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【生命倫理サロン】特別編「生命と身体を巡る人の欲望追求はどこまで許されるか ~宗教学者と医学者に聞く」

July 4, 2013

⇒ テーマ
: 「生命と身体を巡る人の欲望追求はどこまで許されるか ~宗教学者と医学者に聞く」

⇒ 開催日時
:2013年6月30日(日)15:00-17:00

⇒ 開催場所
: 来迎山 道往寺

(港区高輪2-16-13、都営浅草線「泉岳寺」駅 A3出口より徒歩1分)

⇒ 概要説明(ねらい)

:生命倫理とは、つきつめていえば「人の欲望とどう向き合い、どうそれを御することができるか」ではないでしょうか。

これまで生命倫理サロンで語ってきたどの先端医療の是非を考える場合にも、共通して突き当たる根本課題がこれだと思います。今年は、この根本の問題~欲望論~をじっくり語り、公共の議論の軸にできる理念を探ってみたいと思います。

その始めにあたり、ご好意により道往寺御本堂をお借りすることができました。目先の話題を離れ、煩悩についてじっくり見つめ直す場として最適だと感謝しています。

スピーカーには、サロンの前身の「生命倫理の土台づくり」プロジェクトのメンバーだった、宗教学者と医学者のお二人をお招きします。生命と身体を巡る人の欲望について、宗教は、医学はどう捉えてきたか、現代医療の問題にどう応えていくのか、参加者の方々とともに、語り合ってみたいと思います。どうぞふるってご参加ください。

⇒ 議論の展開


1 先端医療と人の欲望について
・「ほかの人の臓器をもらってでも長生きしたい」「末期になったら延命措置をやめて苦痛なく死なせてほしい」
といった思いをどう捉えるか
それは 自由か/権利か/恵みか/お願いか/祈りか・・・
「臓器移植を受ける権利」はあるか
「医師に延命措置の中止を求める権利」はあるか

・先端医療は人の欲望に応じるだけでなく、新たな欲望をつくっている
「移植は罪作りな医療」 / 生殖関連技術はその最たるものか(次回テーマに)

・生命倫理はインフォームド・コンセント偏重 ?自己決定権?
何をどこまでしていいかは、こうした主流派生命倫理からは出てこない
→ 欲望論が必要:生命と身体を巡る人の欲望をどう捉えるか
欲望論を、先端医療(による欲望追求)をどこまで認めるかの議論の軸とすべき

2 人の欲望に歯止めは必要か/必要ならそれはどこに求められるか
・21世紀のいま、人の欲望の限界を画するのは何か
~経済? 人口問題? 資源エネルギー問題? それとも宗教?
医の倫理ではどう考えるのか? 臨床医学の中に、人の欲望に歯止めをかける論理はあるか?
それとも患者の求めるままに進むのが医学か?
ハイパー生命工学主義=トランスヒューマニズムという思潮 これも一つの進む道?

日本の宗教は、人の欲望をどう捉え、対処してきたか?
現世利益を肯定する傾向の強い日本の宗教は、先端医療も際限なく実施を認めるのか?
人の欲望追求に歯止めをかける道徳原理は、人を超えたところ(神や仏の教え、戒め?)にしかありえないのか?

⇒ スピーカー

: 島田裕巳氏(宗教学者、葬送の自由をすすめる会会長)
「宗教学者、作家、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文科学研究会博士課程修了(専攻は宗教学)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。1つの宗教にとどまらず、既成宗教、新宗教に知識があり、宗教現象、新宗教運動についても研究している。死との向き合い方や、生き方などの本も刊行している。」


: 小林英司氏(医学者、自治医科大学客員教授)
「自治医科大学 先端医療技術開発センター客員教授。専門は、移植・再生医学、バイオエシックス。1982年自治医科大学医学部卒。9年の地域医療に従事し、同大学助手・助教授を経て、2001年同大学教授に就任。付属大学病院で200以上の小児生体肝移植手術を指導する傍ら、近年、臓器再生分野研究に従事し、ドナーを必要としない移植可能な臓器を作る技術を開発中。2009年より現職。」


⇒ 島田裕巳氏からのコメント

人間の生への執着には強いものがある。生き続けられるという可能性が提示されれば、それにかけてみようという気持ちをもってしまう。その気持ちを抑えるということは、やはり難しいのではないか。際限のない医療を受けられない仕組みを考えるしかないようにも思う。だが、医師には、医学の進歩への信頼があり、日々それを実感しているはずだ。最終的には、金銭的な面で制限がかかるということしか考えられないのかもしれない。考えれば考えるほど、これは難しい事柄だ。

⇒ 小林英司氏からのコメント

日ごろ、自分の世界だけに居ると命の本質をじっくり考える機会がございませんが、あらためて「医療とは?」「ヒトの欲望は?」と考えることで、いろいろな立場の方からの考えを拝聴できました。素晴らしい御堂で仏さまの前で自分自身のやっていることを問い、本当に心が洗われるような気もいたしました。

私自身は、ルネ・ルリッシュの考え「ヒューマニズムは、外科学の進路をまっすぐに維持するただ一つの原動力である。ヒューマニズムこそ、我々外科医に対して権利の限界と義務の範囲を示してくれる教理である」が、教本です。しかし、何も考えずに呪文のようにそれを唱えるのではなく、いろいろな方な論議の中で自分自身のものになるのではと感じました。

人を越えた存在である神や仏様が、私たちに知恵を下さったとすれば、医学・医療も例外ではないと思います。私自身は「現実」に移植治療を行ないながら、ドナーという他者を必要とする治療は、無理があると感じます。だから「ヒトと言うドナーを必要としない臓器作り」の「夢」を追っています。一般論で移植反対と唱えるのでなく、「許される移植はどこまでか?」と考えることが重要と思います。これが権利の「限界」であり「範囲」かと思いました。多くのご意見、ありがとうございました。

⇒ 聞き手 : ぬで島次郎(東京財団研究員)


⇒ 参加者からのコメント

・“欲望”の定義が人によって違うので、色々な観点の意見がでておもしろかった。自分や子供が死に直面した時、正気を失い普段の自分と全く違う考えをもつという話があったが、そのような状況に直面している時に感じていることが真理なのではと思った。少数の富と権力をもつ人々の欲望による犠牲(例:臓器売買)を抑制するために生命倫理の議論と政策は必要だと思う。(40代女性)

・著名かつ各分野のスペシャリストであるゲストスピーカーお二人が、非常に率直なご意見を披露してくださり、大変に有意義な時間を過ごさせてもらった。欲を言えば、ぬで島氏の手腕の元で、もっと長く、更に詳しく、お二人のお話を聞きたかった。また、生命、倫理、欲望といった人間の根源的な問題に関する、一般の人々の意見が聴けたことも有意義に感じた。まさにサロン。専門家、非専門家が、自由に持論を展開できる場の魅力だと思う。(50代女性)

・お話を聞きながら、自分の家族ががんと言われた時の本人と家族の大困惑ぶりや、治療法について何度も集まって会議し決定した経験を思い起こしました。島田先生も仰っていましたが、健康な時にこそこのような話題について冷静に考えることができる、というのは本当に実感できます。そして実際に命にかかわるような事が自分や家族に起こってみて初めて、自分の本音を確認できると思います。(女性)

・選択肢がふえると欲望もふえるというのはありますね…人間の場合は社会的・文化的なものにも左右されるので、さらに難しいかなと思います。他者の痛みにどれだけ思い労わるかも関係していそうだと思います。(40代女性)

・阿弥陀如来様の前で、皆で率直に人間の欲望について考え語り合うというシチュエーションがニヤリとさせますね。スピーカーが気軽な本音を話されているのが楽しい。参加者も活発な意見交換があり、発言されない方も頷いたり苦笑したりで気持ちを表現。普段知りえない他人の考えをのぞけるチャンス。(50代女性)

・規則やルール、修行やスピリチュアルなもので欲望を一時的に規制できても完全なる規制は不可能だとも感じた。選択肢を自然な形でなくしたり、社会のしくみやルールを変えたりすることにより、欲望のあり方・行き方を変えることは可能だということを学んだ。また、欲望とは何か、どこまでの範囲を欲望というのかを定義することが困難だとも思った。(女性)

・大きなテーマだったので、若干話が絞りきれなかった感がありますが、却って次回以降の絞り込みのネタができたかと思います。「欲望」という言葉の定義によっては現実的なテーマの採り出し方がいくつもあると思うので、継続的に掘り下げていってください。(50代男性)

    • 元東京財団研究員
    • 橳島 次郎
    • 橳島 次郎

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