評者:平良好利(獨協大学地域総合研究所特任助手)
本書のテーマと結論
本書のテーマは実に明快である。なぜあれだけ広大な米軍基地がいまも沖縄に存続するのか、つまり沖縄の「基地固定化の起源」はどこにあるのかを歴史の中から探り出そうというのが、本書のテーマである。その「基地固定化の起源」を本書は1945年から53年までの戦後初期の時期に、とりわけ対日講和の前後の時期に見出そうというのである。
このようにテーマも明快だが、その結論も実に明快である。本書の結論は2つある。まず第1は、対日講和の前(1951年)に「日本による沖縄防衛の責任負担と引き換えに、沖縄米軍基地の整理・縮小が可能になるという論理が日米の間で成立していた」(16頁)というものである。つまり、日本が防衛力を増強し、アメリカに代わって沖縄防衛の責任を負うことができるのであれば、アメリカは沖縄そのものを統治する必要はなくなるので、沖縄の施政権返還は可能になるし、また同時に沖縄防衛のために割いていた米軍兵力も引き上げることができるので、その分の米軍基地の整理・縮小も可能になる、という論理が1951年の時点ですでに日米両国の間で成立していた、というのが本書の主張である。
しかしながら、対日講和の後(1952年~53年)に日本が防衛力増強に抑制的な態度をとったことにより、結局のところ日本による沖縄防衛構想そのものが実現困難となり、沖縄の施政権返還の可能性も米軍基地の整理・縮小の可能性も遠のいた、というのが第2の結論である。著者の言葉をそのまま引用すれば、「(講和後に)日米がともに、日本による沖縄防衛の責任負担という将来構想の具現化を先送りしたことで、沖縄米軍基地の整理・縮小の実現が遠のく事態が創出され(た)」(16頁)ということである。
本書の構成とポイントになる第3章
本書の構成は以下の通りである。
序章 問題の所在と分析視角
第1章 沖縄米軍基地をめぐる日米関係の起源
第2章 冷戦下の米軍基地の役割変化と信託統治構想の動揺
第3章 日本の再軍備と沖縄問題
第4章 沖縄防衛問題と日本国内の対立
終章 沖縄基地問題の構図
紙幅の都合上、第1章と第2章については取り上げないが、第3章においては上で述べた第1の結論が示されており、続く第4章で第2の結論が示されている。この第2の結論は第3章における第1の結論を受けてのものなので、本書はこの第1の結論に説得力があるかどうかにすべてはかかっている。
まず第3章では、1951年に締結された旧安保条約は日米両国にとってあくまで暫定的なものであり、いずれは両国とも相互防衛条約を締結することを望んでいた、と論じられている。そして、その相互防衛条約が将来的に締結されるのであれば、その論理的帰結として、沖縄の施政権返還と米軍基地の整理・縮小が可能になる、ということが主張されている。本書の言葉をそのまま引用すれば、次のようになる。
日本が米国と相互防衛条約を締結し得るほどの軍事力を備えれば、沖縄防衛についても一定の責任を負えるようになる。そうなれば、米国が沖縄防衛の責任を全面的に負う必要はなくなり、排他的管理権を維持する必要性は低くなるため、沖縄の施政権については日本に返還することが可能となる。同時に、沖縄防衛について日本が果たす役割が増えれば、その分、沖縄防衛上の米国の負担が軽減するため、沖縄米軍基地の整理・縮小が論理的(・・・)に(・)は(・)可能となるのである(146~147頁)。
この箇所が本書の一番の核になるところであるが、評者には少なくとも以下の4点について、疑問が残った。
相互防衛条約を締結しようという展望はあったのか?
まず第1は、そもそも1951年の時点で日米両国の間に相互防衛条約を将来的に締結しようという展望が本当にあったのか、ということである。つまり、日本がアメリカとの間で相互防衛条約を結ぶためには、自国を守るだけの軍事力を保有するだけでなく、アメリカをも守れる軍事力を保有し、なおかつ日本国憲法を改正して法的にもアメリカを助け得るようにならなければいけないが、そのような展望が果たして1951年の段階で日米両国にあったのか、という疑問である。
本書ではダレスの発言や西村熊雄の発言を引用しながらそれを論証しようとしているが(144~146頁)、本書を読む限りでは、そのような展望があったとは評者には読み取れなかった。つまり、引用されたダレスや西村の発言自体はよく理解できるのだが、それらの発言をもって本書が相互防衛条約の締結を日米がともに望んでいたと断定している点が、評者には理解できなかったのである。
日本による沖縄防衛構想はあったのか?
第2の疑問は、相互防衛条約を結ぶかどうかは別にして、将来的に沖縄防衛を日本側に任せるという考えをアメリカ国務省が1951年時点で果たして本当にもっていたのか、ということである。本書ではいくつかの資料をつなぎ合わせて国務省はそう考えていると「窺える」とか、あるいは「(そういう)立場をとっていたと考えられよう」と推測しているが(126頁)、評者にはその資料のつなげ方や解釈自体がやや強引な感じがして、十分に納得できるものではなかった。また、この部分に限らず本書では、著者の「推測」にすぎないものがいつのまにか「事実」にかわっているところが多くあり、しかもそれを前提に議論を進めているため、評者としてはかなりの違和感をもった。
第3の疑問は、国務省とは別にアメリカ軍部が将来的に沖縄防衛を日本側に任せようという考えを1951年時点でもっていたのか、またその上で沖縄の施政権を日本に返還するという考えをもっていたのか、ということである。当時のアメリカ軍部は沖縄の基地を自由に使用したいがゆえに沖縄そのものを排他的に統治することを考えていたというのが評者の理解であるが、もしそうであるとするならば、本書が示した第1の結論、すなわち「日本による沖縄防衛の責任負担と引き換えに、沖縄米軍基地の整理・縮小が可能になるという論理が日米の間で成立していた」という主張そのものは成り立ち得るのだろうか。つまり、国務省という1つの政府機関がそう考えていたからといって(評者は上述の通り国務省もそう考えていたとは思えないが)、それをもってアメリカ政府全体がそうであるというふうに果たして言えるのだろうか、ということである。
しかも、日本政府の側も「自国による沖縄防衛の可能性を検討する余地はなかった」(133頁)と本書自身が述べていることも合せて考えれば、果たしていかなる意味で上記の論理が「日米の間で成立していた」といえるのだろうか。
米軍基地の整理・縮小はなされるのか?またその規模は?
第4の疑問は、仮に沖縄の防衛を日本側が担えるようになったとしても、それで沖縄の米軍基地の整理・縮小は可能になるといえるのか、ということである。本書では何の留保もつけずに米軍基地の整理・縮小は可能になると述べているが、例えばアメリカがいま保持している米軍基地を返還せずに、自衛隊が沖縄防衛のために新たな基地を持つ可能性もあるのではないだろうか。つまり、アメリカ側が既存の米軍基地を日本側に譲らずに、自衛隊が新たな土地を住民から取得して基地を作るということも可能性としては考えられるのではないか。よって、論理的には必ず整理・縮小されるわけではなく、むしろ既存の米軍基地も維持され、自衛隊基地も新たにつくられ、沖縄の基地負担はさらに重くなるという可能性さえあるのではないか、ということである。
またもう少し別の角度から言えば、当時の米軍にとって重要な沖縄基地は空軍基地と海兵隊基地であったが(海兵隊基地は50年代半ば以降から)、そうだとすると、仮に自衛隊が沖縄防衛を肩代わりしたとしても、その重要な空軍基地や海兵隊基地は残るのではないか、という疑問である。実際、1972年の沖縄返還の際には、米軍が使っていた基地の僅かな部分が沖縄防衛のために自衛隊に移管されたが、その他の大部分の米軍基地(空軍基地や海兵隊基地など)は返還されず、そのままアメリカによって継続使用されたのである。
つまりこのことは、アメリカにとって沖縄基地の役割とは一体何だったのか、という問題に直結するものであり、本書は日本の安全を図るためにあるという点を重視しているが、評者はそれよりも極東軍事戦略の拠点の1つとして沖縄基地を位置づけていたという点を重視している。よって、仮に沖縄防衛の一端を日本側が担ったとしても、アメリカはその他の広大な米軍基地を極東軍事戦略のために維持するのではないか、また現に沖縄返還の際にはそうしたのではないか、というのが評者の考えである。したがって、本書のいう米軍基地の整理・縮小が可能になるといった場合の「縮小」とはどういう意味で考えているのか。またそもそも日本が沖縄防衛を担えば本当に米軍基地の整理・縮小は可能になるのか、というのが4点目の疑問である。
その他の疑問点
なお、その他にも疑問点は多くあるが、紙幅の都合上、主要なものだけを列挙するにとどめたい。
・戦後初期、アメリカは沖縄基地を対日監視の拠点として本当に位置づけていたのか?
・国務省関係者が沖縄の「潜在主権」を認めたのは、本当に日本側が防衛力増強の第一段階の実行を確約したからなのか?
・講和後に沖縄の施政権返還の実現が遠のいたのは、本当に防衛力増強問題が主要因だったのか?
以上、多くの疑問点を並べはしたものの、本書が戦後日本を形作った「日米安保」「憲法」「再軍備」といったものと結び付けて沖縄の「基地固定化の起源」を考えようとした意欲作であることは間違いない。