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【書評】山尾大『紛争と国家建設―戦後イラクの再建をめぐるポリティクス』(明石書店、2013年3月)

August 5, 2013

評者:小宮和夫

2003年3月20日、アメリカはイラクが国連安保理決議に違反する大量破壊兵器を保有しているとして、イギリスとともに攻撃を開始した。イラク戦争の勃発である。圧倒的な軍事優位に立つアメリカによって、四半世紀にわたってイラクを支配してきたサッダーム・フセイン政権をあっけなく倒された。5月1日には、ブッシュ大統領が戦争終結宣言を出した。戦争終結後、米軍はイラクに留まり、アメリカの主導でイラクの民主化が行われた。アメリカは、フセインの圧政からイラク国民を解放し、イラクに民主主義を樹立することを戦争目的のひとつに掲げていたからである。
しかし、イラクの国家機構の再編及び民主化は容易に進まず、現在に至っている。何ゆえ、こうした事態に立ち至ったのであろうか。これを解明するため、本書では、イラク戦争後のイラクの新国家建設及びそれをめぐるポリティクスが多角的かつ実証的に描かれる。そして、アメリカという外部アクターとイラク国内の内部アクターによる「アクター間の関係性」に着目して、分析が進められる。本書の著者山尾大氏は先年『現代イラクのイスラーム主義運動 革命運動から政権党への模索』(有斐閣、2011年)を公刊している。本書は、前著から導き出された課題に対する著者の応答である。
本書の概要は、以下のとおりである。
外部アクターであるアメリカは、35年にわたってバアス党が構築し、肥大化させた強固な国家機構を完全に解体することを企図した。そして、リベラルな民主主義体制を打ち立て、これに替えようとした。要するに、アメリカはイラクの民主化と新国家建設を同時並行で行おうとしたのである。
だが、こうしたアメリカのイラクにおける新国家建設政策は、内部アクターであるイラク国内の諸勢力によって、修正を余儀なくされる。アメリカにとって予期せぬ事態が生じたからである。それは、バアス党の強権的な支配体制下で寸断され、崩壊したはずの社会的紐帯がイスラームによる紐帯として復活したからである。さらに、それは社会の「イスラーム化」を進行させた。こうした事態の中心にいたのがシーア派宗教界である。イラク戦争後、シーア派宗教界は民主化とナショナリズムを掲げて勢力を拡大し、アメリカの占領政策に立ちはだかる。
前述の誤算以外にも、アメリカのイラク占領政策には大きな誤算が多々あった。アメリカがイラク民主化のために導入した政治制度(選挙制度や議会制度を含む総称としての政治制度)も、予期せぬ帰結を招いた。アメリカはイラクを多極共存型デモクラシーに導くため、選挙制度は比例代表制とし、議会の賛成条件を過半数以上とした。こうした「過度」に分権的な政治制度の導入は、イラクに政治安定ではなく政治混乱(政治対立の激化)をもたらした。
2005年1月の制憲議会選挙と同年12月の第1回国民議会選挙では、シーア派イスラーム主義を掲げるダアワ党とイラク社会に基盤を持たない元亡命政党ISCI(イラク・イスラーム最高評議会)らによって結成されたイラク統一同盟が第一党となった。これを後押ししたのがシーア派宗教界で、その動員力がイラク統一同盟を第一党に押し上げたのである。なお、イラク統一同盟は、第1回国民議会選挙では過半数を獲得することができなかったものの、両選挙で如実となったのは、「政治的宗派主義」の勃興・拡大であった。
その後、内戦にともなう宗派対立の激化と政党間の政策対立が深刻化すると、「政治的宗派主義」に対するイラク国民の批判が集中するようになる。2010年3月に行われた第2回国民議会選挙では、与党連合がマーリキ首相率いる法治国家同盟とイラク国民同盟に分裂し、替わって野党勢力が大連合して結成された世俗派のイラキーヤが第一党に躍り出た。しかし、いずれの政党も単独過半数を獲得できなかったため、選挙後、合従連衡による多数派ゲームが半年以上も繰り広げられた。そして、第二党の法治国家同盟と第三党のイラク国民同盟が再び与党連合を結成し、最大多数勢力となった。こうして、マーリキは引き続き政権を維持することに成功した。以上のとおり、外部アクターのアメリカがイラクに民主化を定着させるために導入した選挙は、イラク国内の内部アクターによって、自己の利益を最大化するための道具へと換骨奪胎されたのである。
アメリカはバアス党時代の軍・警察機構を完全に解体し、新たに集権的な治安機構の構築を図った。周知のとおり、これも順調に進まなかった。米軍の占領政策に対抗する勢力による反米闘争が激化し、治安が著しく悪化したからである。こうした事態を打開するため、米軍は2006年半ば以降、有力部族に武器と資金を提供し、これらを提供された部族は覚醒評議会を設置していった。各地に結成された覚醒評議会の治安活動により、イラクの治安状況は大幅に改善された。これは、結果的には外部アクターのアメリカの占領政策が紆余曲折を経て成功した一例と見なすことも可能である。
しかし、新たな問題も発生した。暴力装置を保持する覚醒評議会が地方及び中央で政治参加を行うようになった結果、政治と暴力の担い手の境界線が曖昧となり、政治と暴力の制度化という新たな課題が浮上したのである。
外部アクターの米国は、イラクに新自由主義経済システムを移植しようとした。だが、これもイラクの社会構造との不適合性により、頓挫した。豊富な石油資源を保有するイラクでは、替わって中央政府(パトロン)による「再配分のポリティクス」と地方(クライエント)による「利益誘導のポリティクス」の競合が行われるようになった。そして、両者の競合は「二重の競合的パトロン・クライエント関係」、具体的にはクライエント間での再配分をめぐる競合と、パトロンとクライエント間での再配分・利益誘導の主導権掌握をめぐる競合へと帰結したのである。
本書で明らかとなったのは、紛争後の国家建設において、国家の機構が確立する前に民主化や民主的な政治制度構築が進められた場合、国家機構のあり方や民主的な政治制度の運営、ネーション・ビルディングをめぐる激しいポリティクスが継続し、その結果、国家機構の再建が進展しないという厳然たる事実である。ただし、外部アクターと内部アクターのせめぎあいによって、政治・社会・経済的な対立を調整する独自のメカニズムが構築され、政治アクターの多元化と平等化を促進するための政治制度として定着しつつあることも本書で如実に明らかにされている。
本書は、イラク戦争後のイラクの国家建設を政治学の知見を踏まえて分析したものである。本書は中東の地域研究に対する貢献は言うに及ばず、ネーション・ビルディングに関する豊饒な知見にあふれ、比較政治研究に寄与するところ大である。日本政治史を専門とする評者は門外漢であるにもかかわらず、本書を興味深く読みことができた。本書は、外部アクターであるアメリカの構想がイラクの実情に適合せず、しかもイラク国内の内部アクターがアメリカの導入した制度を換骨脱胎し、それが予期せぬ帰結を招くという「逆説の連続」に満ちている。それゆえ、本書は専門外の読者をいざなう。
本書が浮き彫りにしたのは、国家機構の建設と民主化を同時に進めた場合に起こりうる弊害である。国家機構の建設が十分に進まないうちに、民主化を進めると、政治的安定ではなく、政治的混乱を引きこしかねないことを本書は余すところなく伝える。日本の事例を引照すると、日本は近代国家建設にあたり、国会開設という民主化に先立ち、行政機構をはじめとする国家機構の構築・整備を優先させた。その後、政府の主導下で憲法が制定され、議会(国会)が開設されたが、これを反政府の自由民権派は受容し、立憲政治が定着していった。戦前期日本の民主化の内実に対する評価はさておき、民主化が定着する前提条件として国家機構の確立及びそれにともなう政治の安定が重要であるという問いを、戦前期日本の経験は投げかけるのであろうか。
本書では、外部アクターである米国が導入した制度を換骨奪胎し、自分たちの利益になるように取り込んでいくイラク社会の内部アクターのたくましい姿が描かれている。各アクターがそれぞれ自由に利益の表出ができる。こうした姿は、バアス党及びフセインの独裁下では、考えられないことである。人権や「言論の自由」などの民主的規範が確固と保障されていることを重視する立場からすれば、「再配分」・「利益誘導」などを「民主化」の指標とすることに抵抗があろう。
しかし、利益の再配分が近代政治の要諦であることは否定しがたい。近代日本においても、利益誘導が政党の勢力を拡大させ、また利益の再配分が官僚政府と自由党‐政友会系の対立を緩和させ、両者を接近させる機能を果たしたことは否定できない歴史的事実である。利益の再配分が適切になされていくことで、イラクの政治が安定し、民主化が定着する可能性はあるといってよいだろう。
不安定な社会、混乱する社会で国家建設を行う場合、国民の生命・財産を守る警察機構・治安機構の構築は困難を極める。イラクも一歩誤ると、破綻国家となりかねかった。その危機を乗り越えたのは、ひとえに治安が回復したことによるといっても過言ではない。これに覚醒評議会が貢献したことは間違いない。しかし、国家の治安機構が十分に確立されていないなか、こうした民間の武装組織を治安活動に動員することの是非は、政治と暴力のありかたを考えるうえで、根本的な問いを投げかける。
日本はイラク戦争を支持し、イラク復興に関与した。だが、戦争後のイラクの国家建設に関する正確な情報を日本国民がどれだけ得ているかというと、正直なところ心許ない。イラクの行く末を検討するうえで、イラクの国家建設をめぐる苦悩を冷静な筆致で伝える本書は必読文献といえる。そして、本書を読んだ読者は、ネーション・ビルディングが如何なる条件下で達成されるのかという普遍的な課題に思いを巡らす。これが著者の望む読者の応答ではないだろうか。
    • 政治外交検証研究会幹事
    • 小宮 一夫
    • 小宮 一夫

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