2016年も残すところあとわずか。皆さんは、今年1年どんな本に出会いましたか。東京財団研究員が、今年読んだ本からおすすめの一冊を紹介する書評特集です。研究員の横顔がうかがえる選書と専門家ならではの鋭い分析・論評をお楽しみください。
評者から選ぶ(50音順)
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書籍から選ぶ
モラル・リーダーを欠いた社会が向かう先
Robert Coles著 "Lives of Moral Leadership" (Random House, 2000)
「アメリカがこんなことではいけないんだ」と、貧困問題から目を背ける政治の現状にいら立ちつつ、政治の都ワシントンの障害物競走を巧みに走り抜けようとするロバート・ケネディの逸話から本書は始まる。著者コールズは、上院議員、公民権運動時代の名もなき市民、著名な社会活動家らの声をテープレコーダーに拾い、シェークスピア、コンラッドらの文学作品をも引きながら、モラル・リーダーのあり様を綴った。
1998年に発覚した醜聞と合衆国大統領の権威失墜が執筆の動機だと、著者は示唆している。道義的に正しい道筋を指し示す存在なくして、組織や社会は立ち行かないが、肩書や権力に依らずとも、勇気や理想に形を与え、社会を変えることはできる。個々人の勇気ある決断と行為こそが、隣人の社会的使命感を呼び覚まし、連鎖反応を生む。著者はそうしたボトムアップの、静かな指導力発揮に期待を寄せている。本書が出版された2000年から時を経て、トランプ政権の誕生にあたり、モラル・リーダーシップをめぐる環境はまた一つ、大きな転機を迎えた。
有名無名のモラル・リーダー列伝が暗示するのは、彼らを欠いた社会がたどり着く先ではないか。その時、指導力とは、僥倖を頼むことなく、平凡な日々の中で培われるもの、という筆者の指摘がより切迫感をもって受け止められる。
プーチン・ロシアとは何か
フィオナ・ヒル、クリフォード・G・ガディ著、 畔蒜泰助監修 『プーチンの世界―「皇帝」になった工作員』 (新潮社、2016)
ロシアのプーチン大統領の訪日が終了した。安倍政権の奮闘努力にもかかわらず、今回も懸案の北方領土問題の解決を含む平和条約締結交渉には大きな進展がみられず、プーチン・ロシアの手強さだけが強烈な印象として残された。そんな今だからこそ、ぜひともひもといてほしいのが本書だ。ウクライナ危機やシリア内戦をめぐって米国や欧州諸国と真っ向から対立しても一向にひるまず、互角以上の闘いを演ずるウラジーミル・プーチンとはいったい何者なのか。どんな国家観・世界観の持ち主なのか。フィヨナ・ヒルとクリフォード・ガディという米ブルッキングス研究所のコンビが、そんな疑問にときに推理小説ばりのストーリー展開を交えつつ、鮮やかに、しかも重厚に読み解いていく本書は、欧米のロシア・ウォッチャーの間では既に必読の書となっている。2018年の露大統領選でプーチンが再選される可能性は高く、そうなればわれわれは少なくとも24年まで彼と向き合うことになる。プーチンの行動原理を理解したいと考えている人びとには、その第一歩として、年末年始に本書を熟読することを強くおすすめする。
TPPなき国際経済秩序を理解するために
2016年11月の米国大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利して以来、各国にトランプ新大統領の標榜する政策について懸念が渦巻いている。トランプ氏が選挙終盤に掲げた「政権移行100日で経済改革を一気に進める」という、いわゆる「100日計画」は、現在の国際経済秩序に衝撃を与えかねない。
なかでも、「米国がTPPから撤退する」という宣言は、日本に衝撃を与えたばかりでなく、中国の対外経済戦略にも影響を及ぼすものだ。トランプ新大統領が、本当にTPPから撤退したら、国際経済秩序は中国の思いどおりのものになるのか、真剣に考えなければならない。
TPPなき国際経済秩序を理解するためには、中国マネーがいかに世界を目指しているのか、その考え方と実際の行動を理解しておく必要がある。本書は、その視点を提供するものであり、今まさに読んでおくべき一冊である。
保守はどこに向かうのか、その羅針盤に
以下、本書の序文から。
―「再帰的近代」では、人々は自らの過去や伝統を自覚的に問い直す。もし現代においてなお保守主義に意味があるとすれば、そのような過去や伝統を、たえず豊かなものへと捉え直していく営為に見出すべきだろう。もはや過去や伝統は自明ではない。だからこそ、それを再解釈して再編集していくことが必要であるといえる。過去の歴史のなかに、自らの拠って立つべき価値や基準の源泉をいかに見出すか。それをどのように再解釈すれば、現代的なかたちで甦らせることができるか(17~18頁)。
斬新な視点で解く統計学の基礎から応用
本書は統計学の基本から説き起こし、難解なブラック・ショールズ理論までの解説を試みた意欲的な書籍である。観測誤差への関心から確率分布、標準偏差、ランダムウォーク、確率微分方程式の重要性についてコンパクトかつ直感的に解説している。評者も統計学の入門書を執筆したが、著者はかつて話題になった「物理数学の直観的方法」を執筆しており、非常に難解な内容すらも独創的な表現力でわかりやすく解説するスタイルが、本書にも十二分に発揮されている。文系・理系を問わず、統計学の基礎で挫折したことのある一般読者だけでなく、経済やその他の専門家もその斬新な視点から多くを学べる。
本書では、確率現象を「誤差が一定方向に出ることがわかっている場合、人間や自然はそれを何らかのかたちで修正」する部分と、全方向に「全く同じ大きさで現れる誤差に関しては、人間は修正の方法をもたず、それは確率の神の手に委ねるしかない」部分へと二分する点を重視している。実際の経済推計の正確性について議論になるが、偏りのある誤差(トレンドやバイアス)と対称の誤差(ランダムネス)の違いを適切に把握することは、確率統計にかかわるどの分野にも重要だとわかる一冊である。
大局的思想と学問的専門性の重要性に立ち返る
Simon Sebag Montefiore "Jerusalem: The Biography" (Random House, Inc., 2011)
本書は720ページの大著である。著者は、祖先に関係者がありエルサレムに住み、原典に当たって書かれた。宗教・教義は、真実と科学とはかならずしも一致しない難しさを知り執筆された本書は、ダビデ王統治、バビロン捕囚、ペルシアとマケドニアの勃興とキリストの登場、12使徒巡教の旅、ローマ帝国コンスタンチンヌス帝の国教化やビザンチン帝国のユステチアヌス帝の絶頂期、マホメッドの登場とウマイヤ朝、アッバース朝のアラブ社会が興亡し、奴隷王朝からセルジュークトルコとオスマン帝国に権力が奪われ、一方的に西欧十字軍が攻め込む。1967年の六日戦争(第三次中東戦)まで3000年のユダヤ民族の歴史と宗教を描いている。
エルサレムは一つの神と3つの宗教―ユダヤ教、キリスト教とイスラム教の源だ。この間の移り変わり、破壊、戦争と融合を聖地エルサレムに焦点を当て描く。詳細にかつ、一連の流れで描く。学問に大局的思想と各専門のつながりが消滅し、広く深い哲学と大局観が不足し専門家が自分の位置を見失っている現在、単なる歴史書と宗教書を越えて多くの読者や学徒に大いに参考になろう。
冷戦後の米国の自画像にいかなる自省が込められているのか
Michael Mandelbaum著 “Mission Failure: America and the World in the Post-Cold War Era” (Oxford University Press, 2016)
本書は、かつてフォーリン・ポリシー誌で世界的な思想家100人にも挙げられたM・マンデルバウムによる冷戦終結後の米外交の総括の書である。1991年の湾岸戦争を契機として、米国は明確な脅威が存在せずとも、人道支援や国家建設支援を目的としてソマリア、ハイチ、コソボに介入していった。そして9.11を契機としてアフガニスタンやイラクにも軍事介入をした。これらの軍事介入を正当化したのは、米型のリベラルな価値をインプラントすることにほかならなかったが、著者は過去25年の試みの多くが失敗に終わったと断罪している。著者は、米国の前方展開戦略や介入がことごとく無価値だったと言っているわけではない。これら新興国や国家建設の途上にある国々の社会内部をリベラルな価値に変革する能力は米国にはなかったというのである。米国が内向きになる傾向が指摘される現代に、冷戦後の自画像にいかなる自省が込められているのかを、本書は語りかけている。
廃棄物を通じて中国・アジアの実態をのぞく
Masashi Yamamoto, Eiji Hosoda編 "The Economics of Waste Management in East Asia" (Routledge, 2016)
本書は、資源循環経済学を理論的基礎に置き、アジア新興国、特に中国の廃棄物リサイクルの最新動向について分析したものである。3部構成のうち、第1部では、廃棄物リサイクルの理論を解説し、続く第2部では、中国、タイ、台湾の廃棄物リサイクル政策の特徴と課題について分析。第3部では、これら東アジア地域における廃棄物取引や国際協力を扱っている。東京財団では、2010年から中国の環境問題について研究を重ねてきた。本書の執筆陣には、その研究メンバーも複数含まれる。
経済活動から生み出される廃棄物は、多かれ少なかれ潜在的な資源性と汚染性の双方を備えている。リサイクルとは、汚染性を顕在化させることなく、可能な限り製品・部品・素材として経済活動に戻すことといえる。
一方、廃棄物が国境を越えて取引される現在、多くの廃棄物は、費用のかさむ国を逃れて、インフォーマルアクターが跋扈する他国に流れてしまう。実際、中国は、世界の廃棄物取引の約20%を占める世界最大の廃棄物輸入国であり、日本からも多くの廃棄物が流出していると指摘されてきた。しかし、中国やアジア新興国でのリサイクルの制度や実態の最新動向については国内外を通じて情報が乏しかった。
本書は、現地の当局者や業界関係者からのヒアリングと実地調査を踏まえて、中国・東アジアにおけるリサイクルの実態や制度上の課題を明らかにしている点で興味深い。環境経済学や静脈産業にたずさわる人のみならず、中国やアジア新興国の経済社会に関心をもつ人びとにも、多くの気づきを与える書である。
逃亡中のエピソード通じて浮き彫りになる中国社会の現状
顔伯鈞著、安田峰俊訳・編 『「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄 』 (文春新書、2016)
本書の著者は、中国共産党官僚の財産公開を求めて運動していた北京の大学教員である。当局に睨まれ、仲間たちが逮捕されていく状況下で北京を脱出し、ミャンマー国境地帯、香港、チベットなどに及ぶ逃避行の果てに、一旦は逮捕、勾留される。保釈された後、再び官憲の手が迫ったため再度北京を脱出し、バンコクまで逃げたところで日本人ジャーナリストに出会い、逃避行の記録を手渡した。その抄訳が本書である。
驚くべきは、身の危険を顧みず、お尋ね者となった著者を匿い、逃がしていくシンパのネットワークの存在だ。1989年のいわゆる天安門事件の後でも、本書に記されたような義侠心あふれる支援者のつながりが、多くの学生指導者たちを国外へ脱出させたのだろう。また、逃亡中の様々なエピソードが中国社会の現状を明らかにしており興味深い。例えば、逃亡中に内装工事の現場監督として働いた際には、警官や役人、チンピラなどが次々にたかりに来たりする。普段は見えにくい中国の一側面を描き出した本書だが、書名がいかにも際物出版風なのが残念だ。
日本外交の生き字引、緒方貞子氏の問いかけ
野村健、納家政嗣編 『聞き書 緒方貞子回顧録』 (岩波書店、2015)
上智大学教授、国連難民高等弁務官、JICA理事長などを歴任した緒方貞子氏は、国際関係、日本外交のまさに生き字引である。学生時代には東京裁判を傍聴している。そして、「この裁判は、戦勝国による敗戦国の審判に過ぎない」としつつ、「満州事変から日中戦争そして太平洋戦争に至る日本の外交政策の失敗は明白」であり、「それにかかわった政策決定者にはやはり責任があります」と明快に述べ、それが満州事変研究の動機だったと語るのである。若くしてこの鋭さとバランス感覚である。そして、「人権屋さんでも難民屋さんでもなかった」緒方氏は、それぞれの分野で世界の第一人者になる。
そうした活躍の根底にあるのはヒューマニズムなのかとの問いには、「そんな大それたものではない、人間としての普通の感覚」だと喝破する。耐えられない状況に放置された人間や凄惨な現場を見てきたという緒方氏は、「見てしまったからには、何かをしないとならないでしょう? したくなるでしょう? 理屈ではないのです」と語る。この国際主義、人道主義、そして同時に究極のリアリズムとプラグマティズムをわれわれはいかに引き継いでいけるのだろうか。重い宿題である。
世界を動かす小さな存在
マーティン・J・ブレイザー著、山本太郎訳 『失われてゆく、我々の内なる細菌』 (みすず書房、2015)
見えないものが生命にとって重大な役割を担っている。本書は肉眼では見えない世界へ読者をいざなう。著者は米国の微生物学の教授である。
生態系と聞くと、生物多様性や動植物の間における食物連鎖などを思い浮かべるが、人間の体内の生態系も実に多彩である。人体には細胞の3倍以上に相当する100兆個の常在菌があるという。近代医学は細菌の発見により発達してきたが、本書によれば、細菌の一部の側面しか見てこなかったことになる。可視化はさまざまな場面で要請されているが、医療も人体構造の解明や診断技術の向上などにより、目に見える領域を拡大することで人々に恩恵をもたらしている。しかし、長年にわたって人類の体内で共存してきた細菌のことは未だ十分に見えていない。
超高齢社会の到来は医療の役割を変えている。人口動態というマクロの変化に政策は注力しているが、本書は人間の個体内におけるミクロの変化にも目を配る必要があることを気づかせてくれる。
会社人間の悲哀
内館牧子著 『終わった人』 (講談社、2015)
戦後の日本、人々は豊かさを求め、都会へと流れた。社会の制度も企業を中心に設計され、組織に属さなければ十分な保障を受けられない。2025年には、戦後生まれの団塊の世代が全員後期高齢者になるが、医療・介護・年金と、国は将来負担の全体像を示そうとしない。具体的な金額をありのまま示せば、社会的パニックになるおそれがあるからではないか。
本書の主人公、田代壮介も昭和24年生まれの団塊の世代である。盛岡の地元高校から東京大学法学部を経てメガバンクに入行し役員寸前までいくが、出向・転籍となり定年を迎える。その後もエリートのプライドをかけ職場探しをするが、高学歴やメガバンクの職歴があだとなってなかなか進まない。家族との関係もギクシャクして孤立感が深まっていく。
冒頭の「定年って生前葬だな」という言葉が読者をつかむ。さらに、「組織というところは本人の実力や貢献度、人格、識見とは別の力学で働く」「サラリーマンは人生のカードを他人に握られている」等々、サラリーマンの悲哀の言葉が続く。
多くの人は「私(うち)の会社」と言う。個人である私と職場が混然一体となっていることに気づかされる。とすれば、会社(組織)を離れると、「私」もなくなるという理屈だ。これまで仕事一筋に会社に貢献してきた人間は、会社から愛されて当然と考えるがこれが不幸の始まり。
著者はあとがきで、「重要なのは品格ある衰退だと思う」というある国際政治学者の言葉を引用している。そのとおりと観念するか、それとももう少しジタバタしてみるか。
さてご同輩、あなたならどうします?
科学者の業(ごう)と向き合う
スザンヌ・コーキン著、鍛原多惠子訳 『ぼくは物覚えが悪い―健忘症患者H・Mの生涯』 (早川書房、2014)
1950年代に米国で、癲癇の治療のため行われた脳手術により、若い男性患者が記憶する能力を失ってしまった。その患者H・Mは、その後数十年間、脳科学研究の対象となり、記憶の仕組みの解明に多大な貢献をした。それが、本書の主題である。著者はH・Mの研究を担った心理学者で、彼の世話人のような立場にあった人である。そんな彼女でなければ書けない、はからずも脳科学の進展にかかわる羽目になった一個人の数奇な生涯が、淡々と語られる。
本書は、記憶の脳科学の概説書、または科学の進歩の物語としても読める。だが、けっしてそれですませてはいけない。H・Mが深刻な医療事故の被害者であることを忘れてはならない。にもかかわらず、彼は生涯、おだやかで紳士的でユーモアがあり、喜んで研究に協力したという。そうした彼の人柄が、著者をはじめ彼にかかわった多くの研究者を救っている。著者は、そんなH・Mから、とことん研究成果を引き出すまとめ役となった。これこそ科学者の業というものだろう。私たちは、科学の成果を享受するうえで、それにきちんと向き合う必要がある。生命倫理とは、こうした善悪の判断を簡単にはつけられない人間の業に、どう対応するかが問われる課題なのである。
(原著 Suzanne Corkin著 "Permanent Present Tense: The man with no memory, and what he taught the world" (Penguin UK, 2013) )
無法地帯改革の戦記
鈴木亘著 『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』 (東洋経済新報社、2016)
ほんの数年前まで、大阪市西成区のあいりん(釜ヶ崎)地区では、覚醒剤を売人たちが白昼堂々と売り、ゴミの不法投棄が町中で行われ、ホームレスの人々であふれていた。
経済学者の鈴木亘氏は、2012年3月から約4年間、大阪市特別顧問として、橋下徹大阪市長(当時)の「西成特区構想」実現のリーダーを務め、大改革を行った。その結果、今では売人たちは姿を消し、ゴミも一掃され、さらにホームレスの多くは、市から民間企業に委託された環境関係の仕事をすることになった。本書はその戦記である。
鈴木氏の改革以前も、あいりん地区改革は幾度となく試みられた。しかし、行政が秘密裏に改革案を決め、住民には形式的に説明するだけで最終決定しようとしたために、改革が実現してこなかった。対して鈴木氏は、ボトムアップ型のまちづくりを実現した。住民の側に立って、縦割りの行政各部局と交渉し、改革を持続させることができる仕組みを作り上げた。それによって、住民にも行政各部局にも「自分たちが改革を推進している」という意識をもたせた。鈴木氏が節目ごとに行った戦略判断にも目を見張らされる。
本書は、経済学と行政学の必読文献として読み継がれてゆくだろう。
クリーンエネルギー分野における資源安全保障の視点
David S.Abraham著 "THE ELEMENTS OF POWER: Gadgets,Guns,and the Struggle for a Sustainable Future in the Rare Metal Age" (Yale UNIVERSITY PRESS, 2015)
世界的なエネルギー転換の動きにより、クリーンエネルギー分野が今後大きな市場となることが見込まれている。新たな市場を求めて各国企業も市場獲得競争を激化させるだろう。同時にそれはクリーンエネルギー分野の様々な製品の製造に欠かせないレアメタルの獲得競争を引き起こす可能性がある。
かつて日本の産業界は、尖閣諸島中国漁船衝突事件を機に中国からの実質的なレアアース輸出禁止による大きな打撃を被っている。評者は、同じ経験を繰り返さないためにも事件直後からレアメタル資源の持続可能な利用を促進する国際的な枠組みの構築を提唱してきた。
本書では、エネルギー転換をはじめ世界の様々な動向におけるレアメタルの意義を示すとともに、国際エネルギー機関(IEA)のように、レアメタルの資源安全保障のために鉱物資源版IEAといえる国際鉱物機関(IMA:International Materials Agency)を創設する必要性を説いている。このことは大変興味深く、資源エネルギー動向を考察するヒントにできる。
「冷戦後の米国外交政策を切る」――米国現代外交史分析
Michael Mandelbaum著 “Mission Failure: America and the World in the Post-Cold War Era” (Oxford University Press, 2016)
本書は、アメリカ外交政策の分析の第一人者と言われるMichael Mandelbaumポール・H・ニッツェ高騰国際問題研究大学(SAIS)教授の新著であり、冷戦後のアメリカの外交政策、特に湾岸戦争後から2014年までを取り上げて分析する。
同著は、1993年から2014年までのアメリカの外交政策は、イラク戦争やアフガニスタン戦争後に代表されるように人道的な立場に立ち、紛争国の復興、平和のための国づくりに注力したが、いずれも「失敗」したと結論づける。その鋭い分析はリアリズムに徹しており、手厳しい。イラクやアフガニスタンの事例におけるアメリカの教訓を記述した書籍は多いが、ここまで批判的な分析は類を見ない。
しかしながら、国際政治の予測可能性が下がり、アメリカの次期トランプ政権の外交政策の行方が議論の俎上に載せられる今日、国際安全保障問題の今後を考えるうえでも、また、アメリカの新しいアジア政策を考えるうえでも現代史に立脚した分析であり、知的に刺激を受けて思索をするには一助となる。本書は挑発的な好材料を提供してくれる。
逆境を乗り越えるしなやかで強靭なリズム
NoViolet Bulawayo著 "We Need New Names" (Little, Brown and Company, 2013)
本書の主人公のダーリンは、ジンバブエのスラムに住む10才の少女。彼女がその友達と一緒に、内紛、暴力、貧困が深まっていく国で育っていく。ダーリンはやがて遠い親戚を頼って憧れの国アメリカに渡るが、そこでの生活も戸惑いと困難の連続である。しかし、物語から伝わってくるのは、絶望と悲愴ではない。そこにあるのは、極限的な状況を日常として受け止め、時には遊びのなかに昇華しながら、力強く育っていく少女の姿である。
その原因は、随所に見られるユーモラスな、ある意味で子供的な言動であり、また著者の文章の独特のリズムである。ブラワヨ自身もジンバブエの出身であり、それがアメリカ文学と融合することによって、このような軽快で強靭なリズムが生み出されたのだろう。英語以外の言語の経験とアメリカ以外の文化の体験がなければ、達成できなかったことだろう。文学に限らず、アメリカの成功は、世界から多様な文化・人材に活躍の場を提供することでもたらされてきたのだ、と思う。
(邦訳書 ヴァイオレット・ブラワヨ著、谷崎由依訳『あたらしい名前』早川書房、2016)
専門分化に見る昭和史との共通点
筒井清忠編著 『昭和史講義』 (ちくま新著、2015/2016)
本書は、編著者の筒井氏ら専門家が最新の研究を基に、大正デモクラシーや満州事変、対米開戦など、主に昭和戦前期の出来事を各章ごとにまとめ、考察した昭和史を俯瞰的に学べる良著である。昨年に続きパート2も今年刊行された。
内容だけでなく、刊行の背景も興味深い。筒井氏によると、昭和史研究の専門化・細分化が進み、全体像を捉えにくくなっており、昭和史を学びたい読者の需要に研究者が応えられていない。そればかりか、むしろ間違いを含んだわかりやすいお手軽な昭和史本が出版されている結果、昭和史の適切な理解が阻害されている現実を懸念して同著は企画されたという。
専門化・細分化は私の関心事である医療や福祉でも起きている。医師は臓器・疾病別に専門分化し、福祉も専門職が細分化しており、その結果、国民の生活が分断されやすくなっている。
国は職種間連携をうながしているが、どんな専門職がどんな権限でどんな業務をやり、何が不足しがちなのか、全体像が把握されていないのだ。細分化した昭和史の研究について全体像を捉え直す同著と同様、国民の生活をカバーする専門職業務の全体像を捉え直す必要があるのではないだろうか。内容の面白さに加え、そんな共通点を同著から感じた。
「志」を立てて前進する日本人の原点
杉田玄白著、緒方富雄校注 『蘭学事始』 (岩波文庫、1982)
本書は、歴史の教科書その他の書物で紹介され、その趣旨は広く世間に知られている200年前に出版された古典に類する書物である。しかし、評者自身は原文を読んだことはなかった。今年になり仕事上の必要から読んでみると、「蘭学創始にあずかった先人たちの苦闘の記録」ということを超えた感動が生じた。
著者の杉田玄白をはじめ多くの登場人物が明確に「志」を立てその実現に向けて悪戦苦闘しながら前進する姿は、世界と日本が大きく変化するなかで私たちが学ばねばならない大事なことと思われるからである。福沢諭吉が、初版当初の「蘭東事始」やその後江戸期に使用された「和蘭事始」ではなく「蘭学事始」という書名にし、明治23(1890)年に再版された同書の序文も書き、「今日の進歩偶然に非ずとの事実を、世界万国の人に示すに足る可し」と称揚するまでしたのも、先人たちの志とその実現に感動したからではないか。
わずか文庫版60ページの分量。江戸時代の文語文とはいえ、通勤の電車の中でさっと読める。もし詰まったとしても本文以上のページを割いた注と年表がある。今の時代だからこそご一読を。
欲に目がくらんだ人間の醜さから学ぶこと
國重惇史著 『住友銀行 秘史』 (講談社、2016)
新しい本を読むことの楽しみには、新たな知識を得る、自分とは異なる世界に触れる喜びが得られるなどがあるが、この本は、全く異なる。一言でいえば、人間の醜さを如実に語っていることだ。当事者の当時のメモをもとに書かれただけに、生々しさは半端ではない。
内容は、いわゆる「イトマン事件」を、融資先の住友銀行幹部という内部の立場から書いた暴露本だ。登場人物は、出世と保身におろおろする銀行員のほかに、大蔵省、暴力団など実に多彩だ。マスコミも次第に取り込まれ、事件を取り巻くプレーヤーになっていく姿が悲しい。
最も興味深いのは、日本を代表する巨大銀行の銀行員が、本来業務を放り出し、権力闘争(著者本人の言葉では、自らの銀行を守る)にひた走るその姿だ。バブルの直接的な原因は、金融政策や財政政策にあるが、欲にかられた人間の姿(本能)にこそ根源の原因があるということを気づかせてくれる。
違和感を覚えるのは、著者の立ち位置が、自分だけは正義の味方で、周りはすべて出世のために欲に目がくらんだ会社人間、という設定であることだ。率直な読後感としては、著者も同類ではないかと思う。
これほど読後感の悪い書物をあえて推薦する理由は、バブルを二度と起こさないために、われわれ人間はどう生きるべきかを教えてくれた、という意味においてのことである。
「軍事」という問題を容易に俯瞰できる一冊
冨澤暉著 『逆説の軍事論』 (バジリコ、2015)
本書は、軍事と安全保障・防衛に関する問題を平易な言葉で真正面から論じた啓蒙書であり、次の三点において秀でている。
第一に、本書が論じる歴史的スパンは長い。傭兵中心の小規模な軍に代わって大規模な国民軍が誕生した18世紀から、第一次・二次世界大戦に代表される総力戦の時代、核兵器出現後の冷戦時代、さらに冷戦終結後まで、それぞれの時代背景が求めた軍のあり方を論じている。
第二に、本書が扱う「軍事」は広範である。核戦略といった高次元の戦略的・政治的なレベルから部隊の指揮や訓練などいたって実務的なレベルに至るまで、また、国家総力戦から対ゲリラ戦のような非対称戦、国連平和維持活動のような非伝統的な活動、さらにはミサイル防衛やサイバー空間における戦いといった多様な軍事行動の様相について、本書の解説は丁寧で広い。
第三に、本書は、ときに丁寧な筆致で俗説に反論しつつ、冷静でバランスのとれた議論に徹しており、軍事に関する解説書に多い鬼面人をおどろかす表現やエキセントリックさは全くない。初学者から専門家まで多くの読者にとって「軍事」という問題を容易に俯瞰できる書である。
自ら監視に参加する社会への自覚を促す
デイヴィッド・ライアン著、田島泰彦、大塚一美、新津久美子訳 『スノーデン・ショック―民主主義にひそむ監視の脅威』 (岩波書店、2016)
本書は、2013年にエドワード・スノーデンにより暴露されたアメリカの国家安全保障局(NSA)のすさまじい監視実態を軸に、現代の監視の脅威を市民の視点からあぶり出すものだ。この分野の第一人者である著者は、インターネットを使った現代の大量監視を、「政治と民主的な制度および過程をめぐる従来の諸前提を脅かす問題」とみる。SNSなどを通じて大量に収集されるデータによって市民生活の透明性は増す一方、監視にかかわる機関は多岐にわたり見えにくくなっている。大量監視は企業との緊密な連携に依存し、そこには多くの技術的・法的あいまいさがある。さらに著者が強調するのが、人々がSNSなどを通じて個人情報をオンライン上で進んで共有することで、自分自身の監視に参画しているという点だ。
技術の進化が現実社会を揺るがしかねないという危機感の下、著者は読者に「皆が毎日使っている技術について、より批判的に考え始めなければならない」と説く。IoTや人口知能を「ありたい社会」への手段とするためにも、著者の指摘は傾聴に値する。
多元性の尊重こそが持続的繁栄の生命線
ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン著、鬼澤忍訳 『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源(上・下)』 (早川書房、2013)
本書は2013年に翻訳・出版された本だが今年文庫化され、また評者の個人的な体験とも重なり、2016年、最も影響を受けた本となった。本書の仮説は、世界各国の歴史を精査すると、国家の経済的繁栄を可能にするのは、自由、公平、開放的な経済制度であり、それを支える多元的な政治制度が必要不可欠ということである。それがないと、一時は高い経済成長をしても持続的にはならない。
著者らは以下のように喝破する。「現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的な経済制度のために生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受ける者の力を強固にすることで、そうした経済制度を支える」(下巻205頁)。
この理論は経済成長が鈍化している今の中国にも当てはまる。中国の厳しい批判者であるクレアモント・マッケナ大学のミンシン・ペイ教授も、東京財団での意見交換会で本書を引用していた。日本人も、自らの政治体制および企業や組織が、多元的な意見を尊重できているかを不断に問い続ける必要があろう。もし衰退したくないのであれば。