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復興か創造か-これからの文明-

April 20, 2011

東京財団
特別上席研究員 松井 孝典
研究員 冨田 清行
研究員 亀井善太郎
研究員 染野 憲治

1. 2つの選択肢

今般の震災は多くの人命を奪い、街や財産を破壊し、さらにエネルギー源の調達や安全性などの面で我が国のエネルギーの脆弱性を再認識させた。「3・11」の直後、日本は今までの延長に戻ることはできない、新たな途を模索する必要性を感じた人は多かったであろう。そして、その気持ちは原発事故により一層多くの人に共有されたと思う。

他方、この国の人々は阪神大震災でも変わらなかった。この震災でも問題の本質には触れぬまま、時が過ぎるのを待つかもしれない。事実、震災から1ヵ月を過ぎて始まりつつある議論は「もとの状態へ戻る」ことを前提に、復興のための組織、財源、インフラに終始している。復興庁か既存組織か、復興税か復興国債か、原発存続か自然エネルギーか、都市をどこに建設し、エコタウンやスマートグリッドの技術を導入すべきか。議論は尽きない。

しかし、それらの議論の前に我々は大事な「前提」を選択することを忘れている。それは「3・11」後の日本は、失われたものをもとの状態に戻し、改めて右肩上がりを目指す20世紀式の「復興」の途を目指すのか、それとも20世紀までの文明と訣別し、地球システムと調和した文明を模索する「創造」の途を目指すのかという選択である。

2. 20世紀までの文明

現代とはどういう時代か。それは地球上にそれまで地球を構成してきた大気圏や水圏に匹敵するレベルの構成要素としての人間の活動領域、すなわち「人間圏」が誕生し、その内部に自ら駆動力をもち、新たな物質、エネルギーの流れをつくり出し、地球システムの挙動が変化した時代である。

生物学的には人類が類人猿から分化し、生物圏を構成する生物種の一つとなったのが今から700万年くらい前であり、16万年くらい前に現生人類が誕生し、以来1万年前くらいまで、人類は地球にとって、他の動植物と同様の存在であった。しかし、人類が狩猟採集から農耕牧畜へとライフスタイルを転換したとき、地球システムの物質・エネルギー循環を利用する存在となり、「人間圏」が誕生した。そして、これが「文明」の始まりである。

今、日本をはじめとする先進国は食糧や生活に必要なモノが社会に溢れ、生活環境も快適という、物質的な豊かさを享受している。この物質的な豊かさこそ、20世紀までの文明が生み出したものである。

20世紀までの人間圏は、地球システムのなかで制約条件なしに右肩上がりで拡大を続けることができるという特殊な境界条件のもとにあった。我々は、20世紀に成立した人間や社会に関する諸概念、制度は、この特殊な境界条件で初めて成立する考え方であったことを認識しなければならない。

本来、人類が地球システムの物質・エネルギー循環を利用することは、それ故に地球システムの物質・エネルギー循環に擾乱をもたらす。20世紀までの文明は、地球システムの物質循環を早送りし、人間圏への物質の流量を増やし、人々の欲望を満足させてきた。つまり、我々の豊かさは地球システムにおける循環という時間を先食いしているのである。早送りの速度は産業革命後、急速に上がり、今や数万倍の速度となっている。このような速度で人間圏を営めば、その存続時間は、100年も持たないかもしれない。

3. 21世紀の境界条件

20世紀の右肩上がりの発想を続ければ、旧ソ連の学者であるカルダーシェフの三段階発展論のとおり、次の段階は地球規模で不足する物質・エネルギーを求めて太陽系文明、さらに不足すれば銀河系文明へと、文明が消費するエネルギー量に応じて段階的に発展しなければならない。しかし、現実にはこのような右肩上がりの発展論は机上の空論である。

人間の活動領域である人間圏が広がることは、我々が自然災害の影響を受ける可能性がそれに応じて高まることでもある。先進国のみならず、これからさらなる成長を遂げようとする中国やインドといった国々は、この人間圏をさらに広げようとし、そのために原子力エネルギーを利用したいと考えている。このように人間圏は拡張し、同時に、再び何らかの事故が起きる可能性も高めるであろう。

さらに、21世紀に入り、既に地球環境問題、資源・エネルギー問題、食糧問題、人口問題などの矛盾も露呈しつつある。人間圏を1000年後も存在させることを望むのであれば、右肩上がりで拡大を続ける人間圏が20世紀で終了したことを認めることが、そのための第一歩となる。我々日本人は、右肩上がりの人間圏という考えが曲がり角に来たことを、世界に先駆け認識し始めている。

21世紀の境界条件は、20世紀までとはまったく異なる。地球システムと調和的な人間圏は、右肩上がりを前提にしないで設計する必要がある。しかし、人間圏が誕生して以来1万年間続けてきた右肩上がりへの信仰の慣性は大きく、その方向転換は容易ではない。

4. これからの文明

「創造」の途をもう少し具体的に説明すれば、例えば、こういうことだ。

日本の電力の約30%は原子力発電による。しかし、この度の原子力発電所の事故は、日本国民に原発に対する強烈な不信感を植え付けた。少なくとも、これから数年以上、新規の原子力発電所の建設は困難だろうし、既存の原子力発電所も厳しい安全点検が行われるであろう。東京電力管内の1/3近い発電量を失うに留まらず、日本全体の発電量の1/3も大きな制約条件下におかれたことを意味する。では、この1/3をどうするか。

「復興」の途は、1/3の電力供給を回復させることを目指すことである。その回復の手段として、原子力を存続させるか、石炭やガスなどの火力か、太陽光や風力などの自然エネルギーかといったことは次段階の議論である。

これに対し「創造」の途は、やみくもに1/3の回復を目指すのではなく、2/3となった電力供給を起点として、新しい社会を考えることである。

人間圏というシステムは、構成要素、構成要素間の関係性、その駆動力に分解して考えることができる。構成要素は、国家、企業、地域、都市、民族、家族あるいは宗教など多くの単位が重層的に入り組んでいる。関係性は、貿易などのモノの流れ、為替などの通貨の流れ、人の往来や文化交流、さらに国連やWTOなどの国際機関や安全保障条約などがある。駆動力は、石油・石炭・天然ガス・原子力・太陽光などのエネルギーである。

駆動力が2/3であれば、構成要素やその関係性も変化せざるを得ない。例えば、構成要素である都市について考えれば、今般の震災で東北地方の工場が被災したことにより、世界各国の生産も多大な影響を受けている。ある都市、地域の問題により、連鎖して全ての生産が止まることがないように、リスクを分散し、自立した都市、地域(ユニット)という考えも必要であろう。エネルギーを大量に使用する大都市はその機能の一部を移転して、副首都を置いたり、都市の灯りや空調を見直し徹底した節電対策を講じて、身の丈を2/3とすることを目指す必要があるかもしれない。中小都市は、電力以外のエネルギーとしての都市ガスや太陽熱温水器、地域特性を活かした太陽光・風力・小規模水力・地熱・海洋・バイオマスなどの自然エネルギー、燃料電池の整備など地域分散型のエネルギー整備を検討することで、エネルギー的に自立した地域を目指す考えもあるかもしれない。

このように、我々の暮らしや行政の仕組みの前提となるユニットが分散するということは、これまでの中央集権構造から地域分権型の社会システムの構築につながる。地域主権は、「権限の移譲」ではなく、「創造」を起点にすることで具体性と実現性が高まる。

「創造」の最終的な目的は、この構成要素、関係性、駆動力が地球システムと調和したものとなるように追求することである。東京財団では2009年8月に「持続可能な社会のビジュアル化」プロジェクトとして「持続可能な社会像の考察-化石燃料を使わない社会とは-」を公表した。そこでの結論は、技術による改善とライフスタイルの変革により、「物質フローが小さく、必要な機能を無駄なく提供できる社会」を提供することである。言い換えれば、所有ではなく「レンタル」の発想とも言える。我々の社会は、現時点で存在している我々の所有物ではなく、前世代から引き継ぎ、そして次世代へ承継しなければならないものである。いずれ人間圏はこの21世紀中に壁にぶつかる。「復興」とは、その壁にぶつかるまでの幻想に過ぎない。今、求められるのは壁を乗り越える「創造」である。

5. 誰が議論をするのか

震災から1ヵ月を経て、政府がまとめた復興のための基本法案をはじめとして、復興を進める政府の組織・体制論、財源の規模と方法論の議論が続いている。被災者の生活支援面を手当てする特別立法など、より被災者の生活再建に資する政策や当面の電力や物資供給など復旧に関する検討は急がねばならない。加えて、水没地の買い上げや集落の集団移転、私権の制限等も重要な論点であろう。しかし、いずれも復興を前提とした方法論ばかりで、我々が震災後の日本に何を創っていくのか、そして、何を目指すか政府内にそうした議論があるようにも見えない *1 。野党が示す政策もほぼ同様で方法論に終始している *2

我々が何を目指すべきなのか、その「前提条件」としての文明のあり方、都市のかたち、ライフスタイル、そして、エネルギー等、様々な論点について、誰が考えて、何を決めるべきなのか。

政治家に期待できないのであれば、そして何よりも、これからの社会やライフスタイルの枠組みを形作る「前提」を決めるからこそ、この選択については全ての国民で考え、議論をしよう。自らが暮らし、そして子どもや孫に渡していく「日本」をどのような国にしたいのか、我々自身が考えて、答えを出さねばならない。

議論の場については、例えば、科学技術政策の一部の領域では、関連する科学者や技術者、政策担当者が一堂に会し、あるべき政策論について喧々諤々の議論を重ねるという取り組みもされている。このように議論の場を設定するにあたっては、我々、東京財団をはじめとする政策シンクタンクが機能を発揮することが求められよう。

このように、議論の場を作ることができれば、あとは、国民自身がその議論に参加しようとする意志があるか否かである。

そもそも、政治とは政治家だけのものではない。国を創るのは国民自身である。我々自身が「これからの文明」を選択していくのだ。



*1 日本経済新聞2011年3月31日夕刊、4月1日朝刊
*2 自由民主党 東日本巨大地震・津波災害及び原発事故対策に関する緊急提言[第1次](3月30日)

    • 元東京財団研究員
    • 冨田 清行
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