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総選挙で問われる地方の覚悟

August 25, 2009

総選挙の重要な争点‐地方分権‐

7月13日の麻生首相の異例の「解散予約」*宣言以後、約40日に及ぶ事実上の選挙戦が繰り広げられている。8月30日の投開票に向け、各党の候補者はマラソンの35キロ地点からのラストスパートの様相である。いくつかの選挙区を訪ね、候補者や支援者と会った。真夏の選挙運動で真黒に日焼けし、声はガラガラになっていた。振り返ると、麻生内閣発足直後に実施されると考えられていた総選挙が、結果的に約1年延ばされて現在に至った。候補者や支援者の肉体的、精神的、資金的な疲労感は頂点に達している。

今回の総選挙の争点は、政権選択の選挙とされる。これまでの自民党を中心とした政治を続けるのか、民主党に政権を担わせるのかを国民が決める事実上初めての選挙である。だが、選挙戦が佳境となり、そのような大きなテーマから、多くの有権者の関心事項は、日常生活がどのように変わるのかという現実的な関心に移りつつある。自民党と民主党のそれぞれのマニフェスト(政権公約)を比較すると、党の特色が出ている政策ではあるが、実施された結果の具体的なイメージが有権者には伝わっていない。その最たるテーマが、地方分権である。

地方分権については、自民党も民主党も重要政策と位置づけている。これは一部の知事の強い主張により、民主党は一度公表したマニフェストに加筆をするに至ったことでも明らかである。また、政府の地方分権改革推進委員会の勧告が、たなざらしになっている現状を踏まえると、与党自民党がマニフェストに示した数々の政策は、態度が豹変したとしかいいようがない積極的な姿勢だ。

有権者意識から遠い地方分権

だが、地方分権が多くの有権者の投票行動を左右するテーマにはなっていない。一般有権者にとっては、分かりにくい、ピンとこないテーマである。本来であれば、国民生活にもっとも身近な物事を決め、実行する地方自治体のあり方について有権者の関心が最も集まっていいはずである。マニフェストで示されている政策は、地方分権をあくまでも中央と地方の役割という統治構造の問題としてとられている。自民党は、「道州制」の導入を目指すこと、地方財政の抜本的な立て直しで地方税の充実、地方交付税の増額などで地方が自由に使える財源を確保するとしている。一方、民主党は、「霞が関を解体・再編し、地域主権の確立」を行い、「ひもつき補助金」を廃止し、「一括交付金」を交付することで地方の自主財源を拡充するとしている。両党とも中央と地方の枠組みの組み換えと自由に使えるお金を増やすと説明している。これは中央からの視点からの分権である。政党が示しているのは、国の統治構造であって、地方の姿ではない。これでは多くの有権者にとって、十分な判断材料とはいえない。有権者の視線に立った地方分権が説明されなくてはならない。

そのためには、地方分権によってもたらされる日常生活の変化を具体的なイメージで有権者に示すことが必要である。それが責任ある政党の姿である。両党とも言葉は違えども、地方分権には積極的な姿勢である。顔も姿も見たことのない霞が関の官僚に指図を受けず、自由に使えるお金が増えるとは、耳触りがいい。だが、地方分権がもたらす地方の姿は、必ずしもバラ色ではない。このことを明確に有権者に伝えなければならない。権限と財源、場合によっては人材も地方に来ることで、地方は自らの判断と責任において多種多様な公的サービスを実行していかなければならない。その判断に誤りがあると、夕張市のように破たんすることもあり得る。自治体の運営能力によって、近隣自治体との差が生じることが、当然の結果として予想される。たとえば、道路財源の抜本的見直しで生活道路の整備状況の地域格差は今より鮮明になるだろう。また、小学校の耐震改修の進捗にも開きが歴然と明らかになるだろう。有権者に身近で具体的なイメージを提示しないと、地方分権の議論が、単なる「族議員」や官僚と露出度の高い知事との政治ショーに歪曲される可能性がある。

地方分権には覚悟が必要

地方分権で税金のムダがなくなり、公的サービスの質が向上するといわれても、多くの有権者にとっては漠然とした印象を受ける。反対する理由は見当たらず、当然賛成するのだが、なぜすぐに実施できないのか疑問がわく。そこには、多くの政党や政治家は積極的に明らかにしたがらない自己責任の問題が存在する。生活に密着した事業を行う権限、財源、人材を基礎自治体に移譲し、その自治体の判断と責任において実行する。単純そうではあるが、そこに秘められていることは、自主性や自己責任、自己決定という日本人には不得意とされるようなことばかりだ。すなわち、地方分権では地方の覚悟が求められる。地方分権で地方経済が活性化し、地方で生活する人が豊かになる。そんな簡単に物事は進まない。

基礎自治体の首長や議会の責任は、これまで以上に重くなるだろう。本音としては、地方分権など進めず、これまで通りの上意下達の地方行政を望む首長や議員も少なくないのではないだろうか。4年に一度の選挙は精神的・肉体的にも負担は大きい。それに加え、霞が関の官僚が日常的に受けている長期的多角的な分析を行う知的な労力を自治体の首長や議員が甘受する覚悟はあるのだろうか。また、そのような人材を選挙で選び出する覚悟を有権者は準備できているのだろうか。

地方分権は不可逆的な政治の流れである。政党もそこは理解しているが、現実感に乏しい夢物語ばかりを強調して推進を図っている。税制については、夢物語はもう続かないと悟り、消費税率や実施時期に言及する政治家が珍しくなくなった。地方分権についても夢物語を語るのはやめ、有権者に具体的なイメージを示し、覚悟を語る責任がある。

地方議会の役割

最後に、「地方議会の改革プロジェクト」の文脈で今回の総選挙について触れる。具体的なイメージを示すには、実際の公的サービスの担い手やその周辺からの生の声が不可欠である。東京の政党本部では、制度の精緻な議論は盛んだが、現場の実態についての情報は乏しい。政党は地方・職域支部や自治体、公的サービスの現場で活躍しているNPOなど、様々な人々の声を拾い集めることになる。その声を尊重した地方分権でなければ、実現可能な政策にならない。そして、選挙の争点にもならない。地方議会はこの機会を逃すことはない。様々な現場の声を拾い集めて、建設的な意見として発信することは、地方議会の役割のひとつとなる。地方議会の積極的な行動は、地方の「覚悟」を示し、中央の都合による地方分権を終焉させる決定打に成りうる。

* 7月13日夕方、麻生首相は首相官邸の記者団を前に「来週7月21日の週早々に衆議院を解散し、8月30日に総選挙を実施する」と発言し、事実上の総選挙に突入した。

(文責:赤川貴大)

    • 元東京財団研究員・政策プロデューサー
    • 赤川 貴大
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