2008年11月29日、広島県福山市生涯学習プラザにて地方自治体のガバナンス研究公開研究会 「道州制の議論の前に考えるべきこと-改革派首長からの提言-」が開催されました。
本研究会では、国内外の基礎自治体の運営実態についての調査研究を行った成果を 政策提言 として取りまとめました。研究の成果の概要をプロジェクト・メンバーの 福嶋浩彦 上席研究員から報告がありました。
3つの力の緊張関係で自治体を運営
自治体の民主主義と国の民主主義とは、かなり性格が違います。国の場合、国民は選挙で国会を選びます。衆議院と参議院はありますが、民意は国会一つで、一元代表制です。その国会が総理大臣を選んで、総理大臣が内閣を作ります。つまり議院内閣制です。国会が唯一の国民の代表として行動するわけです。
自治体はこれと違って、長(市区町村長・知事)と議会をそれぞれ市民が別々に選挙で直接選んで、民意を二つ作ります。そして長は主に執行を、議会は決定を担当し、二つの民意が対抗しながら自治体を運営していく。
もう一つ違うのは、国民は国会議員を選挙で選んだら、憲法改正の国民投票以外は基本的に主権の行使を国会に任せます。国会議員を任期中にリコールをしたり、国会を解散させたりすることは国民にはできません。しかし自治体の場合、市民は選んだ市長がダメだと判断したら、任期中でも原則有権者の3分の1の連署による直接請求で住民投票を行い、リコールすることができます。同様に議会を解散させることも、議員をリコールすることもできます。
また、国の法律の直接請求はできませんが、自治体の条例は直接請求できます。こちらは50分の1の連署によります。あるいは1人で住民監査請求もできるし、これを経て住民訴訟もおこせます。この制度も国にはありません。さらに自治体ごとに、もっと日常的な様々な市民参加制度をつくっていて、常設型の住民投票条例を制定している自治体もあります。
つまり市民は、国では唯一国会に主権を預け、国会という1つの民意を中心に政府を動かしていくが、自治体では執行を担当する長と決定を担当する議会に分けて主権を代行させ、かつ市民が直接、監視と参加を行います。選挙で選んだ長と議会という2つの民意と、市民の直接参加、この3つの力が緊張関係を持ちながら自治体を運営し、結果として主権者市民の意思を反映させます。
市民参加を力にして対抗し合うのが二元代表制
しかし、実際には多くの自治体が、国の制度と混同して運営されているように思えます。例えば、市長が重要なことをやろうしたとき、「市民に十分説明していない」と批判されると、「時間がなかったので市民全体に説明できなかったが、市民の代表である議会に説明した」と言います。国ならば「国民の代表である国会に説明したから国民に説明したことになる」と言えますが、市長は市民から直接選ばれており、市民に直接説明せねばなりません。
また、市長が徹底して市民参加を進めると、今度は議会が「市民の代表である議会をさておいて、市長が市民との対話ばかりやっているのは議会軽視だ」と批判したりします。これも完全に国の制度と間違えています。国の場合、国会をさておいて国民とだけやれば、それは国会軽視になます。総理大臣は国会から選ばれ、内閣は国会に責任を持ちます。しかし、市民から選ばれた市長は、市民から直接意見を聞くのは当たり前です。議会はそれを議会軽視だと言っている場合ではなく、市長以上に議会は直接市民から意見を聞かなければならのです。
長も議会も自分の活動へ徹底して市民参加を進めて自らの力にし、その力を対抗させ合うのが二元代表制だと言えます。
自治体の議会に与党、野党はない
国会の与党と内閣は一体化します。与党と内閣のトップは同一人物で、麻生さんは自民党の総裁であり、内閣の総理大臣だ。与党と内閣が一体となって政府を運営します。しかし、自治体においては、長と「与党」が一体になることはありません。議会の多数党から長を出しているわけではないので、自治体の議会には国会で言う与党、野党は存在しません。
長は市民からさまざまな意見を聞きながら、議案(条例案・予算案など)をつくり議会に提出します。議会では与党、野党ではなく、全議員が是々非々の立場で、やはり市民の意見を聞きながら、議案が市民の利益にかなっているか、よりよい地域づくりにつながるか議論し決定します。
自治体では、長VS議会なのです。長と議会は、全て市民に見えるオープンな場所で議論します。長が議会の与党と称する人たちと事前に十分協議して、議会に出す条例案を作ったり、予算案を作ったりすることはありません。
「擬似」議院内閣制
ただ現実には、議会の各会派・各政党が共通して推薦できる人物を話し合いで選び、長の選挙の候補者にすることさえあます。この人物は、候補者に選ばれた時点で99%当選が確実となります。実際の選挙で有力候補は他におらず、無風選挙になるからだ。そうやって選ばれた長は、議会とのオープンな論議を通してではなく、議会の圧倒的多数を占める「与党」と、市民には見えない議会の外で相談しながら自治体を運営します。結果、正規の議会はセレモニー的になります。多くの議員は、与党体制に入りその中で力をつけ、自分の支持基盤の要望を長や行政に働きかけ実現することをめざします。
一言で言えば、議会の談合で長をつくり、その長と議会の談合で自治体を運営する「擬似議院内閣制」です。ここでは、憲法で保障された市民が長を選ぶ権利が形骸化し、日常の自治体運営から市民は疎外されます。
こうした構造の下では一見平穏な自治体運営が行われていますが、やがて市民全体の利益と離れた「首長の利益」「議会の利益」「役所の利益」を生み出し、市民の批判にさらされるでしょう。また、財政危機、少子高齢化、地球環境、格差・貧困といった新しい社会の波に対応する能力を持つことができません。
議会改革の核心は市民参加
私は、我孫子市長に在任中、市議会の中に与党、野党を一切作りませんでした。事前の根回や水面下の調整も一切しません。オープンな場所で、すべて市民の見ているところで、議会と議論するというスタンスをとりました。
だから議案が否決されるということもありました。当初予算案も市長が出した原案がそのまま通ることはほとんどなく、議会の予算審査の中で修正(原案訂正)をされていきました。これでいいのです。市長が出したことが全部議会を通るのであれば、最終的には議会は要らないという話になります。
ただし、我孫子市でも、その議会の決定の過程に、議会への市民の参加があったとは残念ながら言えません。これから二元代表制を担う議会に一番必要なのは、市民の参加だと考えます。議会への市民参加とは、市民が議員の自宅や議会の会派控え室に行ってお願いすることではありません。委員会など議会の正式な会議の場で、ちゃんと市民と議員が正式に議論するということです。北海道栗山町の議会基本条例から、こうした取り組みが多くの自治体議会に広がろうとしています。
執行権を持っていない議会は弱いと言う人もいますが、確かに利益誘導の政治を前提とすれば、執行権を持っているほうが強い。しかし、本当の民主主義を前提とすれば、決定権を持っているほうが強い。
本来は、自治体が二元代表制を採用するか、あるいは執行委員会制やシティマネージャー制など他の制度を採用するかは、その自治体の主権者である市民の判断で、それぞれ決めればよいと考えます。一律に地方自治法で決めるのはおかしい。しかし現在、二元代表制である以上は、まず、きちんと二元代表制を通して主権者市民の意思による運営を実現していくことが大切でしょう。それが出来ない長や議会の責任を、制度論にすり替えてはいけません。
続いて、研究会メンバーの 高橋亮平 研究員から補足説明と地方議会の現状について紹介がありました。
問われる議会の役割
東京財団の研究員で唯一現職の市議会議員です。この研究の結論を議会側からどのように考えるのかをお話ししたいと思います。
そもそも地方議会は何のために存在しているのか、議員の本来の仕事とはなにかであるのかをしっかりと議論されていないと感じています。地方議会の模様がテレビで放送されることは稀で、何を決めているのか、何を議論しているのか伝わっていません。有権者に見えない存在なので、関心が低い。
全国市議会議長会の調査によると、議会に提出される議案の約90%は市長・行政の提案です。議員からの提案は少ないです。10%ぐらいの議員提案の内訳は意見書です。これが6割くらいです。市民からの要望を議員が代わりに提案している意見書が6割を占めていてですね。10%の議員提案の6割ですよ。ですから政策的な条例はほとんどないと言ってもいいです。本来の議会の役割を考える上で、政策的な条例提案が一つの大きなテーマと言えるのではないでしょうか。
さらに、市長が提案した議案に対して議員の態度が問題です。同じ調査によると、99.1%の議案は原案のまま可決されています。つまりいろいろな話、反対の立場をとる政党とか会派、議員もいますが、結論だけを見ると99%以上が原案のまま可決されています。この現状を踏まえると、議会の役割が問われるのは当然だと思います。
議論しない議会
議会というのは字を追ってみると、議論をする場なわけです。本来であれば、いろいろな立場の人が喧々諤々の議論をする。条例や政策のここの部分はいいけど、この部分は悪いから、こういうふうに変えたらいいとか議論をする場です。議論を重ねてより良いものを作り出していくというのが本来の議会であるはずです。でも実際はちがいます。そういう建設的な議論はまったくないです。
市長や市役所の職員が市の全部の姿は見えません。議員は市民一人ひとりの生活に密接なこともあります。生活の現場を反映しなければいい政策にならない。でも現場の実情を表明する議会での質問もあまり実践されていません。任期の4年間に1回も質問をしない議員がいます。質問をして、議論していく。そういうところから一つ一つ変えていくことが大事だと思います。
パネルディスカッションでは、穂坂邦夫氏(地方自治経営学会会長、前志木市長)から、財政的に厳しくなる近い将来を見据えると地方分権が重要になってくること、地方自治体と国との関係について実体験を交えたお話がありました。
抜本的なシステム・チェンジのとき
私は39年間、地方自治に携わってきました。埼玉県庁の職員、役場の職員、市会議員、県会議員。非常に要領が良かったんでしょう、市議会の議長、県議会の議長。いまは無所属ですが、議員時代は自民党所属で、県連の幹事長も務めた経験があります。最後に、地元の多くの人から要請がありまして、無投票で市長に就任させて頂きました。とにかく地方から国を変えよう。もうそろそろ日本は限界に来たのではないか。そんな思いの中で過ごしてまいりました。一方で、病院と学校を経営しているのですが、もう31年目になります。ですから、行政と商売と二足のわらじをずっとはいてきたという、そういう変わった経歴であります。
まず一つは、いまの地方のシステムは60年を超えている。私は、抜本的にシステムを変えなければいけない時期が来たと思っています。なぜかというと、特別な市長や特別な議会だけが、成果を上げるシステムは普遍的でないと思います。日本は高度成長期が終わり、社会の成熟化が進んでいます。国と地方の財政は真っ赤っか。これだけの借金をしている国は世界中にないんですね。このひとつをとってもこれまでのシステムを変えるべきだと私は思っています。
いまの日本は未だ中央集権制が続いています。国があって、都道府県があって、市町村がある。指揮官が現場から遠くにいて、細かな規定を決めている。そこには膨大な無駄が出てくる。戦後の一時期は良かったと思います。戦後の荒廃から豊かな国にしたい。あるいは民主国家を作りたい。そういう思いがあって、中央集権制で決めていくことはスピードも速く良かったと思います。しかし社会の成熟度が上がってくると大きなツケが出てきました。そして地域社会にも閉塞感が拡がっています。
この現状を変える力はどこにあるか。私は住民の皆さんにあると思います。住民に近い地方自治体を通じて日本の新しいシステムを作っていくことが大事なのではないかと思っております。
私が志木市市長として、地方から国を変えたいとの思いで、いろいろ改革に取り組みました。たとえば、25人程度学級を全国で初めて導入しました。なぜ1クラス40人で授業を受けないといけないのか。40人と国が決める必要はないのではないか。こういう問題を提起することからも取り組みました。
さらに公共事業の市民選択権も導入しました。大きな公共事業は、行政が決めずに住民の皆さんに決めてもらう。これには議会が怒りましたね。議会に相談したら、住民に相談してOKのものだけ提案されたら、議員は反対ができないと言われました。「いや、そうじゃないです。市長がこの公共事業を実施したい、住民も賛成となっても、議会が大所高所から、判断する。反対してもいいじゃないですか。それが議会の権能を住民に理解していただく方法ではないですか」と、議会を説得して作ったこともあります。
また、石田芳弘上席研究員から、議会改革のひとつの具体的な取り組みとして、議会独自の予算を作成することが提案されました。
議会改革を妨げる当選回数至上主義
愛知県の犬山市長を3期務めていました。その前は県議会議員を12年しておりました。その経験からお話したいとと思います。
議員時代、市長時代を通して、民主主義という統治システムを実践的にどのように作ったらいいのかが大きなテーマでした。民主主義とは、間接民主主義と直接民主主義がありますね。この直接民主主義と間接民主主義の関係が、いま変化していているということを、まず時代の潮流として頭に入れなければいけないと思うんです。
間接民主主義は議会です。選挙で住民の代表を選んで、議会を構成して、議会でものごとを決めていく。こういうガバナンスをしています。もう一方の直接民主主義も大事ですね。直接民主主義の大きな流れで、10年前にNPO法というのができましてね。住民の皆さんが自治体をコントロールしていく時代の到来ですね。NPO法人が全国で3万5000できたといわれています。その中で、年間3000万円以上の事業を行っているNPOが12%になりました。公共的な仕事を行政だけでなく、NPOが主体になって行う。新しい動きが定着しました。この動きは益々盛んになっていく予感がします。
NPOの活動が住民から支持れたものとなると、相対的に、従来型の議会ではもたないんですよ。議員の当選回数が幅を利かす文化やしきたりでは限界です。そんな議会の常識ではダメです。議会の常識は世間の非常識です。当選回数が1回、2回、3回くらいの議員はいいアイディアを持っています。当選回数に関係なく、問題意識の高い議員のアイディアをどんどん取り入れていく。そんなところから議会の改革は始められると思います。
議会も予算案をつくる
市長として仕事をした達成感が充足されたのには予算編成事業です。自分がこの事業をやりたい。これが大事だ。市民のために大事だと思ったら、予算編成できる。市役所の職員を動員して、知恵を出して、予算を編成できるんですよ。住民が納めた税金をどのように使うかは、行政の肝に当たる部分です。ここに議会は権限がない。ないからやらないでは立派なアイディアも活きてこない。地方議員は数も多いし、有能な人がいっぱいますね。ところが、議員には予算の提案権がない。これでは議員たちが持てる力を発揮できないとつくづく感じます。
市長の良き相談相手になってください。市長は孤独です。仕事上でいろいろ迷っても相談する相手は、副市長とか、部長になります。副市長や部長は、市役所の職員です。市長の部下です。市長が相談しても、「市長のおっしゃる通りです」と言うに決まっていますよ。「市長、それは違う」と反対意見を言う人はなかなかいないですよ。ところが、議員だと、自らも住民の考えや思いを背負っていますから、市長に都合の悪いことでも発言できます。住民から選ばれてきた議員と一緒に行政を行うことができればいいと体験から思っています。
主張する地方
法律は全部縦割りです。各省庁が法律を所管しています。でも地方分権を進めていくと、自治体が制定した条例のほうが法律より優先できる。中央がいろいろ言ってきても司法で争えばいいんですよ。自治体も司法で争って決着しましょう、と言えばいいんですよ。そこまでやらないと、分権は勝ち取れないと僕は思います。例えば、総務省が反対されたからと言って、やめたと諦めては地方分権が進みません。
私は犬山市長のときに、全国統一テストは不要だと主張しました。全国の小学校、中学校と一緒に国語と算数・数学の統一テストは必要ないと言いました。犬山市は独自のテストを実施しているから必要ないと言いました。文科省から課長がお話を伺いたいと来ました。犬山市の考えを一通り説明したら、はい、わかりましたと言って帰っていきました。その後何も言ってきません。何の支障もありません。補助金や予算つけで嫌がらせを受けたことも一切ありません。地方は自分たちのルールをはっきりと主張するべきです。
(文責:赤川)