森 聡( 東京財団安全保障法制プロジェクト ・メンバー、法政大学教授)
安保法案が成立し、半年以内に施行されることになった。日本がめまぐるしく変化する国際環境に適応し、平和と繁栄を確保していくうえで不可欠な法制が整備されたことは高く評価されるべきだ。今回の安保法制は、自衛隊の活動範囲を広げ、米軍や他国の軍隊と連携して行動しやすくさせることによって、抑止力を向上させようとするものである。すなわち、実力で現状変更を企てたり、国際社会の平和を破壊して目的を達成しようと考えている国ないし主体が、日米同盟や日本が取り結ぶ様々な安全保障協力の枠組みが効果的に機能し、それゆえに実力を行使しても目的を達成するのは困難だと考えるように仕向け、そうした侵略的行動を抑止しようとする狙いがある。また、国際社会の平和が脅かされたり破壊された際に、日本が国連決議の下で、加盟国と協力しながら対応できるようにして、日本の平和と安全、さらには国際秩序を守るということも重要な目的とされている。日本が安全保障政策の一環として自衛隊を運用する幅を広げるものであるが、これは日本の≪選択肢を広げるもの≫であって、特定の条件下で自動的に自衛隊を派遣・運用したりすることを義務付けるものではないということを見落とすべきではない。
国内では、10本の法律改正案からなる平和安全法制整備法案と、自衛隊の海外派遣の条件を定めた新たな恒久法である国際平和支援法案が、まとめて国会に提出されたことをとらえて、「分かりにくい」といった批判もあったようだが、バラバラに提出されていれば、もっと分かりにくかったはずである。歴代の政権が積み残していた安全保障政策における「宿題」を現政権はまとめて片付けたのであり、近年の日本の安全保障環境の悪化を懸念する一国民として、安保法制の成立に政治的労力が注ぎ込まれたことを素直に評価したい。
他方、世論調査によれば、政府の説明が不十分だとか、もっと審議を尽くすべきだったとする反対意見が多いのも事実だ。日本が直面する安全保障上の政策課題や対応策について、「憲法論」や「反戦論」に留まらない、政策論や戦略論を踏まえた国民的論議を盛り立てていくためにどうするべきかという重要な課題も浮き彫りになった。この課題に真剣に取り組み、国際情勢を踏まえた安全保障政策が論議される土壌を作っていくことは極めて重要である。こうした取り組みの成否は、日本が国際環境の変化に適応し、平和を保っていけるかどうかを左右すると言っても過言ではない(この点について第2部と第3部で論じたい)
さて、今回の安保法制は、国会で野党が技術的な細部に議論の焦点を当てたこともあって、分かりにくいとの印象が広がってしまったが、事態区分とそれぞれの事態で許される自衛隊の活動が、関連する各種法律の中で定められているとみれば、それほど難解ではない。自衛隊が防衛出動命令に基づいて武力を行使する事態は二種類に限定されており(武力攻撃事態と、存立危機事態)、それ以外の事態(重要影響事態、国際平和共同対処事態)においては、いわゆる後方支援、捜索救助、船舶検査などの活動に限定され、武器の使用は基本的に自己保存目的に限って許されている。
自衛隊が武力を行使できるのは、外部からの武力攻撃が発生した事態か、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)の場合、すなわち新三要件が満たされる場合に限られている。存立危機事態の下で自衛隊が武力を行使できるようになったことは、朝鮮半島有事を含め、日本の存立が脅かされるような状況が発生してしまった場合に、米軍とともに効果的に連携しながらそうした深刻な危機に対処できるようにするものであり、同盟強化を通じた抑止力を向上させるという戦略的な意義がある。これらいずれの事態においても、外国からの武力攻撃が先に発生していることが条件となっており、日本はあくまで攻撃の発生を受けて反応することが法制で定められているので、専守防衛の原則が守られている。加えて、存立危機事態下で限定的な集団的自衛権を行使する場合でも、原則として事前の国会承認が求められており、特に緊急の必要から事前に国会の承認を得られない場合でも事後承認が必要となるので、国会の民主的統制は貫徹されている。今回の安保法制が「戦争法案」と呼ぶには程遠い内容であるのは明白であろう。
また、日本の平和及び安全に重要な影響を与える事態(重要影響事態)や、国際社会の平和及び安全が脅かされ、対処を要請する国連決議が採択されている事態(国際平和共同対処事態)において、自衛隊は各種の後方支援活動や捜索救助活動、船舶検査活動などに従事することが可能になる。ここで言う「後方支援活動(重要影響事態)」や「協力支援活動(国際平和共同対処事態)」には、補給、輸送、修理及び整備、医療、通信、空港・港湾業務、基地業務、宿泊、保管、施設の利用、訓練業務が想定されている(国際平和共同対処事態では、建設業務も可能)。いずれの事態においても、日本は外国の軍隊を支援することができるようになるが、武器の提供は行わないことになっている。これらの活動は、現に戦闘が行われている現場では実施せず、もし活動区域の近傍で戦闘が行われたり、戦闘が予測されるに至れば、部隊長の判断で活動を一時休止し、状況次第では防衛大臣が活動の中断を命じることになっている。さらに、自衛隊員は、自分または現場で共にいる自衛隊員や、自分の管理下に入った人間を守るためにやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じて合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。つまり、自衛隊員は活動現場から退避したり、自己や周囲の人間を守ることができるようになっており、活動形態は拡充されているものの、それに応じて自衛隊員や関係者に及びうる各種のリスクも十分に管理される体制が整えられたのである。重要影響事態や国際平和共同対処事態で自衛隊が後方支援活動等を行うということは、特定の国などが国際社会の平和を破壊しつつあるようなときに、日本が諸国家と協同して国際秩序を守り、平和を回復することを意味している。今回の安保法制は、現行の国際秩序から多大な恩恵を受けている日本が、応分の責務を果たすことを可能にするものだが、実際にどこでいかなる活動を実施するかは、その時々の状況を時の政権と国会がどう判断するかに懸かってくる。特に国際平和共同対処事態における自衛隊の派遣は、国会の例外なき事前承認が条件となっており、ここでも民主的統制は万全である。
さらに、自衛隊は在外邦人等の保護や国連平和維持活動において、任務遂行型の武器の使用が許されることになったので、自衛隊員は警護・救出しようとする邦人や関係者、自自己の周囲にいる人間や活動関係者を守ることが可能になり、実施する任務に及ぶリスクに対処できるようになった。また、自衛隊と連携して日本の防衛に資する活動に平時から従事しているアメリカやその他の国の軍隊、そしてこれに類する組織の部隊の人や武器等を、相手側から要請があって相当な理由もある場合に、合理的に必要と判断される限度で武器を使用できるようになった。このことも、現場における即時的な抑止力や対処能力が強化され、リスクの管理につながっている。
以上の通り、今回の安保法制の内容をつぶさに見れば、それは戦争法案でもなければ、いたずらに自衛隊員のリスクを高めるものでもない。海外の紛争にどのように関与するかは、政府が判断するのみならず、国会も承認手続を取る形で政治的責任を負うことになっている。つまり、今回の安保法制は、日本と国際社会の平和や安全が脅かされる国際情勢が生起している中で、平和と国際秩序を守るという目的を共有するアメリカをはじめとする諸国家と日本が効果的に、リスクを管理しながら対応するための方策を講じるものである。にもかかわらず、「説明が不十分である」、「審議が尽くされていない」といった反対意見がこれほどまでに多いのはなぜなのだろうか。