研究会概要
○場 所:東京財団A会議室
○出席者:
板垣 欣也 (マネージメント・デザイン・オフィス代表)
稲垣 京輔 (法政大学経営学部経営戦略学科教授)
木村 忠夫 (21世紀中小企業振興ネット代表幹事)
西尾 祥之 ((財)地域総合整備財団地域再生課調査役)
松本 大地 ((株)商い創造研究所代表取締役)
岩佐 吉郎 (名桜大学教授)
関係省庁政策担当者
(東京財団)
赤川 貴大 (東京財団政策研究部研究員兼政策プロデューサー)
井上 健二 (東京財団政策研究部研究員兼政策プロデューサー)
斉藤 弘 (東京財団政策研究部上席研究員) 他
議事次第
1.開会
○第8回研究会での議論のポイント
2.ゲストスピーカーによる報告
○演 題:『中小企業ネットワークと事業システム戦略
~イタリアの事例より~』
報告者:稲垣 京輔 氏(法政大学経営学部経営戦略学科教授)
3.報告を踏まえた質疑、意見交換
4.今後の研究会の予定等について
5.閉会
前回研究会の議論等のレビューを行った後、ゲストスピーカーの稲垣京輔氏(法政大学経営学部経営戦略学科教授)から、「中小企業ネットワークと事業システム戦略」をテーマに、イタリアでは中小企業ネットワークがなぜ、どのように機能しているのかについてご報告を頂き、その報告をもとに意見交換を行った。以下は主な内容である。
【ゲストスピーカー報告要旨】
○社会ネットワークに最初に関心を持ち始めたのは社会学の分野。インターネットなど物理的なネットワークの及だけではなくて、20世紀の末ぐらいから、企業経営における価値観が大きく変わった。
○誰がどのような資源を持っているのかという情報の獲得が重要と90年代から言われるようになってきた。資源の占有からアクセスへ。ビジネスの成功を分けるものは、アクセスのスピードで、これが今日の競争力に繋がっている。顧客のニーズへどうやってアクセスするか、製品を開発、製造、販売するまでの編集のスピードというのをどれだけ上げていくかにかかってきている。これがいわゆる「アクセスの経済」と言われるもの。
○ネットワークは、信頼関係や補完関係に支えられている。コミュニケーションの中で重要なのは、対話、互酬の規範。お互いがWIN-WINになって儲かる関係をいかに作り出していくかが重要になってきている。この規範が今ある日本のネットワークの中には、なかなか浸透していない。結局、巨大組織のヒエラルキーの中のネットワークや取引関係となっていて、水平的な互酬的なネットワークになっていない。
○日本では、近代社会の発展の中で、都市化とか企業社会の縦の関係が進行するにつれて、家族、近所づきあいがどんどん衰退し、世界に類を見ない会社コミュニティができていったが、今日では成果主義の導入などでこれも衰退し、日本の会社の姿もここ10年の間に急速に変わりつつある。
○イタリアでは、懸命に近代化路線を国家が支えようと、例えばフィアットやオリベッティといった巨大企業あるいは国家持ち株会社(IRIやENI)がイタリアの北西部、ミラノ、トリノ、ジェノバというような地域を中心に、60年代、非常に発展、肥大化するが、結局、強い労働運動の展開による労使関係の悪化の結果、サボタージュが行われたり、大規模なストライキが起き、効率性に問題が出て、結局、近代化ができなかった。
○イタリアは非常に地域性が強く、地域社会が根強く存続していたが、それが当時は後進性の象徴にしか見られなかった。そういうネットワークを意識し始めたのは1980年代以降のこと。国家持ち株企業がうまくいかず、そこで働いていても給料もほとんど貰えない、仕事自体がないというような状況の中で、自分で事業を興すというような人たちがどんどん増えていって、それが芽が出始めるのが80年代後半。その地域社会の中でうまく根強く発展していった中小企業は90年代ぐらいになってイタリアの成功モデルというふうに言わるようになった。ネットワークをもう一度再構築すべき、地域というのを見直そうという運気が強くなってきたのが90年代以降。
○地域のネットワークが再評価されはじめたのは、グローバル化等による価値観の多様化。今まで日本の価値観というのを押し付けるだけではうまくいかない。互酬の原理に基づいたネットワークが重要になってくる。また、自治体の財政悪化によって行政サービスが縮小され、コミュニティに頼らざるを得ない部分が出てきた。さらに、都市化や開発中心主義による地元のネットワークの崩壊への反省などがある。
○何で日本の中小企業ネットワークがうまく機能しないのかは、相互行為ともたれ合いを混同してきたから。日本企業の多くが、戦略的な行動を取ってこなかった。自社のビジョンも活路も戦略も、全て取引先に依存した状態となっている。この過剰な協力関係がもたらしたものは、1960年から2000年までの40年間で見ると、売上は伸びているが営業利益率は右肩下がりになったということ。パイは大きくなり、それをいいことに、利益率を考えないで、薄利多売になっていき、その中で、下請け関係のシステムは強固になっていき、下にいる企業は自社の戦略を考えなくなってしまい、自立した企業ではなくなっていってしまうということ。
○成長下の日本においては、市場が規模的に成長することが、市場シェアの拡大競争に繋がって、品質の向上やコスト低減圧力になり、その結果、日本製品が高品質、低価格という特徴を生み出す、全てがうまく機能する無敵のビジネスモデルだった。逆に、それが出荷量に頼る体質を作ってしまい、財やサービスの需要が拡大している時はうまくいくが、規模的な発展が終焉する状況下では、少ないパイを巡ってシェア争いが過熱し、絞るようにコスト低減圧力が働いている。環境が変化しても同じスキームで、産業システムというのを維持しようとした。
○中小企業の病理の3つの特徴として、事業計画って非常に短期化していること、経営者の視野が狭いこと、依存体質が強いこと、が挙げられる。
○事業システムとは、収益を上げるための体系化された事業のしくみのこと。しくみ作りは非常に重要。イタリアの中小企業を見ると、自社を有利にしていく事業の仕組みづくりが上手。誰に価値を提供するのかということを考え、その上で、誰にこの仕事を任せるのかという、その分業のしくみを設計したり、人を働かせるためのインセンティブのシステムの設計や情報の流れを設計する。これが事業システムの考え方。この部分がいちばんイタリアの企業の強み。
○互酬の規範に基づいていて、他者の世界をよく知る。他者にどのような支援が足りなくて、自分の資源が活きるのか、あるいは自分にどのような資源が不足していて、他者からどういうものを貰いたいのか、こういうことがはっきり言える経営者が日本では限られている。
○イタリアの産業集積を見ると、いちばん重要なのは、集合的に「事業のしくみ」というのを作る能力が高いということ。世界の市場を巡って、そうしたしくみを自分たちで独自に作り上げていくということが言える。
○これは一朝一夕に作られたものではない。80年代にイタリアの中小企業はいったんは成功するが、90年代後半ぐらいから2000年代のはじめぐらいにかけて第二次成長というのがあり、その間に非常に落ち込む時期があった。この90年代初め頃の落ち込みの原因は何かというと、地域の中で自己完結していたということ、コーディネーターの力が強くなかったということ。当時のイタリア通貨リラが他に比べ弱かったので、輸出に頼っていったんはうまく成功したが、ユーロになって、他のヨーロッパ諸国と同様の環境、競争条件の中で、イタリアの優位性がいったん失われて、イタリアの中小企業は大打撃を受けた。その中で台頭してきた企業が、中核企業と言われるもので、顧客情報と地域の中の情報を持っていて、人を繋いだり、分業の体制をうまく作ることができる、人を繋ぐ機能に特化した企業。
○ちょうど、この時期に2代目にバトンタッチして、経営者が多く入れ替わったことも大きな要因。2代目の経営者は、大学卒が圧倒的に多く経営者としての教育訓練を受けているインテリで、初代との違いは企業を大きくできる、大局的な判断ができること。こうした2代目経営者が産業集積、産地のリーダーになっていくというのが90年代の主な変化。企業の中で、いくつもプロジェクトというのを作って、それに対して地域の企業を巻き込んでいく。
○この典型的な事例としてカトラリーの専門メーカーALESSIがある。ALESSI社は、歴史は非常に古く戦前からある企業で、最初はステンレスの加工工房。この創業者、ジョバンニ・アレッシ。イタリアの北西部の人口が1万5000人の小さな町オメーニャはステンレスのカトラリーの一大集積地。2代目がカルロ・アレッシが引き継いで、その後3代目に引き継がれていくわけだが、2代目から外部デザイナーとのコラボ商品を開発、高付加価値モデルを目指した。一気にデザインに特化することでグローバル企業になっていく。組織の規模が大きくなったことに着目をしがちだが、いちばん重要なのは、誰に対してどういう価値を提供したのかということ。ALESSI社が地域の中核企業になっていくわけだが、決して工場を大きくしなかった。大きくすることが目的ではなく、世界中に販売組織を展開していったというところが重要。世界市場に商品を供給していくというところにいちばん投資をした。いろんなプレイヤーを巻き込むかたちで、事業を大きくしている。
○プロジェクトに参画する外部デザイナーへのALESSI社の貢献としては文化事業に投資し、美術館や博物館にデザイナーの作品を展示し、デザイナーの権威づけをするといったことも行っている。この他、商品の訴求力を増すために、国内の他の製造業とのタイアップを、マーケットに対応するためにどことタイアップすれば課題がクリアできるのかを巧みに考えて、ネットワークを独自に作っている。ALESSI社にかかわらず、イタリアの中小企業で大きなプレイヤーに発展した、あるいは地域の産業の要となっていくようなプレイヤーは、このような行動を取っている。
○小さな会社であっても、経営者としての大局的な視点を持つべき、また、関与するプレイヤー全ての利害関係を考え直すことが大切。
○イタリアの様々なイベントや会合から多様なプロジェクトが生まれているが、それはインフォーマルなネットワークの中で生まれている。このイベントや会合は事業システムというのを前提とした上でのつきあいで、何らかの利益が期待できない限りネットワークには入らないし、入れない。
○政策的な観点からのインプリケーションとしては、中小企業のネットワークの構築のための仕組みづくりを行う人や企業への効果的な支援の検討が必要。ネットワークは無形で、その形成には長期的な時間を必要とするので、短期的に成果を求められても目に見えるかたちでの成果が出せないため、ともすると政策評価の観点から支援が打ち切られがちだが、大事なこと。
【意見交換ポイント】
○水平的なネットワークは、これまでの産業分類の同じ類型同志の結びつきというよりは、今までは別のカテゴリーに入っていた産業が、新しく手を結びアライアンスを組むケースがどんどん出てきており、これを重要視している。イタリアでは、繊維、ファッション、アパレル、自動車、雑貨をはじめ、食器、農機具やレジャーボートでも、こうした水平的ネットワークの動きは見られる。
○垂直的なネットワークというのは、日本の産業の中では、これまでは非常にうまく機能してきたと言える。下請代金支払遅延等防止法や不公正取引を厳しく規制することで下請け企業の取引上の地位を強化する、あるいは、一親企業一下請けを変えて、下請け取引関係は維持するが親企業の複数化を図ることによって「強い下請け」(=垂直的連携)を育てることも水平的ネットワークとともに大事ではないか。
○日本でも、水平的な繋がりを強化するため新連携という施策をこれまでも中小企業庁が推進してきた。中小企業が所属している工業会、横の連携の母体となるような組織どう強化し、活用していくかが課題。また、大学の中の世界と、企業と大学を取り結ぶ自治体の官の世界と、3つの世界がなかなか交わらない、それぞれの論理がぶつかり合って話がうまく進展しないというのが大きな問題。一方、イタリアでは、個人同士のつきあい、利害関係の中で水平的なネットワークの構築を図ろうとするので、進展が早い。
○中核企業をコアにした中小企業の水平的ネットワークは一時的には、小さな企業がそのネットワークの中でうまく生き永らえて、地域経済として見た場合でもうまくいっていた訳だが、2000年代以降の直近では、そのグループに入っていない中小企業は淘汰されてきているという現象が起こっている。また、そのグループは必ずしも地域内でチャンピオンとして出てきた企業だけではなく、他のヨーロッパの国の会社から買収されたり、アライアンスを組むなど多様なかたちで発展を遂げている。日本の中小企業との違いは、連携やM&Aが国をまたいで行われている例がよく見られること。
○2000年以降もイタリアの中小企業の数が増えているのは、周辺産業の新規開業によるものが多い。経営体をみると、日本同様ファミリービジネスが多いが、非常にファミリーとしての結束力が強く、経営をファミリーが握っているため、社員はどんなに有能でも経営者になれないので、スピンアウトせざるを得ないことから、起業が多い。
○イタリアの中小企業のマーケットとしていちばん強い部分は、高付加価値製品、高価格帯のものを作ってきたこと。イタリアの企業は中小企業であっても海外に売っていくことを考えており、その際、利幅が大きい当然高付加価値商品で進出し大きな利益を得て、それを次の投資に回していくというパターンが多い。最初に参入するコストやリスクを極力小さくしている。
○B to Cだけではなくて、B to B、特に一品生産の機械や産業機械など、顧客の要望を取り込んで、オーダーメイドで作る代わりに高いマージンをとれるようなものが多い。
○海外への高付加価値製品の販売顧客の獲得には国際見本市が大きな役割を果たしている。展示することに意味があるのではなく、バイヤーとの商談の場として、世界の企業と繋がっていくというところに大きな意味がある。見本市をその地域の中に誘致できるかどうかが行政の力。イタリアのファッションの中心がフィレンツェからミラノに移ったのも、ミラノコレクションやプレタポルテの見本市の存在が大きい。
○最近、東京ガールズコレクションが日本を越えて注目されてきているが、これを定期的に必ず開催し、そこをビジネスの拠点にするという考え方を付加していくことが重要。
○日本では、当然富裕層を狙っていくという意味での戦略もあるが、一方で、アジアの中間層、いわゆるボリュームゾーンをどう取っていくかも重要で、高付加価値型戦略だけではカバーできないところもある。
○服などを単なるモノとして捉えるのではなく、日本のカルチャーの中のモノ、日本のイメージの中のモノとして、日本の商品をどう売っていくかを考えることが大切。マンガや日本の若い子のファッション、おたく文化といった部分をどういうかたちでマネジメントして、これから日本として売り出していくのかが重要。このコントロールの仕方や見せ方がイタリアは得意としている。この点は見習うべき。
○産業集積の本質は、周りの企業でどういうことをやっているかを日常的に観察しよく知っているということにある。周りにどういう人がいて、どういうことをやれる人がいるかということを知っていることが、次のビジネスを生む最大の武器になる。
○イタリアで最初に中小企業支援を始めたのはボローニャのエミリア・ロマーニャ州。補助金ではなくて、自治体や地元商工会議所等が出資、コンソーシアムを組んで産業支援機関を作り、専門家を集め、零細企業に対して、例えば会計、戦略、事務的な作業の代行、コンサルティングといった事業の補完のためのサービスを提供するというもの。数年先を目標年次とする地域産業戦略を立て、フェーズフェーズに合わせてフレキシブルに支援内容や体制自体も変えていく。プロジェクトありきで、そのプロジェクトを管理する器として産業支援機関があるということで、最終的にはプロジェクトが完了したら支援機関は廃止されるのが通例。
文責:井上
〔参考:研究会配布資料〕
配布資料『中小企業ネットワークと事業システム戦略~イタリアの事例より~』【1.21MB】