマを、記者、母親、一市民の視野からとらえており、さまざまな層の人たちが感情移入して見ることができたのだろう。
興味深いのは、動画の内容や製作方法に関する賛否両論が、中国の言論空間を「砍柴派」(柴静を叩くグループ)と「挺柴派」(柴静を支持するグループ)に大きく二分してしまったことだ。反対派は主に4つの点から批判を展開した。1)柴静個人への攻撃、2)陰謀論、3)主張の科学的根拠やデータの使い方の問題、4)体制側との協調、の4点だ。
私は柴静を直接知らないのだが、彼女にとても近い人たちと付き合いがあり、動画製作の経緯についても事前に聞いていたため、こうした批判の大半は当たらないし、意地の悪いものだと感じた。
1)の「環境問題を語りながらも、高排出ガス車に乗り、タバコも吸っている」、「裕福な夫がおり、子どもを米国で産んだ」といった柴静への悪口は、まったく相手にする必要はないだろう。柴静はこうした批判を受けて、喫煙の習慣や高排出ガス車の所有を否定した。
2)は、NASA(アメリカ宇宙航空局)から過去10年の中国上空のスモッグの分布の変化を示す衛星画像を入手したことなどをもって、米国とつながっているなどと指摘する声だ。証拠もないことをあれやこれやとでっちあげようとするのはいかがなものか。3)については、柴静自身、ジャーナリストとして、過ちがあれば訂正するだろうし、誤解を招きやすいものや正確さを欠くものについても説明を加えればよいことだ。
4)の体制側との協調については、政府の要人に取材を行っていること、3月3日に全国人民代表大会が始まるのを前に、人民日報のインターネットサイト『人民網』などで発信したこと、動画の反響を受けて、環境保護部の陳吉寧部長が「敬服に値する」と賞賛したことなどを根拠としている。柴静を「大五毛」(体制側の世論誘導役「五毛」の中でもトップクラス) [iii] と皮肉る者や、「維穏」(安定維持)や「治国理政」に貢献しようとしているとまで言う者もいた。日本でも、習政権が反腐敗で石油業界の高官などを叩いている最中であり、同政権の目指す権力闘争や国有企業改革の方向性と一致するのではないかという分析が少なくない。さらに、政治体制に関わる問題に鋭く切り込むべきところが、切り込めていないという批判もあった。
筆者の友人で、動画の撮影に立ち会った、柴静の友人でもある人物は、柴静が旧知の政府高官から、『人民網』から発信するようアドバイスされたと話していた。彼は、柴静が自費で、限られた範囲の友人の力を借りてこの動画を製作したのは、とにかく体制側と距離をとることが重要だと考えたからだと強調した。言論統制の厳しい中、政府を完全に敵に回してしまっては取材もうまくいかず、動画は完全に封鎖されてしまう。友人の言うように、私も柴静は、なんとか発信可能な内容とルートを見出そうとしたのだと考える。ただ、司法の独立や、市民団体が自由に活動できる環境の重要性に、もっと触れて欲しかったという思いはあるが。
言論界の分裂と言論統制への抵抗
柴静の動画をめぐって顕著になった言論界の分裂状況は、中国の多くの知識人たちを嘆息させた。中国政法大学の准教授で『財新網』のコラムニストを務める䔥瀚(しょう・かん)は、柴静が自分の金とネットワークだけでここまでの調査報道を行い、環境問題に対する公共意識を高めたことは快挙であるのに、攻撃的でマイナスの反応が多いのには驚くばかりだと述べた [iv] 。
作家の慕容雪村(ぼよう・せつそん)は動画に関する論争について、「自分はいかに正義があるか、相手はいかに邪悪であるかを詳しく説明しようとするが、言論の『道徳化』や『情緒化』の風潮は、決して優美だとは言えず、まったく説得力を持たない。道徳や感情に訴えるのは、論拠や言葉が不足している証拠であり、公共の問題を議論する際に重要なのは、いかに理性的に議論するかということだ。論敵を尊重し、可能な限りデータや事実に基づき、過激な言葉を使わないことだ」と、理性を失った過激な論戦を批判した。
慕容雪村は、言論界の分裂はここ2年の言論統制によって一層激しくなったと指摘し、次のように述べる。「柴静は中間的で、過激でも愛党愛国でもない。部分的に事実を話したが、問題の核心には触れていない。『囲観』 [v] が中国を変える、『微博(中国版ツイッター)が中国を変える』などのスローガンが流行っていた時代は、このような言論を批判する人は少なかったが、今は意見が大きく分化するようになった」、「言論統制がこうした分化を加速させ、両極端が増え、中間が少なくなった。このような状況は収束せず、さらに激しくなるだろう。言論人たちの相互理解は欠けている。より多くの人たちが絶交している」 [vi]
弁護士の張雪忠は、柴静支持派のリベラリストの中にも言論の自由を乱用すべきでないと主張する者がいると批判した上で、1)すべての人が可能な限り好き勝手に議論できる環境にこそ言論の自由の価値と力があり、公共の討論をより文明的かつ理性的にする、2)規範を統一しようとしたり、自らが正しいと考える意見以外を排除しようとしたりするいかなる措置も、公共の討論をより低俗にし、言論の自由の価値を消滅させてしまうと述べる。
張雪忠は2013年5月、いわゆる「七不講」(七つのタブー) [vii] と呼ばれるイデオロギー規制の通知を党中央が出したことを微博で伝えた後、華東政法大学の講師の職を解かれた。張雪忠は法律家らしく、権力を監視する司法の役割が重要だと言う。そして表現が制限されるのは、それが他人の名誉を傷つける、あるいはプライバシーを侵害するなど、正当な理由がある場合でなければならず、法で定められた権利が侵されたなら、法律で紛争を解決すべきだと主張する [viii] 。
おわりに ― 社会変革と啓蒙 ―
雑誌『中国企業家』編集長の䔥三匝(しょう・さんそう)は、柴静の動画をめぐってさまざまな議論が行われたことは「中国の政治民主化の長い道のりの一里塚である政治事件」であり、「広く深い範囲に及ぶ啓蒙であり、たった一人の市民の提唱が、政府を含む社会各層の幅広い反応を得たという、中国史において前例のない行動だ」と述べる。また䔥三匝は、啓蒙は実践の基礎であり、かつ必要条件であって、実践は啓蒙のロジックによって発展するとして、「啓蒙は未完成で中断しているが、特に近年、自媒体(セルフメディア/個人が運営するメディア)の発展によって大きく進展している」と指摘する [ix] 。
しかし、反響が大きすぎることを懸念したのか、中国当局は柴静の動画の発信や関連の報道を控えるようにとの通達を出した模様だ。3月6日には、『フィナンシャルタイムズ』のインターネットサイト(中国語版)が、この内部通達を暴露した上海の新聞『第一財経日報』の記者が停職処分を受けたと報じている [x] 。このニュースも一時見られなくなったが、その後、ニュースが見られないという声が一斉に広がり大きな話題になったためか、また見られるようになった。こうした状況から、中国政府も、動画とそれをめぐる言論の扱いを決めかねている様子がよくわかる。
先にも述べたが、私は、柴静が取材や発信に関して体制側の人間の協力を得ていたとしても、それは、今の中国で発信し得るギリギリの内容を、可能な方法で発信しようとしたわけで、彼女なりの理性的かつ勇敢な行動だと言えると思う。ただ、今の中国において、異なる立場にいる者同士、互いを尊重しながら議論することが非常に難しいのも現実だ。張雪忠はこのように言っている。「人は理性的な生き物であり、人は是非を判断する能力をもち、善に向かって悪を避ける本性がある。同等の資格と機会があれば、絶対多数の人がより合理的な視点と、より文明的な議論の方法を認めようとする。自由に討論できる環境では、下品なことを言う人はますます周縁化し、影響力を失う」。
しかし、「同等の資格と機会」を今の中国で保障することができるのだろうか。不平等な戸籍制度が存在し、国民それぞれが受ける社会保障や教育の格差は拡大し続けている。官僚や国有企業役員による特権の乱用は、習近平政権が推進する腐敗対策ぐらいでは収まらないだろう。柴静が米国で出産したことや、夫が裕福であることなどをもって、彼女を攻撃する人が少なくないのは、有名人に対するやっかみもあるのではないか。インターネットの言論空間は、匿名で個人攻撃を行うのに都合がよいという側面もあるが、役人や金持ちの第二世代を「官二代」や「富二代」と呼び、激しく批判する風潮が根強いなど、格差や不平等は、多くの中国の人たちに憤怒や嫉妬の感情を抱かせている。
だが、だからといって、中国政府がしばしば、人権問題などに関して持ち出す「中国の国情(国の状況)は西側とは異なる」という論理で、自由権を規制する理屈を自己正当化するのはおかしいし、そのような論理が幅を利かせることで、中国の社会問題がますます深刻化したと言えるのではないか。
北京外国語大学教授の展江は、反柴静の論陣を張る、自由主義に批判的な「左派」の人たちに対して、「誰が資本と権力を主導しているのかを見極めることだ。市場と資本は批判と監督を受けなければならないし、最も正しい市場経済は法治経済であり、開放された透明の環境で運営されるべきだ。大気汚染に直面し、発言力のある知識人は何をすべきかをしっかり考えるべきだ」と述べる [xi] 。
どの国も、討議の公共空間を構築するのに苦労しているが、経済格差が大きく、複雑な社会構造を持つ中国社会は、より多くの困難を抱えている。しかし、異なる立場にいる人たちが徐々にでも努力し、共通の問題意識を持つために歩み寄ることはできないのか。䔥三匝はこう言っている。「社会改革を漸進的に進めるという希望をもつなら、近代国家が一夜にして起こるのではないと信じるなら、中国において柴静のような市民が出現したことをなぜ賞賛しないのか」。
大気汚染は今すぐ中国を倒すような脅威ではなく、「見えない敵」(柴静)とも言えるが、中国を蝕んでいることは確かである。中国の国民が一致団結して知恵を振り絞り、対策を考えなければ、気付いた時には取り返しのつかない事態に発展しているだろう。社会の変革には時間がかかるが、今こそ、中国が一丸となって、広い視野から、中国の発展にとって何が大切であるのか、何を優先して変えなければならないのかを忍耐強く、理性的に議論する時だと思う。