東京財団研究員
西田 一平太
11年ぶりに改定される「日本外交にとって最大のツール」
日本によるODAは1954年のコロンボ・プラン加盟に始まる。当初、日本の国際社会への復帰という意義を有していたODAは、幾つかの変遷を経て、今では「日本外交にとって最大のツール」と称されるようになった。60周年目にあたる今年、日本政府は3度目となるODA大綱の改定を予定している。
大綱の改定が求められる背景事情としては、主に4つの要因がある。まず、現大綱が策定された11年前の2003年とは、国際環境が変化している。多くの途上国では経済的な成長を遂げたが、格差の拡大や統治の不安定性などに由来した新たな課題が浮上している。また、グローバル化の進展とあいまって、テロや災害などの越境的な課題がより直接的かつ深刻な脅威となってきている。一方、中国やインドあるいは湾岸産油国などの新たな援助提供国の出現と、世界全体のODAの約2.5倍ともいわれる民間資金の途上国への流入は、援助の競争環境を激変させている。更に、新興国の急速な台頭と日本を含めた先進国の相対的な国力・影響力の低下は、日本の置かれた国際環境が大きく変化してきていることを示す。日本がグローバルな外交を展開するうえでODAが無くてはならない手段として認識されるのは、このためである。
改定への直接的な契機は、安定した政権の発足と「国家安全保障戦略」、「日本再興戦略」が策定されたことだろう。これらの文書において、ODAは日本を取り巻く国際環境を整えていく役割が期待されている。例えば、国家安全保障戦略では「平和で安定し、繁栄する国際社会を構築」するための手段として、PKO等の自衛隊による国際活動との連携促進や安全保障分野での協力指針が明記された。また、日本再興戦略では、「インフラ輸出・資源確保」の一環として、「好ましい国際環境の構築」と「人間の安全保障の推進」を柱にODAを戦略的に活用することが示されている。外務省の資料においても、これら二つの戦略文書が今回の改定につながったことが明記された。
外務省は2014年3月末にODA大綱の改定を表明し、併せて有識者懇談会を設置した。同懇談会は計4回の会合を経て、6月26日に岸田外務大臣に対して懇談会報告書を提出した。この中でも、「時代認識と外交政策」を示すものとして両戦略文書が紹介されている。10月28日に公表された政府案は、懇談会報告書の内容を基本とし、PKOとの連携やインフラ輸出におけるODAの活用など、戦略文書でうたわれた要素が随所に盛り込まれている。
政府案の3つの特徴―重視される国益の視点
政府案の特徴は、大きく3つある。
一つめは、大綱が対象とする範囲の拡大である。このことを端的に示すのが名称の変更であり、従来の「政府開発援助(ODA)大綱」から「開発協力大綱」へと変更が予定される。実施内容としては、ODAを中核としつつも、日本政府による他の経済協力やPKOなど自衛隊の国際活動との連携、企業や途上国の開発問題に取り組む非政府組織(NGO)との関係強化を通じて相乗効果を高めることが目されている。
これに伴い、「開発」の概念も「平和構築やガバナンス、基本的人権の推進、人道支援等も含め」たものに広がりを見せている。従来の途上国の経済成長と社会発展だけでなく、法の支配や民主化の促進などが前面に打ち出され、価値外交の側面が強調されている。さらに、国際社会の平和と安定に対する協力を重視し、従来の平和構築に加えて海洋や宇宙・サイバー空間といった国際公共財の維持に関わる協力にまで及んでいる。
次に、今回はじめて盛り込まれた国益の視点である。政府案は、開発協力の目的を「国際社会の平和と安定及び繁栄の確保により一層積極的に貢献すること」と定義する。安定的な国際環境を構築し、現行の国際秩序を維持することは、日本の安全と繁栄に不可欠であるという認識である。日本に限らず、援助には少なからず国益の側面があり、このこと自体は特に真新しいことではない。しかし、「国益の確保」への貢献が大綱文書に明確に示されたことは新たな展開と言えよう。
実際、近年においては国際益と国益の重なる領域は広がりつつある。「外交ツール」としての援助は、例えば二国間外交においては、両国の政治関係を進めるソフトパワーの源泉として認識される。経済的な連携や人的交流を通じて相手国の持続的な成長を支えることは、相互理解を深めるとともに日本の輸出市場拡大や資源の安定供給といった機会を提供する。
政府案ではまた、「外交政策に基づいた戦略的かつ効果的な」政策方針を策定するとしている。その一環として、新たに地域別政策が導入される見込みである。従来、日本の援助は国別・課題別指針のみが策定され、地域や準地域機構の発展が政治的にも影響力を増しつつある東南アジアやアフリカの実情に即していなかった。現在は、大規模自然災害や感染症、テロや海賊といった越境的な事態に対する対処の必要性もある。人道的な観点に加え、これらが日本の経済や安全を脅かすことの無いように開発の面から広域支援を行うことが求められている。
最後に、相手国の軍隊に対する協力である。政府案では、従来の「軍事的用途及び国際紛争助長への使用の回避」の原則を堅持するとしたうえで、「民生目的、災害救助等非軍事目的の開発協力に相手国の軍又は軍籍を有する者が関係する場合には、その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」と明記された。これも有識者懇談会の報告書の提言に即したものであるが、この一文を含めるかどうか政府関係者の間では相当の検討がなされたものと推測される。注意しなくてはならないのは、「非軍事目的」という用語である。ここで意味するのは、「非戦闘目的」のための軍に対する協力として読み取らなければならない。軍が対象であるから支援しないというのでなく、「実質的意義」が人道目的であり相手国の開発に向けたものであれば検討も可能とすべきというものだ。
途上国では特に軍に人的資源・物的資源が集中していることが多い。このため、軍隊を開発のための政策手段として捉え、民生向上に向けて活用しようという考え方は現実に即しているとも言える。このような用途にODAを通じた支援が適しているかは別として、支援が対外軍事行動や圧政に用いられることが無いように案件ごとの精査が必要であることは言うまでもない。相手国の軍隊によって開発を後戻りさせるような圧政や暴発が引き起こされることの無いよう、援助機関による政治動向の把握や軍事活動のモニタリングなど、国際社会との連携が求められる。
浮上する2つの課題―実質的な連携体制の構築と新たな援助形態の整備が必要
政府案を概観すると二つの課題が浮かび上がってくる。ひとつは、多様な援助主体との連携強化をどのような体制で図っていくかである。現在の案では、開発協力に関わる省庁間の連携、国際協力銀行や日本貿易保険などほかの公的機関との連携、民間企業や地方自治体との連携、緊急人道支援や国際平和協力における国際機関・人道支援団体・自衛隊との連携、国連などの国際機関やアフリカ・アジアの地域機構との連携、ほかの援助提供国との連携、市民社会との連携などがうたわれている。網羅的である反面、どのように連携を深めていくかという点においては明瞭でない。現状の体制ではどのような連携が不足しているのかを明らかにし、将来を見据えて今後の連携の姿を示すべきではないだろうか。
特に省庁間連携については、外務省を中心として企画・立案の調整を行っていくとしているが、現在行っている各省間での連絡協議と何が異なるのかは明確ではない。政府案では国際協力として支援対象とする分野に広がりを見せている。より効果的な援助を志向するのであれば、優先的に取り扱う分野については新たな体制整備が求められよう。その好例は官邸に置かれている「経協インフラ戦略会議」である。同会議は、内閣官房長官を議長とした、財務・総務・経済産業・外務・国土交通ならびに経済再生担当大臣による途上国等へのインフラ輸出の戦略会議である。ODAをはじめとした経済協力は重要な要素として位置づけられ、安倍首相の外遊時にトップセールスを展開する地域戦略と体制が整っている。
同様に、個別具体的な活動よりも政策的に統合された取り組みの方が政策効果を期待できる分野として、平和構築や国際平和協力など国際社会の平和と安定に対する支援がある。10月23日に公表した東京財団の提言書では、この分野における総合的な取り組みを「包括的アプローチ」と呼称し( 図1参照 )、広義の平和構築支援について国家安全保障局の下で省庁横断的な体制で取り組むことも検討すべきと提言している。
もう一つの課題は、新たな援助大綱の対象範囲である。グローバルな課題はODAだけでは解決しない。この点において、政府案が開発の領域を広げ「開発協力大綱」とした意義は大きい。他方、手段としての対外援助に着目すると、政府案はODA等の既存の枠組に留まっており、発展性に乏しい。現在ではODA卒業国とされる国に対する支援も開始されている。一般に「コストシェア技術協力」と呼ばれるこの支援形態は、サウジアラビアやカリブ諸国などこれまでODAを通じて支援をしてきた国に対して、継続して開発協力を行おうというものである。日本のインフラ輸出の呼び水として、今後拡張されることが予想される。しかし、これはODA卒業国に対する援助であることから、厳密には日本が加盟する経済協力開発機構・開発委員会(OECD-DAC)の定義するODAではない。しかしながら、日本政府の予算としてはODAとして確保されているという矛盾が生じている。
このことを踏まえ、新たな大綱ではODAではない新たな経済協力形態の整備に着手する旨も明記されるべきだろう。DAC規定に即さない支援、つまりODAという認定がなされない支援については、軍に対する「非戦闘目的」の支援もODAではない経済協力形態で行う方が良いのかもしれない。現行のDAC規定では、開発や人道支援を主目的とするものであれば軍に対する支援も認定されることがある。ただし「ODAの軍事利用」といった誤解に基づく批判が日本のODAの評価を内外で下げる恐れもあることから、別枠として新たに制度を整えることも検討すべきと考える。
求められる大綱の位置づけの明確化と対外援助全体の検討
11年ぶりとなるODA大綱の改定は、国内外の変化の時機を得たものである。政府案には、援助効果を高めるため「戦略性の強化」が強調されている。一方で、更に高次の視点から政府案を見直すと、国家戦略の中で国際協力がどのような役割を担うのかが明確にされていない。前述の二つの戦略文書との関係については、本文では言及されずに、政府案と同時に示された閣議決定文書案に「国家安全保障戦略も踏まえ」と触れられているだけである。したがって、政策文書として見たときには、新たなODA大綱はどのような位置を占めるのだろうかという疑問が湧いてくる。
大綱文書は閣議決定事項として政策の基本的な方向性を示すものではあるが、実施における法的拘束力はない。これまで通り、理念と原則を主体とした性質を有する文書であるのか、上位に位置する戦略文書を受けて実施に重きを置いた文書であるのか判然としないままでは、打ち出される指針の実効性にも影響する恐れもある。このため、新たな大綱の位置づけは明確にしておくことが望ましい。
また、政府案は国際協力大綱として支援対象や手段を広げつつあるが、それらは主に経済面におけるものであり従来の延長上にある。一方、国際社会においては不確実性が高まっており、地域の平和と安定に対する貢献も重視されている。実際、安全保障の側面においては、防衛省・自衛隊による「能力構築支援」や今年4月の閣議決定で可能となった平和目的のための防衛装備品の移転といった支援形態が発足している。これらはまだ初期段階にあるが、日本の対外援助のポートフォリオにおいて重要な役割を担うことが期待される。援助の戦略的な活用を語るのであれば、将来的には、これらをも含めた対外援助全体の在り方を整理し、その活用の方向性についての総合的な検討が求められるだろう。
参考1 :外務省は11月27日までパブリックコメントを募集している。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/kaikaku/taikou_minaoshi/taikouan_iken.html
参考2 :東京財団政策提言