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安保法制の成立(3) ―対内発信という国内的な課題―

October 1, 2015


森 聡( 東京財団安全保障法制プロジェクト ・メンバー、法政大学教授)


国際環境の変化に適応するために日本の安全保障政策を修正したり、転換したりすることに対する国民の幅広い支持と理解を集めようとする際には、単に政策そのものを説明するという「必要性の説明」だけではなく、そうした政策への国民の不安や疑問を解きほぐし、理解を促進しやすくするための「安心供与の説明」も必要だ。

「必要性の説明」という面では、やはり国際政治や安全保障、戦略に関する研究・教育体制を充実させていくべきであろう。戦争への反省と平和を守るという決意を抱きながらも、国民の大半が、日本を取り巻く安全保障環境を読み解き、その中で日本が平和を守るためになすべきことを考え、政府の政策を批評する土壌を国内で造り上げていくことは、現在の国際環境の変化のスピードや規模に照らせば、今まで以上に急務であろう。大学や大学院における安全保障研究のプログラムを充実させるのみならず、大学や大学院が外交・安全保障を得意とするシンクタンクなどとも連携しながら、たとえば社会人向けの夜間の安全保障プログラムを実施したりするなどして、常日頃から、断片的なニュースを体系的に理解するための思考の枠組みを、一人でも多くの国民が持てるようにする取り組みを、国内で広く実施していくべきであろう。個別の政策や法律などについて賛否両論が出るだろうが、そうした議論が冷静に、かつ論理的に、正確な知識を伴って行われるのであれば、そうした論争が生じることはむしろ好ましいことであり、正確な知識を欠いたまま感情的な議論に流れてしまうよりもよっぽどましだ。

他方、「安心供与の説明」は、主として時の政権が取り組まねばならない課題である。「安心供与の説明」を成功させられるかどうかは、日本が変化する安全保障環境に、時宜に適った形で適応できるかどうかを決めるのであり、極めて重要な課題だ。今回の安保法制について言えば、次のような「安心供与の説明」が考えられる。

第一に、自衛隊の運用形態の拡大が戦争につながるとの懸念に対して、首相は自衛隊を運用する目的を説き、またこの目的との関連で抑止力の必要性を具体的に論じるような、防衛政策に関する包括的な政策演説を行うべきである。自衛隊を存立危機事態で防衛出動させたり、重要影響事態で後方支援等の任務に派遣するといった具体的な判断は、当然の事ながらその時々の諸事情を総合的に勘案して下されることになる。しかし、国民が納得するような方法で自衛隊を運用するとの信頼を政権が得るためには、これからの日本は何のためにどのような条件の下で自衛隊を運用するかという理念を、将来にわたって時々の政権は政策演説などを通して明確にしていくべきであろう。ここで重要なのは、日本はかつてのように侵略のために自衛隊を運用することはないということをきっぱりと明言することだ。『国家安全保障戦略』の中に明文化することも一案かもしれない。これらの政策演説や戦略文書に法的な拘束力はないにせよ、それは一種の事実上の公約となるので、国民の支持を得られない理念を示したり、自ら示した方針に反した判断や決定を下したりすれば、国民の不信を買い、政権への支持撤回という形で罰せられる効果を持ちうるので、決して無意味ではない。こうしたイニシアティヴが政府によって取られるのならば、「軍事力の保有・運用=戦争」という観念に多少なりとも働きかけることができ、安心供与という観点から一定の効果を持ちうると思われる。こうした対内的な安心供与の取り組みを進めておくことは、存立危機事態を認定して自衛隊を防衛出動させる決定を下す際に、国民からどの程度の理解と支持を得られるかを左右するだろう。

第二に、アメリカの紛争に巻き込まれるのではないかという懸念に対しては、様々な国際安全保障問題について、それらが日本の安全保障に対していかなるインプリケーションを持つのかを閣僚が具体的に論じ、日本が現行の国際秩序の重要なステークホルダーであるという認識を根付かせていくしかない。こうした取り組みは、「同盟国アメリカが係わっている問題だから日本も付き合わざるを得ない」のではなく、「日本にとって某といった重大な影響をもたらす問題だから日本は係わる」という見方を醸成し、日米が共同で国際平和を守る活動に取り組んだ際に、日本自身が主体的に判断したという事の根拠にもなる。これまで政府の国際問題に関する声明は、抽象的な言い回しと結論的な立場を示すのが常であったが、多くの国民はこれだけでは物足りていないと感じているのではないだろうか。ある国際問題が日本にとってどのような意味を持っているのかを説明するのは実は難しいし、政府からすれば、何らかの言質を取られたり、政策判断の裁量を奪われたりするのではないかという心配もあるだろう。しかし、外交・防衛当局の専門的な判断を踏まえて政権首脳陣がこれを具体的に語るとすれば、政策への国民の理解や支持を広げるうえで必ず役立つはずである。各種の国際問題が日本の安全保障に与えるインプリケーションが具体的に論じられれば、日本が特定のイシューに関してどこまで何をすべきかということにも目安が生まれてくる。そうすれば、アメリカが関与する紛争に日本が何らかの形で係わる際にも、その紛争が日本にとっていかなる影響を持つのかについての理解が国民の間である程度共有された状態で政権は政策判断を下すことができるようになり、「巻き込まれる恐怖」を過剰に煽り立てる声に翻弄されにくくなる。このように国際問題に関するナラティヴを日頃から国内で作り上げていくという対内発信の積み重ねは、日本に現実主義的な国際秩序観をもたらす取り組みにほかならない。こうした国際秩序観がどこまで醸成されるかは、将来、重要影響事態や国際平和共同対処事態の下で自衛隊を米軍やその他の国の軍隊の後方・協力支援任務に派遣することになった際に、どこまで国民の理解と支持を得られるかということに大きく影響すると思われる。

第三に、今回の安保法制が国際情勢の悪化を招くのではないかとする懸念に対しては、変化する安全保障環境に日本はどのように向き合っていくのかという総合的な戦略を示し、その中で自衛隊の果たす役割やアメリカとの同盟の意義を説くべきだ。国会における安保法案の審議は、自衛隊の運用という極めて狭い文脈に議論が閉じ込められており、日本がアメリカやその他の国々と協力して、地域の平和と安全をいかに劣化させずに国際環境の変化に対応するかという、国際秩序を維持するための戦略にまつわる論議は、ほぼ皆無だった。新法制が成立した今、政府としては、外交、軍事、経済、開発援助といった多様な対外政策の手段を組み合わせて日本の平和と繁栄を守っていく能動的な戦略を示し、その中で自衛隊の活動範囲を広げることに大きな意義があることを論じれば、日本が軍事的側面を突出させる形で安全保障環境の変化に対応しようとしているわけではないことが明確となり、自衛隊の運用に対する不安を緩和できるのではないだろうか。たとえば、中国について、現状変更を進める海洋進出や軍備増強の動きに対しては、同盟強化を通じた抑止力の向上を軸とした対応を取りつつ、中国との経済関係や社会的な交流というエンゲージメントの次元で、日本はどのような戦略を展開するか、中国を一方的な現状変更行動から対話や交渉へと向かわせるためにどのような外交を展開するのかなど、多面的な対中戦略を示すことが考えられる。

国際政治の激流が押し寄せるたびに、日本では安全保障政策のあり方が議論されてきたが、たびたび法律主義的色彩が濃く、また感情的とすら言える発言がくり返されてきた。これは一面において、日本が戦争に加担することなく戦後70年を歩んできた道のりを尊び、侵略戦争への反省を胸に留めて国際社会で生きるべきだとする、日本なりに矜持を持とうとする姿勢の表れであり、こうした想いは必要なことであるだろう。また、安保関連法案への反対意見は、憲法論や手続論、政策論にわたるまで広範に渡っており、国民の関心も高く、論争が巻き起こっている事自体は歓迎すべきことだ。経済や社会・福祉に目が向きがちな国民が、真剣に日本の安全保障のあり方について考え、議論することは好ましいとすら言える。

しかし、安保法案をめぐる一連の反対論は、いま国際システムで起こりつつある地殻変動をどう理解し、その中で日本がどう平和と安全を確保していくかという中核的な問いに十分に答えていない。国会では、日本が自国の平和と国際秩序をいかに守るべきかという問題に関する実質的な論議がなされないまま、野党は一般論や原則論に照らした法案の細部を質すだけで、審議は微視的な技術論をめぐる応酬に終始してきた。国際安全保障の現実を踏まえて自衛隊の活動態様を評価・審議する視点があまりにも希薄だった。

日本が憲法第九条の下で追求すべき平和は、特定の国際秩序の中において保障されるものであることが、もっと積極的に論じられるべきであろう。かつてある高名な国際政治学者は、「日本の外交は、たんに安全保障の獲得を目指すだけでなく、日本の価値を実現するような方法で、安全保障を獲得しなければならない」と指摘し、「自国の価値を生かすような国際秩序を作るために努力することが必要であるという認識」を持つ必要性を説いた。国会でホルムズ海峡での機雷掃海の問題や、国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の参加形態に関する議論が行われていた時、原油の輸送が停止することの影響であるとか、どのような状況で武器が使用可能かといったことばかりが議論され、日本にとっての中東の戦略的価値をどう捉え、その価値に照らして日本はどこまで踏み込んだ活動を実施すべきかという視点はなかったし、PKOに参加している国々の国際標準がどのようなものを踏まえてPKOにおける自衛隊の行動基準を検討しようとする議論も見られなかった。

日本の平和と繁栄の源は、すでにグローバルな規模で広がっている。こうした中で、国際安全保障問題をアメリカへの付き合いという感覚で捉えたり、国際秩序を守るためのリスクから逃げ続けたりする限り、日本は真の平和国家たりえないということは、もっと強く自覚されるべきだ。憲法第九条の定める平和を国家の価値として追求するのならば、その理念を支えるような国際秩序を維持・形成すべく、日本は安全保障上の慎慮に富んだ情勢判断と戦略的計算に依って立つ国際秩序観を持つべきだ。国際政治が大きくうねる中で、いま日本に求められているのは、旧来の一国主義的な平和観から現実主義的な国際秩序観への漸進的な転換なのである。そして、そうした転換を可能にするための土台作りがいま求められている。安保法案をめぐる日本国内の論争は、暴走する政府とそれに抗する国民といった図式で捉えられるべきものではないし、この論争は安保法制の成立で終わるものでもない。激変する国際環境に、日本はどう適応しながら平和を追求するかという根本的な問いかけに対して、日本人が国を挙げて考え、議論し始めたのである。我々は、過去の戦争の反省を胸に秘めつつも、水平線の彼方に目を凝らし、これから待ち構える数多くの難題に辛抱強く向き合う覚悟を持たねばならない時代に差し掛かっている。

    • 元東京財団安全保障法制プロジェクト ・メンバー、法政大学教授
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