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【書評】『浜口雄幸と永田鉄山』 川田稔著

August 19, 2009

評者:大前信也(同志社女子大学嘱託講師)

柳田国男、原敬、浜口雄幸の政治思想史的研究を重ねてきた著者が、永田鉄山と浜口を対比させて論じているのが本書である。著者はある文章で本書の狙いを次のように述べている。浜口内閣の対米英協調と中国内政不干渉という外交政策によって米英中とは協調可能だったことから、満洲事変やそれ以後の大陸膨張政策の展開を理解するには、昭和陸軍の政策構想の検討が必要である。また、当時の政党政治の体制は強固で安定していて、安全保障や中国への対応などは明確な構想に裏づけられていたので、陸軍の独自の政策構想とその実現への準備を分析してこそ政党政治崩壊の理由がわかるとのことである。そこから陸軍と日本の将来について明確な構想を持って陸軍を主導する推進力となった永田鉄山の政策構想の分析が重要であるとしている(川田稔「政党政治と昭和陸軍」『本』平成21年5月号、講談社)。こうした視点から永田を浜口と対比させたのが本書である。以下にまず、梗概を示したあと、評者の考えるところを記したい。

「プロローグ 張作霖爆殺事件」では、満蒙問題に関して田中内閣の満蒙特殊地域論、関東軍首脳の満蒙分離論に対し、永田ら陸軍中堅幕僚は満蒙領有論、民政党総裁浜口は経済関係強化のため内戦不介入、国民政府による統一容認の立場であったことを述べ、張学良の国民政府合流で浜口の議論が主流となり、永田らの考えが対抗したとする。浜口と永田の構想と活動の展開を時代背景とともに描くという本書の意義がそこから導かれる。

「第1章 田中義一政友会内閣と民政党総裁浜口雄幸」によると、民政党総裁浜口は山東出兵など田中内閣の満蒙政策を批判し内政不干渉を主張して、国民政府による統一を支持する。満蒙の権益は決意があれば守れる、満蒙分離は日本にとって損失であるとするのであった。日本の経済発展のためには中国統一を支持し対米英協調を維持しようとした。一方、内政では田中内閣の積極財政を批判し産業合理化や金解禁、緊縮財政を主張する。浜口はこうした構想に従って幣原喜重郎や井上準之助を起用したとされている。

「第2章 浜口内閣期の外交と内政」では、上記の構想の実現を目指す浜口が描かれている。彼は大戦防止と国際社会安定のために国際連盟を重視し、東アジアの安定と平和の維持には不可欠と見なした。そして国際協調と財政負担軽減のため軍縮を試み、満蒙問題棚上げで日中関係を改善し通商・投資の拡大を目指そうとした。それは国民政府の好意的姿勢と日貨排斥の収束をもたらし日中関係は安定化したとする。また内政では、緊縮財政と金解禁で物価低落、為替安定を招来し、産業貿易の発展、国民生活の安定を目指した。そして産業合理化でもって国際平和協調路線と国際経済競争力強化をつなごうとした。要するに協調外交で軍縮をもたらし財政負担を減じて民力休養を目指すという路線であった。

「第3章 構想の相克」に至って浜口と永田の構想が対比されることになる。永田の構想は浜口への対抗構想といえ、満洲事変以後の陸軍を主導する。永田によれば国家総力戦では国家総動員が必要であり、長期持久戦下での自給自足のため大陸の国防資源を確保すべきとなるが、浜口の構想は総力戦、総動員には十分及んでいず、通商拡大で産業興隆というのが眼目であった。浜口は東アジアの平和の下での経済発展と国民生活の安定をもたらすため国際連盟を重視し、多層的条約網で戦争の抑止は可能と見た。また米英との協調下に市場としての統一中国との通商関係の発展を目指したのに対し、永田は戦争は不可避として、実行手段を欠く連盟の有効性に疑問を呈して軍備充実を必要とし、満蒙華北華中の資源の確保が必要と考えていた。こうした両者の構想の相克は国内政治体制についての見解の相違をもたらし、政党政治の徹底と軍部の政治介入という対比がなされている。

「第4章 満州事変と永田鉄山」は経緯の描写に止まる傾向が多分にある。満洲事変発生後の陸軍中央における永田軍事課長の発言力は大きく、一夕会系の中堅幕僚が陸軍上層部を動かし、関東軍と連携していたという指摘が目にとまる。

「第5章 統制派と皇道派―陸軍派閥抗争」は永田ら統制派の傾向を、浜口ではなく陸軍内の皇道派と対比させている。統制派は対ソ早期開戦に反対で、総力戦・総動員に備えて華北華中の国防資源確保のため中国本土への介入を考えたのに対し、皇道派は対ソ早期開戦論の一方で中国本土では列強と協調して通商・投資につとめるべきとして、中国本土介入に慎重であった。そして統制派の所産である「国防の本義と其強化の提唱」は、連盟の無力化・ブロック対立下の経済戦では、平時の国家統制を必要とし、陸軍の政治介入体制の確立と軍備充実のための予算獲得を求めていた。

「エピローグ 永田死後―太平洋戦争への道」は短いが、永田よりも浜口を高く評価する著者の立場が示されている。永田暗殺後も国内の政治体制については軍部主導の政治運営という彼の構想が実現する。すなわち陸軍の政治的影響力の拡大であり、対米開戦過程では国防資源獲得を念頭に華北への駐兵が追求された。陸軍内で新たな構想は提示されず、結局武藤章や東條英機は永田の構想に呪縛されたという。一方、浜口は国際連盟と条約網で戦争抑止可能とし、東アジアの安定平和の下で統一中国への通商・投資を考え、国内政治ついては政党政治の徹底を目指していた。現在、日本では議会政治は定着し、世界では国連中心の平和維持システムが整備されているが国際社会では権力政治の要素は残存している。そこでの日本の針路について、浜口と永田のスタンスの対立が現存するが、永田の方向はアジアに惨禍をもたらし、浜口の構想は戦後憲法体制に受け継がれた。権力政治を超える新しい国際秩序を追求した浜口の構想とそれに対抗した永田の構想との相克の歴史的帰結は示唆的であるというのが著者の結論である。

さて、いくつかの疑問、注文を呈して批評としたい。政治家の評価の基準を何処に置くかということを考えたとき、政治家はその構想如何よりも、まずは何を行ったかで評価されるべきではないだろうか。思想家の構想を評価する政治思想史と政治家の実行を評価すべき政治史の混交が生じているのが本書の特徴であろう。しかし、見方を変えれば、政治思想史家としての著者が思想史と政治史の交錯という従来にない手法の叙述を展開しているともいえる。浜口の新たな側面に光があてられたということだろう。そもそも現実の浜口と永田に交流はない。14の年齢差があり、浜口が総裁、総理をつとめたとき、永田は大佐で連隊長や課長であった。第4章、第5章で描かれた永田の活躍は浜口没後の話である。その二人を対比させたのは、彼らの構想の相克を論じるためであり、そこに思想史的意味を見出そうとしたのであろう。

しかし、浜口と永田の構想を戦後と関連させる著者の結論にはいくつかの留保を示したい。国際協調で通商拡大という路線を軽軍備の通商国家に、不戦条約や戦争違法化を著者のいうところの「昭和憲法」体制につなげようとしているが、専守防衛の通商国家も、米国の覇権の下、日米同盟体制の中で可能だったことを忘れてはなるまい。極東における有効な軍事同盟など困難であった当時の状況を戦後と類比させるのに慎重であるべきだろう。米英ソの角逐する当時の東アジアで、満蒙権益維持が対中不干渉政策や中国ナショナリズムの台頭と両立可能だったか。そもそも浜口のいう「決意」だけで満蒙権益を守れたのか。5ヶ年計画を重ねて重工業化を進め軍備を増強するソ連の脅威に対して、国家総動員以外の現実的な対処法があったか。恐慌に見舞われ保護貿易に向う列国の中で通商拡大が可能だったか。産業合理化は民政党を支える財閥・大企業を利するだけではないか。このように外交も経済も国防も従来と様相を異にしていく中で、国内の相反する諸利益を調整、統合していく力量が当時の政党にあったか。本書を読んでいると、浜口の構想の現実性如何を問う疑問が相次いで想起する。そして、1930年代後半の世界とわが国の歴史は、永田の構想の方が現実的で妥当性があったと示しているのではないだろうか。

また、浜口の構想とその実現への道程を論じた部分では、浜口主導を強調する余りに、外交における幣原外相の、財政における井上蔵相の主体性を没却しているように思う。幣原外交に関する豊富な先行研究のみならず、井上財政や、それをいわば反面教師として登場する高橋財政について蓄積された研究を参照すれば、著者の浜口構想評価もより多面的なものになったかもしれない。

永田関係部分については、陸軍における永田の構想を石原莞爾のそれと対比させて異同を明らかにしてほしかった。一体どちらがこの時期の陸軍を牽引したのかという疑問が残る。従来の研究は石原の構想を強調しているので、永田を評価するなら両者の構想の相克が論じられていいはずである。現実の永田は浜口よりもむしろ石原と交錯している。但し、従来余り注目されていなかった永田の文章や講演筆記を活用して、彼の構想を示している点は評価されるべきであろう。

おそらく著者は本書に続く著作の構想をすでに有し、その実現に着手しているはずである。ここに示した疑問や注文などは、そこで鮮やかに解決されるであろう。そのとき本書の意義も改めて認識されるはずである。

    • 同志社女子大学嘱託講師
    • 大前 信也
    • 大前 信也

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