[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト
南アジアでバングラデシュの注目度が高まっている。日本政府は経済の潜在力と地政学上の重要性を評価し、クリーンコール技術による石炭火力発電所や港湾の建設協力など、当面6000億円の経済協力を注ぎ込む方針だ。中国がバングラデシュとの関係を強化し、兵器取引の拡大など影響力を増していることも、日本政府が対応を強める背景にある。
国連安保理の選挙で取引
9月初め、安倍晋三首相が日本の首相としては14年ぶりにバングラデシュを訪問した。同国は独立50周年にあたる2021年までに「中所得国入り」を目指す「ビジョン2021」を掲げている。シェイク・ハシナ首相との首脳会談で、安倍首相は経済開発を積極支援する意向を示し、今後4-5年間で6000億円の協力を進めることを確認した。同国への日本の協力は2011年度に640億円程度だったことを考えると、破格の措置だ。
バングラデシュは約1億5000万の人口を有し、経済は過去4年間6%台の成長が続いている。「チャイナ・プラス・ワン」と呼ばれる中国に次ぐ投資先として有力候補になっており、ユニクロのファーストリテイリング、YKKなど日本企業の進出も増えている。 破格の協力表明には、政治的思惑も強く働いた。バングラデシュは2015年の国連安保理の非常任理事国選挙に立候補の意向を示し、日本と競合していた。日本は過去10回、非常任理事国に選ばれたものの、1978年に投票で敗れた時の相手がバングラデシュだった。だが、首脳会談でハシナ首相は立候補を取り下げ、日本を支持する考えを表明した。
ハシナ首相にとって、ありがたいのは開発支援だけでなかった。今年1月、与野党対決が一段と激化する中で行われた総選挙は、野党連合がボイコットしたため、与党アワミ連盟が圧勝した。ハシナ首相の3期目の続投が決まったが、国内外から新政権の正統性を疑問視する声が上がった。そんな状況下、安倍首相のダッカ訪問は選挙後初の先進国首脳による公式訪問となり、新政権には追い風になった。
ベンガル湾地域物流のハブ目指す
大規模な協力の軸として、日本は「ベンガル湾産業成長地帯(BIG-B)」構想を打ち出している。バングラデシュの電力整備と産業集積を図りながら、北東インド、ブータン、ネパール、東南アジアのベンガル湾沿岸地域をつなぐ「地域物流のハブ」として発展させる。バングラデシュ側は中国雲南省へのアクセス改善にも役立つと考えている。
BIG-Bの目玉になるのが、港湾都市チッタゴンの60km南にあるマタバリに建設する超々臨界圧の石炭火力発電所(2機計1200MW)と深海港(水深15m)である。今年5月にハシナ首相が来日した際、円借款に合意した。総事業費4500億円で2019年に港湾を、2023年に発電所を完成させる計画だ。発電所は、電力不足が深刻なバングラデシュで全発電容量の18%を供給する。長期的には隣接地域に石炭だけでなくLNGの拠点も整備し、さらに発電所2機を増設し、工業団地を建設して重工業の誘致を図る。日本が1960年代に京浜工業地帯や鹿島臨海工業地帯を開発した手法を生かす方針だ。
チッタゴンには同国最大の港があるが、インフラは貧弱で老朽化している。貿易拡大で急増する船荷に全く追いついていない。港を増強しようにも、水深が7-8mしかないため、新たな深海港の整備が急務だった。
中国は発電所建設や軍事面で協力
バングラデシュでは、中国も幅広いインフラ建設の支援に乗り出している。港湾ではチッタゴンの75km南にあるコックスバザール地区のソナディアを候補に、深海港の建設支援を模索していた。ここにはオランダ、アラブ首長国連邦も関心を示し、バングラデシュ政府に事業計画案を提示した。結局、中国案が評価され、今年6月のハシナ首相の訪中時に中バ首脳会談で合意する、と地元紙に報じられた。
ところが、中国が港湾の運営権まで求めたことや、中国輸銀による融資の金利が高いことなどが影響したらしく、合意に至らなかった。(*1) ソナディアの深海港建設については日本も検討したが、環境影響評価の結果、マングローブ林など豊かな大自然の生態系があり、絶滅危惧種の渡り鳥であるヘラシギの越冬地に悪影響が出るとして断念し、マタバリを選んだ経緯がある。マタバリに深海港が完成しても、さらなる港湾の需要は大きいため、ソナディア開発構想も消えたわけでない。だが、日本が適切な環境アセスメントを実施し、マタバリにシフトした結果、中国の強引な商法とソナディアの乱開発に「待った」がかかった、と言えそうだ。 その一方、6月の中バ首脳会談では、バングラデシュにおける発電所、トンネル道路、鉄道建設などの大規模プロジェクトに中国が協力することに合意した。発電所は中南部のパトゥアカリ地区に中国が超々臨界圧の石炭火力(1320MW)を30億ドルで建設する。ハシナ首相は「中国が主導する世紀でバングラデシュが積極的なパートナーになる」と述べ、中国との親密さを強調した。
ここで中バ関係の歴史を振り返っておこう。バングラデシュは1971年の第三次印パ戦争でパキスタンから独立したが、パキスタンの後ろ盾だった中国は独立に反対し、バングラデシュの国連加盟にも異議を唱えた。バングラデシュはインドと旧ソ連に接近し、特に独立時にインドの支援を受けたアワミ連盟はインドとの友好を重視した。対照的に、ライバル政党のバングラデシュ民族主義者党(BNP)は中国寄りの外交政策をとり、政権の座にいた2005年には南アジア地域協力連合(SAARC)に中国がオブザーバー加盟するのを支援した。 2002年には中バ間で防衛協力協定を結び、軍の共同訓練や軍備の協力を進めた。戦闘機から、戦車、艦船、ミサイル、小火器にいたるまで、バングラデシュは中国製兵器の大口顧客になった。2008年にはチッタゴン港付近に対艦ミサイル設備を中国の支援で設置し、発射実験では中国の専門家が立ち合った。
中国依存が経済と軍事の両面で深まるにつれ、バングラデシュにとって対中関係は与野党を問わず、外交政策の優先課題になってきた。最近では、中国との原子力協力にも合意した。また今年10月には、中国が主導して設立準備をしている「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」への出資にもパキスタンなどと共に参加する意向を表した。
インドも海軍力強化で対抗
バングラデシュは隣国インドを「ビッグ・ブラザー」と呼んで尊重する姿勢を見せているが、ガンジス水系の河川問題、出稼ぎ労働者の管理、貿易収支など利害対立は多い。そこでインドを牽制するためにも「中国カード」が必要になっている。
インドも、バングラデシュでの中国のプレゼンス拡大は気が気でないようだ。今年初め、中国がバングラデシュ海軍に潜水艦2隻を2億ドルで売り渡す情報が明るみに出ると、インド側はすぐさま中国政府に特使を送り、真意を尋ねたと報じられた。(*2)
インドもベンガル湾で軍事的な対抗策を講じている。バングラデシュに隣接する西ベンガル州のサガール島の基地でミサイル設備のテコ入れや、艦船の配備を増やせるよう海軍基地の増強を図りつつある。しかし、そもそもバングラデシュには海軍力でインドの優位に立とうという野望はない。むしろ軍備増強は東隣のミャンマーに対する抑止力強化だとみられている。
インドが最も懸念するのは、中国海軍がバングラデシュに艦船を寄港させる拠点を設けることだ。いわゆる「真珠の首飾り」戦略によるインド包囲網が広がってはたまらない、と考えている。それだけに、ソナディアの深海港建設が合意しなかったことには、ひと安心というところだろう。
インドのナレンドラ・モディ政権は5月の就任後、隣国外交を重視する姿勢を示し、スシマ・スワラジ外相を真っ先にダッカに派遣するなどバングラデシュとの関係強化を図っている。
- (*1) The Hindu, “Hasina seeks partnership with China”, http://www.thehindu.com/news/international/south-asia/hasina-seeks-partnership-with-china/article6105189.ece
- (*2) Forbes,“China Making A Play At Bangladesh”, http://www.forbes.com/sites/jonathanmiller/2014/01/03/china-making-a-play-at-bangladesh/