評者:小宮一夫(東京大学文学部非常勤講師)
1.はじめに―近代日本の代表的悪役・山県有朋―
私たちは、山県有朋という名を聞いて、どのようなことを想起するであろうか。日本近代史の知識を有する人であれば、おそらく日本陸軍を作り上げた「軍国主義の親玉」、「陸軍の巨魁」といった山県像がまず脳裏に浮かぶことであろう。このようなネガティブな山県像は、「進歩主義」に強く彩られた戦後歴史学によって形成され、世間に流布したものである。近年、政治史研究者で共有されつつある山県像も相変わらずネガティブなものである。その像を大胆に要約すると、<陸軍を中心に、内務省や貴族院、枢密院、宮中などに巨大な山県閥を張り巡らせ、戦前期日本の「民主化」の流れを少しでも食い止めようとした軍人政治家>といったものになる。
このような山県像に異議を唱えているのが、戦後、アメリカで日本近代史研究に長年取り組まれてきたジョージ・アキタ氏(ハワイ大学名誉教授)である。アキタ氏は、『明治立憲政と伊藤博文』(荒井浩太郎・坂野潤治訳、東京大学出版会、1971年)で、明治立憲政治が定着するうえで伊藤博文が果たした役割の大きさをいち早く日本に紹介したことで知られている。その後、アキタ氏は、伊藤の政治的ライバルであった山県に関心を移し、一次史料に立脚した山県像の再検討に取り組み、現在に至っている。例えば、アキタ氏が伊藤隆氏と共著論文として発表した「山県有朋と『人種競争』論」(近代日本研究会編『年報・近代日本研究7 日本外交の危機認識』山川出版社、1985年)は、氏による山県研究の成果の一端である。
さて、本書は、山県に強い関心を持つジョージ・アキタ氏の傘寿を記念して、氏とゆかりのある研究者たちが「山県有朋と近代日本」というテーマから各論文を執筆し、アキタ氏に献呈した論文集である。くしくも本書が公刊された本年(2008)年は、山県の生涯と冷静に向かい合い、山県の現実主義者としての側面をあますところなく描き出した岡義武氏の名著『山県有朋』(岩波新書)が公刊された1958年からちょうど半世紀にあたる。このような節目の年に、山県を多面的な角度から捉え直そうとする本書(『山県有朋と近代日本』)が公刊された意義は大きい。
2.本書の構成と概要
本書の構成は、以下の通りである。
1 近代日本における山県有朋の位置付け―序にかえて― 伊藤隆
2 山県有朋の国防構想の変遷―日清戦争以前― 福地惇
3 山県有朋と地方自治制度創設事業―三府特別市制制度を中心として― 長井純市
4 内務省時代の白根専一―「山県系」形成の起点― 佐々木隆
5 伊藤博文と山県有朋 坂本一登
6 山県有朋の国際認識―第二次山県内閣期の「万国平和会議」、「日清同盟」問題を中心として― 小林和幸
7 山県有朋と三党鼎立論の実相 季武嘉也
8 もうひとつの山県人脈―山県有朋と高橋箒庵― 内藤一成
9 大正期天皇制の危機と山県有朋 黒沢文貴
10 山県有朋の語られ方―<近代日本の政治>をめぐるメタヒストリー― 有馬学
専門外の読者は、坂本氏と有馬氏の論文から読み進めるのがよいであろう。坂本論文は、日清戦後の第三次伊藤内閣から隈板内閣誕生に至る政治過程を分析し、伊藤というトリックスターがいなければ、「藩閥政府は既得権益の牙城となり、山県が望む改革すら拒み、やがて立憲『政治』は憲法中止という窒息死を迎えたかもしれない」という問題提起を行っている。坂本氏の指摘通り、議会開設後、政治路線の相違から次第に抜き差しならない関係に陥った山県と伊藤だが、実は互いに相手の存在が必要不可欠なものと強く意識していたのであろう。
有馬論文は、山県を同時代の政治批判者たちがどのように語ったかについて分析したものである。そこでは、立憲制が完成した明治後期から大正期にかけての山県像は、民衆から乖離した古色蒼然たる宮廷政治家であり、さらに既成政党排撃が叫ばれる昭和前期になると、山県は論じるに足らない存在とされていたことが指摘されている。日露戦後に登場した世代にとっては、山県よりも原敬の方が許しがたい巨悪であった。彼らの目には、立憲政友会の繁栄のみを希求する原が政治を腐敗堕落させた象徴として映ったのである。有馬氏の指摘は、山県を同時代の文脈で内在的に理解するうえで、重要な問題提起といえる。
次に、山県の対外認識や国防を取り扱った論文を見ていこう。福地論文は、『山県有朋意見書』を素材に、日清戦前の山県の国防論を検討し、当該期の山県は朝鮮の独立を望み、清国との抗争激化は本意でなかったと主張する。伊藤論文では、「大正初期山県有朋談話筆記」(国会図書館憲政資料室所蔵)を素材に、第一次大戦前後の山県の対外政策論が検討されている。伊藤氏は、山県が日中提携の観点から対華21ヵ条要求に反対であったことや、日米関係の重要性を意識し、両国の衝突が起こらないように絶えず留意していたことなどを踏まえ、山県は「軍国主義者」、「侵略主義者」などではないと主張する。
これに対し、小林論文は、『日本外交文書』や未公刊の外交文書(外務省外交史料館所蔵)を主な素材に、第二次山県内閣の対外政策及び国際認識を検討したものである。同論文によれば、山県の中国認識は、次のようなものであった。欧米列国の中国での勢力拡大は必至で、それにともない、清は何れ滅亡に向かうが、日本が列国に対抗して、それを食い止めることはできない。このような認識を有するがゆえに、山県は日清同盟論を危険視したのである。
山県は、初代内務大臣を務め、地方自治制度の創設にも深く関わっている。長井論文、東京、大阪、京都の三府では、府知事が東京市長、大阪市長、京都市長を兼任する三府特別市制は、先進国である欧米の首都制度を参照して導入されたことを指摘している。
今度は、山県系や山県閥をテーマにした論文を見てみよう。藩閥研究の第一人者である。
佐々木氏の論考は、山県系内務官僚と目されている白根専一の軌跡を追ったものである。この論文では、明治31(1898)年6月に白根が死去したことや、品川弥二郎が翌年7月に国民協会を引退したこと(品川の政治的挫折)により、山県閥が形成されたという展望が述べられている。これは、山県閥の形成を考える上で重要な問題提起といえる。
政党の地方基盤や選挙研究の第一人者である季武氏の論考は、山県の持論であった三党鼎立論を吏党系第三党の軌跡と交錯させながら、戦前期の日本政治史の中に位置づけたものである。同論文によれば、政治と経済は別物で、政治は経済に優先すると考える山県は、地方名望家や実業家など「恒産」を有する者が政治に参加することを期待した。だが、山県は、第三党の育成に深く関わることをなるべく避け、配下にそれを任せた。その結果、日露戦後、一度は取り込んだ実業家層や財界の大物たちを「権力に従順な紳士的存在」として飼い慣らし続けることが困難となったのである。この季武論文は、論文のオリジナリティと興味深さを鑑みると、本書でもっとも優れた論文といえる。
内藤論文は、三井系実業家で、引退後は茶人・文筆家として政官財界の名士と広く交遊した高橋義雄(箒庵)と山県の交流の軌跡を追い、その分析を踏まえ、山県の政治的人脈は政治的・非政治的を問わず、山県と親密な関係を持つに至った個人が山県を囲繞しながら形成されたものであると主張する。
黒沢論文は、皇太子裕仁親王の御成婚をめぐる問題が抜き差しならない政治問題へと転化した宮中某重大事件により、元老山県有朋の政治的影響力が後退したことを論じている。
3.論点
本書は、山県そのものを真正面から取り上げたというよりも、山県の「周辺」部分を考察したものが大半である。それゆえ、本書から山県個人について斬新な像を持つことを期待した読者は肩透かしの感を持つかもしれない。陸軍を中心に政界に広範な官僚閥を築いた山県は、活動時期の長さもあって、研究者にとって全貌を解明することは決して容易なことではない。また、山県の全貌を明らかにするためには、その「周辺」部分の検証は必要不可欠である。
本書の成果は、山県の「周辺部分」の一端がかなりの程度明らかにしたことである。そして、本書では、近代日本に確固たる存在として君臨した山県とその周辺を解明する上で、今後議論の叩き台となる興味深い論点が多数提起されている。本書によって、広い意味での山県研究が前進したのは間違いない。
最後に、今後の山県研究について展望しておこう。まずは、陸軍山県閥の後継者と目された人物と山県との関係を通して、陸軍山県閥のメカニズムを解明することである。既に桂太郎と山県に関しては小林道彦氏による優れた研究成果がある。これからは、山県と寺内正毅、田中義一との関係の本格的分析が待たれる。
次に、山県閥の牙城のひとつであった枢密院における山県支配のメカニズムである。山県は枢密院議長を三度務め、最後は暗殺された伊藤の後を受けて明治42(1909)年11月から大正11(1922)年2月1日に死去するまで15年近く議長を務めた。昭和期における枢密院の政治的台頭を考える上でも、山県が支配していた枢密院の構造に関する本格的分析が待たれる。
その他、山県とメディアとの関係も重要なテーマである。伊藤は、メディアから絶えず批判の対象であったが、山県はメディアからの攻撃の矢面に立つことはなかった。穿った見方をすれば、伊藤の政治的パフォーマンスは、メディアの目に映じやすかったのに対し、山県のそれは極めて映りにくかった。それゆえ、伊藤が山県に代わって、絶えずメディアの批判対象となったともいえよう。
このように、山県とその周辺には、まだまだ解明すべき問題が多数残されている。たぐい稀な軍人政治家として陸軍や政界に広範なネットワークを張り巡らせた山県有朋を調査・研究することは、インドネシアのスハルトなど開発途上国などで見られる軍人政治家たちを理解する上でも貴重な示唆を与えてくれるであろう。