高見 邦雄
不毛の荒れ地=塩害地
緑の地球ネットワークは1992年から山西省大同市で緑化協力を継続しており、私自身も毎年100日前後、現地に滞在してきた。最初に協力関係を結んだ渾源県の県城(県政府所在地)までは大同の市街地から南東に70km弱だが、1990年代半ばまでは車で4時間以上かかることが多かった。
最大の難所は大同県党留荘郷のあたりで、雨の降る夏場がとくにひどかった。道路は舗装してあるのだが、資金と技術の不足から、いわゆるテンプラ舗装。道路の下を伏流水が通る軟弱地盤であるうえに、過積載の石炭トレーラーが行き来するのだからたまらない。舗装はたちまち破れ、私たちを乗せたバスはぬかるみにタイヤをとられて、動けなくなる。そのたびに降りて、みんなでバスを押した。
このあたりは大同盆地のもっとも低い場所で、降った雨が流れ出る河はなく、ここで蒸発する。土の表面にカルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムなどの炭酸塩が蓄積し、乾燥すると白くなる。塩害地(「塩碱地」)である。一見、平たい土地が広がり、水分も多くて恵まれた土地のようにみえるが、pHが9以上もある強アルカリ土で、作物は育たない。JICAの協力で土壌改良の実験圃場が造られたこともあったが、どうなっただろうか。ポプラよりは塩害に強いヤナギを繰り返し街路樹に植えていたが、根付くことはなかった。
この省道203号線は、南北に長い山西省を縦に結ぶ幹線道路だった。鉄筋をいれた厚いコンクリート舗装がなされ、それまでの苦労がなくなったのは1990年代の後半。それでも大同から渾源までは2時間以上かかった。
煤都の主役=石炭火力発電所
大同は煤都(煤=石炭)と呼ばれ、最近まで中国最大の石炭の街だった。経済発展にともなって各所に中小型の発電所が建設されるようになったが、以前は大同市内に電力を供給する大同第一発電所と、北京や天津などに電力を送る大同第二発電所の二つだけだった。
第二発電所は第1期工事が1988年に完成し、当時の設備能力は120万kW、年間発電量は70億kWhだった。その後数次の増強があり、2009年には372万kW、年間発電量は200億kWhを超えた。
1992年の秋、一人で大同を歩き回った私には見ること聞くことが珍しく、ビデオカメラを手放すことはなかった。ある日、カメラを第二発電所に向けていると、一人の男が話しかけてきた。「電気はみんな北京に行き、大同には汚染だけが残る」。おもしろいことを言うなと思って、カメラを彼に向け、もう一度話してくれるよう頼んだ。すると出てきた言葉は、「首都に貢献できるのは大同市民にとって光栄なことだ!」
そのころの大同の大気はひどいものだった。どこに行っても煙の臭いが立ち込め、目はしょぼしょぼ、喉が痛くなった。冬場はとくに地表の温度が上空より低くなって逆転層ができ、煙が拡散しないで、地表付近に立ち込める。農村を回ったあと大同に帰ってくると、市街地のうえに真っ黒のドームがかかっているように見えたものだ。
そのころは市民の生活燃料は石炭で、煮炊きや暖房に石炭を生焚きした。それに比べれば第二発電所の設備は進んでいたと思うが、大気汚染の象徴にされてしまった背景には、北京に対する大同市民の複雑な思いがあったと思う。
この冬、北京などの深刻な大気汚染が日本でもニュースになり、日本への越境汚染が大問題にされた。鳥インフルエンザとも重なり、悪いものはすべて中国からくるといった雰囲気が生まれたのだ。
ところが北京に比べてはるかにひどかった大同の空気が、ここ数年で劇的に改善している。最大の要因は大同市内の燃料が石炭から天然ガスに転換されたことだ。姉妹都市である大牟田市の環境面での協力も有効だったといわれる。現地で撮影した写真にきれいな青空が写っているのを帰国後にみて、その変化に改めて驚かされる。ただし、大同の市街地を離れて、各県の県城に移ると、大気汚染はいっそうひどくなっている。
山の稜線に立ち並ぶ風力発電
大同市のすぐ北は内蒙古自治区であり、その境界は東西に走る山脈で、その山並みを縫うように万里の長城が築かれている。採涼山(2144m)はその山脈を構成する山の一つで、その南側の麓に私たちはいくつかの緑化プロジェクトを建設してきた。実験林場「カササギの森」もその一つである。
2012年になって、カササギの森から眺める採涼山の稜線付近に、風力発電の風車が見え隠れするようになった。見る場所によって数が異なり、いくつあるかわからない。2013年春、大同から北京にむかう飛行機の窓からその風車群が見え、30基近くを数えることができた。それを通りすぎると、また次の風車群がみえてくる。
昔から大同では「大同は年に一度、風が吹く。春に吹き始めて冬まで吹く」と言われてきた。一年を通して風が強く、しかも決まって西北の風。風力発電にはもってこいの立地だ。その一方で火力発電が主力産業の座を占めていたから、風力には目は向かないだろうと私は考えていた。
ところがそれが変わった。大同には4区7県があり、区や県それぞれの境界はたいてい山である。その山という山の稜線に風車が立ち並ぶようになったのである。2010年頃からのことだ。風力発電において中国がアメリカを一気に抜き去って世界一に躍り出たのが2010年であったが、中国のいたるところで風力発電が建設されたのだろう。
これらの山に村や人家は稀である。その分、低周波の害などはあまり問題にならないかもしれない。その反面、建設のための道路づくりや後の保守は困難だろうが、いまの中国はこうしたことをとにかくやってしまう。
塩害地に出現したメガソーラー
2012年になって、大同-渾源-霊丘の高速道路が開通し、渾源までは1時間弱、霊丘までは2時間ほどに短縮された。20年前は霊丘まで最低でも7時間はかかったものだ。
2013年3月、久しぶりに省道203号の一般道を走った。あの塩害地に差しかかったところで、道路の東側にきらきら光るものがみえる。車を停め、カメラを持って走った。やっぱりそうだ。ソーラーパネル。それもものすごい数。
説明パネルによると、現在は計画の1期で、敷地面積は56.6ha、設備能力は20MWで年間発電計画量は2678万kWh。建設しているのは保利協鑫集団で、1期の投資額は2.2億元。1期分が稼働すると1年間に石炭8100tを節約でき、CO2を22,108t、SOxを168.4t、NOxを57.1t削減できると書かれている。耕地には利用できず、地盤が軟弱なため工業用地にも不向きな塩害地に、メガソーラーは最適の利用方法だろう。しかもここは雨が少なく、日差しが強い。
保利集団は軍と関係の深い企業集団で、貿易や不動産に強いそう。協鑫集団は本部を香港におき、中国本土をはじめ、ベトナム、シンガポールなどにも進出したソーラーパネルの世界的メーカーのようだ。ソーラーパネルを製造して売るはずの企業がどうして自分で設置しているのか?
ここに多結晶シリコンを製造する工場をつくり、必要な電力をこのメガソーラーでまかない、生産したシリコンをソーラーパネルに回す。そんな計画だそうで、「循環型産業」という表現もあった。
いまの段階では5期まで計画されており、台湾出自の鴻海科技集団(Foxconn。中国では富士康)も加わって、500MWあるいはそれ以上の世界最大の太陽光発電所をここに建設する計画があるそうだ。
2013年8月には、国際ソーラー・デカスロン(十種競技)が大同で開催される。アメリカエネルギー省が呼びかけ、これまでに5回、アメリカとヨーロッパで開催されていたものが初めてアジアで開催されるのだという。石炭の煙と風砂にくすぶっていた内陸の地方都市=大同に転機がやってきたのだろうか?
【筆者略歴】
1948年鳥取県生まれ。1970年東京大学教養学部中退。日本と中国の民間交流に従事したあと、1992年緑の地球ネットワークの結成に参加し、1994年から事務局長。著書「ぼくらの村にアンズが実った」(日本経済新聞社)は中国版と韓国版が出ている。友誼奨(中国政府)、大同市栄誉市民、緑色中国年度焦点人物(全国緑化委員会、国家林業局等)、外務大臣表彰などを受賞。