渡辺将人 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
東京財団でコラム 「アメリカNOW」 をスタートしたのは2008年の大統領選挙キックオフ直前だった。そして今回の大統領選挙プロジェクトまで、オバマにはじまり、トランプに終わった8年であった。ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク戦争というオバマ政権誕生の種をまいたが、オバマはトランプ政権誕生にどのような種をまいたのか。間接的要因を確認しておきたい。
民主党の文化的左傾化
オバマ政権は「オバマケア」という保守派による反発の導火線を敷き、トランプに共和党糾合のレトリックを与えた点で、「大きな政府」推進政権の印象がある。しかし、オバマ政権は相当程度、ニューデモクラット的な色彩も引き継いでいた政権であった。2000年代後半のニューデモクラットの「衰退」は、イラク戦争への賛成によるもので、経済論争の結果として「第三の道」が棄却されたわけではなかった。
あるオバマ政権高官が「FTA等の自由貿易路線を中道化と捉えるのは誤り。右でも左でもなくグローバリズムへの対応」と述べていたように、グローバル化対応の一環で自由貿易が重視された。オバマ政権の経済政策はルービン派が1期目発足時から支配的影響力を持ち、経済チームに労働経済学者は皆無であった。2010年中間選挙後の経済中道化では、「ブッシュ減税」も延長し、韓国・パナマ・コロンビアとのFTA成立などに踏み切った。そしてTPPも強く推進した。
しかし、2010年中間選挙を犠牲に「オバマケア」実現に固執したことで民主党は2010年に敗北し下院で少数派に、2014年の敗北で上院も少数派へと転落した。オバマ政権の野心的なアジェンダ推進は、議会の犠牲のもとに成り立っていたといえる(だからこそ、「党のリーダー」としてのオバマへの評価は必ずしも高くない)。立法面では早々に実行力を失った。
かくして「ニューデモクラット」的な自由貿易推進、野心的アジェンダへの固執(犠牲は議会での党勢)のダメージコントロールとして繰り出されたのが、文化面での激しいリベラル化であった。2012年に同性婚支持を表明し、同性愛者と公言しての軍勤務を認めるように動き、2015年6月最高裁同性婚合憲判決も出た。最高裁判事では女性を2名指名し、うち1名はプエルトリコ系だった。移民政策関連の大統領令も発動した。
無論、人種問題では、出自の関係で制約もあった。白人の母、インドネシア人の義父、白人の祖父母に育てられ、育ちは「アジア」「白人」であったが、非アメリカ的「帰国子女」性は不都合な要素で、ムスリム疑惑、トランプも主導したバーサー運動(出生地騒動)が起き、「太平洋大統領」は8年間、封印された。「ポストレイシャル」性は差別への悪用の原因にもなり、投票権法が危機に陥り、ファーガソン暴動など各地で人種対立による暴動も起きた。これらの人種をめぐる閉塞的な「空気感」はそのままトランプ時代に引き継がれている。
オバマが肥大化させた「ティーパーティ」がトランプ現象の種に
トランプ旋風の根をたどっていくと一部は保護貿易主義的で反TPPの「ティーパーティの残党」に行き当たる。もともとティーパーティ運動は財政保守・リバタリアン運動で、貿易では自由貿易的だったが、運動に分裂が発生し、残党組がトランプ支持者の予備軍となっていった。ティーパーティ運動の起源はブッシュ政権の「大きな政府」への反発だった(久保文明編 『ティーパーティ運動の研究』 2012年)。ところがオバマ政権成立で、運動の比重は「反オバマ」に移った。すると途中から、財政保守以外の社会・文化保守のキリスト教保守や反移民層のプアホワイトが参入し、ペイリン派と称された対外関与主義のネオコン・親イスラエル派も2010年以降に影響を増し、地域も南部色が強まった。
「合流」により、内政では、リバタリアンと宗教保守派がまず割れた。リバタリアンは「白人キリスト教徒の道徳的な国」の維持には関心が薄く、ロン・ポール元下院議員は、2010年に起きたニューヨークのモスク建設論争で建設擁護だったほどだし、グローバー・ノーキストら反税運動の大物も移民制度改革には賛成であった。保守が折り合える文化争点は、憲法修正2条だけだった。初期のティーパーティは非介入路線で、大統領令濫用(特に戦争関連)、米軍海外駐留、防衛費増額に激しく抵抗したが、「親イスラエル」の軍事関与派が台頭し、宗教保守が下支えした。
リバタリアンは「孤立主義」と定義されることを嫌い「軍事的非介入の自由貿易主義者」を標榜するが、後発のティーパーティ派には、南部・中西部のプアホワイトが多かったことで、保護貿易色を強めた。ティーパーティ・ネーション(Tea Party Nation)のほか、反TPP系のティーパーティが主催する「オバマトレード・ドットコム」(obamatrade.com)などがTPP反対の狼煙を上げた。「中国は(TPP加盟国)ヴェトナムの輸出で利益を得て、軍事的、経済的な地域での影響力を増す」という中国警戒論は、オルターナティブ右派(Alt-right)にも響き、ティーパーティはあっというまに保護貿易の右派運動に転換した。「自由貿易、財政保守運動としてのティーパーティは死んだ」として、リバタリアンは以後、自らをティーパーティと名乗らなくなった。「反オバマ」で大同団結していた保守運動の一角が崩れて「小さな政府」のタガが外れたといえる。「大きな政府」を容認する空気が生まれた。ティーパーティ運動の残党はクルーズ支持を経つつも、本選後はトランプ支持に回った。「ティーパーティ愛国市民基金」は、ペンシルベニア、オハイオ、ノースカロライナ、フロリダでトランプの地上戦の車輪になった。
もちろんオバマ政権下の移民制度改革への反発もあった。2013年のマケイン、ルビオらが参加した移民制度改革法案は、ポール・ライアン、エリック・カンター(当時の下院院内総務)らの議会指導部も後押しし、FOX NEWSも好意的報道を行っていたが、保守系の有権者が怒りを爆発させた。2014年中間選挙で、ティーパーティ系の対抗馬を立てて、カンターを落選させた。リバタリアン離反後のティーパーティ運動は弱体化したと思われていただけに党幹部は震え上がった。「反主流メディア」運動も活性化した。スティーブン・バノンは、FOX NEWSとマードックを「グローバリスト」と罵り、自身が配信するメディアこそが、真のジャーナリズムだと主張した。不法移民への怒りが爆発し、世界で頻発するISのテロはムスリムへの誤解と嫌悪を増幅した。
リバタリアン離脱後の文化保守中心によるティーパーティの残党(保護貿易、キリスト教右派)と、無党派寄りの保守層も含んだ反移民、「反主流メディア」の有権者、民主党支持だった白人労働者層を合流させるとトランプ支持層の輪郭が浮き彫りになる。
2016年のクリントン陣営は、トランプを「差別主義者」と定義できると考え、2016年選挙を 「経済選挙」とは考えなかった。白人労働者の流出を甘く見て、LGBTや女性などマイノリティの権利擁護選挙に傾倒した。他方、オバマは政権下の要因、自由貿易路線(それに対する反発)、民主党の「文化的左傾化」、分裂後のティーパーティ、反移民、反主流メディアのすべてをそのまま政治環境とし、敵として継承しての戦いを迫られた面もある。
オバマ大統領の評価はこれからである。オバマは講演に意欲的とのことだが、トランプ政権に対して釘を刺す発言を始めるかもしれない。作家の元大統領としては回顧録にも力も入る。皮肉ではあるがクリントンが勝利するよりも、トランプ政権になったことで、人々の記憶の中でのオバマ政権は相対的に輝く可能性がある。オバマケアが撤廃に危機に瀕し、社会での不寛容が増せば増すほど、人々は初のマイノリティ大統領とその政権を懐かしむだろう。だが、どの政権も前の政権との関係性なしに誕生しない。トランプ政権とオバマの8年は無縁ではなかったとの視点も確認しておきたい。