東京財団研究員
冨田清行 *
日本と米国の関係は、外交上の重要な二国間関係であるのみならず、日米間では多くの面で共通した課題を有している。今年の一般教書演説に象徴されるように、オバマ大統領は米国の経済回復に大きな力を注いでいると同時に、安倍首相も「三本の矢」に象徴される強力な経済政策を志向している。医療を中心とするヘルスケア分野も日米両国それぞれにおいて、重要政策としての地位を占めている。医療については、その費用が米国ではGDP比で17%を超え、経済全体の約5分の1を占める巨大な領域となっている。日本も現在、40兆円に迫る医療費支出を行っており、社会に大きなインパクトを与えている。
医療制度を巡っては、日米両国間において、その歴史的背景も考え方も大きく異なり、そもそも比較の対象にならないという見方もあるが、医療費の膨張にどう対処するかという点も含め、実は共通する課題は多い。米国では近年、医療費の伸びが記録的に鈍化しているが、それでも医療費膨張をどのように抑制すべきなのか、その議論が続いている。また、日本では今後も加速する高齢化に対して、どのように医療サービスの提供を持続可能なものにするのか、特に財源を巡って、長年議論が繰り広げられてきたが、消費税率引き上げ後の具体的な姿は見えてこない。
医療、ヘルスケアは、日米両国のそれぞれの国民にとっての大きな関心事項である。日本では各種世論調査で、常に医療・介護問題は国民の関心事項として上位に登場し、米国においても直近の国政選挙である2014年の中間選挙に関する世論調査で、投票に際しての優先順位について米国民に尋ねると、ヘルスケアは雇用環境に続く2番目に位置付けられている [i] 。
日本では、2015年に予定していた10%の消費税増税を巡り、2014年末に議論され、衆院解散、総選挙を経て、税率引き上げの延期が世論として納得された形となっている。
米国の医療制度は、米国社会を二分する激しい議論を経て、オバマ大統領が実現した「Patient Protect and Affordable Care Act」、いわゆる“オバマケア”が、着々と社会に浸透しつつある。
日米ともに、医療・介護、ヘルスケア(以下「医療・介護」)に統一して表記する)に関しては、激しい政治的争いの中で扱われる課題となっている。それは医療・介護が、ほぼ全ての国民に影響する問題であること、そして数多くの利害関係者が存在すること等から生ずる現象である。激しく、そして、複雑な利害調整の結果、大小問わず何らかの改革が実施される度に、制度は巨大化し、かつ、複雑化していくのが当然の流れになっている。日米両国において、制度の複雑化は税制分野でも指摘されるが、医療・介護は税制とも密接に関係していることもあり、両者の関係は更に複雑化に拍車をかける状況となっている。
前述のとおり、日米間における医療・介護に対する考え方や環境、背景は大きく異なっていることから、日米双方の社会における医療・介護の役割や構造にも多くの違いがある。しかし一方で、多くの共通点も存在するのも事実である。
1.医療費の膨張
医療費が膨張していることは日米共通の課題である。
日本において、国全体の医療・介護費用が毎年膨らみ続けるのは、社会の高齢化に伴う自然増だから仕方がない現象だと考えられがちである。そうすると、高齢化に対応するために財源を増やし続けるか、それが出来なければ、強引な歳出削減以外に有効な手段が見つからなくなる。
しかし、日本の医療・介護費用、特に医療費の増加の原因は、高齢化も要因の一つであるが、医療技術の発展や投資(病床数)の問題など、多くの要素が複合的に関係している。政府は、医療費の増加の要因を、調剤薬剤費、入院医療費、介護費と分析し [ii] 、また、今後2025年度までの医療介護費用の伸びとして、その約9割が後期高齢者医療と介護との見通しを示し、年率5.9%増のうち、高齢化要因を年3.1%増と試算している [iii] 。他の要因も無視できないものの、政府は費用の伸びに対して高齢化が大きな要因を占めていると分析している。
一方、米国においても、近年、高齢化に対する懸念が示されつつある。特に、ベビーブーマーが年金受給者層に入るようになったことから、そのような意識が出てきたが、高齢者向けの公的医療保険である、メディケアの財政に対する影響も指摘されるようになっている。
米国ではGDP比で見て世界一の医療支出となっており、1960年に5.0%だったGDP比国民医療費が1970年に7.0%、1980年に8.9%、1990年に12.1%、2013年に17.4%と推移している [iv] 。
なお、医療・介護費用が増えること自体が直ちに問題となるわけではない。例えば、医療費が増加しても、公的保険財政を支える保険料負担、自己負担、および公的負担(税収)の増加が揃えられるのであれば、基本的に財政上の問題は生じない。実際、日本においては、保険料率の上昇、高齢者の自己負担割合の見直しなど、保険料負担、自己負担ともに増加傾向にある。さらに公的負担割合も次第に拡大しているにも関わらず、それでも将来の伸びに対して賄いきれないのではないか、と不安視されている。また、財政再建との関係上、公的負担割合をどれだけ増加できるのか、ないしは、そもそも現状をいつまで維持できるのか、という不安も常につきまとっている。今後、どこに負担を求めるのか、又は、給付を抑制するのか、さらには、その両方を実施できるのか、その論争が続いている。
多くの国民が公的保険ではなく民間保険に加入している米国では、医療費の膨張は、公的負担の問題もさることながら、医療受診費用や医療保険料の上昇を招き医療へのアクセスを著しく阻害する要因となることから、阻止しなければならない事態である。
医療・介護費用の増大は多くの問題を起こす。しかし、何が医療・介護費用を増加させているのか、その基本的なコンセンサスを得なければ、負担の増加や給付の削減に対する国民の理解を得ることは難しく、また、放置すれば医療・介護の提供そのものに影響することになる。
2.費用を抑制する方法
費用の抑制に関しては、これまでもその対策が実施されてきた。その手法は、公定価格である診療報酬の管理、投資制約としての病床数管理、医師等の医療プロフェッショナルの定員管理など、基本的に総枠管理的手法である。特に、2002年度以降5年間に亘り、国の一般会計1.1兆円分の医療費抑制を実現したことを踏まえて、2007年度以降も年2,200億円の削減が継続されたが、これが医療崩壊を招いたとして医療現場から猛反発があったことは記憶に新しい。当然のことながら、費用の抑制は現実の医療・介護のサービス供給に直接に影響する。
世界一の医療支出国である米国においても、費用の抑制を放置していたわけではない。その手法の一つが、HMO(Health Maintenance Organization)である。HMOは、1970年代以降に注目を浴びた、主に民間医療保険会社主導で医療費を管理する構造であるが、その費用抑制の管理の行き過ぎが患者、利用者の不満を招いたという、その悪影響の部分について日本ではよく知られている。にもかかわらず、HMOが普及した背景として、国民の多くが自分の勤務する会社が提供する医療保険に加入しており、保険料を抑制したい雇用主と支払医療費を抑えたい保険会社の利害が一致していることが挙げられる。
元来、米国では医療制度に対して政府の介入を最小限に止める政策を志向してきたために、政府による費用コントロールも最小限に抑えられてきた。この点は、国民皆保険の不存在とともに、他の先進諸国との大きな違いであった。なお、オバマケアは医療保険の適用拡大が目玉の一つであるが、実は費用抑制についてもマクロ、ミクロ双方のレベルで挑戦しており、これまでの医療政策から大きく変化した点である(ただし、これが実際に機能するかどうかは別の問題として存在する)。
大きく言えば、これまで費用抑制に際して、日本では公共政策上の管理、米国では費用を支払う保険会社の経営上の問題とすることができるが、その両者とも万全のものとは言い難い点は共通していると言える。
公的な医療保障が大きい国から見れば、費用を抑制することによって、財政上の負担は軽減されるものの、その抑制の仕方によっては、サービスを提供する体制に影響することとなる。また、公的・私的を問わず、医療費を抑制しなければ、医療サービスの購入費用が上昇することとなり、結果として費用面でサービスへのアクセス障壁が上昇してしまう。
費用抑制の問題は極めて難しい課題であるが、根本的な問題としては、医療・介護における適正費用をどう構築するか、ということになろう。この「適正費用」が特に、医療サービス提供者と患者、利用者の間だけでは決定されないのが、通常の商品・サービスとは異なる点である。多くの国において、保険者や政府が介在して、医療介護分野の財・サービス価格決定への影響力を及ぼしている。この適正価格をどうやって決めていくのか、日本では厳しい財政状況も反映し比較的低い水準の公定価格で推移する一方、米国では同じ地域、同じサービスであっても、病院や医師によって価格が異なることがあり、価格決定において医療機関と保険会社の交渉が重要な要素となる。
医療・介護の値段について、今となっては、完全に市場に任せることも、完全に行政で決定することも万全ではないと理解しつつも、どのような形で価格を決めることが需要と供給の双方を満たすことになるのか、日米双方にとって共通の悩みである。
3.サービスの質を向上させる方法
医療費の膨張に対抗するため、費用の抑制が試みられるが、誰もが満足する有効な仕組みがなかなか見つからない。費用抑制ばかりを追求すると、当然ながらサービスの質への懸念が生じる。そのため、政策立案者にとっては、医療費抑制とサービスの質維持、向上を同時に達成するための方策が最大の関心事である。
医療・介護においては、財政の観点だけでは質の問題は解決できず、医療・介護サービスの提供体制の構築も同時に考えることが必要である。このように書くと簡潔な話であるが、これが極めて困難である。
日本においては、提供体制を左右する政策として、行政の観点から有効なツールを使いこなしている。診療報酬である。医療においては2年毎、介護においては3年毎に個々のサービスに対して価格(保険点数)を上げ下げすることで、政策的に促進する診療行為、逆に抑制する診療行為を作り上げることができる。つまり、価格によるインセンティブ機能が強力に発揮されている。しかし、個々の診療行為の価格を決定することは、個々の診療行為に行政が介入することを意味することでもあり、あまりに強力な政策手法でもある。また、インセンティブの発揮が制度立案時の想定とは異なる方向、あるいは予期しない方向に働くこともありうる。
診療報酬は、前述のとおり、公定価格で保険適用下においては統一料金という性質に加え、日本においては、出来高払いが中心となっており、個々の診療行為の積み上げの結果として、費用が算出される。米国においても、一般に医療サービスの支払は出来高払い(Fee-For-Service)が中心であり、一部の保険や一部の政府のプログラム(メディケア)で、包括払いのシステムが導入されている。この出来高払いのシステムについては、従前から批判が存在する。つまり、サービス提供者にとって、サービスを提供すればするほど、報酬が積み上がることとなり、過大にサービスを提供するインセンティブが発揮されてしまうという問題である。特に、日本と異なり、米国では一般的な医療の値段が統一されておらず、例えば、同じ地域内であっても病院や診療所によって、同じ診療行為に対する値段が違うことがある。日本にいては考えられないことであるが、医療を市場原理に委ねるのであれば、値段も異なることがありうるのが自然である。その意味では、米国と比較すると浮かび上がる日本の特徴は、国民皆保険制度の他、出来高払い制度下における全国統一料金制度(診療報酬体系)に大きく示されていると言える。
この医療・介護サービスに対する支払方法は、日本では現行の出来高払い方式が長く定着している。日本においても、医療においては、近年になって、包括払いの仕組み等が導入されつつあるものの、他の支払方法について考える機会はそう多くない。一方、米国でも長年、出来高払いが伝統的な支払方法として定着しているが、医療費の抑制やサービスの改善を促すための手法として、費用の支払方法(提供者側から見れば報酬の受け取り方法)をどのように設定すれば、それが実現できるのか、という議論が繰り広げられている。実際、国際比較をすると、欧州各国においても出来高払い制度が見られるが、他の支払方法も組み合わせて多様化しつつある中、日本の支払制度の相対化を可能とさせてくれる。今後、私たちはどのような医療・介護の提供体制を目指すのか、その目指すべき姿を実現するために支払方法の改革が必要となるのか、そして改革が必要なのであれば、利害調整も含め、どのような議論が必要なのか、費用の節約と質の向上の両立を目指す今後の医療・介護問題を考えるに当たって、避けては通れない問題になるであろう。
4.医療・介護を支える土台
このように医療・介護は、大きく分ければ、サービスの提供体制とそれを費用面から支える保険制度の二つの大きな仕組みが相互に影響し合って存在している。一方で、そのどちらの制度も高度に専門化し、また、複雑化が進んでいる。医療・介護サービスは診療科目の専門分化やケア施設の機能分化などが進み、日本においては、患者が受診する医療機関を自由に選択できる、いわゆるフリーアクセスの下、自分の症状に関係する(と思われる)専門医に直接出向いて、診察を受けることが可能であり、むしろ、それが一般的である。そして、症状に合わせて、外来、入院、リハビリなど、患者自身が施設間を移動することが一般的である。
また、保険について見ると、日本の公的医療保険は国民皆保険の下、働き方や年齢によって加入する保険者が異なる。そして、職場が変わったり、年齢が変わったりすることによって、別の保険者に移動することも、日本では普通のことである。
ここで、一つの疑問が沸いてくる。生まれてから、今までに至る自分の健康に関する記録は誰が持っているのだろうか。生まれてからおおよそ小学校入学前までは母子手帳に健康に関する記録が集約される。さらに、その後の予防接種などの際に重要な情報として活用される。しかし、母子手帳に記録されなくなった後の情報は、基本的に、受診した医療施設、処方箋を受け取った薬局、保険者などに分散している。健康記録の電子化が進み、集約するインフラは整いつつあるものの、必ずしも制度としては情報を集約する環境は整っていない。自分の健康に関する記録は自分が一番良く知っているはずであるが、私たちの多くは医療やケアに関しては素人であり、さらにそれを詳細に記録している人は多くないと思われる。だからこそ専門家である医師や看護師、薬剤師などの力が必要なのであるが、その専門家の間にも自分の健康に関する情報が集約されているとは限らない。
多くの先進諸国は、家庭医やかかりつけ医を制度として有している。英国のGPはその代表であるが、米国においても、家庭医の存在は一般的である。しかし、米国においても、日本と同様に、「制度として」、家庭医を位置付けているわけではない。米国における、いわゆるプライマリー・ケアのシステムは、保険者側の要請として、又は、医療グループによるサービスとして存在し、公的な制度として、家庭医への登録義務やゲートキーパー機能が設置されているわけではない。日本と米国は、ともにプライマリー・ケアを制度化していない国であり、欧州各国を含めた先進諸国間で比較すると、プライマリー・制度化している英国や北欧諸国と大きく異なる特徴を示している。
このような文脈の中で考えると、長期間に亘って、患者との関係を築く家庭医や看護師等を中心としたプライマリー・ケアを制度として志向する動きは、日米双方において同時に見られるのは奇遇ではない。
つまり、日本では「地域包括ケア」、米国では「Accountable Care Organization(ACO)」を中心とした動きが、ほぼ同時に進行している。
日本の地域包括ケアは、大雑把に言えば、社会の高齢化に応じて、様々なケアのニーズに対して、地域内で連携して、対応する動きである。これまで、診療報酬や計画行政といった「中央」が中心となって展開してきた医療政策において、「地域」がケアの提供体制を考える上で大きく前面に出た形となっている。
米国のACOは、少し複雑な経緯を辿っている。詳細は別途の回で述べる予定だが、これまで実現しなかった費用の節約と質の向上の両立を目指すために米国内で新たに進んでいる取組である。このACOは、それまでのHMOとも似ているが、ACOはケア提供者自身が中心となって、地域のネットワーク化を進め、プライマリー・ケアを促進することで、患者中心のケアを追及している。このように、今現在の米国で起きていることは、多くの目的をACOという一つの概念に集約して、医療の提供体制を改革する新しい動きである。そして、これは保険改革で注目を集めてきたオバマケアを構成する、もう一つの柱でもある。
5.日米間の医療・介護政策から世界を見る
このように、日本と米国では、国の成り立ちも医療・介護に対する考え方も大きく違っていると思われてきたが、今、二つの国で起きているのは地域を土台として医療・介護の将来像をどう構築するか、という、同時期に同じ展望を抱いていることである。もちろん、具体的な制度や、それぞれの制度が抱えている背景や経緯には相違点が多い。
しかしながら、日米両国がそれぞれ、「今現在」という同じ時期に、「費用の抑制と質の向上にいかにして立ち向かうか」という同じ問題意識に立ち、「生活の基盤である地域」という同じ着眼点に立って、改革を進めていることは、あまり知られていないことではないだろうか。お互いを良く知ることで、双方の改革に良い効果をもたらすことになるのではないか。日米間の医療介護、ヘルスケア政策の違いだけを強調するのではなく、それぞれの改革に向けた努力を理解する時期に来ていると思う。
今後、複数回に亘り、米国の医療政策の動向、ACO、改革の展望などを述べたいと思う。
[i] Pew Research Center “Chapter1:The 2014 Midterm: Congressional Vote, Top Issues”
[ii] 内閣府「平成26年度 年次経済財政報告」(平成26年7月)
[iii] 財政制度審議会財政制度分科会 財務省提出資料(平成26年10月8日)
[iv] Centers for Medicare and Medicaid Services