評者:森 聡(東京大学法学政治学研究科附属比較法政研究センター研究機関研究員)
本書の概要
冷戦はいかにして始まり、均衡し、終結したのか。冷戦史研究が分析対象とする事件や時期のタイムスパンは様々であるが、冷戦終結後、冷戦の開始時から終結時までを特定のテーマに沿って取り上げる通史が登場するようになった。本書は米ソ関係の展開を中心にすえた冷戦の通史である。だが二つの点で、いわゆる研究書とは若干性質を異にしている。第一に本書は研究書というよりも、教科書として利用されることが念頭に置かれている。著者によれば、本書は冷戦史をコンパクトにまとめたテキストが欲しいという学生の要望に応えて書かれた。したがって簡潔さの実現が最優先されており、おそらく専門家が読めば、冷戦の様々な側面あるいは事件が取捨選択された跡を読み取ることになるだろう。米ソ関係が中心に取り上げられているので、必然的に中ソ関係や米欧関係、第三世界を含む諸地域の動きについての記述は相対的にみて少ない。第二に本書は、これまでの個別の冷戦史研究の成果を総括する内容になっている。著者も「新しい学識の著作ではない」(5頁)と断っているように、著者が新たに発見した史料に基づいて新たな解釈を提示するというよりも、これまでの著者本人や第三者の研究成果を踏まえて、「冷戦の各部分をみていくうえで有用な、新しい全体としての冷戦観を提起」(同頁)することに主眼が置かれている。幅広く既存の研究成果を総括することによって、著者はアメリカの視点のみならず、ソ連の視点もふんだんに取り入れ、場面に応じて第三国の視点にも触れている。これは「アメリカにとっての冷戦とは何だったのか」という問いではなく、「冷戦とは何だったのか」という問いを立て、対立そのものの性質の究明を可能にしている。
さて本書は、第一章から第七章とまえがき、序章、終章から構成されている。個別の章が触れている出来事を紹介することは控え、ここでは各章が取り上げている論点と大筋にだけ触れることにしたい。第一章から第三章は、冷戦が激化した時期を扱っている。第一章「恐怖への回帰」は冷戦がいかにして始まったのか、第二章「死のボートと救命艇」は米ソ間の核抑止がいかにして成立したかを叙述している。第三章「命令と自発性」は、米ソ対立の背景要因となった東西各陣営のイデオロギーと政治経済体制がどのように異なっていたのかを説明している。著者によれば、米ソ間のイデオロギーや政治経済体制の違いは第二次世界大戦以前より米ソ間に相互不信を生んでいた。しかし、それはやがて戦後世界のヴィジョンの食い違いとなって表れたほか、米ソそれぞれが安全を追求する行動を取った結果、安全保障ディレンマが連鎖的に発生し、やがて朝鮮戦争の勃発で米ソ対立が決定的となった。また五四年三月のアメリカによる核実験BRAVOが政治指導者の核兵器に関する認識に多大な影響を及ぼした点を著者は指摘する。以後アイゼンハワー、マレンコフ、フルシチョフ、ケネディといった政治指導者らは、表向きには核兵器による威嚇に言及することはあっても、全面戦争の回避を目的とするようになった。
第四章と第五章は、六○年代と七○年代前半を扱っている。第四章「自立性の出現」は、冷戦が第三世界にいかに拡大していったのか、また超大国が同盟国にいかに振り回されたのか(著者は「尻尾が犬を振る」という表現を使う)を活写し、最後にデタントが形成されたプロセスを辿る。第五章「公正さの復活」は、アメリカが冷戦を戦うにあたって展開した諸活動をめぐる倫理の問題に触れるほか、デタントが米ソ各々に及ぼした影響を説明する。著者はチトー、ナセル、ドゴール、毛沢東などを引き合いに出しながら、この時期の国際システムは米ソ二極体制にみえたものの、実際には両超大国が冷戦の同盟国であれ中立国であれ、小国を管理していくのがますます難しくなったと説く。また同時に、米ソはそれぞれの国内において、それまで当然と思われてきた権威を失いつつあると感じていた。すなわちアメリカ国内では正当化されえないような非公然活動やデタントという均衡状態の「非道徳性」に対して反発が生じ、ソ連内部では指導部が自国の東欧支配を西側に認めさせるためにヘルシンキ最終合意に含まれていた人権条項を受け入れたものの、それがやがて批判勢力の体制批判を正当化する根拠となる事態が生じた。
第六章と第七章は、デタントの崩壊から冷戦の終結までを扱う。第六章「主役たち」はデタントの崩壊過程を何人かの指導者たちに焦点をあてながら、また第七章「希望の勝利」は冷戦の終結過程をゴルバチョフ、東欧の指導者たち、レーガン、ブッシュらの外交に焦点をあてて、それぞれ叙述している。著者によれば、冷戦初期からデタントに至る国際システムは軍事兵器や情報機関、軍産複合体など「権力の物理的な形式」によって支えられていた。しかし八○年代になると、勇気、雄弁、想像力、決意、信仰といった「目に見えない力」を一部の指導者が縦横に駆使することによって「冷戦の永続性という精神的な視野狭窄が除去され」、ソ連や東欧の指導者たちが民主化の流れに取り残されていく形で、冷戦が終結に向かったと著者は語る。
著者は終章で、冷戦は次の三つの点においてマルクスの唱えた決定論からの逸脱だったと説く。第一に、主要国間で戦われる大規模戦争は核兵器の登場によって時代錯誤になった。第二に、独裁制の信用が失墜した。第三に、民主化がグローバル化した。そしてこれら三つの逸脱が現実化した冷戦には後悔すべき点が非常に多かったものの、この時期を通じて、「世界はかつてなく、民主主義だけが権力に正当性を与えるという点での合意に近づいていった」と結んでいる。
本書の評価
本書は冷戦を簡潔に説明するコンパクトな教科書を目指しているので、本書が言及しない個別の事件などを挙げながら、あれが足りない、これが足りないと批評するのはフェアではない。評者は、本書がその目的をおおむね達成していると感じたが、同時にバランスを取った方が良いのではないかと感じた箇所がいくつかあった。そこでバランスの確保という観点から冷戦の起源、冷戦の終結、そして冷戦全体の評価といった比較的大きめの論点に関し、以下を指摘することにしたい。
(1)冷戦の起源―アメリカの対ソ脅威認識について
冷戦はなぜ始まったのかという問題は、大国間が互いを脅威とみなす対立状況を引き起こす要因とは何かという、より一般的な問題に通底する。著者は米ソのイデオロギーや政治経済体制の違いを説明するのに第一章I~III節と第三章をまるまる割き、第一章IV~VII節にかけて、この違いこそが異なる戦後世界のヴィジョンと両立しがたい利害を生み出し、いわゆる安全保障ディレンマを連鎖させたと説明している。つまり著者はイデオロギーや政治経済体制の違いを、米ソ間対立を引き起こした要因としてかなり重視している。確かに、イデオロギーや政治経済体制の違いが対立要因として重要だったのは間違いない。しかし、少なくともアメリカ側は第二次世界大戦直後の時期に、ソ連のイデオロギー・政治経済体制上の異質性それ自体をただちに「脅威」とみなしたわけではなかった。むしろ第二次世界大戦の最中に米ソ間で結ばれた合意を、ソ連が戦後直後に一方的に破り始めたことによって、アメリカ側はソ連の拡張主義的傾向を強く推定し、やがて脅威とみなす要因となった事実はもう少し強調されてもよいのではないかと思われる。
例えばM.レフラーの研究は、次のような事実を解明している。トルーマン政権内部には当初、ソ連が西側に大規模攻勢をかける意図はないという冷静な分析があった。しかし、四六年から四七年にかけてフランスやイタリアにおける共産主義勢力の台頭や第三世界での叛乱の発生など、世界各地で混乱が発生した。その結果トルーマン政権は、西ヨーロッパ諸国が経済的に破綻し、共産主義勢力が権力を奪取し、ソ連がそれら諸国の各種資源を利用する可能性を強く危惧するようになった。こうした危機感が発生していたものの、アメリカ政府は世界各地の混乱をソ連が裏で直接糸を引いて操作していたわけではないことを把握していた。こうした事実を前提とする場合、ソ連は西側への大規模攻勢をかける意図を持っておらず、また世界各地の混乱を引き起こしているわけでもないとアメリカが認識していたにもかかわらず、なぜソ連が拡張主義的な野心を持っているというアメリカ側の「想定」が生まれたのかという点が問題となる。
この問題を考えるうえでの手がかりの一つとして、大統領顧問C.クリフォードが四六年九月に主要閣僚のコンセンサス文書として取りまとめた米ソ関係に関する報告(いわゆるクリフォード・エルジー報告、以下CE報告)が挙げられよう。この報告書はアメリカにとってのソ連が、まさに「かつての連合パートナー」から「脅威」へと転じていく過程で作成されたものである。CE報告をみると、アメリカ側にソ連の拡張主義を推定させた要因として、次の二つがあったことが分かる。第一に、独裁制と独裁者による体制保全の動機から拡張主義が必然的に生まれるという分析があった。CE報告は、ソ連が二億人の人口、莫大な天然資源、強力な権力機構を有しているうえに、西側が協調を呼びかけているにもかかわらず、スターリンがソ連は脆弱であり西側の脅威にさらされていると発言するのは、国内での独裁制を正当化するためとしか考えられないと指摘している。ケナンの長文電報はCE報告の約七ヵ月前に打電されていたが、CE報告のこの箇所の下敷きになっていたとみてほぼ間違いない。これは著者が指摘するような、イデオロギー・政治経済体制の異質性から生まれた不信感が、脅威認識を強めていた証しであるといえよう。第二に、アメリカはソ連のイデオロギーや政治経済体制からのみ拡張主義を推定したわけではなく、むしろソ連が第二次世界大戦中の米ソ間合意を次々と一方的に反故にするという具体的な行動に照らして、その拡張主義的傾向を推定するようになった。CE報告では、ソ連による米ソ間合意の一方的違反の事例が列挙され、かなりの紙幅が割かれている。戦後世界のステータス・クオに関する米ソ間了解をソ連が一方的に覆していったという事実は、アメリカをしてソ連を現状維持国家ではなく、現状変革国家と判断させたのである。つまりアメリカがソ連を脅威として認識していく過程においては、独裁制という政治体制そのものに加え、現状に関する了解の一方的違反という具体的な行動も大きな意味を持っていたのであり、この後者の要素を著者がもう少し強調してもよいのではないかと感じた。この点は、各種の「脅威論」が論じられる昨今にあって、何をもって第三国を脅威とみなすかという興味深い問題を考えるうえでの参考にもなると思われる。
(2)冷戦の終結要因―ソ連・東欧崩壊論について
冷戦の帰結を左右した最も重要な要因は何だったのかという問題については、アメリカ側に「勝利」の要因を見出す立場と、ソ連・東欧側の政治経済体制が自壊したとみる立場が対極をなす様相を呈している。本書はこの双方に目を配った説明を展開しており、バランスが取れているといえる(そもそもこの二つの立場は論理的に矛盾するわけではないので、当然といえば当然かもしれない)。
しかし、ソ連・東欧崩壊論に関連して次の二点を指摘したい。まずソ連の疲弊要因の説明に、もう少しメリハリをつけてもよいのではないかという印象を受けた。言うまでもなく、この問題に関する第一次資料に基づいた本格的な解明作業は今後を待たなければならない。ソ連を疲弊させた主な要因は、ヴェトナム戦争終結後のソ連による第三世界への干渉の増加に伴って生じた負担という<政策の帰結>だったのか(いわゆる過剰拡張論)。それともソ連の巨大な軍事機構全体から生じた負担という<政治経済体制の帰結>だったのか。それともマルクス=レーニン主義という<イデオロギー>そのものだったのか。著者は後者の要因に繰り返し触れているが、これらの要因の関係や相対的な重要性を現時点でどう捉えているのか、もう少し明快にしてもよかったのではないだろうか。著者がソ連の専門家ではないことは承知しているが、そうであれば既存研究の総括という本書の手法を活かして、この重要な問題に関する最新の研究に触れてもよかったかもしれない。
また著者は、東欧の「普通の人々」や法王ヨハネ・パウロ二世、ポーランドの連帯指導者ワレサらの役割を、いわゆる東欧革命を惹起した要因として強調している。しかし、「普通の人々」の不満が八八年から八九年にかけて政治変革を引き起こすほどの水準に達した理由について、著者が与える重要性のわりに、説明に物足りなさを感じた。著者は八九年の動乱の要因として、次の四つを挙げている。第一に、第二次世界大戦後の一時的な地域分割が、戦後の永続的な分割になってしまったことへの不満。第二に、核兵器に対する恐怖から生じた米ソ間の膠着状態。第三に、指令経済が生活水準の向上に失敗したことに対する憤激。第四に、強い人々から弱い人々へと権力がゆっくり移行し、道徳的判断を下すための独自の基準が登場するという政治的・社会的変化。そしてこうした「普通の人々」が持っていた不満や不安と、法王ヨハネ・パウロII世やワレサをはじめとする一部の指導者のイニシアティヴとが結びつき、それが東欧革命を引き起こしたと著者はみている。
こうした「普通の人々」の不満ないし価値観の作用が重要だったのは間違いないが、そうした不満を募らせた環境を醸成するうえで、西側の戦略がどの程度の重要性を持っていたのかという説明があまりない。ヨーロッパでのデタントによってヒト、モノ、情報が西側から東側へと流入した結果、東欧の人々が自らの生活水準の低さに不満を抱くに至ったのか。それとも東側の一般市民が西側から入るヒト、モノ、情報への接触をほとんど許されない状況の下で、生活水準がいつまでも改善しない事態に不満を強めたのか。このいずれの見方を取るかによって、現代で言うところの「関与」と「封じ込め」のいずれの戦略が有効だったのかという評価も変わってくるだろう。『封じ込めの戦略』という名著の著者だけに、冷戦の終結過程で価値観の役割が増大した背景に、アメリカや西側の戦略がどの程度作用したといえるのか、レーガン・ブッシュとゴルバチョフとの間の外交にとどまらない、一層巨視的な説明がほしかったと感じた次第である。
(3)冷戦全体の評価―冷戦の帰結の予定性と偶発性について
アメリカの「道徳的優越性」が冷戦におけるアメリカの「勝利」をもたらしたとする冷戦勝利主義史観の立場がある。それは端的に言えば、自由と民主主義の拡大というアメリカの目的は道義的に崇高なものであるので、多くの苦難に直面しながらも最終的には成功に導かれるというものである。冷戦の帰結を左右した最大の要因は、競争・対立状況における米ソ、あるいは西側陣営と東側陣営のイデオロギーや政治経済体制が生み出す、ある種の「総合的な持久力」の差であったという見方に立てば、西側の市場経済型民主主義国家には「予定された勝利」が待っていたという決定論的な結論が導かれる。著者は終章において冷戦は、「簡単に別の終わり方をしたかもしれない」(304頁)と述べている。しかし、その一方で冷戦は、「民主主義だけが権力に正統性を与えるという世界的な合意に近づく過程であった」(303頁)という評価を下しているほか、イデオロギーや政治経済体制の異質性を随所で取り上げて、アメリカでは政策を是正する機能が、ソ連では政策を硬直させるような機能が、それぞれ作用した点を重視する姿勢をのぞかせている。そして著者は、冷戦の歴史をマルクスの決定論からの逸脱とみている。しかし正直なところ、叙述にあからさまに表れているわけではないものの、著者自身が依って立つ見方もまた決定論的、あるいは本質主義的な見方にやや傾いているという印象を受けないわけではないが、どうだろうか。
ところで冷戦勝利主義史観を批判する論者たちは、アメリカが国内外においていかに苛酷で「非道徳的な」活動を繰り広げ、多大な犠牲を強いてきたかを説いて、アメリカの「道義的優越性」なるものの欠落ないし不在を指摘しようとしている。しかし評者には、両者の議論が噛み合っているようには思えない。というのも、批判論者がいくらアメリカの「非道徳的な顔」をみせようとしたところで、冷戦勝利主義史観を取る論者は、全ては自由や民主主義の拡大という「道義的に優越した」目的のためにやむをえなかったと整理してしまうからである。思うに、冷戦勝利主義史観と何らかの対話が成立するとすれば、それは冷戦の帰結が予定されていたものだったのか、それとも予定されたものではなく、むしろ偶然の積み重ねだったのかという問題をめぐって、歴史的な検証が積み重ねられる場合なのではないだろうか。たしかに今から振り返ってみれば、米ソ間に核抑止が成立した時点以降、米ソのいずれが対決的・競争的政策を取りやめ、相手側の優位を公式に容認するのかという問題は、東西各陣営の「総合的な持久力」の差に左右された側面があったのは間違いない。しかし、それがどこまで決定的だったのかという判断をつけるためには、冷戦の帰結の予定性(システムや構造、制度の作用)と偶発性(個別局面における選択やプロセスの作用)をやはり検証する必要があると思われる。米ソのみならず、アジアやヨーロッパ、さらには第三世界における国際関係の展開が、どのようなタイミングとパターンで交差することによって転換点と呼べるような変化が生まれたのか。何らかの動きが冷戦を短縮なり長期化させる可能性は果たしてあったのか(あったとすればそれは冷戦の帰結にどのような影響を及ぼしえたと考えられるのか)。例えばこのような問いを究明することによって、決定論と非決定論との間で建設的な対話が生まれ、容易に論争が決着しないかもしれないが、冷戦とその帰結についてのわれわれの理解はさらに深まるかもしれない。冷戦を、最新の研究成果を踏まえながら通史として綴る本書は、教科書としての利用を想定しているとはいえ、このような検証作業を進めていくうえで大きな助けとなるものであることは間違いない。今後もそのつど最新の研究成果を反映させた改訂版が刊行されていくことを期待したい。