今年(2009年)7月に改正された臓器の移植に関する法律には、脳死後の臓器提供に際し、親族に優先して提供するよう求める意思表示ができる規定が盛り込まれた。来年(2010年)1月から施行される。
この新規定は、移植機会の公平性を求めた法の理念に反するのではないか、「親族」とはどの範囲までか、優先指定の意思はどのように示すのかなど、多くの問題を抱えている。厚生労働省は施行のための運用指針を策定しているところだが、指摘されている問題点がどのように処理されるのか、予断を許さない。
死後の臓器提供に親族優先指定を認める規定は、諸外国の臓器移植法には見あたらない。われわれが知るところでは唯一、韓国の移植法施行令で、待機患者のうち提供者の親族の優先順位を1位にする条件を定める例がある。
そこで以下では、世界にも稀な「親族優先臓器提供」がどのように認められ、どれだけ実施されているのか、韓国の実情を紹介し、日本での議論の参考に供したい。
1 韓国の臓器移植法と親族優先規定の内容
韓国では、大韓医師協会が1980年代に「死の定義の研究特別委員会」を組織し、脳死を死亡の一種として認め、脳死判定基準を発表した(『脳死宣言』1993年)。これに基づき、脳死者からの臓器移植は、法律の制定なしに専門医が自らの責任で実施してきた。肝臓移植は1988年3月に、心臓移植は1992年11月に第一例が行われた(出典:財団法人「愛の臓器寄贈運動本部」)。
『脳死宣言』発表前後から、脳死移植の件数は、1990年5件、1991年3件、1992年38件、1993年45件、1994年117件、1995年178件、1996年165件、1997年251件、1998年338件、1999年435件と増加していった。
こうした進展に伴い、医療界・法曹界・学界・宗教界・市民団体などの各界が、脳死と臓器移植について本格的に議論を行うようになった。主な争点は、脳死の判定問題、脳死者からの臓器摘出の条件、提供臓器の分配のあり方などであった。その結果、1999年2月に、「臓器等の移植に関する法律」が制定され、施行された。
この韓国の移植法では、脳死後の臓器提供は、本人の同意だけでなく、家族の同意によっても可能とされ、同意できる家族の優先順位が定められた(1999年9月、2002年8月の改正による)。
提供された臓器は、国立臓器移植管理センター(KONOS: Korean Network for Organ Sharing)によって対象者が選定され、移植が行われる。
移植対象者の選定について、法律では以下のように規定している:
韓国「臓器等の移植に関する法律」第22条(移植対象者の選定等)
(第1項)国立臓器移植管理機関の長は、第13条第4項の規定によって臓器等の提供者の登録結果の通知を受けたときには、大統領令で定める臓器等の移植対象者の選定基準によって臓器等の移植待機者の中から移植対象者を選定しなければならない。この場合、国立臓器移植管理機関の長はこれを臓器等の提供者又は移植対象者が登録されている登録機関の長に通知し、登録機関の長は選定事実を登録されている臓器等の提供者又は移植対象者とその家族・遺族とに直ちに通知しなければならない。
この規定に基づき、移植対象者の選定基準が大統領令によって定められた。親族優先規定は、この執行政令に、2003年の改正によって以下のように追加されたものである(赤字部分):
施行令第18条(移植対象者の選定基準等)
(第1項)法第22条第1項の規定による移植対象者の選定基準は別表2のとおりである。
「別表2」移植対象者の選定基準(第18条第1項関連)
?一般基準
1. 臓器等提供者と移植対象者の血液型が同一、もしくは臓器等提供者の血液型が移植対象者に輸血が可能な血液でなければならない。ただし、骨髄等輸血可能とは関係なく医学的に移植手術が可能な場合には、その限りではない。
2. 臓器等提供者が生きている場合を除いては、次の各号の順位により移植対象者を選定しなければならない。
イ.1順位:当該脳死者の配偶者、直系尊属・卑属、兄弟姉妹または4親等以内の親族中に臓器待機者として登録している者
ロ.2順位:当該脳死者を管理している法第16条の2の規定による脳死判定対象者管理専門機関に登録された腎臓移植待機者1名
ハ.3順位:当該脳死者を発掘した臓器移植医療機関(脳死判定対象者管理専門機関として指定された機関は除く)に登録された腎臓移植対象者1名
二.4順位:次の項目の圏域区分により臓器等提供者と同一圏域ないにある臓器提供者。ただし、?.臓器別基準から圏域の区分がなく移植対象者を選定する要件を別途で決めた場合、または?.臓器別基準第3号の場合には圏域区分なく全国の臓器等移植待機者のなかから移植対象者を選定しなければならない。
このように韓国の移植法令では、提供者本人が生前に親族優先提供の意思を示すことは認めていない。不特定多数の人に死後提供する意思を示していた人が脳死になったとき、その人の親族が待機患者リストに入っていたら、臓器移植ネットワークが、その親族を移植順位1位にするというだけである。日本の規定と本質的に異なるので、注意を要する。
2 親族優先規定が設けられた経緯
親族優先提供の規定は、1999年に移植法が制定された当初は設けられていなかった。それが2003年3月の施行令改正によって新しく取り入れられたのは、法施行後にかえって減ってしまった脳死臓器提供に対し、国民にインセンティブを与えるためだった。
移植対象者の選定基準は、当初、医学的な要素に重きを置き、原則的に分配の機会均等を図り、公平性を持たせようとしていた。だが脳死者からの臓器提供は、立法によって活性化されず、逆に停滞してしまった。法律の施行によって、脳死移植件数は前年度を下回り続け、2000年233件、2001年216件、2002年167件と減少する結果になった(「年別脳死者数と移植件数」グラフ参照)。
その理由として議論されたのが、法律によってできた臓器分配システムのあり方である。法施行前は、提供者の出た病院で臓器の移植先を決められていたが、法施行後は、中央のネットワークを通じて移植対象者が選定されるようになった。このシステムになってからは、提供者に移植を必要としている家族がいても提供できず、他人に分配されることになった。この仕組みが、家族の結びつきが強い韓国社会において、臓器を提供しようとする意思を損ねてしまっているのではないか、と考えられた。
事実、韓国では家族の間で行われる生体臓器移植の割合が高い。なかでも親子、姉妹兄弟間の提供が多い(「生体臓器移植」グラフ参照)。
こうした家族の絆に重きを置く韓国社会の現実に即した形で脳死移植の推進を図るために、親族を優先順位1位にできる規定が導入されることになったのである。
さらに韓国では、家族の絆が強い文化を脳死移植の推進に結びつけるために、親族優先提供だけでなく、親族が脳死後臓器を第三者に提供すると、待機患者の順位を決める点数が増える制度も導入されている。
移植待機者は、配偶者および直系尊属・卑属、兄弟姉妹または4親等以内の親族が脳死臓器提供者になると、臓器別に以下のような点数が与えられる。
通常、待機患者は一年待機するごとに1点を与えられ、長く待っている人ほど点数が高くなって、移植対象順位が上がる仕組みになっている。上記の制度では、より近しい親族が臓器提供した患者ほど、もらえる点数が高くなり、移植を受ける機会に近づけることになる。これを、脳死臓器提供へのインセンティブにしようというわけである。
脳死者からの提供はまだまだ少ないという指摘はあるものの、2003年の施行令改正後、移植件数はふたたび増加に転じた。その背景には、臓器提供に対する意識変革のための広報活動と、医療現場における潜在的な脳死提供候補者への働きかけなどの努力がある。
韓国では、古来の祖先崇拝に基づく慣習的な葬儀文化や儒教の身体観から、遺体に手を加えることは嫌がられていた。だがそうした「伝統的死生観」は、都市化、核家族化、少子高齢化や埋葬の費用負担の大きさなどの影響で、急激に変化している。1991年には17.8%しかなかった火葬は、2001年には38.3%、2005年には52.6%、2008年には61.9%とこれまでの埋葬を上回ってきた。さらに政府は、有名人やタレントなどを広報大使として動員し、一般市民の臓器提供に対する意識改革に努めることで、臓器提供者を確保しようとしてきた。2008年1月、ボクシングの試合中に脳死状態となったチェ・ヨサム選手や、2009年2月に亡くなったカトリックの金スファン枢機卿の臓器等の提供は、これまでになく市民の意識を大きく促し、多くの人々が臓器提供の意思表示を行った。
3 親族優先提供の実施状況
上記政令が施行された2003年から2008年までに、親族優先臓器提供がなされたのは、全部で6例である(「親族優先臓器提供:韓国での実施実績」表参照)。
続柄別では、きょうだい間(2親等)が2例、甥・姪から叔母・伯父(3親等)がそれぞれ1例ずつ2例、親子(1親等)が1例、配偶者間が1例となっている。年齢では、移植を受けた親族は20代から60代までの成年層に渡っているが、提供者のなかに14歳の未成年者がいることが目を引く。
臓器別では腎臓が5例、肝臓が1例となっている。どちらも、生体移植も可能な臓器である。生体移植ができず、優先指定が導入されると患者家族の自殺による提供を誘発するのではないかと日本で危惧されている心臓は、まだ例がない。
親族優先臓器提供:韓国での実施実績 (出典:国立臓器移植管理センターKONOS : Korean Network for Organ Sharing提供資料より)
親族優先制度では、家族が必要な時期に臓器提供を直接受けられるタイミングは稀で、実際に事例はごく少ないが、すでに紹介したように親族の臓器提供が家族の患者の優先順位を上げる点数システムが同時に導入されたために、社会全体での臓器提供のモチベーションを高めることができたと考えられる。
4 日本への示唆
以上、韓国での親族優先臓器提供の経験をみると、まずわかるのは、それが1年に1例か2例しかない、レアケースだということである。親族に優先して提供できる道が開かれた2003年以降、韓国では、すでに挙げた別の要因により、脳死移植件数が飛躍的に増大している。これなら脳死移植の機会の公平性を損なうほどのものではない、といえるだろう。
しかし、日本でも同じことが期待できるかどうかというと、それは疑問である。
第一に、韓国の制度は、生前に本人が親族優先を指定できるのではなく、移植ネットワークが判断する仕組みになっている。不特定多数の人への提供でも、身内の患者が利益を得られる点数制も併せて導入されている。その意味では、親族優先制度の導入で、臓器移植の立脚点が狭い範囲の人間関係に閉じ込められてしまう恐れは、韓国ではあまりないように配慮されているといえる。日本は、そうした配慮に欠けている。
第二に、親族優先提供は稀なことなので、全体の公平性を脅かすことはないという点でも、日韓には隔たりがある。韓国では優先提供制度導入後の6年間に、790例の脳死臓器提供者が出ている。優先制度導入前でも、年に50例から40例の提供者がいた。そのなかでの6例、1年平均で1例(優先提供がなかった年も2年ある)という数字は、全体を左右することはないといえる。それに対し日本では、年に10例程度しか提供者が出ていない。そこからスタートして親族優先提供が年に1例、2例と出れば、レアケースとはいえず、待機患者の間で、ひいては社会全体で、不公平感を惹起しないとはいえないだろう。
日本では、親族優先提供を導入するにあたって、韓国のように、脳死臓器提供とは本来は矛盾する家族の絆の強さを、逆に脳死提供の誘因にする、というしたたかな戦略に立った提唱や制度設計はなされなかった。あくまで、公平な脳死提供には反する家族の情に例外的にこたえよう、という人情論でしか議論されなかった。
以上のような、親族優先臓器提供導入を巡る日韓の違いは、両国の移植医療の行く末に、大きな差をもたらすのではないかと思われる。
今後の脳死臓器提供の推移をふまえ、広い視野で移植医療を社会に適正に位置付けることができるよう、いまの親族優先規定を見直し、さらなる法改正も含めた政策論議を行うことが必要である。
洪賢秀 プロジェクトメンバー、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター
公共政策研究分野特任助教
ぬで島次郎 プロジェクトリーダー