⇒ 第4回テーマ :移植ツーリズムの今を考える~シリーズ・医療ツーリズムの倫理(1)
⇒ 開催日時 :2011年3月7日(月)18:00-20:00
⇒ 開催場所 :日本財団ビル3F 東京財団内会議室
⇒ 概要説明(ねらい)
2011年1月、中国、ロシア、アジア諸国の富裕層を呼び込むため、患者の最長半年間の滞在を認める「医療滞在ビザ」の運用が始まりました。諸外国に続き、日本でも政府が取り組みを進めようとしている医療ツーリズムのなかで、臓器移植、再生医療、生殖補助、遺伝子関連医療などの先端医療は、どのような位置づけをなされるべきでしょうか。人の生命や身体の要素が「国際医療交流」という名の下で国境を越えて扱われることの倫理問題を、みなさんと議論いたします。
シリーズ第1回は「移植ツーリズムの今を考える」をテーマに、臓器移植の臨床と最先端の研究に携わってこられた、小林英司氏をお招きします。
昨年7月に全面施行された改正臓器移植法の審議が一昨年春に実現した最大のきっかけは、WHOが海外渡航移植をやめるよう求める指針を決議すると喧伝されたことでした。国内の提供を増やして海外に行かなくてもすむようにしようという趣旨で法改正され脳死移植の規制緩和が実現したわけですが、改正法施行後も、海外に移植に出かける動きは相変わらず続いています。また逆に、日本で公的規制のない生体移植を、外国人患者受け入れの目玉にしようという計画も出てきました。こうした最新の動向を、移植医はどう見ているのか、私たちはどう見たらよいのか、率直に意見交換したいと思います。
⇒ 議論の展開
◆改正臓器移植法施行後(昨年7月)の脳死臓器提供の状況について
◆改正法施行後の海外渡航移植の動きについて
◆神戸の医療産業都市構想下での特区申請事業「外国人富裕層を対象に生体肝移植を行う医療機関を民間出資で開設する計画」とは
◆この計画は、移植医療従事者が正当な額を超えた報酬を受け取るのを禁止したWHOの改訂移植指針の原則に反する恐れはないのだろうか
◆生体移植に法規制がない日本での医療ツーリズムは、世界の中で生体移植がしやすい「抜け穴」のように見られてしまう恐れはないのだろうか
◆小林教授が研究されている、移植用に人の臓器を動物の体の中で育てる研究「ヤマトン計画」とは
◆この先端医療における外国人を受け入れの可能性はあるのだろうか(体制、基準)
◆医療の基本である平等性は、先端医療においてどこまで成り立つのか
◆医療ツーリズムの動きのなかで、危惧されることは何か
⇒ スピーカー紹介
小林英司
自治医科大学 先端医療技術開発センター 客員教授。大塚製薬工場 特別顧問。専門は、移植・再生医学、バイオエシックス。1982年自治医科大学医学部卒。9年の地域医療に従事し、同大学助手・助教授を経て、2001年同大学教授に就任。2005年「渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」班長。付属大学病院で150以上の小児生体肝移植手術を指導する傍ら、近年、臓器再生分野研究に従事し、ブタの体内や発生原基を足場としたヒト臓器作成技術を開発中。2008年「イスタンブール宣言」舵取り委員。2009年より現職。
ぬで島次郎(東京財団研究員)
写真左・小林英司氏、右・ぬで島
⇒ スピーカーからのコメント
未曾有の災害に見舞われ、心痛い情景や悲報を目の当たりにする。しかし、次世代に希望を残せるように力を結集して渾身の力を搾り出したい。
さて先日の生命倫理サロンでは、倫理を語るに足りない者が忌憚のない意見を述べさせていただいた。臓器移植、死の淵に立っている臓器不全の患者さんを見事に蘇らせる力はまさに奇跡の医療。高度な手術技術を駆使するこの外科的治療に医療人としての魅力を感じてきた。しかし移植医療が人体素材の提供が前提で非自己完結治療であり、種々の場面で人として悩み多く味わっている。臓器不足の打開策として新たなスタートラインに立ったわが国の臓器移植であるが、生体ドナーとなることのみならず脳死ドナーになることを家族が決めなければならない。
2008年の「イスタンブール宣言」さらにその後の「イスタンブール宣言擁護班(DICG)」として活動しながら、止まらない「移植ツーリズム」の世界的状況を知る。一方、「医療ツーリズム」が、わが国の経済を好転させる要素であることを耳にする。先進医療での国際貢献は、本来「学術交流」をまず掲げるべき姿と考える。先進医療において、治験段階のものは受ける患者にそのリスクを的確に述べることはできない。またドナーを必要とする移植医療におけるツーリズム(Travel for Transplantation)は、これまた説明が困難である。
自分自身が掲げるYamaton計画(移植可能な臓器を作る)が、未知の先進医療を目指すものなら、医療としての平等性をどこまで追求していくのか。サロンでの対談は、今のわが国の災害のごとく目指す方向が見えない悩みを醸し出した。この難問を「都会の病院」と「田舎の病院」を例に挙げ、解決策を模索したが明快な答えが出なかった。しかし、最初に述べたように、我々がなすべきは渾身の力を振り絞り次世代に希望を託すことであろう。まずは医療の平等性のためにも、国を超え技術、知識の普及を目指すことから始めて行きたい。
⇒ 参加者のコメント
・医療ツーリズムを一言で定義するのは難しい。美容整形や若返りのための渡航と臓器移植のためのそれとではツアーの性格が大きく違ってくるだろうし、代理母や卵子を求めて海外にアクセスするのも同じには語れない。ただ、神戸市の医療産業都市構想にみるような、高度な医療を提供することで外貨を稼ぐ体制を国や自治体が作ろうとすることが、基本になっているように思える。そうだとするなら、小林英司氏が類比の手がかりとして示していた「田舎の患者が都会の病院へ」とは相当異質な問題をはらんでいるのではないか。端的に言って、富裕層だけをターゲットにした医療体制が、ツアーの名目のもとに容認されるなら、「弱者や貧困層にもよりよい医療を」という、まがりなりにも維持されてきた理念が、堀り崩される恐れがあるだろう。イスタンブール宣言が禁止を謳っている臓器売買なども、水面下でより横行するようになるかもしれない。国によって法規がまちまちだったり、未整備だったりすることの隙をついて、グローバルな金の支配が行き渡る――多くの領域でみられるこの構図が、医療ツーリズムにもあてはまりはしないだろうか。(40代男性)
・私自身生体移植の提供者で、同じように移植に関わった多くのご家族のお話を聞いた経験からいうと、生きながら臓器提供者になるということは、その人の人生そのものを切り取って与えるということです。その人の過去も、今も、未来もすべて含めて切り取るわけで、けっして臓器だけを切り取るのではないのです。生体移植は本当に背負うものが大きい医療だと思います。神戸の特区事業の話を聞いて、そんな危うい、取り扱い注意の医療が、お金儲けの「道具」にされようとしているように感じられて、すごく複雑で残念な気持ちです。(50代女性)
・今回サロンに参加して、「移植ツーリズム」のさまざまな問題点を知ることができました。私は、日本で移植をするのであれば、日本特有の宗教観や倫理観、慣習に基づいた規則を日本が決めて明確にすることにより、受け入れるべきであると考えます。そのためには、海外の法律や慣習、宗教観などと照らし合わせた作業が必要なのではないかと思われますが、現時点ではそこまでの検討がなされていないように思えることが心配であります。世界で日本がリーダーシップを発揮してスタンダードを提案する良い機会かもしれません。(40代男性)