評者:小宮一夫(駒澤大学法学部非常勤講師)
1.はじめに
辛亥革命は1911年10月、清朝打倒をめざす革命派が武昌で蜂起したことに端を発する。蜂起は中国各地に広がり、翌年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国臨時政府が樹立された。そして2月には、宣統帝(溥儀)が退位し、中国を250年以上支配してきた清朝が倒れた。辛亥革命にともない、アジアで最初の共和国である中華民国が建国されたことと、第二次世界大戦後の1949年、蒋介石率いる国民党との国共内戦に勝利した毛沢東率いる中国共産党が中国大陸を掌握したことは、20世紀の中国における巨大な政治変動であった。この2つの政治変動は、隣国日本の対中政策に大きな影響を及ぼしたのみならず、日本の国内政治にも少なからぬ影響を及ぼした。
本書は、このうちの前者、すなわち辛亥革命が日本の外交と内政に如何なる影響を及ぼしたかを分析したものである。辛亥革命後、中国情勢は混沌とする。一方、本書が対象とする明治末年から大正後期にかけての日本の対中外交は、混迷する中国情勢と呼応するかのようにしばしば迷走した。このような1910年代の激動の中国情勢を所与の前提として、本書は日本の外交と内政がどのように動揺したかを明らかにしていく。
なお、著者は都市政治をはじめとする内政史研究から外交史研究まで自在にこなす政治外交史研究者として知られ、本書においても、その器用さは如何なく発揮されている。
2.本書の構成と概要
本書の構成は、以下の通りである。
序章 辛亥革命と日本
第一部 辛亥革命勃発と日本の対応
第一章 辛亥革命と日本外交―伊集院彦吉駐清行使の場合―
第二章 日本陸軍の北清・満洲出兵計画―軍事行動の衝動―
第三章 参謀本部の対中工作―宇都宮太郎の活動―
第二部 辛亥革命前後における駐屯軍の動向
第四章 清国駐屯軍と国際関係―一九〇一~一九一四年―
第五章 支那駐屯軍・中支派遣隊と国際政治―一九一一~一九二二年―
第三部 中国情勢の展開と日本の政局
第六章 辛亥革命と大正政変―政治変動の相互作用―
第七章 立憲同志会における対外政策問題―大正政変から第一次世界大戦期―
第八章 加藤高明と英米中三国関係―英米協調政策と中国―
第九章 日中提携論者長島隆二の政界革新構想―アジア・モンロー主義の主張―
構成を一瞥すれば明らかな通り、第一部では日本が辛亥革命に対して如何に対応しようとしたのか、次いで第二部では北京最終議定書に基づき日本が欧米列国とともに北京や天津に置いた駐屯軍が辛亥革命の前後の時期にどのような動向を見せたか、さらに第三部では辛亥革命が明治末年から大正期の日本政治に如何なる影響を及ぼしたか、が検討されている。
では、本書の内容を見ていくことにしよう。
第一部の主人公は、駐清公使伊集院彦吉と当時参謀本部第二部長の宇都宮太郎である。彼らは外務省・参謀本部の最前線で辛亥革命と向き合い、革命への対応に奔走した。伊集院は、辛亥革命が勃発すると、その混乱に乗じて日本が中国へ積極的に出兵することを主張した。これは、日本の満蒙権益を維持・確保をねらってのことである。しかし、出兵の機を逃したと見るや、欧米列国との国際協調路線に転じた。伊集院は、日本への猜疑心を列国に抱かせないにするため、陸軍が目論む大規模な出兵計画に反対するに至った。そのためもあって、陸軍は列国との協調の枠内に収まる小規模出兵しかできなかった。以上のような第一・二章から浮かび上がるのは、出先の伊集院駐清公使の振幅である。
第三章では、宇都宮が辛亥革命の勃発後、活性化させた参謀本部による中国大陸での「謀略工作」の実態が明らかにされている。しかし、こうした工作は、大陸政策に深入りすることを欲しない第一次山本内閣によって規制され、宇都宮もこれに従わざるを得なかったのである。
第二部は、清国駐屯軍-支那駐屯軍、中支那派遣隊の主人公として、それらの軌跡を東アジア国際関係史の中に位置づけようとしたものである。既述の通り、北京最終議定書に基づき日本は、公使館や北京・天津の日本人居留民の保護を主要目的とする清国駐屯軍(のちに支那駐屯軍)を設置した。そして、辛亥革命が勃発すると、日本は列国と同様に清国駐屯軍を増強する。しかし、革命が沈静化すると、第一次山本内閣の行財政整理の一環で駐屯軍の減兵が実施される。とりわけ山本内閣がロシアやイギリスの撤兵に呼応して退陣間際に決定した大規模な撤兵により、日本が華北に有する兵力は三個中隊と辛亥革命前とほぼ同等の水準に戻った。
以上のような第四章を踏まえ、第五章では、ワシントン会議に至るまでの支那駐屯軍と中支那派遣隊の軌跡が描かれている。辛亥革命が勃発すると日本は長江流域の漢口に一部隊を派遣した。のちの中支那派遣隊と改称される中清派遣隊である。中支那派遣隊は、革命が沈静化した後も駐留を続け、同隊が撤退するのはワシントン会議のことであった。ワシントン会議では、支那駐屯軍の撤退も議題に上り、国際協調の観点から日本も減兵に応じた。
第三部では、中国から日本に再び舞台が戻る。第三部の序章ともいうべき第六章では、辛亥革命に対する第二次西園寺内閣の対応が消極的過ぎるという不満を抱く桂が、自らの手で「満蒙問題」を解決しようとしたこと、またその前提として「挙国一致」を標榜して非政友系を合同した一大勢力(「桂新党」)を作ろうとしたことが強調されている。
続く第七章では、桂新党を母体とする立憲同志会内の対外路線をめぐる党内対立が党内の主導権争いと相関させながら分析されている。第二次大隈内閣の改造に至るまでに、桂から新党を引き継いだ加藤高明の反対勢力、大石正巳や長島隆二(桂の女婿)ら外交路線ではアジア主義が濃厚な「日中提携」を唱える反主流派が脱党した。こうして同志会(後の憲政会-民政党)の対外路線は、加藤の路線に収斂し、のちの幣原協調外交を支える党内基盤が固まっていったのである。
第八章では、加藤の外交論そのものが分析され、加藤は一貫して日英同盟を重視してきたという従来の像の再確認とともに、日露戦後からイギリスと密接な関係にあるアメリカとの関係も重視していたという主張がなされている。
最後の第九章では、国民主義的対外硬派の系譜に連なる長島隆二の内外の構想、すなわち日中提携論と普選の実施・既成政党打破などの政界刷新構想の軌跡が辿られている。
3.論点
本書は、著者の最初の著作『大正政治史の出発―立憲同志会の成立とその周辺―』(山川出版社、1997年)へと至る過程で芽生えた問題関心に沿って執筆された一連の論稿を再構成したものである。それゆえ、本書は『大正政治の出発』と密接な関係を有し、同書の延長線上に位置づけられる。
ところで、「はじめに」でも述べた通り、辛亥革命前後の中国情勢そのものには詳しい言及がないため、辛亥革命が当該期の日本政治そのものに与えた衝撃は、本書からは十分に伺えない。著者のいう通り、辛亥革命は本書の「結節点」という以上には検討されていないのである。
では、本書の研究成果は何か。評者は、本書の学術的貢献で最も大きいのは第二部と考える。第二部では、明治後期から大正末年にかけての支那駐屯軍の実態が列国や中国の動向を視野に入れながら論じられている。盧溝橋事件を考えるうえで支那駐屯軍の存在は欠かせない。だが、支那駐屯軍に対する研究蓄積は乏しい。しかし、本書によって、昭和以前の支那駐屯軍の動向や実態について具体的な像が持てるようになった。これは、近代日中関係史に対して少なからざる貢献といえよう。
次に、『伊集院彦吉関係文書』と『宇都宮太郎日記』の編者の一人でもある著者は、「伊集院彦吉日記」や「宇都宮太郎日記」及び整理途上にある宇都宮の関係文書を用いて辛亥革命期の日本の対中政策を彼らの視点から相対化した。当時、外務省及び陸軍の中堅であった伊集院と宇都宮は、欧米列国との協調の枠内から逸脱しかねない政策を取ろうとした。しかし、本人たちに自分たちの政策が列国との協調から逸脱しても全く構わないという意思がなかったため、結局彼らの当初の目論見は実現することはなかったのである。
ただし、仔細に本書を見ていくと、駐清公使の伊集院よりも参謀本部第二部長の宇都宮が取ろうとした対中政策の方が謀略性は強かった。これは、欧米列国の日本に対する視線を意識するという点では、ある意味当然ともいえるが、外交官である伊集院の方が軍人の宇都宮よりもはるかに強かったことを由来するものといえよう。
伊集院と宇都宮の対中政策の異同を敷衍していくと、辛亥革命期の外務省と参謀本部、陸軍省の対中政策全体について、どのようなことがいえるのだろうか。望蜀の言ではあるが、この点について、著者の明快な考えを聞きたかった。
とはいえ、北岡伸一氏や小林道彦氏、千葉功氏ら極少数による優れた研究を除くと決して蓄積が厚いとはいえない日露戦後の日本の対外政策研究の現状を鑑みると、本書の第一部が研究の広がりを示したことは間違いない。
第三部では、立憲同志会の党内対立の末、同志会に参加した国民主義的対外硬派に連なる者たちが党を去り、その結果、同志会-憲政会が欧米列国との協調外交路線を受容する者たちで占められるようになるという論点が重要である。同志会において加藤の外交路線に対峙しうる者がいなくなったということは、同志会及びのちの憲政会において、加藤が党内を掌握し、強い指導力を発揮するうえでの前提条件のひとつとして興味深い。
冷戦が保守合同と左右社会党の統一という1950年代の政界再編に少なからぬ影響を与えたのと同じく、辛亥革命もこれもきっかけのひとつとなって、政友会に対抗する一大新党の成立(桂新党-立憲同志会)という形で政界再編へと結びついた。翻って現在では、戦後外交の主流であった日米同盟を基軸とする路線と日米同盟を相対化し、対アジア外交の比重を高めるべきだという路線が外交の主要な対立軸であり、それぞれの論者が民主党、自民党に入り乱れている。今後予想される政界再編において、財政路線をめぐる内政面の対立に加えて、外交路線をめぐる対立はどの程度の規定力を有するのであろうか。本書を読み終えて、このような感慨を抱いた。