東京財団
小原 凡司
1 全人代2015の主要テーマ
2015年3月15日、中国で全国人民代表大会(全人代)が閉幕した。全人代は、日本で言えば、国会に当たる。また、全人代は中国共産党が決定した方針を国家の政策にする場である。したがって、今回の全人代の主要テーマの一つは 、2014年10月20日から23日の期間に開催された党18期4中全会で決定された方針を政策化することであった。18期4中全会のテーマは「法治」であったので、「法治」を実践するための政策等を決定したということだ。
全人代において李克強首相が行った政府活動報告を見れば、中国指導部の関心が経済にあり、改革の必要性を強く認識していることが理解できる [i] 。中国指導部が強調する「法治」は、法律及び規則といった形をとった中国共産党の指導に従うことを強く求めるものだ。これは、既得権益を得ている者たちに対し、改革の痛みを甘んじて受けよと伝えたということでもある。広義には、官僚の怠慢改善や反腐敗もこの中に含まれると言って良い。
今年の全人代では、経済成長率を7%に抑え、構造改革を実施する決意を示した。また、中国共産党の諮問機関であり人民民主統一戦線組織である中国人民政治協商会議(政協)の兪正声全国委員会主席も、習近平国家主席が唱える中国経済の「新常態(ニューノーマル)」を強調し、安定成長と構造改革の両立をめざす方針を訴えた。「新常態」とは習近平主席が使い始めた言葉であり、構造改革を進めつつ、中高速の安定成長を目指す状況を表す言葉だとされる [ii] 。
経済成長が抑制される一方で、国防費は経済成長を上回る二桁の伸びを見せた。全人代で公表された中国国防費の伸び率は10.1%であったが、その多くは海軍及び空軍に割り当てられていると見られる [iii] 。中国の研究者は、「空軍の予算は大幅に増加しているが、それでも海軍への配分が一番多い」という。この発言は、まだまだ海軍の増強が必要だという認識を示すものであるが、中国指導部が更なる海外への活動の拡大を企図している事情をも示している。中国は、空母及び大型艦艇の建造を加速し、それらをグローバルに戦略的に展開することを企図していると考えられる からだ [iv] 。
2 西への進出 を図る中国
中国の対外政策にかかる発言は、3月8日の記者会見において、王毅外交部長によって行われた。王毅外交部長は、習近平指導部 の「一帯一路」イニシアティブが、中国の政治及び軍事的利益を追求するのが狙いではないかという外国メディアの質問に対し、「一帯一路の理念は共同発展であり、目標としているのはウィンウィンである。中国の『独奏曲』ではなく、各国が共同で参加する『交響楽』である」と述べて、中国だけの利益を追求するものでないと強調した [v] 。
「一帯一路」とは、陸上のシルクロード経済ベルト(帯)と21世紀海上シルクロード(路)の二つのシルクロードのことを意味する。アジアからヨーロッパに至る巨大な経済圏を、陸上と海上に建設しようという構想である。2012年10月に北京大学の王緝思教授が提唱し始めた「西進」戦略は、習近平主席によって「一帯一路」イニシアティブとして実践に移されようとしている。王緝思教授は、経済、政治活動及び国家利益を促進する「西進」は戦略的意義を有すると述べる。王教授によれば、それは米中バランスを作り出し、米中の戦略的相互信頼を促進するのに有利であるからだ [vi] 。
王緝思教授の論理の背後にある国際情勢認識は、世界各地域において米国の影響力が圧倒的に大きいことに対する中国の危機感に基づくものである。「米中バランスを作り出す」という表現は、中国が米国と対等なパワーを持つという意図を示している。しかし同時に、「米中戦略的相互信頼を促進する」と述べるのは、台頭しても米国との衝突は避けなければならないという意識の表れである。
本来、「西進」戦略は、中国内陸部の経済発展にも焦点を当てるものである。しかし、習近平指導部によって実践される「一帯一路」は、対外関係の展開の側面が目立つ。今や中国は、中央アジア、南アジア、中東のみならず、ヨーロッパにまでその影響力を拡大しつつあるのだ。
3 中国が狙う影響力とは何か
現在、中国が拡大を企図する影響力は、経済力及び軍事力の両方を背景にしている。経済的影響力は、主として直接投資によって及ぼされている。これら直接投資は、中国自身の経済的利益にもつながる。港湾や高速鉄道への投資は、中国が進める2つのシルクロード建設そのものであり、中東、南アジア及び東南アジアから中国へのエネルギー資源の輸送、並びに、中国からヨーロッパに至る各地域への商品の輸送を促進するものである。
中でも、港湾の管轄権及び使用権の取得を伴う直接投資は、国境を跨がずにすむという海上輸送の利点を活かし、ヨーロッパに直接アクセスできる手段を提供する。中国は、ヨーロッパにおける足掛かりをギリシャに求めそうだ。2015年2月19日、ギリシャのピレウス港に入港中の中国海軍揚陸艦「長白山」艦上で実施された新年招待会にチプラス首相が出席した。新華社は、同首相が「ギリシャは中国製品が欧州に入る重要な門戸である」ことを強調したと報道している [vii] 。
ギリシャはまた、中国の中東欧における高速鉄道建設にも参加の意思を表明しており、海と陸両方のシルクロードのヨーロッパへの玄関になる可能性がある。ギリシャが中国の直接投資を歓迎するのは、その経済危機による影響が大きいが、EUとの交渉において、中国マネーを牽制の材料にしているとも言われる [viii] 。経済的に問題を抱える国に対する投資は、その国に対する中国の影響力を高めるが、それだけではない。EUの中に、中国を支持する勢力を確保 することができるのだ。各地域において、中国支持の勢力を有することは、グローバルに米国と影響力を競う上で重要な意味を持つ。
訪問した海軍艦艇の上で、一国の首相が協力を謳い上げるというのは、ギリシャの、あるいはヨーロッパ諸国の対中脅威認識の低さがなせる業かもしれない。ピレウス港の経営権の一部を握っていること は、中国海軍にとっても大きな意味を有する。地中海への海軍艦隊の展開である。さらに中国は、地域における中国支持勢力に対して、軍事力のバックアップがあることも見せつけるのだ。しかし、中国支持勢力を拡大する方法は、地域によって異なる。地理的に中国に近い地域には、対中脅威認識が高い国々があり、そう露骨なことはできない。
4 東南アジアにおける「双軌」モデル
中国にとって南シナ海は死活的に重要である。海底資源及び海上輸送といった経済的利益のみならず、軍事的には大陸間弾道弾を搭載した原子力潜水艦をそこに展開させることにより、米国の核攻撃に対する核報復攻撃の最終的な保証を与える海域だからである。中国の軍事戦略を見る限り、中国は生粋のリアリスト(現実主義の信奉者)であるように見える。一方で、既存の覇権国である米国は、潜在覇権国である中国の台頭を、軍事力を用いて阻止する可能性を考えているのだ。中国が、米国を唯一のライバルと見做し、米国に対して「新型大国関係」の構築を働きかけるのも、軍事衝突の可能性があると認識すればこそである。
こうした認識に基づく限り、中国は東南アジア諸国に対して実力行使をしてでも南シナ海全域のコントロールを確保しようとするだろう。リアリズム(現実主義)の立場に立てば、米国または中国の行動に対する善悪の区別は存在しない。なぜなら、国際情勢は、大国の生存競争によって規定されるに過ぎないからだ。中国が軍事力を増強するのは、生存確率を最大にする手段が、自ら覇権国になることだということを理解しているからだと捉えられる。中国は、その政治指導者が誰であるかに関わらず、またその意図に関わらず、大国として自然に覇権を目指すということである。
一方で、東南アジア諸国の間に強硬な反中勢力が存在することは、中国にとって、軍事及び経済活動を拡大する上で好ましい状況ではない。そこで、中国が提唱し始めたのが「双軌思考」だ。中国が、南シナ海における問題について「双軌」を初めて提唱したのは、2014年8月のASEAN外相会議においてである。王毅外交部長が、「中国は『双軌思考』に基づいて南シナ海問題を処理することに賛成し、それを唱道する」と述べたのだ [ix] 。ここでいう「双軌」とは、「争議については当事国同士が友好的な協議を通じて平和的解決を追求」し、「南シナ海の平和と安定については中国とASEANが共同でこれを維持する」という二つの協議のトラックを意味している。
同年11月のAPEC首脳会議において、今度は、李克強首相が南シナ海における「双軌思考」を主張した [x] 。この後、「双軌思考」は、中国国内で「双軌モデル」とも呼ばれるようになり、実際の外交政策として展開されることが示唆される。また、「双軌」の具体的意味についても、その解釈が報道されるようになった。「双軌」の二つ目のトラックである「南シナ海の平和と安定については中国とASEANが共同でこれを維持する」という表現は、「地域の経済一体化こそ、中国の主要な目標である」という意味だというのだ [xi] 。これは、中国が、東南アジアが一つの巨大な経済圏となることの経済的メリットを理解していることを示すとともに、地域を一体化させることによって、中国支持勢力の影響力を以て一部の強硬な反中姿勢を抑制する効果をも期待していると考えられる。東南アジアにおける中国支持の空気を支配的なものとするためには、二国間で各個に協力するのではなく、ASEANと協力した方が効果的であると考え、領土問題と切り離したのだと言える。
5 中国の意図を分析する意義
中国は、ヨーロッパに至る各地域で、その影響力を高める努力を継続し、中国を中心とした巨大な経済圏の創出を試みている。しかし、現在、これらの地域は、米国の軍事力を含む影響力の下にある。中国の影響力の拡大は、米国の心配と疑念を高めることになるだろう。
オーガンスキ(A.F.K. Organski)のパワー・トランジション論や、ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)のオフェンシブ・リアリズム(攻撃的現実主義)は、衝突が生起する論理に差異はあっても、覇権を争う大国の衝突は不可避であるとする。もし、そうだとするならば、中国の意図を分析することは無意味である。そして、日本を始めとする周辺国は、専ら米中軍事衝突に備えなければならない。米中衝突が未だ生じていない理由は、リアリズムの理論に当てはめれば、中国が未だ米国に対抗するだけの実力を有していないからだ、ということになる。この指摘自体は正しい。中国経済は急速な発展を遂げているが、これまでの経済モデルが限界を迎えており、経済構造改革の必要に迫られている。軍事力について言えば、武器装備品単体の近代化は進んでいるが、作戦/運用は未だ近代化の途上にある。
それでもなお、将来における米国と中国の衝突が不可避であるかどうかは確定していない。中国がリアリズムに則った情勢認識をし、米中軍事衝突に備えようとしていることは確からしいとしても、一方で、米中軍事衝突を避ける努力も継続している。中国は軍備増強を継続しているので、米国との軍事衝突を避けているのは、自らが十分なパワーを有するまでの時間稼ぎであるという見方にも説得力がある。中国が覇権を握る可能性があれば、米国は、当然これを抑え込もうとするだろう。米中衝突を回避できるかどうかは、米中両国の「恐怖」を解消できるかどうかにかかっている。大国が衝突せざるを得なくなる条件の一つは、相手の意図が理解できないことなのだ。この意味において、中国の認識及び意図を理解することは極めて重要であると言える。