理事長
星 岳雄
6月である。恒例になった成長戦略改訂の時期になった。アベノミクスの第三の矢「成長戦略」は、最初の2013年「日本再興戦略」から数えて、今年で5つ目になる。今月9日に閣議決定された今年の成長戦略は、「未来投資戦略2017」と題して、中長期的な日本経済の成長を実現するために、第4次産業革命とも呼ばれる最近の技術発展をあらゆる場面に取り込みつつ社会的課題を解決する「Society 5.0」の構築を目指すという。
具体的には次の5つの方法で戦略を進めていく。まず、第一に5つの戦略分野(健康・医療・介護、自動車、流通と生産ネットワーク、経済・社会インフラ、FinTech)に集中して政策的に支援する。第二に、先進的経済で価値創出を支える共通基盤(データ基盤や流動性の高い労働市場などを含むイノベーションのためのエコシステム)を強化する。第三 に、「実証による政策形成」に舵を切り、また行政手続きコストも削減する。第四に、産業の新陳代謝を高める。最後に、「地域の内外で、ヒト・モノ・カネ・データの結びつきを強め」、地域経済好循環システムを構築する。
「Society 5.0」をはじめとして、目新しい言葉を使っているものの、主な内容をこれまでの安倍政権の成長戦略と比べてみると、いろいろなラベルの付け替えだけで、あまり変わっていない。この点を理解するために、2013年から2016年までの4つの成長戦略を簡単に振り返ってみよう。
2013~2016の4つの成長戦略
最初の「日本再興戦略」は、戦略というよりも経済成長に影響を与えるかもしれない政策の羅列に近く、焦点を欠いていた。また、民間の活力を削ぐことによって成長を阻害している規制を取り除こうとする規制改革と、政府主導で新しい産業を振興しようとする産業政策が混在しているという、安倍政権下の成長戦略の特徴は、2013年の成長戦略からすでに明らかだった。規制改革と産業政策は必ずしも矛盾するわけではないが、追いつき型成長がとうの昔に終わってしまった今、政府が将来の産業を見通すことは難しくなっている。政府主導の産業政策から民間の活力を利用する規制改革へ重心を移行していく必要性は、政府自身によっても指摘されてきたが、不思議なことにその変化はなかなか起こらない。
「焦点がない」との批判に応えたのか、2014年の成長戦略は、(1)コーポレートガバナンスの強化、(2)公的・準公的資金の運用の見直し、(3)産業の新陳代謝とベンチャーの加速、(4)法人税改革、(5)イノベーション推進・ロボット革命、(6)女性の活躍推進、(7)働き方改革、(8)外国人材の活用、(9)攻めの農林水産業の展開、(10)健康産業の活性化・ヘルスケアサービスの提供の10分野に焦点が絞られた。
2015年の改訂版は、「デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきたステージから、人口減少下における供給制約の軛を乗り越えるための腰を据えた対策を講ずる新たな『第二ステージ』に入った」と宣言したが、その内容は2014年の10分野をはじめとするすでに掲げられた主要政策を「未来投資による生産性革命」と「ローカル・アベノミクス」という二つの入れ物に振り分けたものにすぎなかった。むしろ焦点はボケてしまった感も否めなく、特に「ローカル・アベノミクス」のほうには産業政策的なものが多く含まれた。
2016年版は、成長戦略自体が「第二ステージ」に入ったと宣言した。「『岩盤規制』に切り込むとともに」、「『できるはずがない』と思われてきた改革を断行」したと自負する「第一ステージ」から、民間企業の動きを活発化させていく「第二ステージ」に入ったとして、戦略の核に「官民で認識と戦略を共有し、新たな有望市場を創出する、『官民戦略プロジェクト10』」なるものを据えた。その具体的内容の大部分は、IoT・ビッグデータ・AI産業 、健康・医療、環境・エネルギー、観光、スポーツ、中古住宅、サービス、農林水産業など、政府が有望と考える産業の振興であり、旧態依然とした産業政策の色合いが濃いものになった。
成長戦略2017で規制改革は推進されるか
こうして比べてみると、今年の成長戦略も、内容的には新しいものはほとんどないことがわかる。産業政策的な側面も、戦略の第一点(5つの戦略的分野への集中支援)と第五点(地域経済好循環システムの構築)で受け継がれている。もっとも産業政策的側面が大きく打ち出された去年に比べると、規制改革の焦点も回復してきている。労働市場の流動化、産業の新陳代謝を高めるためのコーポレートガバナンス改革、そして実証による政策形成の重視は、日本経済成長の回復に重要だろう。
実証による政策形成の中心である規制のサンドボックス制度の導入は、まったく新しいものに見えるかもしれない。規制のサンドボックス(砂場)は、イギリスやシンガポール、オーストラリアなどで、Fintechの関連商品・サービスの提供を現行の金融規制にとらわれずに実験できる場所を、金融機関のみならず、金融業の免許を持っていない企業にも提供することを主な目的として、ここ2、3年の間に導入されたものであるが、安倍政権最初の成長戦略ですでに導入された類似の制度もある。例えば、2014年1月に導入された「企業実証特例制度」は、企業単位で規制の特例措置を適用する制度で、Fintechに限らず、企業自身が分野を設定できるという意味では、最近のサンドボックスよりも一般的で柔軟性のある制度だとも言えるが、3年以上経過した今までにこの制度を活用した企業は16社にすぎない。どうして、企業実証特例制度がもっと活用されなかったのかを精査し、その結果を規制のサンドボックスの制度設計に活かして、「実証による政策形成」を今度こそ進展させたいところだ。精査の時間は十分にあるはずだ。検討期間、必要な法案の可決などを経て、実際に「サンドボックス」が開設されるのは、早くとも2018年後半になると想定されるのだから。
成長戦略で言及されている規制改革の中で、進展の速度が極めて遅いのは企業実証特例制度に限らない。確かに、コーポレートガバナンス改革など、少なくとも形式的には速やかに進んできた改革もある。しかし、労働市場の改革や行政手続きコストの削減などは、最初から成長戦略に盛り込まれていながら、いまだに目覚しい進展が見られない。昨年9月には、規制改革を総合的に審議する機関として規制改革推進会議が設けられ、今年5月には第一次答申を発表した。今後の活動に期待したいが、こうした機関が今になってようやく作られたこと自体が、規制改革が速やかに進んでこなかったことを示している。安倍政権で5度目となる「規制改革実施計画」も6月9日に閣議決定されたが、やはり「実施計画」というより検討リストに近いものであり、検討が長期にわたり継続し一向に実行されないという問題を繰り返す可能性は高い。
繰り返し掲げられる規制改革の旗標
成長戦略の内容、特に目指す規制改革などがあまり変わっていないのは、安倍政権以前の政策まで遡る。民主党政権時代、「新成長戦略」なるものが作られたが、そこでは(1)グリーン・イノベーション、(2)ライフ・イノベーション、(3)アジア経済、(4)観光・地域、(5)科学・技術・情報通信、(6)雇用・人材、(7)金融の7つの戦略分野で、課題解決を目指すとした。安倍政権下での成長戦略との類似性は明らかである。繰り返し、同じような改革が宣言されるのは、そのような改革がまだ成功していないことの証しである。
規制改革の表明は、もっと以前、少なくとも小泉政権まで遡る。2001年5月、就任したばかりの小泉首相は、最初の所信表明演説の中で、日本の重要課題の第一として、不良債権処理と金融改革を挙げた後、次のように続けた。「第二は、二十一世紀の環境にふさわしい競争的な経済システムを作ることです。これは日本経済本来の発展力を高めるための構造改革です。競争力ある産業社会を実現するために、新規産業や雇用の創出を促進するとともに、総合規制改革会議を有効に機能させ、経済・社会の全般にわたる徹底的な規制改革を推進します」
小泉元首相が掲げた政策は、16年以上が過ぎた今も成功したとは言えない。構造改革はそれが経済全体の利益に貢献するとしても、現在の制度で守られている人々は不利益を被るので、しばしば強い抵抗に遭う。政権交代があっても重要な政策とされてきたにもかかわらず、規制改革が20年近くにわたって進展しなかった大きな理由の一つに、既得権益の強い抵抗があるのだろう。日本全体にとっての利益の立場から、そうした抵抗に有効に対抗する十分な意思が政府にはなかった、ということかもしれない。
加計学園問題に見る規制改革と抵抗の構図
現在広く報道されている加計学園をめぐるスキャンダルには、様々な側面があると考えられる。その中で、しばしば忘れられがちなのが、規制改革とそれへの抵抗という側面である。加計学園の経営者が安倍首相の友人なので便宜が図られたのではないかという点が問題の本質だと誤解されやすいが、経済システム全体の視点から見ると、学部の設立を認可するということが「便宜」になるような規制が存在するということが問題である。
もしこれが参入規制のない産業だったら、首相の友人の会社がそこで業務を始めたとしてもスキャンダルにはならないだろう。例えば、外食産業で、一定の衛生基準をクリアすればレストランを始められるというのであれば、誰がそこに参入しようと政治的便宜などを勘ぐられる危険性はない。それが獣医学部のケースでは、獣医が不足していないという文部省の判断(これが正しいかどうかは議論しないとしても)から半世紀以上にわたり、参入が許されなかったわけである。今回のスキャンダルが示すのは、国家戦略特区という規制改革を地域を限定して行えるはずの仕組みを使っても、このような参入規制の改革が十分にできていない、ということである。問題は、なぜ加計学園の獣医学部設置が承認されたかではない。本当の問題は、どうして 京都産業大学など報道されている他大学による獣医学部設置が承認されなかったかである。
加計学園をめぐる問題は、規制改革派と抵抗派のせめぎあいの、顕著ではあるが一つの例にすぎないだろう。水面下では、種々の規制改革をめぐって様々な抵抗があると考えられる。しかし、そうした抵抗に打ち克って規制改革を加速化するのでなければ、来年の「成長戦略6.0」もラベルの付け替えだけで本質的には以前と変わらないものになってしまうだろう。
◆英語版はこちら "Two Decades of Stalled Reform: Why the Government's Growth Strategies All Look the Same"