2008年11月8日、京都府宇治市生涯学習センターにて地方自治体のガバナンス研究公開研究会 「道州制の議論の前に考えるべきこと-改革派首長からの提言-」 が開催されました。
本研究会では、国内外の基礎自治体の運営実態についての調査研究を行った成果を 政策提言 として取りまとめました。プロジェクト・リーダーの 木下敏之 上席研究員から報告がありました。
これからは改革派議会の時代
東京財団の「地方自治体のガバナンス研究」を始めたときの関心のひとつに、有名な改革派首長、例えば橋本大二郎元知事であったり、今日パネリストとしてここにいらっしゃる穂坂邦夫前志木市長であったり、どんどん、どんどんそういった改革志向の首長が辞めていって、そのあと同じようにバリバリと改革をやる首長があまり出てこない原因はなにかを知りたかったことがあります。世間は相変わらず水戸黄門のような改革派首長が出てくることを期待していました。しかし、水戸黄門が出てこないと改革が行われないということは、おかしいのではないかと考えるようになりました。どこか制度が間違っているのではないかと問題意識をもって、この研究をスタートしました。
研究会でいろいろ議論しているうちに、財政破綻した北海道の夕張市の隣にある栗山町の議会基本条例に注目しました。栗山町の議会基本条例で私が特に重要だと考える点が二つあります。
ひとつは、議会が議会終了後に自分たちがやったことを住民に説明しないといけないということを明確に書いていること。それから、首長が議場で議員に反問できることです。これは首長として非常にありがたい。議会の場で議員の方といろいろ議論をしていて、質問意図を確認したい、反論したいと思うことは市長として何度かありました。でも議会は議員側から質問を受ける場だということで、それが認められていなかったです。ですからこの点は革新的なことと思います。
もうひとつは、これまで住民の間は市長が地方自治体改革を進めるという意識があったと思いますが、これからは議会を中心として自治体改革を進められるということを、初めて明確に示したところに、非常に大きな意義があると思います。
来年度以降の研究テーマとして、本当に町がよくなったのか検証はしないといけないと思います。基本条例をつくったからといって、町が実際によくならなかったら何の意味もありません。その検証をしたいと思っていますが、栗山町議会基本条例が、住民の議会についての意識を変えたという意味で、非常に大きな意義があったと思っております。
道州制の議論の本質
私が各地を講演してまいりまして、ご参加いただいた皆様に「地方分権を進めたほうがいいですか」と質問をすると、じつは答えは分かれます。霞ヶ関の役所で物事を決めてもらったほうが、自分の住んでいる役場よりいいのではないかと思っている人は、けっこう多いです。それはなぜかというと、身近にいう役場の職員や地方議員の行動を見て、「これならまだ霞ヶ関とか県庁に決めてもらったほうがいいんなぁ」という本音があるんですよ。
道州制の議論ですごく危ういなと思うのは、道州制をやったら、皆が栄えるなんていうのは、とんでもない嘘です。現状の地方自治体の運営を前提に道州制を導入して自治体が権限を得たら、ものすごい没落をする所が出てきます。それをしないようにするためには、経済界も、議会も、地方自治体の行政職員も猛烈に勉強する必要があります。場合によっては、その地域や行政の外部から人をスカウトすることも考えないとダメになります。今はそういう意識が全然ない。すごく危ないと思います。
権限を任されるということは、責任も自分に問われます。きちんと責任をもって権限を行使しないと、没落する自治体が出ます。その覚悟が地方分権に必要ですよね。それが不十分な自治体には、国におんぶに抱っこの中央集権制のほうがいいでしょう。でも、これは真綿で首を絞められるような衰退を招きます。子どもたちが自治体を担う時には首が絞まることになります。どちらを選ぶかは今の住民の皆さんの選択だと思います。
理論武装する議会
私が佐賀市長時代の話ですが、予算や企画提案ができる議員はいました。でも、私や行政幹部が、議会で「財源がないです」とスパッと切り返えすと、だいたい議員はへなへなっとなります。本当は議員が健全なチェック機能を果たして、「ここにこんな予算のムダがある」と指摘をする。例えばIT事業にはムダな予算がおおいです。「ここの予算をこう削ると1,000万円くらい浮く。それでこの事業を予算化してほしい」と提案されると、執行部は反論できないですよね。財源とセットで予算要求されると執行部も真剣になります。
議員がチェック機能を発揮してムダを見つけて、そのムダの財源を基に「これやれ」と迫られると、執行部は論理的に負けちゃいます。こういうことを議員はどんどんできると思います。
議長や委員長の任期は4年
議会が議員の集団として活動するには、議員間の調整能力がすごく大事になります。議会の代表である議長は、市長の任期同様に4年務めるのが望ましいです。少なくとも2年は辞めてはいけない。委員長ポストも同じです。当選回数の少ない議員に順番に与えるポストではなく、それぞれの分野のエキスパートを育てる。そして実力をつけるためには、委員長も4年間勤めないとダメです。
続いて、研究会メンバーの伊藤伸(構想日本政策担当ディレクター)から補足説明と地方議会のあり方について提案がありました。
影の薄い地方議会
地方議会のいまの状況がどうなっているのかということを、少しご説明させていただきます。地方議会と一口で申し上げても、日本各地それぞれの事情があり、いろんなご意見、ご議論があるとは思います。そこを一言で申し上げると、地方議会の陰は薄いということです。市長は住民に直接向かい合っています。審議会とか、タウンミーティングなどいろいろな形で、住民に発信や受信をしている。また、そのような住民との対話に積極的な市長の多くは、改革派首長と呼ばれるようにどんどん改革に着手するようになる。いい循環があるわけです。
一方の議会はどうか。改革派議会といわれる議会が存在しているかというと、なかなか見当たらないのではないでしょうか。議会というのは住民の代弁者だ言われます。議会が住民のニーズや要望、意見を汲み取って、市長や行政にぶつけ、ときには対峙していくという関係が、二元代表制のあり方です。でも実際にはそういう状況になっていない。住民の多くは議会が住民の代弁者だとは思っていない。ここに問題があります。
議員報酬と議員数
政治を分析、評価する指標は多くありません。いい議会、いい行政だと定義する定量的な指標が少ないのです。今日は「お金」という切り口で地方議会を見てみます。3年ほど前のデータになりますが、日本全国の地方議員の数は約6万人。この6万人にかかっている経費、税金は、―約4,000億円です。
平成の大合併で、市町村の数が1,782になりました。3年前から700ほど市町村の数が減りました。それに伴って、議員の数はおよそ4万人になりました。2万人減っています。ただ、数は約3割減っているので、経費の4,000億円から3割減るかというと、そうではありません。市町村合併によって、市の数はいま739から783に増えました。町村が合併して市になっているのです。町村議会議員より市議会議員の給与というのは高いですから、30%削減されているわけではないのです。
この数と欧米の地方議会と比較したいと思います。大きな違いは、多くの国の地方議会の議員は原則ボランティアです。それと議員の数は日本に比べ多いです。例えば、フランスでは、人口約6,000万人ですが、基礎自治体の議員の数は50万人です。だいたい120人に1人が議員です。日本では、だいたい2,000人に1人が地方議員です。フランス人の地方議員の位置づけは、おそらく、日本での自治会活動に近いのではないでしょうか。他に収入を得る職業を持っている人が、そのときたまたま議員を務めている。1期だけの議員も少なくない。議員の立場とか存在意義は非常に日本と違うということが想像できます。
アメリカの100万人以上の都市の地方議員は、だいたい年収950万、1,000万近くもらっています。ただ、そのようなアメリカの大都市では、地方議員の数が少ないのです。例えば、ヒューストンという南部の人口200万の都市では議員数は14名です。京都市の人口は約150万人です。京都市会議員は69名ですね。
議員報酬だけではなくて、政務調査費や費用弁償、諸経費、共済費など、いろんなものが議員に対して使われています。報酬と期末手当、ボーナスですね、それと政務調査費や費用弁償、共済費を足すと約740万円になります。2006年の国民の1世帯当たりの所得額が564万です。よく見えない形で税金がつかわれているという国民の不信感があります。そこから議員の活動の対価はいくらなのかという議論が必要と考えます。
私は、ボランティアが絶対いいということでお話しているのではありません。単純にボランティア議員にしても、なり手が少なくなると考えます。それは制度、仕組みを大きく変えていかなければならないと考えています。
住民が議会に期待していること
今の財政状況を踏まえると、住民から「やっぱり議会をもう少し変えなければならない。現状を変えていこう」という議論を喚起する必要があります。地方議会とは、結局、住民の選挙によって選ばれています。地方議員が悪い、不要だと言うのは簡単ですが、それは住民自身に返ってきます。
結局は住民が地方議会に何を期待しているのか。これは当然の話ですが、大事な根本的な話だと思います。総論では、議員はその自治体のために頑張ってほしいとなると思いますが、各論に落とし込んだ時、住民ひとり一人の身の回りの問題が優先され、「私が応援した議員は自分の地域の問題を率先して解決してもらわないとね」という声がでてきます。ここが、たぶんいま活動している地方議員の悩ましいところだと思います。
これは選挙制度とも密接に関わっていると考えます。地方議員と政党の関係というのを見直すことも視野にいれてはどうでしょうか。地方議員が国政選挙の運動員として位置づけられることが少なくないと思います。この関係をもう一回考え直す必要があります。
今回の調査研究でスウェーデンを訪問しました。スウェーデンの政党の地方支部には、党中央・党本部から資金の移動はありません。市とか県から補助金が政党の支部に対して出ることになっています。政党においても地方と中央は独立した立場で、一定の緊張関係が成り立っているとヒアリングした政党職員が言っていました。こんなことも参考にして、地方における政党のあり方の見直しが必要ではないかと思います。
パネルディスカッションでは、穂坂邦夫氏(地方自治経営学会会長、前志木市長)から、財政的に厳しくなる近い将来を見据えると地方分権が重要になってくること、志木市の市民委員会と議会との関係について説明がありました。
政策は妥協の産物ではない
私は市会議員から県会議員、最後に市長を経験させていただきました。議員生活が一番長かったのですが。出発は埼玉県の職員で、そのあと役場の職員もやりました。長いもので39年間、ずっと地方自治に携わってまいりました。今日お越しの久保田市長さんに久しぶりでお会いしました。頑張っていらっしゃるんだなと感慨深いです。
地方を変えるために市長としていろんなことをやりました。東京財団の研究報告書では、手練手管型と分類されましたが、そんなことはありません。力で押し切ったといったほうがいいでしょう。なぜか。私は長年にわたる経験がありました。議員には若い方が多かったものですから、力で押し切ってきた。私は妥協をするべきではないと思っていました。妥協するとろくなことがない。政策というのは、足して2で割るっていうのはよくないですね。少し無理をしてでもやるという姿勢が大切です。
機能しない二元代表制
いまの日本の二元代表制というのは機能していないと思っています。議会に求められている二元制の本来の機能は機能していないからです。いまの日本の二元制というのは機能していないと思っています。これは議会が悪いわけでもないし、首長が悪いわけでもない。二元制そのものの設計が問われていると思っています。
これから時代は、この大きな改革に向かっていくでしょう。しかし現在は二元制で行われていますので、議会は改革しなければなりません。もっともっと開かれた議会を目指さなければなりませんし、例えば、栗山町議会が設置した議会基本条例や三重県のように通年議会に挑戦するのもひとつの方法です。
分権とは税金を有効に使うこと
地方分権と聞くと、多くの住民にとって、自分には関係ないように思うんですね。私は、「住民の皆さんがいちばん関係あるんですよ」と言うんです。それは簡単に言えば、地方分権というのは、1,000円の税金をできるだけ1,000円に近い形で行政サービスとして住民が享受することの出来るシステムの構築だからです。お金を活かすことです。これがもともと地方分権なんですね。
中央集権が生きた時代はあったでしょう。でも中央集権制度は、致命的な欠陥がある。何があるか。膨大なムダが出る。膨大な行政経費がかかる。これはやっぱり直していかなければいけませんね。
議会が予算をつくる
私は、議会が予算をつくることが大事だと思っています。いまのように単なるチェック機能だけだったら、だんだん、だんだん不要論が出てきますよ。監査委員がチェックもしますし、住民も議会の傍聴や情報公開で関心が高まってきますから。私は、これからの議会はしっかりした予算を行政とは別につくる、逆提案をするくらいのことが必要だと思っています。そのためには、議会が党派や会派を越えて一つにまとまることが重要です。そうでなければ議会の権能を発揮することが出来ません。各議員が個人名詞を持つことは当然ですが。
(文責:赤川)